2507話
魔の森で昇格試験をやらないか。
そうワーカーに尋ねられたレイだったが、特に驚く様子はない。
実際に尋ねられる前に魔の森について話していたことや、そもそも今日自分がギルドに呼ばれたのは昇格試験についての話があったからだろう。
そのような状況で魔の森の話題を出されれば、それが昇格試験に絡んでいないと思えという方が難しい。
「昇格試験をやらないか? って、何で決定権が俺にあるように言うんだ? その辺を決めるのは、ギルドの仕事だろ?」
「そうですね。ですが、今回は色々と特別なんですよ。……分かるでしょう?」
ワーカーに視線を向けて尋ねられれば、レイも首を横に振ることは出来ない。
「それは分かるけど、それと魔の森がどう関係してくるんだ?」
「説明する前に、前提となっていることを言っておきます。今回のような件になったのは、ダスカー様がレイに対して交渉役を用意すると言ったからこそ出来ることです。それ以外にも昇格試験を出来るだけ早くする必要があり、昇格試験が遅くなれば増築工事の方にも遅れが出てきます」
「そうだろうな」
レイは自分が増築工事においてどれだけ有益な存在なのか、当然のように知っている。
今はそんなレイがいない間にどうやって仕事を遅らせないようにするかといったように、色々と試してはいるが、それでもやはりレイがいるのといないとのでは大きく違ってくる。
「そんな訳で、ダスカー様からの要請がなくても、レイには出来るだけ早く昇格試験を受けて欲しいとは思っているんですよ」
「そう言われると納得出来る話だ。けど、言ってみればそれはそっちの都合だろ? それで昇格試験の内容を変更するのか?」
ワーカーにそう告げるレイだったが、もし実際に昇格試験の内容が魔の森だと言われれば、反論は出来ない。
幸い、ワーカーはここでレイを騙すといったような真似をするつもりはなかったのだが。
「だからこそ、魔の森なんですよ。先程も言ったように、レイの場合は貴族からの依頼を受ける場合は代理人を用意するとダスカー様から提案がありました。その為、もし魔の森での昇格試験を受けるというのであれば、礼儀作法に関しては試験を受けなくてもいいと、ギルドマスターの権限で特例として認めましょう」
「ギルドマスターの権限って、そんなことも勝手に決められるのか?」
「勿論、私一人の権限では出来ません。私以外にも五人のギルドマスターの同意が必要となります」
ギルドマスターの権限は大きいが、それでも一人だけで何でも自由に決められるという訳ではないのだろう。
特に今回はランクA冒険者という、冒険者の中では最高の――ランクSは例外として――ランクの昇格試験についてだ。
それを自分で勝手に試験内容を変えるといったような真似はする訳にはいかないのだろう。
「五人か。……それはそれで難しそうだが、出来るのか? 幾らワーカーが昇格試験の内容を変えると言っても、それを他のギルドマスターが許容しない限りは駄目なんだよな?」
「そうですね。ですが、その辺は任せて下さい。先代のギルドマスターからの引き継ぎもしっかり終わっていますので」
先代というのは、当然だがマリーナのことだ。
そのマリーナからの引き継ぎをしているから大丈夫と言われると、不思議なくらいに納得出来てしまう。
それだけマリーナに対する信頼が厚いということなのだろう。
「取りあえず話を纏めると、俺は出来るだけ早く昇格試験を受ける必要があるから、普通の昇格試験ではなくて魔の森で何らかの試験を受ける代わりに礼儀作法についての試験は、代理人の件もあるので受けなくてもいい。……ってところか?」
「そうなりますね。これはレイにとっても悪い話ではないと思いますよ? 礼儀作法は苦手なんでしょう?」
「苦手は苦手だけど、一応エレーナから習ってそれなりに出来るようにはなったんだが」
「……姫将軍にですか……」
レイの口から出たエレーナという名前に、普段は冷静なワーカーも驚く。
ランクAへの昇格試験には礼儀作法の試験があるので、レイがそちらについても勉強をしているのは分かっていたのだが、まさか姫将軍から礼儀作法を習っているというのは、完全に予想外だった。
「ああ。それでエレーナにもそれなりに評価はして貰ってたんだが……魔の森での試験となると、それも意味はなくなるんだな」
「いえ、なくなりませんよ。王族と会う時のことを考えれば、礼儀作法はしっかりと学んでおく必要がありますから。……本来なら、試験が終わった後でその辺をどうしようか考えるつもりでしたが、その辺の心配はいらないようですね」
「……礼儀作法云々の件は、聞いてなかったが?」
「後で話すつもりだったのですよ。……それで、どうです? 魔の森での試験を受ける気になりましたか?」
改めて尋ねられたレイだったが、魔の森での試験についてはかなり乗り気になっている。
礼儀作法の試験をしなくてもいいというのは、レイにとってはかなり嬉しい。
一応エレーナから問題ないだろうという風には言われているのだが、だからといって試験を受けなくてもいいのなら、わざわざ受けなくてもいいだろうと思った為だ。
また、それ以上に大きいのは、やはり魔の森についてだろう。
多くのモンスターが棲息していたのだから、魔獣術を使うレイにとってはボーナスステージと言ってもいい。
……もっとも、高ランクモンスターが多い以上、下手をすれば命を落としかねないボーナスステージだが。
「魔の森で試験をやるってのは納得したけど、具体的に何をすればいいんだ?」
「やって貰うことは二つ。まず一つ目は魔の森で二泊してもらいます。もう一つは、その間にランクAモンスターを最低二匹倒して貰うことです」
「……なるほど、それは結構厳しいな」
「色々と便宜を図っている分、普通の昇格試験よりは少し難易度が高くなってます。ですが、極端に難易度が高くなっている訳でありませんよ」
あっさりとそう告げるワーカーだったが、レイにしてみればその言葉が本当なのかどうかは分からない。
いや、この状況でワーカーが自分に向かって嘘を言うようなことはまずないだろうから、恐らく本当なのだろうというのは予想出来たのだが。
「ちなみにその試験、セトは連れていってもいいんだよな?」
「ええ、それは構いません。レイの従魔ですから」
「それでランクAモンスターの件はともかく、もし俺がセトに乗って魔の森から脱出するようなことになったらどうするんだ?」
「ああ、そちらは問題ありませんよ。レイには位置を知らせるマジックアイテムを持っていって貰いますから」
「そういうのもあるんだな」
GPSみたいだな。
そう思ったレイだったが、ここでワーカーにGPSといったところで通じないだろうと口には出さない。
「はい。魔の森で行動して貰うのですから、最低限そのくらいはして貰いますよ。しかし、今の状況を考えればそれしか出来ないというのが正確なところですが」
本来なら、魔の森という危険な場所での行動ともなれば、もっと十分にバックアップしたいというのがワーカーの思いなのだろう。
だが、今の状況を考えればそのくらいのことは当然だというのはレイにも理解出来た。
「まぁ、レイの場合はセトがいる以上、本当に何か危険になったら即座に逃げ出すことが出来るでしょうがね。それでも念の為ということで我慢して下さい。勿論、レイの方で何か危険があって昇格試験をこれ以上続けられないと判断したら、こちらからも人を出します」
ワーカーにしても、レイは非常に重要な存在だ。
それこそ、レイの協力がなくなった場合、増築工事は今まで以上に苦労することになり、それをカバーする為にはもっと多くの冒険者に働いて貰う必要があり、そうなれば自然と書類仕事も増えるだろうと、そう思えるくらいには。
だからこそ、出来ればレイには魔の森の試験で死んで欲しくはないと思っているのだろう。
そんなワーカーの思いはレイにも理解出来た。
「それで、魔の森での試験となると、具体的にはいつからやるんだ?」
「……ではこの試験を受けると?」
「提案してきたワーカーの方が驚いてどうするんだよ。俺が引き受けなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「その場合は、普通の試験をしていたでしょうね」
ワーカーにしてみれば、ダスカーからの要望と自分の都合、増築工事の進み具合も考えてレイに魔の森での昇格試験を提案した。
それでも魔の森という場所での試験である以上、引き受ける可能性はそう高くはないと、そう思っていたのだ。
「普通の試験も面白そうだけど、ワーカーは俺の趣味を忘れてないか?」
「趣味? ……ああ、魔石」
レイに言われるまで、ワーカーもレイの趣味については忘れていたのだろう。
数秒の沈黙の後に、ようやく思い出す。
実際には、レイの趣味というのは表向きの話だ。
魔獣術には魔石が必須で、それを誤魔化す為にレイは魔石を集める趣味があるということにしていたのだ。
「そうだ。ランクAモンスターを二匹以上仕留めること。それは分かったが、別にそれ以上の数を倒してしまっても構わないんだろう?」
「それは構わないし、ランクAモンスターの情報を入手出来るという点では助かりますが……」
レイの言葉に戸惑うワーカー。
当然だろう、魔の森での試験というのは、無茶な……それこそワーカーから見ても無茶だと思えるようなものだ。
それを渋々といった訳ではなく、それこそ嬉々として是非受けたいと言ってくるというのは、ワーカーから見ても完全に予想外だったのだ。
「魔の森で二泊……それをやれば、俺もランクA冒険者か」
「モンスターの討伐もありますけどね」
「分かってる。ちなみに、目的はランクAモンスターが二匹という話だったが、ランクB以下のモンスターは狩っても意味はないのか?」
「そうなりますね。勿論、魔の森のモンスターだけに、ギルドで売ってくれるのなら高値で買い取らせてもらいますが」
そう告げるワーカーの言葉に、レイは当然だろうな、と納得する。
ギルドにとっても、魔の森のモンスターの素材というのは非常に欲しいのだろう。
「モンスターの肉は、俺も欲しいから売るようなことはない。ただ、素材とかなら売ってもいいかもしれないな。もっとも、俺の方で素材を使う可能性もあるから絶対に売るとは限らないけど」
「残念ですが、それは構いません。自分で倒したモンスターの死体をどうするのかは、冒険者によって決めるのは当然ですし。ただ、出来ればギルドに売って欲しいという思いがあるのは間違いないですけどね」
ワーカーのその言葉に、レイは頷いておく。
別に、レイはギルドに対して何か思うところがある訳ではない。
そうである以上、魔の森で倒したモンスターの素材を売るのは特に否定する訳ではないのだ。
「それで、魔の森での昇格試験はいつやるんだ?」
「そうですね。マジックアイテムの用意は勿論ですが、それ以外にも色々と準備をする必要もあります。……十日後というところでどうでしょう?」
「十日後? それはまた随分と時間が掛かるな」
レイとしては、それこそ今すぐにでも魔の森に行く気になっていた。
それだけに、実際に昇格試験を行うのが十日後だと聞かされてそう言ったのだが、ワーカーから帰ってきたのは呆れが込められた視線だった。
「十日というのも、全てを最優先で準備してようやくといったところなのですが? これがもっと低いランクの昇格試験であれば、準備もそこまで必要ないでしょう。ですが、今回はランクAへの昇格試験なのですよ? それも通常とは違って魔の森で行われるような」
ワーカーのその言葉は、決して大袈裟なものではない。
十日というのは、それこそこれからワーカーがそちらに集中してようやく何とか出来る日数だ。
だというのに、レイから出て来たのが時間が掛かると言われたのだから、ワーカーが面白く思わないのは当然だろう。
「そこまで用意する物があるのか? その、マジックアイテムがあればいいだけじゃないかと思うんだが」
魔の森で二泊三日のキャンプ……というのは少し魔の森を軽く見すぎている認識だったが、ともあれ今回の昇格試験は出来るだけ早く行うということが前提となっていた。
だからこそ、レイだけで……いや、正確にはレイとセトだけで魔の森に行くのだから、それこそ用意する物はGPS的な効果のあるマジックアイテムだけでいいのではないか? と、そんな風にレイが思うのは当然だろう。
実際にはそれ以外にも色々と準備をする必要があるからこそ、ワーカーは十日は掛かると言ったのだが。
レイもそんな風にワーカーに言われたのだが、それでも何とか反論し……最終的には五日後に試験を行うということになるのだった。