2506話
街中を歩けば、当然ながらレイとセトは目立つ。
正確には体長三mを超えるグリフォンのセトが目立ち、そんなセトと一緒にいるのでそれがレイだとすぐに判明して目立つのだが。
いつもなら街中を歩くついでに屋台に寄っては色々と買い食いをするレイだったが、今日はランクAへの昇格試験について話をする必要がある。
それを思えば、屋台に寄ったりといったような真似は出来ない。
屋台の店主達も、普段ならレイに買って貰おうと声を掛けるのだが、今日はレイの様子からそんな余裕はないだろうと判断したのか、声を掛ける様子はない。
本来なら、屋台の店主にとってレイは一度に大量の買い物をしてくれる上客だ。
しかし、店主達もギルムで働いている者である以上、声を掛けてもいい状況なのかどうかというのは、すぐに理解出来た。
もっとも、屋台の中にはつい最近ギルムにやって来た者もいたのだが、幸いにしてそのような者達は他の店主達の様子を見て、レイに声を掛けるような真似はしない。
この時、自分のことだけを考えているような者がいなかったのは、運がよかったのだろう。
屋台は多数存在するが、それだけに競争が激しい。
自分のことだけを考えて他人のことはどうでもいいというような者がやっている屋台は、余程料理の腕がいいといったようなことでもない限り、長続きしないのは当然だったが。
通行人達も、レイとセトの様子を見て仕事中だと判断し、話し掛けてくる様子はない。
正確には子供が何人かセトと遊びたいと言ってきたのだが、レイがこれからギルドに向かう必要があると言えば、それに対して無理を言ったりはせず、素直に離れていった。
そうして街中を進み……やがてギルドに到着する。
「じゃあ、俺はギルドに行ってくるから、セトはここで待っててくれ。結構長くなるかもしれないから……いや、セトならそれは大丈夫か」
「グルゥ?」
レイの言葉に、そう? と首を傾げるセト。
ギルドに来るまではともかく、レイがギルドの中にいる間、セトはギルドの前で待っている必要がある。
そしてセトがギルドの前で待っていれば、そんなセトを愛でよう、遊ぼう、食べ物を与えようといったような者達が集まってくるのは、容易に想像出来てしまう。
それはレイにしてみればいつものことである以上、当然のことだ。
そんなセトを軽く撫でてから、レイはギルドに向かう。
セトは少しだけ寂しそうにレイの後ろ姿を眺めると、いつものように馬車の待機場所に向かって寝転がり……数分としないうちに、何人もがセトと一緒に遊ぼうと集まってくるのだった。
「これは、また……凄いな」
ギルドに入ったレイは、何だか随分と久しぶりにやってきたような気がしてギルドの中を見回す。
まだ日中だというのに、ギルドの中にはかなりの冒険者が仕事を求めて……もしくは仕事を終わらせたことを知らせる為に集まっていた。
それでも早朝や夕方のように、ギルドの一番混雑する時間に比べれば随分と数は少ないのだが。
多くの者がギルムに集まってきている以上、早朝や夕方はそれこそ文字通りの意味で人が押し潰されそうになるような、そんな寿司詰め状態になるのも珍しくはない。
そして冒険者以上に切羽詰まった様子を見せているのは、ギルド職員達だ。
本来なら今の時間はギルドにやってくる冒険者もそう多くはなく、ギルド職員達もゆっくりしている時間なのだが、カウンターの向こう側にあるのはとてもそんな様子ではない。
何よりも、カウンターの向こう側にいるギルド職員の数や受付嬢の数が、レイから見ても明らかに増えている。
それも一人や二人といった程度ではなく、数十人単位で。
カウンターの向こう側にある場所は、人が通るのもかなり慎重にしなければならないくらいに人が多い。
(というか、俺はこれからギルドマスターのワーカーと昇格試験について話すんだよな? つまり、俺はあそこを通って奥まで行くのか?)
ギルドマスターの使う執務室に繋がる階段は、カウンターの一番奥にある。
レイは平均から見てかなり小柄なので、カウンターの向こう側を歩くといったようなことも他の者よりも簡単かもしれないが、それでも楽に移動出来るといった訳ではない。
(あ、でもギルド側でもその辺は考えてるか。二階とかに部屋が幾つかあったから、そっちで話をする可能性があるな)
そう判断し、レイは受付に向かう。
レイの存在に気が付いたレノラは、一瞬少し離れた場所で他の受付嬢に指示をしているケニーを見るが、ケニーがまだレイの存在に気が付いていないことを知ると、どうするか迷った様子を見せ……だが、結局今はレイをギルドマスターに会わせる方が先だと判断したのか、結局ケニーには何も言わずにレイに向かって頭を下げる。
「レイさん、ようこそいらっしゃいました。では、ギルドマスターの執務室へどうぞ」
「え?」
レノラの口からあっさりと出されたその言葉に、レイは驚く。
ギルドマスターの執務室に、と。そう言ったからだ。
「えっと、この中を?」
「はい。レイさんならこのくらいの場所を通るくらいは簡単に出来ますよね?」
「てっきり、カウンターの内側がこういう有様だから、二階とかでワーカーに会うと思ったんだけど」
「ああ、二階……二階は二階で、ここよりも酷いですよ」
若干遠い目で呟くレノラ。
そんなレノラの様子を見れば、その言葉は決して大袈裟なものでも何でもないというのが理解出来る。
(カウンターの内部でもこんな感じなんだし、空いてる場所があったらそこを仕事に使うのは当然だよな。というか、今の状況を考えればギルドそのものが小さいんだろうけど。だからって簡単に大きくするなんて真似も出来ないだろうしな)
ギルドは現在増築工事を行っているギルムの中では非常に忙しい場所の一つだ。
そうである以上、簡単に増築したり建て直したりといったような真似が出来る筈もない。
なら、いっそ他の大きな建物に引っ越すといった手段はどうかと思わないでもなかったが、ギルムのギルドといえばここと、既に多くの者が認識している状態で、引っ越すといった真似をした場合は間違いなく混乱する。
(冬になったら……いや、冬に引っ越しするってのがそもそも厳しいか)
取りあえず今は引っ越し云々よりも昇格試験について考えた方がいいだろうと判断し、意を決してカウンターの中に入っていく。
何人かの冒険者がカウンターの中に入るレイの姿に視線を向けていたが、特に敵意や悪意の類もなかったのでレイはそれを気にせずにカウンターの奥に向かう。
……正確には、無駄な動きをした場合は積まれている書類が崩れたりしそうで怖かった、というのが大きいのだが。
それでも何とか書類の山となっている場所を通り抜け、ギルドマスターの執務室に続いている階段に到着して、その階段を上がっていく。
その途中でケニーがレイの名前を呼ぶような声がして、次いで何かが崩れる音が聞こえてきたが、レイはそれに気が付かなかったことにした。
もしカウンターの内側に目を向けた場合、間違いなく面倒に巻き込まれるような気がした為だ。
……次いでレノラの怒声も聞こえてきたが、レイはそれも無視することにして二階に到着する。
「さすがにここまでは書類とかがないな」
もしかしたら、この部屋の廊下にも書類の山が出来ているのではないか。
一瞬そう考えたレイだったが、幸い廊下は普通で、書類の山の類は存在していない。
そのことに安堵しながらレイは進み、やがてギルドマスター用の執務室の前に到着する。
「レイだ。呼ばれたから来たんだが、構わないか?」
扉をノックしてそう尋ねると、すぐに部屋の中から入るようにと声が聞こえ……そして、レイは扉を開く。
「ふぅ」
執務室にも書類の山は幾つかあったが、それでもレイが予想していたよりは少ない。
そのことに安堵し、息を吐くレイ。
執務室の中では、ワーカーが何らかの書類を眺めつつサインをしているところだった。
そして見ていた書類を片付けると、ワーカーの視線はレイに向けられる。
さすがマリーナの後釜としてギルドマスターをしているだけあってか、一階にいたギルド職員達と違って疲れているような様子はない。
「それで、俺の昇格試験について話があるって聞いて来たんだけど……昇格試験の日時が決まったのか?」
「正確には、決まったというか提案ですね」
「提案? まさか、昇格試験なしでランクAにしてくれるとか? だったらこっちとしても助かるんだけど」
そう尋ねるレイの言葉は、冗談を言ってるような感じだ。
実際、試験もなしでランクAになれるとは、到底思っていないのだから当然だろう。
そんなことは、まずない。
そう思ったからこその、レイの言葉だったのだが……何故かそんなレイの冗談に反論する様子もなく、じっと視線を向けてくるワーカーに、レイはまさか? と思う。
「もしかして、本当に試験もなしで昇格なんて話が出てるのか」
「いや、それはありませんね」
改めて尋ねるレイに、ワーカーはそう言って試験なしの昇格について否定する。
自分の言葉を否定されたレイだったが、それでも残念というよりは安心した。
幾ら何でも、昇格試験なしで自分がランクA冒険者になれうるとは思っていなかった為だ。
実際にはレイがこれまで残してきた偉業と呼ぶべき行動の数々を思えば、そのようなことになってもおかしくはない。
とはいえ、その大半は表向きに出来ないようなことなのだが。
「じゃあ、どうしたんだ? 何かあったから、こうして俺を呼んだんだよな? それも、こんな忙しそうにしている時に」
ただ少し話をするだけで、こんな時期に自分を呼ぶとはレイには思えなかった。
つまり、昇格試験に対しての何かがあったからこそ、こうして自分を呼んだのは間違いない。
そう思って尋ねるレイの言葉に、ワーカーも頷く。
「勿論ですよ。今日レイを呼んだのは、昇格試験に関係することで間違いはありません。……ただ、その前に一つだけ聞かせて下さい。レイは魔の森というのを知っていますか?」
「魔の森……? 勿論知ってるけど」
知らない筈がない。
そこは、レイがこのエルジィンにやって来て、最初に目覚めた場所だ。
このギルムとは違う意味で、レイのもう一つの故郷のようなものだろう。
とはいえ、それはあくまでもレイやその事情を知っている少数だけの者しか分からないが。
そのような知識がない場合、魔の森というのは本来なら触れてはいけない場所と、そのように思っている者が多いだろう。
ミレアーナ王国唯一の辺境たる、ギルム。
だが、そのギルムにいる冒険者であっても、魔の森に行くのは禁止されている。
魔の森というのは辺境のギルムで働いている冒険者としても、そう簡単に触れられるような場所ではない。
とはいえ、ギルムが出来た当初……そして魔の森の存在が知られた当初は、何人もの冒険者が魔の森に向かってはそのまま帰ってくることはなかった。
それこそランクA冒険者ですら戻ってきた者は少数という、そんな魔境。
(考えてみれば、そんな場所だからゼパイルも俺が目覚める場所として魔の森を選んだんだろうな。俺が出て来る時は、それなりにモンスターを見つけたけど、そこまで強力なモンスターって訳じゃなかったし)
レイの身体能力や、デスサイズ……それにセトという存在がいたのも大きい。
だが、レイが魔の森から出て来る時に遭遇したモンスターは、それこそランクA冒険者であれば倒せるだろう強さしか持っていなかったのは間違いない。
そういう意味では、レイもまた魔の森という場所を知ってはいるが、それはあくまでも表面的なことだけなのだろう。
少なくても、圧倒的な存在と遭遇した訳ではないのだから。
レイが噂で聞いたような話ではあるが、魔の森の奥地にはドラゴンも棲息していると言われていたのだが、当然レイはそんな相手とも遭遇していない。……ドラゴンということであれば、黒竜の子供のイエロとは一緒に暮らしているのだが。
「ギルムにいる以上は当然知ってますよね。であれば、当然ですがギルムの冒険者も許可なく魔の森に入ることは許されていないというのも理解してますね?」
確認するように尋ねてくるワーカーに、レイは素直に頷く。
「もし破った場合、かなり重い罰が下されるというのは知っている。……で、この状況でそんな話題が出て来るってことは、やっぱり昇格試験に魔の森が関わってくるのか?」
「ええ。レイに対しては回りくどい言い方をしても仕方がないので、率直に言わせて貰います。昇格試験を魔の森で受ける気はありません?」
そうレイに尋ねるワーカーの顔は、冗談を言ってるといったようなものではなく、真剣に……心の底から尋ねているようだった。