2504話
「えっと、その……大丈夫か?」
レイは恐る恐るといった様子で、地面に倒れている長に尋ねる。
なお、実はここにいる妖精の中には、長程ではないにしろ何らかの手段で魔力を察することが出来る妖精も何人かいたのだが、そのような妖精達もレイの持つ魔力を唐突に感じてしまった為に、長と同様の状況になっている者もいた。
そんな中でも特に酷かったのは、魔力の触れた空気によって相手の魔力の大きさを察することが出来るという、味覚によって相手の魔力を察することが出来る者だろう。
そのような者にしてみれば、レイの持つ魔力は完全に予想外の味だったのか、口から泡を吹いて気絶していた。
レイの魔力を察したことにより、死ぬような者がいなかったのはせめてもの幸いだろう。
もっとも、レイは目の前の長の様子を確認するだけで、それ以外の存在には気が付いた様子もなかったが。
「ニールセン、どうすればいい?」
幸いにして、ニールセンは魔力を察するといった能力を持っていなかったので、長が突然気絶したことに驚きはしても、同じように気絶するといったようなことはなかった。
「そうね。取りあえずちょっと……その辺の木の枝にでも寝かせておいてくれる?」
その指示に従い、レイは長を近くにあった木の枝の上に寝かせる。
ニールセンを始めとした妖精達は、基本的に羽を広げても掌程の大きさしかない。
だが、長はそのような普通の妖精の三倍くらいの大きさがあるので、少し太い木の枝の上だ。
「寝惚けて落ちないといいんだけどな。……いっそ、ポーションでも使うか? それで気絶から目覚めるかどうかは分からないけど」
ポーションはあくまでも傷を治す為の魔法薬だ。
そうである以上、気絶している長にポーションを使ってもどうにもならない。
(まぁ、飲ませれば目覚めるかもしれないけど)
基本的に傷口に掛けて使うのがポーションだが、それを飲めば微量ではあるが一定時間常時回復効果がある。
ただし、ポーションは非常に不味い。
それこそ味覚が壊れてしまうのではないかと、そう思ってしまうくらいには。
それを気絶している長の口に流し込めば、気付け薬として使えるのでは?
そう思ったレイだったが、それはある意味で拷問に等しい。
少なくても、もし長がそれによって気絶から目覚めても、レイに感謝するといったことはまずないだろう。
それどころか、ポーションを飲ませたということで恨まれる可能性すらある。
霧の音に別の効果を付与したいレイとしては、長から、無用な怒りを買うといったような真似は避けたかった。
「しょうがない。長が目覚めるまで大人しく待つか。……だから注意したんだけどな」
「グルゥ」
レイの言葉にセトが同意するように……そして慰めるように喉を鳴らす。
「あのね、今までの経験からそうなることは予想出来たじゃない」
励ますセトとは裏腹に、ヴィヘラは呆れたようにレイに向かって告げる。
レイの持つ新月の指輪の効果は、レイにとっては必須のものだ。
ましてや、今のギルムには本来ならギルムに来ることが出来ないような存在も多い。
もしそのような者で魔力を察する能力を持っていた場合、新月の指輪を外したレイを見たらどうなるか。
考えるまでもなく、長の二の舞だろう。
いや、あるいは長だからこそ気絶程度で済んだのであって、場合によってはショック死するような者がいてもおかしくはない。
「そうだな。少し迂闊だった」
霧の音に対する新たな効果の付与ということで、レイも興奮している面があったのは事実だろう。
その結果として、迂闊な真似をしてしまったのは事実だ。
とはいえ、長がレイの魔力が具体的にどのくらいないのか知らなければならない以上、結局のところ試すしかなかったのは事実なのだが。
「取りあえず、今は長が目を覚ますのを待つか。……その前に、ニールセン。あの連中をどうにかしてくれないか?」
何人もの妖精が、レイ達の様子を見ている。
中には自分の家たる木の幹から顔だけをだして見ている妖精もおり、かなりシュールな光景だったのは間違いない。
それでも妖精たちがレイに対して敵意の視線を向けないのは、レイが自分達を助けてくれた存在だというのを理解しているからだろう。
それでもこうして多数の妖精達に見られているというのは、どこか落ち着かない。
そんなレイの様子に、ニールセンは仕方がないといった様子を見せてから空中に浮かび上がる。
「安心しなさい。長はちょっと寝てるだけよ。そう遠くないうちに目覚めるわ」
本当にニールセンの言った通りにすぐ戻るのかどうかは、分からない。
分からないが、それでも今の状況においてニールセンの言葉は多くの妖精にとって信じることしか出来なかった。
そうしてニールセンの言葉に、妖精達はそれぞれ自分のやるべきことに戻っていった。
「それで、長は本当にいつ目覚めると思う?」
「そう言ってもね。それこそレイに聞くしかないんじゃない?」
俺にか?
そうレイはニールセンを見る。
だが、ニールセンはそんなレイの視線を向けられても当然といった様子で頷く。
実際、ニールセンは長がこのような形で気絶した光景は初めて見る。
そうである以上、もしいつ長が目覚めるのか予想出来るのは、レイしかいないだろう。
「そう言われてもな。それこそ気長に待つしか……」
「その必要はないみたいよ」
レイの言葉を遮るように、ヴィヘラが言う。
そんなヴィヘラの視線の先では、気絶していた長が起き上がったところだった。
「私は……」
何故気絶していたのか、思い出せなかったのだろう。
長は周囲の様子を見て……そしてレイが視界に入った瞬間、気絶する前のことを思い出す。
それでもレイに怯えた視線を向けなかったのは、長たる者としての自覚からだろう。
「レイ……貴方、よくそんな魔力を持っていて普通にすごせているわね」
「まぁ、生まれ持った魔力だしな」
これは嘘ではない。
レイの身体はゼパイル一門によって生み出されたものだが、レイの持つ魔力だけは生前……日本にいた頃から持っていたものだ。
そのような魔力を持っていたからこそ、ゼパイルの目に留まったのだから。
「で、その様子だと魔力には問題ないと思ってもいいのか?」
「ええ、問題ないわ。けど……霧の音に付与出来る追加効果は、レイの魔力があっても無制限といった訳にはいかないわ」
「だろうな。それは予想していた。けど、一応聞かせてくれ。その理由は?」
「単純に、レイの魔力に霧の音が耐えられないからよ。普通なら魔力が少なくてもとてもじゃないけど追加効果を複数付与することは出来ないんだけど、レイの場合はその普通とは逆ね」
「褒められてるのかどうか、微妙なところだな。……まぁ、それはともかくとして、具体的にどのくらい追加効果を付与出来るんだ?」
レイにしてみれば、霧の音という広範囲に広がる霧を経由して発動するマジックアイテムだけに、追加効果は多い方がいい。
そう思っての質問だったが、長は難しい表情で口を開く。
「そうね。新たに付与する効果によって変わるわ。まず、具体的にレイが霧の音に付与するのはどういう効果がいいの?」
「まず、霧を広範囲に広げることが出来たら、その霧のある場所を涼しくして欲しい。今のような夏に涼しくすごせるように」
「それは……便利そうだけど、難しいわね」
「そうなのか?」
まさかいきなりそんな言葉を口にされるとは思わなかったのか、レイは驚く。
自分の魔力があれば霧の音に新たな能力を付与出来ると、そう思っていた為だ。
実際に長からの言葉でもそのようなことにうなっていた筈なのだから。
「ええ。ただ冷気を付与するだけなら、そう難しい話ではないわ。けど、その冷気を攻撃ではなく、涼しく感じる程度に落とすとなると、その維持が厳しいのよ。……ちなみに、それだけ?」
「いや、他にも霧の発生する範囲をもっと広げて欲しいというのとかがあるな。後は、こちらは攻撃用に霧を水ではなくて酸のようなものにしたり、霧は霧でも毒の霧にしてもらったりとか」
「霧の範囲の方は出来ると思うけど、霧に酸や毒というのは難しいと思うわ」
「そうか」
あっさりと頷くレイ。
不満そうな様子がないのは、酸や毒というのは出来ればといった感じであり、駄目元に近い内容だったからだろう。
そうである以上、そちらが却下されてもレイとしては多少は残念に思うが、それで不満を抱く程ではない。
「そうなると、霧の音に付与出来るのは、霧の広がる範囲をもっと広くすることと、霧に冷房……冷たい空気で夏を快適に過ごせるようにする効果だけか?」
「そうね。けど、レイは霧の音を一体どんなマジックアイテムにしようとしてるのかしら」
呆れた様子を見せる長。
長にしてみれば、霧の音というのは自分達の住処を隠す為のマジックアイテムだ。
それを夏を快適にすごせるように……それこそエアコン的に使おうとするというのは、長にとっては完全に予想外の使い方だったろう。
「あ、ついでに霧によって周囲が見えないとか、そんな風になると困るから、霧を出すことは出来ても周囲の状況が分からないといったような事にはならないようにして欲しい」
「それは問題ない筈よ。元々霧の濃さというのは使用者によって決まるから、霧の音を使う時にレイがそういう風に使用すれば、今のままでも出来るわ。けど、具体的にどのくらい霧が少なくなるかというのは、実際にやってみないと分からないでしょうね」
長にしてみれば、霧の音というのは出来るだけ霧を多く発生させて侵入者が自分達の住処までやってこないようにする為のマジックアイテムだ。
だというのに、その霧を可能な限り少なく発生させるといったような真似は、今まで試したことがない。
とはいえ、現在ここを守っている霧の音で試してみればといったようなことは口に出来ない。
レイの魔力を知った以上、下手をすればここにある霧の音も破壊されてしまうという可能性が十分にあった為だ。
そうならない為には、やはり実際に新しい霧の音が出来てから試して貰った方がいい。
半ば放り投げた形だったが、この地の妖精の長としては当然の判断だった。
「じゃあ、取りあえず霧は涼しくなるような感じで追加を頼む。酸とか毒とかは、取りあえずいいや」
もし酸や毒といったものを霧に付与出来るとすれば、それはレイにとってはかなり強力な攻撃手段となる可能性があっただけに残念だったが。
元々、レイは広域殲滅魔法を得意としている。
しかし、それは基本的にレイの属性たる炎によるものが多い。
レイが炎の魔法を得意としているのは知られている以上、何かあった時の為に自分の仕業とは思わないような、そんな攻撃方法……それも広域殲滅魔法に匹敵するような広範囲の攻撃方法があればいいと、そう思ったのだが。
とはいえ、それは思いついたといった程度でどうしても欲しい訳ではない。
少なくても、今の状況では冷房の効果を持ち、それでいながらそこまで濃くはない霧がギルムに出るといったようなことになる方が優先だろう。
(気化熱とか、そういうがあったよな? 打ち水とかもそれで涼しくなるとか、そんな風にTVで、見た記憶があるし)
夏に夕食を食べながら見たニュースで、水まきをすればその水が蒸発する時に周囲の熱を吸い取って涼しくする、といったような内容をレイは見たことがある。
あるいは、汗を掻いてそのままにすると身体が冷えて風邪を引くのもそれが理由の筈だった。
そのようなものがあるからこそ、霧に冷却の効果をつけてもおかしくはないのだろうと、そんな風にレイは思う。
「ともあれ、マジックアイテムについては全面的に任せるけど……冷却の効果を付与するとなると、やっぱり完成までの期間は延びるんだよな?」
「そうなるわね」
レイの言葉にあっさりと頷く長。
霧の音の完成が具体的にいつになるのかは分からないが、それでも今年の夏に涼しく作業をするのはもう無理か? と思う。
ただし、秋になっても日中はかなり暑い。
そういう意味では、晩秋になる前なら霧の音を使う機会もあるだろう。
……どのくらいで完成するのかは、具体的には分からなかったが。
と、そんな中でレイはふと自分の魔力について思いを馳せる。
もしかしたら。
そんな思いで、レイは長に尋ねる。
「マジックアイテムが完成するまでに必要な時間って、俺の魔力を使うことで短縮出来ないか? さっき見て貰ったように、俺の魔力はかなり多い」
「無理ね。私達が作るマジックアイテムは、魔力だけの問題じゃないわ。勿論魔力も必要だけど、魔力だけが突出した状態だと、下手をすると霧の音が完成するまでに壊れてしまうわ」
そう言われ、レイは残念に思うのだった。