2502話
「妖精の悪戯はそれなりに面白かったわね」
「ん」
夕食時、いつものように今日起きた出来事をそれぞれに話していたのだが、トレントの森で活動していたヴィヘラの口から出たのは、レイにとっては驚くべきものだった。
いや、ヴィヘラだけならあるいは納得してもおかしくはないのだが、そんなヴィヘラの言葉にビューネまでもが同意したのだ。
ビューネはこのような時に嘘は言わない。
つまり、本当に心の底から妖精の悪戯を面白いと、そう思ったのだろう。
「どういうことだ?」
ヴィヘラやビューネと一緒にトレントの森で活動してたニールセンに事情を尋ねるレイだったが、尋ねられたニールセンは寧ろ呆れたようにレイに向かって言う。
「命に関わるような危険な悪戯はするなって話だったでしょ? ……マリーナからそういう風に言われた以上、妖精がそれに逆らうような真似はしないわよ」
「もしかして、マリーナに妖精達を仕切って貰えば、妖精の件は全部解決するのか?」
「あのね、そんな訳ないでしょう」
レイの言葉に、マリーナは即座にそう言ってくる。
世界樹の巫女たるマリーナが、妖精に対して強く出られるのは事実だ。
だが、それはあくまでも強く出られるだけであって、絶対的な命令権の類を持っている訳ではない。
もしマリーナがそのような真似をし……そして妖精に明確に不利益な命令を出そうものなら、妖精達はトレントの森から別の場所に住処を移すだろう。
世界樹の巫女であっても、完全に命令を出来る訳ではないのだから。
その辺りの説明をされたレイは、何となくだがその話を納得する。
取りあえずある程度は強く出られるが、絶対的な命令権といったものはないのだろうと。
それでいながら、妖精の悪戯に対しては命に関わるのは止めさせることが出来たのだが。
ニールセンからレイが聞いた話によると、妖精にとって悪戯というのは言わば本能に刻まれたような行為らしい。
止めようと思っても止めることは出来ないと、そう言っていた。
その悪戯を変えるようには出来るのだから、レイにしてみれば十分妖精に命令出来るように思えるのだが。
「一応聞くけど、どういう悪戯だったんだ?」
「そうね。木の実が私達を狙って飛んできたりしたわね」
「ん」
何故か嬉しそうな様子で同意するビューネ。
普段は無表情にも関わらず、レイが見ても分かるくらいに嬉しそうな様子をしているのはレイから見ても驚きだった。
「何でビューネはこんなに喜んでるんだ?」
「飛んできた木の実が、美味しかったからでしょうね。その辺は妖精も考えて行動してるのかも」
「それは……どうだろうな。そこまで考えて行動しているとは思えないけど」
何度か妖精に悪戯されているレイにしてみれば、妖精がそこまで相手のことを思った悪戯をするとは、到底思えない。
だが、実際にその木の実を食べたのだろうビューネが嬉しそうにしているのを見れば、ヴィヘラの言っていることも嘘ではないのかもしれないが。
「意外と、相手を見て悪戯をしてるのではないか?」
エレーナの言葉は、レイにとっても理解しやすい内容だった。
何よりも、ある意味でレイの自尊心を満足させてくれる。
自分に過激な悪戯を仕掛けてくるということは、つまり妖精達は自分を強敵だと見なしているのだろうと。
そうレイは理解したのだが、実際にはレイよりもレイの側にいるセトの存在が大きかった。
(言わない方がいいわよね)
少しだけ嬉しそうにしているレイを見て、何となく何を考えているのか理解したニールセンだったが、黙っておくことにした。
真実というのは、それを知った者を傷つけることもあるのだから。
「妖精の件はともかくとして、トレントの森はどうだった? 強力なモンスターとかはいたか?」
「いなかったわね。猪のちょっと変わったモンスターはいたけど、それくらいだったわ。まぁ、今日一日だけでその辺を判断する訳にはいかないでしょうけど」
「だろうな。トレントの森は、冗談でも何でもなく一日ごとに大きくその顔を変える。場合によっては、本当に高ランクモンスターが姿を現したりするかもしれないから、気をつけろよ。……ヴィヘラに言うようなことじゃないか」
ヴィヘラの場合は、それこそ強力なモンスターが出て来るのは望むところだろう。
出来れば出て来て欲しいと、そのように思ってもおかしくはない。
実際にレイの言葉を聞いたヴィヘラは、未知のモンスターとの戦いを想像しているのだろう。うっとりとした、艶っぽい表情を浮かべている。
「あー、うん。取りあえずヴィヘラはそれでいいとして、ビューネは気をつけろよ」
「ん」
ヴィヘラには言っても無駄だろうと判断したレイは、そのヴィヘラと一緒に行動するビューネにそう声を掛ける。
ヴィヘラと付き合いの長いビューネは、特に驚いた様子もなくレイの言葉に頷く。
そんなビューネの様子を見て、取りあえず安心だと判断したのだろう。この話はこれで終わりと判断して、マリーナに視線を向ける。
「で、マリーナの方はどうだった?」
「そうね。暑さから集中力が散漫になって怪我をする人が増えてきたのは問題でしょうね。それと、軽い怪我でも診療所に来る人が増えてるのも問題よ」
「それは、マリーナを目当てにしてるのではないか?」
エレーナの口から出た言葉に、他の者達も同意するように頷く。
それこそ、ビューネやニールセンといった者達までもがエレーナの言葉に頷いていた。
何しろ、マリーナは誰が見ても……それこそエレーナ達から見ても、絶世のという言葉が頭につくような美人だ。
そんな美人が露出の多いパーティドレスを着て診療所で働いているのだから、見たいと……そして、あわよくばお近づきになりたいと考える者がいてもおかしくはないだろう。
「違うわ。……いいえ、そういう人がいるのも事実だけど、この場合は涼みに来ている人がいるというのが問題なのよ」
「ああ、そっち」
ヴィヘラがマリーナの言葉に納得する。
何しろ、マリーナの家は真夏であっても非常に快適なのだ。
そして診療所には怪我人がおり、暑さで意識を失った熱中症の者達も運び込まれる。
そのような者達が快適にすごせるように、マリーナは診療所をこの家と同じように精霊魔法で環境を整えている。
いわば、真夏にエアコンの効いている建物が診療所なのだ。
その快適さを知った者であれば、診療所にいたいと考えてもおかしくはない。
……もっとも、診療所にいるということは当然仕事をしていないということになるのだが。
「で? そういう連中はどうしてるんだ?」
「追い出すに決まってるじゃない。診療所はそれなりに広いけど、それでもあくまでも診療所よ。貴族街にある屋敷みたいに、広い訳じゃないわ。収容人数には、どうしても限りがあるのよ」
レイはマリーナの言葉に、診療所……正確には病院にエアコンがない者達が集まっている光景を思い浮かべる。
ましてや、診療所はマリーナが口にしたようにそれなりに広いが、それでも貴族の館のように広い訳ではない。
そのような場所に涼を求めて大量の人が集まってくれば、本当の意味で怪我をしたり具合が悪くなった者達にとっては邪魔でしかないだろう。
「マリーナくらいの精霊魔法の使い手がいればいいんだけどな。そうすれば、他にも幾つかそういう涼しい場所を作れるだろうし」
「無理でしょ」
一刀両断にレイの提案はヴィヘラに却下された。
いや、ヴィヘラだけではない。マリーナが凄腕という表現でも足りない程の精霊魔法の使い手であることを知っている者は全員がそんなヴィヘラの意見に同意する。
「世界樹の巫女のマリーナがそれだけの精霊魔法を使うなら、妖精にもその辺はどうにか出来ないか?」
「あのね、もしそんな真似が出来るのなら、私達の住処をまず快適にしてるわよ」
ニールセンの口から出て来たのは、そんな言葉。
その言葉で、そう言えばニールセンは街中や森の中を歩く時は、ドラゴンローブの中にいたかと、そう思い出す。
そうである以上、ニールセンは精霊魔法を使えないのだろうというのは、レイにも理解出来た。
「そう言えば、そうだったな。……あ、でもマジックアイテムとかでどうにかならないのか? それなら、涼しく出来たりしてもおかしくはいなだろ?」
妖精の作るマジックアイテムは非常に高性能だというのはレイも知っている。
そうであれば、暑い時には涼しく、寒いときには暖かくなるような、そんなマジックアイテムがあってもおかしくはない。
いや、寧ろ妖精達が快適にすごすという意味では、そのようなマジックアイテムはあってしかるべきだろう。
(霧の音は、周辺一帯に霧を生み出すって意味だと、意外と涼しいのかもしれないけど)
とはいえ、真夏の暑さの中で霧が周囲に漂っているような状況というのは、蒸し暑い状況になるだけのような気もする。
そんな風に思ったレイだったが、取りあえず霧は普通の……自然現象の霧ではないのだから、涼しい霧なのだろうと思い直す。正確には思い込もうとしているという方が正しいのだろうが。
レイは日本にいた時にTVで見た番組を思い出す。
湖の側では、霧が出やすいと。
そのような霧が出るのは基本的に朝方なので、そんな時間に出る霧というのはやはり涼しいのだ。
(そうだな。長に頼んで霧の音にはそっち方面の機能を付けて貰ってもいいかもしれないな)
霧の音は集団が野営をする時はかなり便利なマジックアイテムなのは間違いないが、それ以外にも暑い時に涼を得るマジックアイテムとしても使えたらどうなるか。
勿論、春や秋に使うとなれば、朝方は涼しいのではなく寒いといった状況になってしまいかねないので、その辺はオンオフ出来るようにして貰う必要があるが。
「なぁ、ニールセン。霧の音だけど、霧を使って涼しくするとか、そういう風には出来るか? ただ霧を出すだけと、霧を使って涼しくなるのを自由に切り替えられるといった感じで」
「え? ……うーん、どうかしら。でも、今でさえ霧の音はまだ完成してないのよ? それを更に機能を付け加えるとなると、完成までにもっと時間が掛かるかもしれないわよ?」
今のままよりも時間が掛かるというのは、レイにとっても面白い話ではない。
面白い話ではないのだが、それでも今の状況を思えば広範囲に冷房だけとはいえその効果を発揮出来るようになるというのは大きい。
勿論、その場合でもギルムの全てを霧で覆い隠すといったような真似が出来るとは思わない。
あくまでもギルムの一部ではあるだろうが、その場合は増築工事をしている場所だけでもいい。
(あ、でもそうなると霧で周囲が見えないから、工事をしている連中が危険になるか。それに霧の音の効果がそのまま発揮されるとなると、それこそ資材を取りに行った時に迷ったりしそうだな)
元々の霧の音の効果というのは、妖精の住処に侵入者を寄せ付けないことだ。
ギルムで冷房目的に霧の音を使った場合、間違いなくギルム全体が混乱するだろうことは容易に想像出来た。
「あー……色々と霧の音について長と話したいから、明日トレントの森に行く時は、俺が行ってもいいか? そうすれば、長にしっかりと霧の音にどういう効果を付けて欲しいのかを相談出来るし」
「私は構わないけど。というか、レイが一緒に行ってくれるなら、大歓迎ね」
そうニールセンが言うのは、やはりレイと一緒だとドラゴンローブの中で涼しくすごせるからだろう。
レイと別行動の場合はビューネの服の中に潜り込む必要があるのだが、ビューネの服は簡易エアコンの機能があるレイのドラゴンローブと違い、普通の服だ。
当然のように暑さを感じてしまう。
そうならない為には、やはりレイのドラゴンローブの中にいるのが一番いいのだ。
……少しだけ、本当に少しだけ、ビューネの服の中にいるとなると、その服の中をニールセンの汗で汚してしまうという思いもあったが。
もっとも、もし錬金術師達がそれを知れば、妖精の汗はどのような効果を持つのかと、それこそ金を幾ら払ってでも妖精の汗を入手しようとするだろうが。
「ある意味犯罪だよな」
その光景を思い浮かべたレイが、自分でも気が付かないうちに呟く。
当然のように、それを聞いた者達は何が犯罪なのかといった疑問を抱き、レイに尋ねる。
「レイ、何が犯罪なの?」
マリーナの言葉に、レイはそこでようやく自分が呟いていたことに気が付く。
「え? ああ、声に出してたか。いや、ニールセンの汗とかが染みこんだ布を錬金術師達が知ったら、それこそ幾らでも金を出して欲しがると思ってな」
「それは……」
レイの言葉に、マリーナは……いや、話を聞いていた女達は、普段は無表情なビューネまでもが嫌そうな表情を浮かべるのだった。