2499話
「ふむ、そうか。妖精にそのような習性が……」
レイの説明を聞いたダスカーは、納得した様子を見せる。
妖精の住処での用事を終えたレイ達は、ギルムに戻ってきて領主の館に来ていた。
妖精の住処で妖精の長に会ったので、説明しておいた方がいいと、そう判断してのことだった。
ダスカーも本来なら現在は色々と忙しいのだろうが、レイが来たということで即座に時間を取った。
この辺り、レイの持ってくる情報がどのようなものなのかを理解しているのだろう。
今までレイが持ってきた情報は、その多くが重要なものだった。
そして……今回も妖精の住処に入って妖精の長と会ったという報告だったのだから、ダスカーの判断は正解だったと言ってもいいだろう。
「あのねぇ、長については私も一応話したでしょう?」
レイとダスカーのやり取りに、焼き菓子を食べる手を止めて不満そうに言ったのはニールセンだ。
ダスカーもニールセンと交渉をする以上、当然だが長についての話は聞いている。
そんな長の話の全てが嘘だとは思わないが、それでもニールセンだけから話を聞くというのでは情報に偏りが出る。
だからこそ、レイからもこのように話を聞いたのだが……そこで得られた情報はニールセンから聞いたものとそう変わらないものだ。
そうである以上、ニールセンから得られた情報は決して間違いではなかったということになる。
……それを理解しても、ニールセンの不満が消えるといったようなことはなかったが。
「一応、念の為だ。それにニールセンは妖精でレイは人。種族が違う以上、得られる情報が違ってもおかしくはないと思わないか?」
「それは……」
ニールセンも、ダスカーとの交渉を任されているだけあって頭の回転は早い。
だからこそ、ダスカーが何を言いたいのかは十分に理解出来た。
そしてニールセンが若干不機嫌そうにしながらも再び焼き菓子の攻略に取り掛かったのを見たダスカーは、レイに向かって真剣な表情で……それこそ、妖精の長について話していた時よりも真剣な表情で口を開く。
「さて、妖精の件についてはこれでいい。いや、実際にはまだ終わっていないが、今はそれよりも重要なことがある」
「重要なことですか?」
現状において、最も重要なことは妖精のことだと思っていたレイは、ダスカーの言葉に疑問を抱く。
そして妖精の件について重要な、地下空間のウィスプ……もしくは異世界につづく穴について何らかの研究の進展があったのかと、そう思ったのだが、ダスカーの口から出た言葉は違っていた。
「そう、重要なことだ。レイのランクAへの昇格試験についての話は重要だろう?」
「……あ、そう言えば」
完全に忘れていたといった様子のレイに、ダスカーは呆れの視線を向ける。
「お前な」
そう呟くダスカーだったが、マジックアイテムを集めるという趣味を持っているレイにしてみれば、霧の音を貰える――少し先になるという話だが――ということもあって、すっかり忘れていたのだ。
レイにとって、ランクA冒険者とマジックアイテムの霧の音のどちらが重要なのかと言われれば、それは後者となる。
だからこそ、今回の一件においてはその件をすっかり忘れていたのだ。
「すいません。それだけ、霧の音というマジックアイテムの性能が凄かったんですよ」
「聞いた話だと、そんな感じだな。レイやセトがいても、妖精がいなければ迷うといったようなものだったんだろう? だが、その霧の音というマジックアイテムを入手しても、妖精がいないと使い物にならない、なんてことはないのか?」
そんなダスカーの言葉に、再び焼き菓子を食べていたニールセンが反応する。
「霧の音は、最初に使う時に色々と設定出来るのよ。再設定をするのは不可能だから、一回だけだけど」
「また、随分と使いにくそうだな」
霧の音を欲したレイだったが、ニールセンの説明を聞けばかなり使いにくそうに思える。
ニールセンもそのことは否定出来ないのか、特に躊躇する様子もなく頷く。
「そうなるわね。それでも霧の音は性能が高いから作るのに時間が掛かるわ。それに……いざという時のことを考えると、そうしておいた方が安心なのよ」
「つまり、誰かに霧の音を奪われた時のことを考えていると?」
「そうなるわね。でないと、最悪の結果になってしまうかもしれないでしょ? 例えば、霧の音が奪われるかもしれないじゃない。それに、敵の実力によっては私達が全滅するといった可能性もあるわ」
ニールセンの様子を見たレイは、もしかして以前そのようなことがあったのでは? と思ってしまう。
勿論、それがニールセン達かどうかまでは分からない。
だが、それでもニールセンの様子を考えれば、そのようなことになっていてもおかしくはない。
しかし、ニールセンを見る限りではその件にはそこまで触れない方がいいだろうと判断し、レイは話を戻す。
「それで、昇格試験の件ですけど……」
「うん? ああ、そうだったな。まず、複数の領主からの推薦については問題ない。すぐにとは言わないが、十日もしないうちに推薦書を持った者がギルムに到着するだろう」
「……随分と早いんですね」
セトに乗って移動しているレイはともかく、他の者にしてみればそう簡単にギルムまでやってくるといったようなことは出来ない。
つまり、それはダスカーが普通ではない手段を使ったということだ。
(対のオーブか? ……いや、違うな。テイマーか召喚魔法使いに頼んで鳥とかに手紙を運ばせたといったところか)
対のオーブは非常に貴重なマジックアイテムだが、辺境のギルムを治めるダスカーだけに、何かあった時の為に対のオーブを持っていてもおかしくはない。
それこそ、辺境ではモンスターのスタンピードといったものや、場合によっては全くの未知で凶悪なモンスターが姿を現してもおかしくはない。
辺境であるが故に、高ランク冒険者も集まっているので大抵の相手は何とかなる。
しかし、辺境だからこそそのような高ランク冒険者や異名持ちがいても、どうすることも出来ないモンスターが姿を現さないとも限らない。
そうしてギルムだけでどうしようもなくなった時、王都に連絡を入れる為の対のオーブ……もしくはそれ以外にも何らかの連絡手段があってもおかしくはない。
「その辺は気にするな。こっちも領主として色々とあるんだ」
結局ダスカーはレイに対してどうやって推薦書を集めたのかといったようなことは教えることはなく、ただ気にするなと……正確にはこれ以上は聞くなといったようにレイに告げる。
レイとしてはそれが若干気になったのは間違いなかったが、だからといってここで無理に聞くとといったような真似をする訳にもいかず、それ以上は何も聞かない。
「分かりました。それで、推薦が来るとなると、昇格試験はいつになるんですか?」
「その辺の具体的な日時はギルドの方で決めるだろう。だが、出来るだけ早く頼むとギルドマスターのワーカーに頼んでいるから、そう遠くなることはないだろう」
「そう遠くない……そうなると、昇格試験にはどれくらいの時間掛かるのかは分かりませんが、増築工事の手伝いとか、それ以外にも妖精の件だったり、地下空間の件だったりが色々と問題になりますけど……それは構わないんですか?」
「構うか構わないかと言われれば、構う。だが、今の状況を考えればレイをランクAにする方が先なのは間違いのない事実だ」
そうきっぱりとダスカーに言われたレイは、少しだけ照れる。
ダスカーの言葉は、それだけレイという存在を認めているということだったからだ。
しかし、そんな二人の会話にニールセンが口を挟む。
「ちょっと待ってちょうだい。その話を聞いてる限りだと、私達の件はどうなるの?」
ニールセンにしてみれば、それなりに必死だった。
何しろ、今のところトレントの森にある妖精の住処までやってくるのはレイの仕事なのだ。
そのレイが昇格試験というのを受けるとなれば、自分はどうすればいいのか。
単純に自分だけのことを心配している訳ではなく、自分達とダスカーとの交渉についての話も関わってくる。
「そうだな。その場合は……ヴィヘラ辺りに任せることになると思う」
レイには自分の仲間の面々について考え、そう告げる。
エレーナとアーラは、仲間ではあるが貴族派の姫将軍とその護衛として、自分の仕事がある。
そうなると、残るのはマリーナとヴィヘラとビューネの三人だが、マリーナは増設工事で怪我をした者を治療するという仕事があり、それがあるのとないのとでは増設工事の進行速度が多少なりとも変わってくるので、外すことは出来ない。
ビューネはその寡黙さや、レイ達一行の中では一番弱いということもあって一人でギルムの外に行かせるといったような真似は難しい。
そうなると、残るのはレイ達の中でも相応の強さを持ち、仕事としては増設工事においてそこまで重要ではない見回りをしているヴィヘラしかいないだろう。
「ヴィヘラかぁ。……でも、私が隠れる場所がある?」
「……そう言われると、そうだな」
怪しげな様子で呟くニールセン。
ヴィヘラの着ているのは、向こう側が透けて見えるような薄衣だ。
踊り子や娼婦が着ているような服である以上、当然ながら隠れられる場所というのはそう多くはないように思えた。
「そうなると、ヴィヘラとビューネを一緒に行動させて、ニールセンを任せるべきか。ヴィヘラと一緒なら、ビューネもそこまで問題なく行動出来るだろうし」
結局レイが思い浮かべたのは、その二人だった。
ヴィヘラの服の中に隠れるのは難しいだろうが、ビューネの服の中なら問題なく隠れられるだろう。
であれば、その二人を使わないという選択肢は存在しない。
勿論、それはヴィヘラとビューネが引き受けてくれればの話であって、嫌だと言われれば無理強いは出来ないのだが。
しかし、レイはそんな二人……特にヴィヘラがトレントの森にある妖精の住処まで行くのを断るようなことはないと、そう理解していた。
現在、トレントの森には多種多様なモンスターや動物が入り込んでいる。
そうである以上、ヴィヘラにとってそのような相手と戦うことが出来る機会は、絶対に逃すような真似はしないだろうと。
「こちらとしてはそれで構わん。……ただ、あまり派手に暴れないようにさせてくれ」
しみじみとそう呟くのは、やはりダスカーにもヴィヘラの噂が入っているからだろう。
その外見と強者との戦闘を求めるヴィヘラだけに、事情を知らない者とトラブルを起こすことは珍しくはない。
また、街中の見回りもしているので、そういう意味でも乱闘騒ぎを起こすといったことは日常茶飯事だった。
ましてや、ダスカーはヴィヘラがベスティア帝国の元皇女であるということを知っている。
そういう意味では、ダスカーもまたヴィヘラが何か妙なことにならないように、注意をしていてもおかしくはないだろう。
「一応言っておきますけど、ヴィヘラがこっちの言葉を素直に聞くかどうかは分かりませんよ?」
レイがあまり派手に暴れないようにと言っても、ヴィヘラがそれを完全に聞くとは思えなかった。
これが、あるいは派手に動いたことでレイに大きな被害があるのなら、ヴィヘラも自重はするだろう。
だが、今回頼む一件は、それによってレイに大きな被害が出るといったようなことはない。
ヴィヘラが暴れることによってトレントの森にいるモンスター達が倒されるというのは、寧ろそこで働いている樵や冒険者達にとっては寧ろ利益となるだろう。
もっとも、ヴィヘラ本人はそのようなことを考えていないだろうが。
「取りあえず、そうなると……近いうちに昇格試験が始まると考えて、準備しておけばいいんですね。具体的にどういう試験が行われるのかは、分かりませんが」
「それは俺も知らん。それこそ、マリーナに聞いた方が詳しい情報を得られると思うぞ。もっとも、マリーナがそれを口にするかどうかは分からんが」
ダスカーの言葉は、レイにも納得出来るものだ。
元ギルドマスターである以上、当然マリーナはランクAへの昇格試験がどのようなものなのか知っているだろう。
だが、だからといってそれをレイに教えるとは思えなかった。
それはいわば、カンニングとも呼ぶべき行為なのだから。
マリーナにしてみれば、レイには……自分の愛する男には、きちんと実力で昇格試験に合格して欲しいと思うのは、当然だろう。
そして、レイもまた自分の実力で合格しようと考えていたので、ダスカーの言葉を否定するのだった。