2497話
妖精の住処と聞いていたレイは、最初目の前に広がっている光景に自分が本当に目的の場所に到着したのか? と疑問に思う。
当然だろう。レイの視線の先に存在するのは、トレントの森そのものの光景だったのだから。
これで妖精達が住むような小さな家でもあれば、ここが妖精の住処だと認識も出来ただろう。
だが、目の前に広がっているのは本当にただの森の光景だ。
少なくても、レイが予想していた妖精の住処とは全く違う。
なお、レイが予想していたのは花が咲き乱れ、泉があり、そんな場所を多数の妖精達が飛び回っている……といったような光景だったのだが。
レイが予想した光景は、視線の先にはどこにも存在しない。
「ここが妖精達の住処なのか? ……ニールセン、俺を騙したりしてないよな?」
念の為といった様子でニールセンに尋ねてみるレイだったが、ニールセンは何を言われたのかといったような意表を突かれた表情を浮かべる。
「え? 何で騙すの?」
「悪戯とか」
一瞬の躊躇もなく言い返されれば、ニールセンも咄嗟に何も言い返せない。
実際、妖精達が悪戯を好み、それによってトレントの森で働いている者達に迷惑を掛けていたというのは、間違いのない事実なのだから。
それを考えれば、ニールセンがここで何かを言っても、それが素直に信用されるとは思えない。
「ふふふふ、そのように思ってしまうのも当然ですね」
ニールセンの代わりという訳ではないだろうが、不意にどこからか笑い声と共にそんな言葉がレイの耳に入ってきた。
「誰だ? ……いや、この状況で話に入ってくるってことは……妖精の長か? いや、長ですか?」
咄嗟のことだったが、それでも何とか言い直すレイ。
本来なら、そんなレイの様子にニールセンが笑ってもおかしくはない。
だが、聞こえてきた声にニールセンは動きを止めて、黙り込む。
聞こえてきた声の主の邪魔をするような真似は出来ないと、そう判断したのだろう。
そんなニールセンの態度も、声の主が誰なのかということをレイに教えるのに一役買っている。
そして……近くにあった木の枝から、一人の妖精が姿を現す。
掌程の大きさのニールセンと比べると、三倍くらいの大きさを持つその妖精は、明らかにニールセンよりも格上であり、恐らくは目の前の相手こそが妖精の長なのだろうと、レイにも予想出来る。
その妖精の長は、レイの前まで下りてくると笑みを浮かべながら口を開く。
「無理に丁寧な言葉遣いをしなくても構いませんよ。貴方は私達の住処を守ってくれた恩人なのですから」
「そうですか? いや、そうか? でも……アンテルムがこのトレントの森にやって来たのは、多分ギルム……近くにある街で俺と揉めたからだ。それを考えると、感謝されるのはちょっと」
そう言いながらも、レイの言葉遣いは既にいつも通りのものに戻っていた。
やはり慣れない敬語は使いにくいのだろう。
あるいは相手がダスカーであれば、敬語で喋るのも慣れているのだが。
「その件については気にしてしませんよ。たまたま今回はその人物……アンテルムでしたか。その者がいただけで、もしかしたら他の者が襲ってきた可能性があります。その時には、レイのような人物がいたかどうか分からないでしょう」
長の言葉は、レイにとって納得出来るような、納得出来ないような……そんな不思議な言葉だった。
実際、もしアンテルム以外の者が何らかの理由で妖精の住処を襲撃しようしても、あの状況であればすぐに長はニールセンに連絡して戦力を頼っていただろう。
それは、襲ってきた相手がアンテルムであるかどうかというのは関係ない筈だった。
そう言われればレイも納得出来るのだが、それでもアンテルムがトレントの森にやって来たのは、やはりレイとのトラブルが原因なのは明らかだ。
その辺を思えば、素直に長の言葉に頷くといった訳にはいかなかった。
「勿論、ニールセンから頼まれたら、ここを襲おうとした相手を倒そうとは思う。けど……それでも、今回の一件は俺が理由なのは間違いのない事実だ」
「そうかもしれないけど、私はそれは構わないと思っているわ。別に、レイも私達を襲わせる為、意図的にその人物と問題を起こした訳ではないのでしょう?」
「まぁ、それは」
レイも、まさかアンテルムがトレントの森に来て妖精の住処を燃やそうなどという真似をするとは、思ってもいなかったのだ。
「なら、構いません。私達は貴方に助けられました。今はそれで十分です」
そう断言する長に、レイは更に何かを言おうとするものの、相手の顔を見てそれ以上何か言うのを止める。
相手が感謝をすると言っているのに、それに対してこれ以上反論するような真似をすれば、それは長に恥を掻かせるようなものだと、そう理解した為だ。
代わりに口にしたのは、別のことだった。
「以前にも妖精の長と会ったことがあるけど、受ける印象は随分と違うな」
「あら、私の他にもあったことが?」
レイの口から出たのは、長にとっても予想外のことだったのだろう。愕いた様子を見せる。
(あれ? 俺がセレムース平原で他の妖精やその長に会ったことがあるって話、ニールセンにしてなかったか? まぁ、ニールセンの性格ならうっかり忘れていたって可能性も十分にあるだろうけど)
ニールセンは、長からダスカーとの交渉を任せられるだけの能力を持っている。
レイもそれは知っているが、それでもニールセンと数日だが一緒に行動することで、微妙に抜けているところがあるというのにも気が付いていた。
「ああ、以前にセレムース平原でちょっとな」
「セレムース平原……ああ、なるほど」
セレムース平原という地名で、誰のことを言ってるのか想像出来たのだろう。
長は納得した様子を見せる。
(同じ妖精というだけあって。知り合いだったりするのか? いやまぁ、十分に考えられることかもしれないけど)
元々、妖精というのは非常に希少な種族だ。
それだけに、同じ妖精ということで長同士に面識があってもおかしな話ではない。
「大変だったでしょ」
「……それは否定出来ないな」
大変だったというのが、何を言ってるのかは明らかだ。
アンデッドを玩具にして悪戯を仕掛けてきた、そんな妖精達と接触したのだから。
それを考えれば、とてもではないが大変でなかったなどと言うことは出来ない。
「でしょうね。……ともあれ、その件は今はいいわ。レイによってここが守られた以上、それに感謝するのは当然のことよ。それでレイが欲しがりそうなマジックアイテムを用意したんだけど」
本当にいいのか。
改めてそう聞こうとしたレイだったが、先程のやり取りを思い出してそれを口にするのはやめる。
「分かった。……それで、俺にどんなマジックアイテムをくれるんだ?」
元々、マジックアイテムを集めるのが趣味なレイだけに、ここまでして自分にやるというマジックアイテムを断るつもりはない。
「出来れば、レイに好きに選ばせてあげたいところだったけど、こちらの都合でそのような真似は出来ないのよ」
「ああ。妖精の作るマジックアイテムの性能は人間の作るマジックアイテムよりも高いけど、生産性って意味だと圧倒的に人間のマジックアイテムの方が上だって奴だな」
その件についはもう知っていたので、特に気にするようなことはない。
マジックアイテムという名称そのものは同じだったが、それを作る過程が人間と妖精では大きく違うのだと、そう考えれば十分にレイも納得出来た。
「そうね。それにこういう生活をしている以上、必須のマジックアイテムもあるわ」
「霧の奴とかだな」
妖精達の悪戯が、ある意味でこの場所の防壁としても機能しているのは、レイも知っていた。
だが同時に、悪戯を突破してきた相手に対処する為には、やはり霧を発生させるマジックアイテムのようなものが必要となるのは事実だろう。
レイとしては、あの霧を発生させるマジックアイテムというのはそれなりに欲しかったのだが。
自由に霧を発生させることが出来るのなら、それこそ使い道は色々とある。
モンスターの群れを相手にする時や、それこそ国を相手に敵対した時も軍隊にレイだけで戦いを挑むとなれば、かなり役立つのは間違いないだろう。
(そう思えば、霧を発生させるマジックアイテムがかなり欲しいな。……長の様子を見る限りでは、俺に渡すってことは出来ないみたいだけど)
残念に思うレイだったが、もしかしたら霧を発生させるマジックアイテムは複数あるのではないかと、そんな疑問を抱いて尋ねる。
「その霧を発生させるマジックアイテムだけど、実は予備があったりしないのか?」
「えっと、私の話を聞いていたかしら? レイに渡すマジックアイテムは、こっちで選ばせて貰ったと、そう言ったんだけど?」
自分がマジックアイテムを選んだと言ったにも関わらず、まさかレイが欲しいアイテムを口にしてくるというのは、長にとっても完全に予想外だったのだろう。
驚きながら尋ねてくる長に対し、レイはやっぱりという思いを抱きながらも口を開く。
「それは分かってるけど、もしかしたら……本当にもしかしたら、俺が希望したマジックアイテムもそっちで選んだ候補に上げてくれるかもしれないと思って」
「……ぷっ、あははははは!」
レイの堂々とした要求に言葉を失った長だったが、やがて我に返ると面白いといったように大きな笑い声を発する。
そんな長を見て驚いたのは、レイもそうだがニールセンはレイ以上に驚いていた。
ニールセンにしてみれば、長がここまであからさまに笑っている光景を見せるというのは、完全に予想外だったのだろう。
「やっぱり駄目か?」
長の笑い声が収まってきたところで、レイは改めてそう尋ねる。
もし自分の要望が叶わなくても、それはそれで仕方がないと思いながら。
だが……そんなレイに対し、長は笑みを浮かべながら口を開く。
「いいでしょう。レイの要望通り霧を生み出すマジックアイテムを渡します」
「長!?」
レイと一緒に話を聞いていたニールセンにとっても、それは予想外の答えだったのだろう。
慌てたように叫ぶ。
当然だろう。霧を生み出して自分達の住処を守るマジックアイテムは、それこそ妖精達にとってはなくてはならない代物だ。
勿論、他にもいざという時のマジックアイテムはあるのだが、それでも霧というのは非常に大きな意味を持つのは間違いない。
何しろ、大抵の相手はあの霧を生み出すマジックアイテムの力によって、妖精の住処に辿り着くことはないのだから。
ニールセンだけではなく、他の妖精達からも長の言葉には素直に従うといったことはないだろう。
そんなニールセンを落ち着かせるように、長は口を開く。
「何も現在使っているマジックアイテムを渡すとは言ってないわ。現在使っている物の予備の一つがもう少しで出来るでしょう? それを渡すつもりよ」
「……予備の一つ?」
予備であれば、単純に予備と言えばいい。
だが、予備の一つという表現を考えると、予備が他にも幾つか存在するということになるのではないか。
「あら」
自分の失言に気が付いたのか、長は口を押さえる。
その仕草がわざとらしいように見えたのは、レイの気のせいといった訳でないだろう。
明らかに、レイにそれを見せるつもりで行ったのだ。
(まぁ、それを俺に知らせても特に何かがあるとは思えないけど。あるとすれば、霧を生み出すマジックアイテムは複数あるから、俺が気にする必要はないと、そう示す為とか?)
そんな疑問を抱くレイに対し、長は笑みを浮かべるだけだ。
長が何を考えているのかは、レイにも分からない。分からないが、それでも霧を発生させるマジックアイテムをくれるというのであれば、それを断るつもりはない。
「理由はともかく、霧を生み出すマジックアイテムをくれるのなら、こちらとしては願ってもない話だ。ただ、もうすぐ出来ると言っていったってことは、今日すぐに貰えるって訳じゃないんだよな?」
「ええ。霧の音は完成までもう少し掛かるわ」
「霧の音? それがマジックアイテムの名前か」
「ええ。もっとも、名前の由来なんて聞かないでよ? 誰が考えたのかすら、分からなくなってるんだから。そういう意味では、自然とこういう名前になったというのが正しいんだし」
「そういうものなのか? まぁ、妖精の作るマジックアイテムはかなり時間を掛けて作るって話だから、そうなってもおかしくはないのかもしれないけど。それで、その霧の音はいつくらいに貰える?」
「いつ、とは断言出来ないわね。それでもそう遠くないうちには完成すると思うわ」
長のその言葉に若干不満を感じたレイだったが、妖精の作るマジックアイテムだからこそ、そういうことになると、そう理解するのだった。