2495話
夜になっても、ギルドは忙しい。
いや、夜になったからこそ忙しいのか。
受付嬢は夕方に仕事が終わった者達からの情報を得て、その情報を書類として提出する。
当然その書類をチェックするギルド職員は、夕方以降に忙しくなってしまう。
これがギルムではなく他の場所にあるギルドであれば、仕事を翌日に回しても構わない。
だが、ここは現在増設工事中のギルムだ。
明日になれば明日になったで、また大量の仕事が出て来る。
そんな時に今日の仕事が残っていれば、それこそ書類の山が積み重なっていくだろう。
そうである以上、仕事はその日のうちに片付けるしかなかったのだが……
「ランクAへの昇格試験、ですか」
領主の館……いや、ダスカーからの手紙と書類を見て、ギルドマスターのワーカーは困ったように呟く。
その手紙には、レイをランクA冒険者とする為の昇格試験を受けさせるように推薦すると書かれている。
それだけではなく、他の貴族からも推薦を貰うと断言されていた。
普通なら貴族の言葉であっても、実際に推薦を貰うまでは信じられない。
だが、今回言ってるのはダスカーだ。
中立派の貴族はもとより、国王派や貴族派といった別の派閥の中にもダスカーを慕っている者はいる。
それを表に出せるかどうかは、また別の話だが。
そういう意味では、今回推薦を貰うのは恐らくダスカーと同じ中立派の貴族だろうことは、ワーカーにも容易に予想出来る。
「もう少し後……せめて、冬ならこちらとしても楽だったのですがね」
冬になれば増設工事も行われず、ギルドもそこまで忙しくはない。
そういう意味では、冬に昇格試験をやるのが最善なのだが……当然、昇格試験をやる上ではレイの実力を見る必要がある。
実際には異名持ちであったり、今までの活躍であったり、何より数日前にはランクA冒険者のアンテルムをたおしているということもあるので、十分ランクAに相応しい実力を持っているのは分かっているのだが、それでもやはり形式としては戦闘力を見る必要があった。
だが、その実力を見るにしても冬になると非常に厳しい。
雪の中というだけで、レイにとってはマイナスの要素となるのだから。
とはいえ、条件の悪い場所で戦うというのは、冒険者としてはそう珍しい話ではない。
そういう意味では、雪の中で戦闘を行うのもおかしくはないのだが、その場合問題になるのは試験官の方だ。
ランクA冒険者になる為の実力を見る以上、当然その辺のゴブリンか何かを相手にさせる訳にはいかない。
それこそ、ランクA冒険者に相応しいモンスターと戦って貰う必要があるのだが、問題なのはそのようなモンスターはそう簡単に見つけることは出来ないという事だろう。
つまり、冬……最悪雪が降っている中を、ギルムから遠く離れた場所まで移動する必要がある。
試験官も相応の強さを持ってはいるが、それでも雪の中で辺境のモンスターと戦ったりといったことは決してやりたいとは思わない。
また……それ以外にも、冬にレイを長期間連れ出すといったことが出来ない訳がある。
「ギガント・タートルの解体……これは、去年と同様やって貰う必要がありますしね」
スラム街の住人達が冬を越す糧を得る為に、そしてギルドとしてもギガント・タートルといった非常に珍しいモンスターの情報や素材を得られるというのは、非常に大きな意味を持つ。
その機会をわざわざ逃す訳にはいかない。
ましてや、解体作業に従事した者が得られる肉や素材の類をギルドに売ってくれる者もいるとなれば尚更だ。
ギルドも慈善事業という訳ではない以上、儲けられるところで儲けておく必要がある。
勿論、ギルムという辺境に存在するギルドである以上、他のギルドに比べると金儲けの点でかなり有利なところは多い。
「昇格試験が短い時間で終われば、ギガント・タートルの解体についての心配もしなくてもいいのですが……問題なのは、その短い時間で死ぬ者が多くなってしまうということでしょうね」
冬のギルムというのは、容易に凍死をもたらす。
レイが昇格試験を行っている数日でも、凍死する者は間違いなく出るだろう。
これが去年のギガント・タートルの解体を行う前であれば、そこまで気にすることはなかった。
だが、ギガント・タートルの解体のおかげで真面目に働けば生き残れるということが分かっている以上、その数日で死ぬ者が出ればレイを責める者も間違いなく出て来るだろうし、レイも助けられる相手を助けられなかったということで気にするだろう。
「そうなると、やはり冬は駄目ですね。そうなると、秋……それも冬が近付いた頃とかでしょうか」
冬が近くなれば、現在ギルムで働いている者も次第にギルムを出て行くようになるので、仕事も今よりは少なくなってくる。
また、まだ完全に冬になっていない以上、凍死するといった者も少ないだろう。
そういう意味では、秋……それも晩秋が試験に丁度いいのだが……手紙には、出来るだけ早くと書かれている。
この出来るだけ早くというのが、この場合は問題だった。
「どうしたものでしょうね」
そう言いながらも、ワーカーの顔には笑みがある。
元々、ワーカーはレイにはランクA冒険者になって貰いたいと思っていた。
だが、レイはそれを望まず、結果としてランクB冒険者のままだったのだが……そのレイがランクA冒険者になると言ったのだから、それを歓迎しない訳がない。
何よりも、異名持ちの冒険者であってもランクAとランクBではその影響力が違ってくる。
そういう意味では、今回の一件は寧ろ望むところなのは間違いなかった。
……もっとも、それがこの真夏だというのが問題だったが。
「いっそ、ランクA冒険者と戦って実力を見て貰うのもいいかもしれませんね。どのみち実力という点では十分合格範囲なのは間違いないのですから。ただ、問題はやはり礼儀作法でしょうね」
もしレイが昇格試験に落ちるとすれば、その理由はやはり礼儀作法だろう。
その手のことが得意ではないというのは、ワーカーも当然知っている。
ただし、レイの側にはエレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、アーラといった礼儀作法に詳しい面々がいる以上、その者達に礼儀作法を教えて貰うといったようなことは可能な筈だった。
そしてレイの能力を考えれば、一夜漬けといった感じにはなるかもしれないが、それでも礼儀作法に関しては何とか出来るのではないか。
そのように思ってしまうのは、やはりレイという存在を知っているからだろう。
「ともあれ、出来るだけ早くとある以上は……増設工事の方は一時的に他の者に任せるといった形になりそうですね」
冬に行うギガント・タートルの解体に比べれば、増築工事を他の者に任せた方がいいだろう。
そう判断したワーカーは、早速昇格試験についての詳細を考えるのだった。
「ねぇ、レノラ。そこ、ちょっと間違ってるわよ」
「え? ……あ、本当だ。ありがと、ケニー」
ワーカーが二階でレイの試験について考えている頃、一階ではギルド職員達が仕事を行っていた。
受付嬢のレノラやケニーもまた、書類仕事で忙しい。
ワーカーに渡される書類の多くは、何ヶ所もの間で必要な書類、不要な書類といった感じで減っていくが、それはつまり最初に書類の整理を行っている場所では多くの書類を処理しなければならないということを意味していた。
そして受付嬢というのは、そういう意味では最初に書類を処理する場所だった。
受付嬢は相応の人数がいるのだが、それでも仕事をする者は一杯一杯といったところだ。
「ちょっと、そっちの書類はこっちでしょ」
「あ、ごめんなさい」
「依頼の受け付け書はこんな感じでいいのよね? ギルムに来たばかりでアブエロとは微妙に違うんだけど」
そんな風に、何人もの受付嬢が頑張っている。
特に苦戦しているのは、アブエロやサブルスタといった場所から応援に来た受付嬢達だろう。
基本的に、冒険者は何かあれば別の街に移動したりといったことをするのだが、そんな冒険者に対して受付嬢が移動するといったことはない……訳ではないが、そこまで頻繁にあることではない。
だからこそ、そのギルドによって仕事の仕方や書類の書き方が微妙に違っていたりする。
勿論、冒険者ギルドという一つの組織である以上、行われる仕事は同じなのだが、そんな同じ仕事でも場所によって微妙に変わってくる……いわゆる、ローカライズされるということは珍しくない。
流れるように書類作業をしている受付嬢やギルド職員達だが、自分が慣れている形式ではなくギルムで使われている形式で仕事をしなければならないので、地元で働いていた時のようにスムーズに処理は出来ない。
中にはギルムに応援に来てからすぐにその形式に慣れた者や、早めに来た者達のようにギルムの形式をそれなりに経験して慣れた者もいるのだが、そこまでスムーズに仕事が出来ない者もいる。
一応、こうしてギルムに派遣されてくるということは、地元では相応に優秀な者といった扱いだったのだろうが……残念ながら、ここに集まるのは全員が優秀な者達である以上、地元では優秀であってもギルムでは平均的な能力しかないといった者も出てくる。
そういう意味では、最初からこのギルムで働いていたレノラやケニーはそんな面々の中でもトップクラスの実力を持つ。
生真面目な性格のレノラはともかく、普段は遊んでばかりいるように見えるケニーも、受付嬢を任されているだけあって書類整理の実力は高いのだ。
……本人のやる気が問題なのだが。
それでも今は自分もしっかりと働かなければならないと理解している以上、ケニーも真面目に仕事をこなしていた。
「ケニーさん、こちらの書類出来ました」
「そう、ありがと。じゃあ、次はそっちね」
「分かりました」
ケニーに指示され、受付嬢が別の書類の整理に取り掛かる。
ケニーにとって予想外だったのは、何故か自分が他の街や村からやって来た受付嬢の纏め役的なことを行わされていることだろう。
とはいえ、元々ケニーは下の者の面倒見は決して悪くはない。
いや、純粋に下の者からの人気という点では生真面目なレノラよりも、軽い感じのケニーの方が上だろう。
……とはいえ、ケニーの下についたとはいえ受付嬢は受付嬢だ。
自分達が働いていたギルドにおいては、当然のように多くの冒険者から口説かれたりもしており、顔立ちの整った者も多い。
つまり、それなりに自分の美貌に自信のある者も多く、そんな者達にしてみればケニーやレノラに美貌という点では決して負けていないという事もあって、最初は女同士のドロドロとしたやり取りもあったのだが……今では素直にケニーやレノラの下で働いているのを見れば、その結果がどうなったのかは考えるまでもないだろう。
自分達の地元とギルムでは、そもそも仕事量が違うのだ。
それを思えば、それなりの期間ギルムという非常に忙しいギルドで受付嬢をやって来たレノラやケニーが、そのような相手に負ける筈もない。
「レノラさん、書類の確認お願いします」
「ここ、間違ってるわ。それとこっち、少し計算ミスをしてるわよ」
レノラの言葉に、最近来たばかりの受付嬢は頭を下げて書類の修正に戻る。
「あーあ、レイ君に会いたいな。最近、レイ君を見てないんだけど元気かしら?」
書類仕事をしながら、ケニーは呟く。
実際にレイがギルドに来ていない期間というのは、そう長いものではない。
だが、こうして忙しい日々を送っていると、レイと最後に会ったのはいつだったのかと、そんな風に思ってしまう。
それだけ忙しい時間が続いているのだ。
朝に仕事が始まり、気が付けばいつの間にか夜中になっていたということも珍しくはない。
ある意味では非常に充実している日々なのかもしれないが、このような日々が続くのはとてもではないが歓迎出来ることではない。
「レイさんは色々と忙しいんだから、ここで愚痴っていてもしょうがないでしょ。そもそも、場合によってはレイさんの耳にケニーが仕事をしていないって噂が届くかもしれないわよ?」
「うぐっ! こんなに頑張ってるのに、それはないと思うわ」
「こればっかりは、日頃の行いがね。そういう意味では、私はレイさんの耳にそんな噂が入るようなことはないでしょうし」
レノラにとっても、レイは好意を抱いている相手だ。
ただし、それは異性に対する好意ではなく弟に対する好意であり、そういう意味でレノラはケニーにとって恋敵という訳ではない。
……もっとも、恋敵という意味では他に大勢強敵がいるのだが。
「レイ君、私に時間が出来たら一緒に食事に行きましょうね」
そう言いながら、ケニーは次々と書類仕事を片付けていくのだった。




