2485話
取りあえず今回の一番重要なアンテルムの件については解決したことで、レイは今回の一件についての説明をする。
……本来ならこちらを先に話すべきだったのだが、それでもアンテルムの件を最初に話したのは、それだけゾルゲラ伯爵家の一件が大きな出来事だったからだろう。
ともあれ、そうして今回の一連の事態について説明をし……それが終わると、ダスカーは大きく息を吐く。
「これは……正直なところ、余計な真似をしてくれたとアンテルムを恨むべきか、それとも最低限の損害で解決してくれたとレイに感謝するべきか、悩むな」
最低限の損害というのは、正直なところレイにとってはあまり愉快な表現ではなかった。
何故なら、その損害というのは妖精達と共存することになった狼達の件もあった為だ。
「レイ? どうした?」
そんなレイの様子に気が付いたのか、ダスカーがそう尋ねる。
だが、レイはすぐに何でもないと首を横に振った。
実際、狼の件は客観的に見れば最低限の損害であるのは間違いないのだ。
もしこれで妖精が今回の件で死んだりしていれば……いや、燃やすというのを本当に行い、トレントの森が火事になったりすればどんなことになったか。
それこそ、妖精という存在がトレントの森から出ていくといった可能性も否定は出来ない。
それだけに、今回の一件は色々な意味でレイのお手柄だったのは間違いない。
「いえ、何でもないです。夜中にいきなりこんな感じだったので、少し疲れましたけど」
「俺も夜中にいきなりだったから、その気持ちは理解出来るよ」
「あら、それは私のせいなのかしら?」
満面の笑みを浮かべて尋ねるマリーナに、ダスカーは何も言えずそっと視線を逸らす。
実際、今回の一件は間違いなくマリーナが持ち込んできたものなのだから、マリーナのせいと言っても、それは間違いではない。
ただし、実際にそれを口にした場合に一体どうなるか。
それこそ、ダスカーにとっての黒歴史を嬉々として喋るマリーナの姿が想像出来てしまう。
それが分かっている以上、ダスカーには自分から地雷を踏みに行くといった趣味はなかった。
「ともあれ、アンテルムの件が解決したのは助かった。……今のような警戒状態は、そこまで長期間出来るものではないしな」
マリーナからの話を誤魔化すという意味もあったのだろうが、心の底から安堵しているといった様子なのも、間違いのない事実だ。
元々増築工事で人手は幾らあっても足りない状況であるのに、その中でかなり無理をしてアンテルムの捜索を行っていたのだから。
ダスカーとしては、出来ればそこまで無理はしたくなかったのだが、ランクA冒険者が起こした事件ともなれば、放っておく訳にもいかない。
下手をすれば、何十人……場合によっては何百人と死んでいた可能性もあるのだから。
普通に考えれば、一人でそれだけ殺すのは難しい。
しかし、ランクA冒険者ともなればそのくらいには普通に出来てしまう。
その行為の最中に、同じランクA冒険者といった者達と遭遇しなければ、の話だが。
そんな訳で、今日一日程度ではあっても、非常に……それこそ、増築工事をすると決めた後のピーク時よりも精神的に疲れたのは間違いない。
だからこそ、この状況を解決してくれた感謝の言葉しかないのだ。
(問題なのは、この件の報酬をどうするかだな。余計な手間を掛けさせて、その上で異名持ちではないとはいえ、ランクA冒険者と戦わせたんだ。それを思えば、相応の報酬を支払う必要がある)
ただアンテルムと戦って倒しただけなら、それこそダスカーも報酬を支払う必要はない。
その場合は、あくまでもレイがアンテルムと個人的に揉めた為、ということになるからだ。
だが、ゾルゲラ伯爵家の一件があり、トレントの森の妖精の一件がある。
その辺の事情を考えれば、やはりここは報酬を支払っておいた方がいいというのが、ダスカーの考えだった。
……問題なのは、何を報酬とするかだろう。
ランクA冒険者と戦って勝ち、ゾルゲラ伯爵家の一件を解決し、妖精の住処が襲われるのを防いだ。
正直なところ、どれか一つでも十分に評価されるには十分なのだが、それが三つとなると、適当な報酬でどうにか出来ない。
「レイ、今回の一件……報酬は何を望む?」
結局のところ、報酬に関しては自分でどうこう考えるよりもレイに直接尋ねた方がいいという結論になる。
しかし……そんなダスカーの言葉に対し、レイは首を横に振った。
「今回の件はあくまでも俺の事情からのものですし、ダスカー様には火炎鉱石を貰う約束もしています。そうである以上、今回の件の報酬は特にいりません」
「……いいのか?」
「はい」
自分がもっと早く決断して移動していれば、狼達は死なずにすんだ筈だった。
あるいは、他の狼は死んでも群れを率いていた狼は助けられた可能性もある。
それを考えると、この一件で報酬を貰おうとは到底思えない。
ダスカーはレイが何を考えてそのようなことを口にしたのかは分からなかった。
だが、それでレイが満足するというのであれば、無理に報酬を押しつけるつもりはない。
ダスカーにとっても、レイに支払うべき報酬というのは相応に痛いものだがあるのだから当然だろう。
(まぁ、次に何かあったら……いや、それとも増築工事の報酬という形がいいのかもしれないけど、その時に少し多めにすればいい。それが具体的にどんな報酬になるのかは、微妙だが。……いや、そうだな。マリーナに少し話をしてみるか?)
そう判断してから、ダスカーは口を開く。
「さて、それじゃあこの件はこれでいいとして……ああ、そうだ。レイは明日、ニールセンを迎えに行って欲しい。頼めるか? 今回の件についても色々と話すことがあるから」
「構いませんよ。どのみち、俺が迎えにいかないと自分でギルムに来るって言ってましたから」
「くれぐれも頼む」
もしニールセンだけでギルムに来れば、間違いなく騒動になる。
ダスカーは若干頬を引き攣らせながら、レイに重ねて頼んだ。
妖精の一件が知られれば、間違いなく大騒ぎになると理解しているからだろう。
ましてや、今は増築工事の為に仕事を求めて大勢がやって来ている。
それだけではなく、ゾルゲラ伯爵家の一件があったことから貴族街の貴族達もどうにか情報を得ようとして、活動している筈だった。
そんな中で妖精の一件が知られればどうなるか……それこそ、混乱という言葉ですら生温い程の騒動になるだろう。
そんなことにならないようにする為には、やはりレイにニールセンを迎えにいって貰う必要があった。
「分かりました。じゃあ、そうしますね。……なら、俺はそろそろ帰ります」
「ああ、そうしてくれ。……っと、マリーナには少し残って欲しい。相談がある」
「相談? 私に? 言っておくけど、愛の告白なんかされても、受け入れられないわよ?」
「違う!」
黒歴史の一端を思い出させる内容に、ダスカーは即座に否定する。
マリーナはそんなダスカーの様子に笑みを浮かべつつ、レイに向かって声を掛ける。
「そんな訳で、私はもう少しダスカーと話していくわ。レイ達は先に帰っててくれる?」
「それはいいけど……こんな時間だぞ? 帰る時、マリーナ一人で大丈夫か?」
「あら、心配してくれるのね」
「当然だろ」
マリーナは、極上や絶世という言葉が頭についてもおかしくない程の美女だ。
その上、着ている服は露出度が多いパーティドレス。
そして今の季節は夏で、中にはこの暑さに苛々している者もいる。
……せめてもの救いは、アンテルムの探索の為に夜にも関わらず多くの警備兵や騎士が街中に出ていることだが……それも、絶対ではない。
そんな場所をマリーナのような存在が一人で歩いていれば、騒動に巻き込まれておかしくはない。
以前からギルムにいた者なら、マリーナがどのような人物なのかを知っており、下手に手を出すといった真似もしないだろう。
だが、現在のギルムには増築工事で仕事を求めてやって来た者も多く、そのような者達にしてみればマリーナという人物は……知っていても、診療所にいる凄腕の回復魔法の使い手といったところか。
「大丈夫よ。帰る時はダスカーが馬車を出してくれるし。……でしょう?」
「分かった。……正直、マリーナにそんなのが必要だとは思えないんだがな」
「何か言ったかしら?」
「何でもない。そんな訳で、マリーナは馬車で送るから、心配はいらん」
ダスカーにそう言われれば、レイもそれ以上は何も言えなくなる。
実際、ダスカーならその辺も問題ないだろうと判断し、ヴィヘラと共に部屋を出ていく。
そんな二人の姿を見送り、部屋から十分に離れたと判断したところで、ダスカーは口を開く。
「レイをランクA冒険者に昇格させたい」
「……なるほど」
突然の提案ではあったが、マリーナに驚いた様子はない。
今回、ランクA冒険者のアンテルムを倒したということもあって、予想出来た内容なのだろう。
「話は分かったわ。けど……ランクA冒険者ともなると、貴族と接することも多くなるわ」
それだけが、唯一にして最大の問題だった。
純粋な実力ということであれば、レイはランクA冒険者に相応しい。
いや、ランクA冒険者の中でも間違いなく上位に入るだけの実力を持っているだろう。
それでもレイがこれまでランクAに昇格しなかったのは、純粋にそれが問題だった為だ。
貴族という存在に対し、完全に……という訳ではないが、かなり冷めた目を向けているレイ。
そんなレイだけに、もしランクが上がって貴族と接することになった場合、どうなるか。
……いや、これがまだ貴族であればダスカーがどうにか庇うことも出来るが、王族を相手にした場合はダスカーであっても庇うようなことは出来ない。
そして最悪の場合は不敬罪で指名手配され……レイがミレアーナ王国を出て行くという可能性も十分にある。
ダスカーとしても、当然のようにそれは望むところではない。
ないのだが……今のレイをランクBにしておくというのもまた、色々と問題があるのは間違いない。
端的に言ってしまえば、レイは強すぎる。そして功績を挙げすぎたのだ。
だというのに、そんなレイが未だにランクB冒険者のままとなれば、妙な事を考える者が出て来てもおかしくはない。
少なくても、ダスカーが知っている限りではそのような動きを見せている者が数十人単位でいる。
……勿論、実際にレイに接触するといったことをしている者はいないのだが。
ただ、このままの状況が続けば、間違いなく面倒なことになるだろう。
勿論、ダスカーもこの件については色々と考えている。
そんな中で真っ先に考えたのは、やはり貴族に対してのものだ。
「この件に関してだが、貴族からの依頼がある場合、誰か代わりの者を貴族に派遣して直接レイが会わないようにするというのは出来るか?」
ダスカーにしてみれば、この案が採用されれば最善の結果となる。
何しろ、レイが直接貴族に会わなくてもいい以上、貴族との間に問題が起こりようがないのだから。
だが、マリーナはダスカーの言葉に首を横に振る。
「それは少し難しいわね。貴族の中には、冒険者を下に見ている者が多いわ。そんな貴族にしてみれば、冒険者ではなく代理人が自分に会いにくるというのは許せないでしょうね。それに……場合によっては王族と面会する可能性もあるわ」
「そっちは可能な限り避けたいが……そうなった場合にはレイには礼儀作法を学んで貰うしかないな」
「そうなると、レイは断るかもしれないわよ? そもそも、そういう面倒なのが嫌で、ランクBのままという一面もあるし」
「だが、レイの場合は自分で倒した未知のモンスターの魔石を集めているんだろう? なら、ランクA冒険者という肩書きはそれなりに魅力的な筈だ」
依頼の中には、冒険者を無意味に殺さない為にランク制限が設けられている依頼がある。
レイのランクBというのは、高ランク冒険者と言ってもいいのだが、それでもランクA冒険者限定の討伐依頼といったものは存在している。
ダスカーにしてみれば、レイにランクA冒険者になって貰うにはそんなレイの趣味に賭けるしかなかった。
せめてもの救いは、レイが魔石を集める際には他人が倒した魔石でも構わないといったことは考えていなかったことだろう。
あくまでも自分の趣味だからか、自分で倒したモンスターの魔石でなければならないという拘りを持っていたのだ。
……実際には、魔獣術で使う際には自分かセトが多少であっても戦ったという条件が必要であるからこそなのだが。
それを知らないダスカーにしてみれば、そこが唯一の突破口だった。