2484話
「おわぁっ!」
そんな悲鳴を上げたのは、領主の館の門番。
悲鳴を上げた理由としては、夜中に突然セトが空を飛んで下りてきたからというのもあるが、それ以上にセトが前足で持っていた肉塊とでも呼ぶべき代物だろう。
最初はその肉塊がなんなのか分からなかったのだが、セトが少しでも触れてる時間は短くしたいと着地する瞬間に放り投げた先にいたのが、門番達だったのだ。
門番達も、マリーナとヴィヘラから情報をもたらされたことにより、もしかしたらレイとセトが夜中であっても領主の館まで来るかもしれないと、一応そう言っておいたのだが……その予想が見事に当たってしまった形だ。
「レ、レイ! これは一体何なんだよ!?」
門番の一人が、セトの背から飛び降りたレイに向かって叫ぶ。
門番をやっている関係上、この男は当然のようにレイと顔見知りだった。
だからこそ、この肉塊……四肢が全てない男は誰なのかと、そうレイに尋ねたのだ。……尋ねたのではなく、怒鳴りつけたといった表現の方が相応しかったが。
「何って、今回の件の犯人だよ。具体的にはゾルゲラ伯爵家の一件の。その辺の話は聞いてるんだよな? ……あ、これ言ってもよかったのか?」
「ちょっ、お前! 何をいきなり重要機密的なことを言ってるんだよ!」
「いや、だってこれが何だって聞いてきたのはそっちだし」
「ぐ……」
レイの言葉は事実であった為、門番の男は言い返せない。
だが、それでも言ってもいいのかどうか分からない時は、言わないでいて欲しかったのが正直なところだ。
「ほら、落ち着けって。俺も一緒に聞いてしまったんだから、もし何かあったら俺も一緒に罰を受けてやるよ。それより、ダスカー様に報告に行ってこい。レイが戻ってきたと聞けば、すぐにでも会おうと思うだろうし」
相棒にそう言われ、レイに向かって不満を口にしていた男も我に返ったのだろう。
この場を相棒に頼み、すぐに自分は屋敷に向かって走り出す。
当然、レイがやって来たことを知らせに行ったのだ。
「にしても……これはまた、酷いな」
この場に残ったもう一人の門番の男は、目の前の存在に……四肢を切断されたアンテルムの姿を見て、しみじみと呟く。
それでもレイを責める様子がないのは、アンテルムのやったことがどのようなことなのか理解しているからだろう。
何の罪もないメイドや執事といった者達までもが殺された一件は、聞いているだけで不愉快になる出来事だ。
それを行った者が、その罰として四肢切断されたのなら、それは当然の結果だろうと。
レイも男の言葉から、そこまで嫌悪しているといった様子ではないと理解したのだろう。
特に気にした様子もなく、未だに気絶したまま……もしくは寝たままのアンテルムに視線を向ける。
ランクA冒険者のような実力者であれば、それこそ自分が持ち上げられて空を飛びながら運ばれているといったようなことがあった場合、それに気が付いてもいい筈だ。
もしくは、こうして放り出されるようなことがあったら、それでもまだ目が覚めないというのはおかしい。
(心を折る作業……ちょっとやりすぎたか?)
アンテルムの様子を見ながら、レイはそんな風に思う。
自信に満ちたアンテルムの強さを、正面から破った。
また、愛用の魔剣の刀身を目の前であっさりとへし折った。
四肢を切断して、ろくに身動きも出来なくした。
レイに捕まえられたことにより……そして妖精の件を知ってることにより、死刑はほぼ確実。
これらのことを考えれば、心をへし折られてもおかしくはない。
「それにしても、こいつが……見た感じだと、そんなことをするような奴には見えないけどな」
アンテルムの顔を見て、門番の男はしみじみと呟く。
その言葉にレイも改めて男の方を見てみるが、こうして意識のない状態であれば貴族の血を引いているだけあって、顔立ちは整っている。
美形と表現しても、それに反対する者はそう多くないだろう。
その上でランクA冒険者という、腕の立つ冒険者である以上、女に不自由することはない筈だった。
……もっとも、意識のある時は男の内面が表情に出るのか、醜い顔立ちだとレイには思えたが。
「だが、そんな風に見えなくても、実際にやったのは間違いない。人は見掛けに寄らないって言うだろ?」
「そうだな。レイを見れば、しみじみとそんな風に思う」
外見で人を判断するのは、間違っている。
ましてや、レイの場合はその典型的な例だろう。
少なくても、レイを外見だけで見た場合、とてもではないが脅威的な力を持っているようには見えない。
だが……今まで、何人もがレイを外見で判断し、結果として散々な目に遭ってきたのは、間違いのない事実だった。
「俺は……いやまぁ、いいけど。ん? 来たな」
言葉の途中で、レイは屋敷からやって来た門番……そして数人の騎士の姿を確認する。
騎士達は真剣な表情をしてレイ達のいる方に近付いてきたが、地面に転がっているアンテルムを見ると当然のように驚く。
報告に来た門番の男から、事情は聞いていた。
だが、実際に四肢が切断されている男を見れば驚くなという方が無理だった。
「レイは中に入ってくれ。ダスカー様が待っている。俺達はアンテルムを連れていく。……血も出てないから一応問題ないとは思うんだが、これは大丈夫なんだよな?」
「ああ。ポーションで血止めはしてあるし、飲ませてもいるから問題ないと思う」
そこまで口にしたレイは、もしかしたらアンテルムが気絶したままなのは、ポーションの味のせいなのでは? と一瞬思ったが、仮にもランクA冒険者がポーションを飲んだくらいで意識を失ったままなのはおかしいだろうと判断する。
「そうか。なら連れていく。……言うまでもないが、この件は他人に喋ることは許可しない。いいな?」
レイと、そして二人の門番にも騎士はそう告げる。
レイはアンテルムの一件は色々と……本当に色々と微妙なことであるというのを知っているので、騎士の言葉にも素直に頷く。
二人の門番は、ダスカーの部下として働いている以上、そのようなことになっても特におかしなことはないだろうと、そう思っているので、こちらも特に異論はなく頷く。
そんな二人の様子を見た騎士は、最後にセトを見たが……
「グルゥ?」
そんな視線を向けられたセトは、どうしたの? と首を傾げながら喉を鳴らす。
「いやまぁ、セトならそんな心配はないか」
セトが多くの人に懐いているのは当然知っているが、それでも頷いたり首を振ったりといった意思疎通はともかく、アンテルムの件を他人に話す……といったような真似は、とてもではないが出来ない。
そう理解したのだ。
「じゃあ、そんな訳でアンテルムは俺達が預かる。レイはダスカー様に会いに行ってくれ。セトは……やっぱり中庭か? 夜だけど」
「グルルゥ」
騎士の言葉に、セトは頷く。
正確には、他にいる場所がないからというのが大きいのだが。
セトの大きさを考えれば、まさか領主の館の中に入るといった訳にはいかない。
あるいは、今が真夜中でなければ、どこかセトが待っていてもいい場所があったかもしれないが、現在はそのような場所はほぼない。
また、セトがいられる場所として一番慣れているのが、中庭であるというのもこの場合は大きいだろう。
そのような理由で、セトは騎士の言葉に素直に頷き……その場にいるそれぞれが自分のとるべき行動をすることになる。
レイは領主の館に入ってダスカーのいる部屋に向かい、セトは中庭でレイの話が終わるのを待ち、騎士達はアンテルムを牢屋に連れていき、門番達は自分の仕事をするべくこの場に残る……といったように。
「じゃあ、セト。少し待っててくれ。今日は何か料理を食べたりは出来ないと思うが」
セトは何気に領主の館の厨房で働いている者達からも可愛がられている。
だからこそ、セトが中庭にいるのを厨房の者達が知れば、余っている食材で適当な料理を作ったり、もしくは大目に作った料理を分けたりして、セトに食べさせるといったことが多かった。
だが、それはあくまでも日中ならではの話だ。
今のように真夜中となれば、当然だが厨房には誰もいない。
……実際には、何かあったらすぐに料理出来るようになってはいるのだが、今の状況でセトに料理を食べさせる為だけに厨房に火を入れるというのは無理があった。
「グルルゥ」
残念そうにするセトの頭を撫でると、レイは領主の館に入っていく。
するとそんなレイを待っていたかのように……いや、実際に待っていたのだろうが、メイドが頭を下げて一礼し、レイをダスカーのいる部屋まで案内した。
これがいつものように執務室にダスカーがいるのであれば、メイドもわざわざ案内するような真似はしなかっただろう。
だが、今のダスカーは執務室ではない場所にいるので、レイが迷わないようにとメイドが案内したのだ。
そしてメイドに案内されたのは、客室の一つ。
領主の館には、当然だがこのような部屋が幾つもある。
最初にニールセンを領主の館に連れて来た時にレイ達が使ったのも、同じような部屋だ。
そうして部屋に入ると……
「いたのか」
部屋の中にいた人物の姿を見て、レイの口からそんな声が出る。
そうレイが言ったのは、ダスカー……ではなく、マリーナとヴィヘラの二人。
元々マリーナが事情を説明しに領主の館に行くという話は聞いていたが、それでもアンテルムの一件を片付けて戻ってくるまで領主の館にいるとは思わなかった。
「ふふっ、驚いた? レイのことだから、そう時間も掛からずに戻ってくると思っていたから、こうして待っていたのよ。久しぶりにダスカーと話したいこともあったし」
「……そうだな」
マリーナの視線を向けられたダスカーは、微妙に疲れた様子を見せてそう言ってくる。
そんなダスカーの様子を見れば、マリーナの相手をして色々と疲れたのだろうというのは理解出来た。
とはいえ、その件に突っ込むと自分も被害を受けそうだったので、レイはヴィヘラに視線を向ける。
「で、マリーナがいるのは分かるけど、何でヴィヘラがここに?」
「強い相手の情報を貰えるかと思ったんだけど……レイの様子を見る限りだと、もうその必要はなくなったみたいね」
「まぁ、それは否定しない」
ヴィヘラの言葉にそう返しつつ、レイは戦った相手……アンテルムについて思い浮かべる。
その性格は最悪に近いので極力思い出さないようにしながら、アンテルムの戦闘力についてだ。
アンテルムの実力は、ランクA冒険者と呼ぶに相応しいものがあったのは間違いない。
魔剣を使いこなす戦闘力は、間違いなく一級品だった。
その魔剣の能力も、斬撃を飛ばすといった能力や、何よりも瞬時に刀身を延ばすといった能力があり、かなり高性能だったのは間違いない。
もっとも、その魔剣もレイの持つデスサイズによって、あっさりと折られてしまったが。
「ランクA冒険者だけのことはあったな」
「……そう」
レイの言葉に納得しつつも、ヴィヘラは羨ましそうな視線を向ける。
そのような強敵との戦い、出来れば自分もやってみたかったのだろう。
とはいえ、レイとしてはあの状況でまさかヴィヘラを連れていくといった真似が出来る筈もない。
……いや、セトの前足に掴まって移動するといったような真似をすれば、連れて行けないこともなかったのだろうが……それでも、あの時の状況を考えると、とてもではないがそんな余裕はなかったのだ。
それどころか、もう少し……本当にもう少し早く移動していれば、狼達が死ぬようなこともなかったかもしれないのだ。
それを思えば、悔しいという思いを抱くのは当然だろう。
「レイ。アンテルムの件は他言無用で頼む」
「それは構いませんけど……いいんですか?」
ダスカーの言葉にそう返したのは、アンテルムが起こしたゾルゲラ伯爵家の一件がある為だ。
その一件がないのであれば、アンテルムにはもう興味がない以上、どう対処しても構わなかったのだが、仮にも貴族の屋敷にいた者達が皆殺しにされたとなれば、この一件を有耶無耶にすることは出来ないだろう。
「そちらは構わん。ゾルゲラ伯爵家にはこちらから連絡を取る。……妖精の件が知られたのだろう?」
ダスカーがそう言ってくることには、レイも特に驚きはない。
そもそもの話、今回の一件はニールセンがマジックアイテムでトレントの森にある妖精の住処に危険が迫っているということをレイに知らせたことで起きたのだ。
であれば、その犯人であるアンテルムが妖精のことを知ったとしても、驚くべきことではない。
……部下からの報告で、この件がアンテルムの仕業だと知った時は驚いたが。
そんなダスカーの言葉に、レイは分かったと頷きを返すのだった。