2482話
ギィンッ、という甲高い金属音が夜の森の中に響く。
今まで聞こえていたような金属音とは全く違う、それこそトレントの森の中全てに聞こえたのではないかと、そんな風に思ってもおかしくはないような……そんな大きな金属音。
「ふん。余裕の表情が崩れたな」
そう告げるアンテルムの表情は、してやったりといった表情を浮かべていた。
そんなアンテルムの視線の先にいるのは、頬に一筋の斬り傷を付けられ、血を流しているレイの姿。
レイはデスサイズで魔剣の一撃を弾いた状態から一度後方に跳躍し、黄昏の槍を持つ左手の指でそっと傷を撫でる。
その指に付着したのは、赤い血。
アンテルムとの戦いで初めて負った傷だ。
それも、レイは相手を完封するという目的の為、アンテルムに対して攻撃は控えめにして防御を中心に行っていた。
つまり、この戦いで最初に傷を負ったのはアンテルムではなく、レイということになる。
「こんなかすり傷一つで、そこまで喜ぶとはな。とはいえ、正直ちょっと驚いたのも事実だ。お前の魔剣の能力は斬撃を飛ばすだけだと思っていたんだが、まさか刀身を飛ばすことが出来るとはな。予想外だった。……とはいえ、奥の手を使ってこの程度ってのが、お前の未熟さを証明してるが」
そう告げるレイの言葉に、しかしアンテルムは先程までのように怒り狂うといった様子はない。
レイにかすり傷とはいえ傷を付けたことである程度は満足したというわけではなく……
(演技、か。……全部が全部演技って訳じゃなかったんだろうが、それでも騙されたのは間違いないな)
予想外のことではあったが、ランクA冒険者にいる者があそこまで何も考えずに暴れるといったような真似をするとは考えられず、寧ろ納得出来た。
納得出来たからといって、騙されたという苛立たしい思いを消せる訳ではないのだが。
「取りあえず、俺が予想していたよりもやるのは分かった。そうなると、もう少し手加減の度合いを少なくする必要があるんだが……言っておくが、簡単には死ぬなよ?」
「ほう? この俺を相手に手加減をする余裕があるとでも? 随分と侮られたものだ」
レイに言葉を返すアンテルムは、先程までのように苛立ちを露わにはしていない。
その内心でどう思っているのかは、ともかくとして。
「そうだな。お前はランクA冒険者としては、それなりの腕を持ってるんだろう。それは認める。だが、それは言ってみればそれだけの話だ。予想していたよりも強いが、それでも俺には及ばない。そうである以上、俺が警戒する必要は……ない訳ではないが、最低限でいい」
レイの口から出た言葉が気にくわなかったのか、アンテルムは不愉快そうに眉を顰める。
自分に騙されており、その上で傷まで負ったのだ。
そうである以上、レイは悔しがると思っていたのだろう。
「そうか。なら……その実力を見せて貰おう!」
叫び、アンテルムは地面を蹴る。
先程戦っていた時より多少ではあるが速度は増していた。
これがアンテルムの本気ということなのだろう。
とはいえ、増した速度はあくまでも多少だ。
それを考えれば、最初にレイと戦っていた時も演技はしていたものの、戦いそのものはかなり本気だったということなのだろう。
(いや、あるいはこれも演技か?)
一度騙されただけに、この行動も演技ではないかと疑いながらも、レイは間合いの前で振るわれた魔剣をデスサイズで弾く。
刀身が三m近くまで伸びたその魔剣は、既に長剣という分類ではないだろう。
もっとも、そうして伸びているのはあくまでも振るわれてる一瞬だけで、次の瞬間にはアンテルムの手元に戻っているのだが。
重量百kg程もあるデスサイズとまともにぶつかり、弾かれた一撃。
しかし、そのような一撃を受けてもアンテルムは特に気にした様子もなく素早く次の攻撃に続ける。
これがもしその辺の冒険者であれば、デスサイズとぶつかりあった衝撃によって、手が痺れ……場合によっては、持っている武器を地面に落とすといったような真似すらも起こるだろう。
そのようなことが起きないのは、それだけアンテルムの実力があるからだ。
技術によって衝撃の多くを受け流し、直接自分の手に伝わる衝撃は可能な限り少なくしているのだろう。
それは、レイの目から見ても驚くべき技術だ。
とはいえ、そのような余計な作業をしているということは、当然だが攻撃をする際に若干ではあっても遅くなるということを意味している。
その隙は、レイという相手と戦うにあたって大きなマイナスとなる。
「ほら、攻撃の隙が出来てるぞ!」
その言葉と共に黄昏の槍が振るわれ、穂先がアンテルムの胴体を狙って放たれる。
アンテルムが装備しているのは、ミスリルをふんだんに使った金属鎧だ。
ミスリルは魔力銀とも言われ、魔力と相性がいい。
そんな防具だけに、マジックアイテム使いとも言うべきアンテルムにしてみれば、非常に強固な防御力を誇る鎧だ。
しかし、アンテルムは自分の胴体目掛けて放たれた黄昏の槍の穂先を、横に跳ぶことで回避する。
本能で、自分の鎧であってもレイの攻撃を受けては駄目だと判断したのだろう。
その一撃が危険だという本能を感じる者はそれなりにいる。
しかし、本能に従って瞬間的に行動出来る者となると、どうしても少なくなる。
この辺りが、ランクA冒険者とそれ以外の者の違いといったところだろう。
「うおおおっ!」
とはいえ、アンテルムもレイの攻撃を回避しただけでは終わらない。
横に移動した動きを利用し、その場で身体を回転させながら、自分が胴体を狙われた仕返しにと、レイの胴体を狙う。
ギィンッ! と、周囲い響く甲高い音。
横薙ぎに振るわれた一撃は、先程同様にデスサイズによってあっさりと受け止められ……
「ぐぅっ!」
咄嗟の一撃だった為だろう。
先程のようにデスサイズとぶつかった衝撃を受け流すことが出来ず、その衝撃を正面から受け止めたアンテルムの口から苦悶の声が漏れる。
そのような状況であっても、レイの追撃を嫌って距離を取ったのはアンテルムらしい判断だったのだろうが、今までの戦いの流れから自分が退けばレイは追撃をしないと、そう思ってところで……
「逃がすと思うか!?」
アンテルムの予想を完全に裏切り、レイは距離を取った筈のアンテルムとの間合いを詰め、デスサイズを振るう。
「ぐ……おおおおおおおおっ!」
胴体を切断せんと振るわれた刃に対し、アンテルムは咄嗟に魔剣を盾として使う。
魔剣を持つ右手と、切っ先を足で押さえて防ぐという防御の体勢。
しかし、そのような状況でレイの一撃をまともに受け止められる筈もなく……次の瞬間、アンテルムは吹き飛ばされる。
アンテルムは筋骨隆々といった外見ではないが、それでも絞られた筋肉によって身体を覆われている。
脂肪と違い、筋肉は重量があるのは当然だった。
アンテルムは外見とは違い、その筋肉によってかなりの重量を持つ。
にも関わらず、そんなアンテルムが地面を転がされる……といった訳ではなく、本当に文字通りの意味で吹き飛んだのだ。
それは、吹き飛ばされたアンテルムにしてみれば、完全に予想外の事態。
まさかこのようなことが行われるとは、思ってもいなかったのだろう。
木の幹にぶつかった衝撃で一瞬息が出来なくなるも、すぐに自分の状況を確認して立ち上がることが出来たのは、アンテルムもまた腕利きと呼ぶに相応しい実力を持っていたからだろう。
……アンテルムの心をへし折る為に、レイが追撃しなかったというのも理由の1つだろうが。
「どうした? この程度の……それこそ、まだお遊び程度の戦いで、もしかしてもう俺に勝てないと、そう思ったのか? それならそれで構わないが……ランクA冒険者だとか、貴族の血を引くとか、結局はその程度のものでしかないんだな。……貴族の血ね」
最後の貴族の血というところで、嘲笑……というよりは、呆れたような笑みを浮かべる。
そんなレイの様子に、アンテルムは痛みを堪え……いや、怒りで痛みすら感じていないかのように、立ち上がる。
アンテルムにとって、冒険者全体が馬鹿にされるのであれば特に気にはしない。
アンテルムから見ても、大抵の冒険者はそのように馬鹿にされる程度の実力しか持っていないのは明らかなのだから。
だが、馬鹿にされるのが冒険者という括りではなく自分であれば、その侮辱を許せる筈もない。
アンテルムも冒険者ではあるのだが、本人の認識としては自分は冒険者であっても冒険者ではない……そんな感覚なのだろう。
それ以上にアンテルムを怒らせたのは、やはり貴族の血を笑われたことか。
冒険者よりは貴族の血を引いているということを重要視しているアンテルムにとって、そのことは決して許されることではない。
それこそ、自分を馬鹿にしたレイという存在をそのままにしておくということは決して許されないことだった
だからこそ、アンテルムは苛立ち……いや、怒りを声に出しながら立ち上がる。
「この俺を……貴族の血を引く俺を、馬鹿にするのかぁっ!」
叫ぶと同時に、強烈な怒気と殺気が周囲に放たれた。
それこそ、もしこの場に野生動物か何かがいれば……いや、それこそモンスターがいても、恐怖して逃げ出してもおかしくはない程の強烈な怒気と殺気。
とはいえ、レイにしてみればその程度か、という認識でしかない。
普通ならランクA冒険者がここまで怒り狂っているのを見れば、逃げるか……もしくは自分に被害が出ないようにと願うような真似しか出来ない。
しかし、今まで数え切れない程の強敵と戦ってきたレイにしてみれば、正直なところこの程度かといった認識しかない。
そうである以上、アンテルムを前にしても普段通りに近い様子を見せていた。
……いや、寧ろ怒りという点では狼を虐殺されたレイの方が強いかもしれない。
それでも、レイは怒りを露骨に表情に出すような真似はしない。
今の状況でそのような真似をすれば、それこそアンテルムに隙を突かれてもおかしくはないのだから。
「そうだな。馬鹿にするというか……正直なところ、呆れているといった表現の方が正しい。お前のような奴を相手に、まさかこんなことになるとは思わなかったし。それに、ランクA冒険者って言うから期待してたんだが、期待した程の強さじゃないしな」
そんなレイの言葉に、アンテルムは一層殺気を濃くする。
レイの挑発にそう簡単に乗るような真似はしないが、それでも今の状況に思うところがあるのだろう。
レイにしてみれば、寧ろそんなアンテルムの様子は願ったり叶ったりといったところだが。
「さて、お前の実力も大体分かった。これ以上は何か奥の手の類もないのなら、そろそろこの戦いを終わらせようと思うが……構わないか?」
それは、事実上の勝利宣言。
アンテルムがこれ以上抗おうとしても、自分には絶対に敵わないだろうという自信から来る言葉だ。
そんなレイの言葉に、アンテルムは苛立ちを感じ……だが、それでも今までのやり取りから、お互いの間にある実力差を感じられないといったことはなく、苦々しげに黙り込む。
……そうしながらも、どうにか逆転の一手を探している辺り、ランクA冒険者らしい諦めの悪さではあるのだが。
しかし、当然ながらレイは相手が逆転の一手を探している状況で、それを待つような親切心はない。
視線の先で現在の状況でどうこの場を逃れようかと考えているアンテルムに向かい、レイは無造作に足を踏み出す。
ただし、その歩く速度はゆっくりであり、速度は決して速くはない。
それでも確実に近付いてくるレイは、アンテルムにしてみれば恐怖である筈だった。
「ぐ……うおおおっ!」
レイとの間合いが近付いたところで、アンテルムは魔剣を手に地面を蹴る。
先程吹き飛ばされた衝撃は既に回復したのか、それとも痛みを無視して無理に動いていたのか。
だが、その速度は間違いなく先程よりも遅くなっていた。
……ただし、振るった魔剣は刀身が伸びており、その間合いは黄昏の槍やデスサイズと同等のものになっている。
その一撃で放たれた突きは、神速……とまでは言わないが、間違いなく一級品の突きと評してもいいだろう。
命中すれば、大抵の人間は一撃で貫かれ……場合によっては肉片になってもおかしくはないだろう一撃。
そんな一撃だったが、生憎とレイは普通の人間ではない。
自分の胴体目掛けて放たれた突きを、身体を素早く横にすることで回避しつつ、その動きを利用してデスサイズの一撃を放つ。
アンテルムの突きを放った腕が切断され、魔剣を持ったまま斬り飛ばされて空中で回転し、次に放たれた黄昏の槍は、アンテルムの右足の太股を貫く……のではなく、砕く。
レイはそのままデスサイズを持った方の手首を返し、残っていた左足と左腕も綺麗に切断するのだった。