2481話
夜の森の中に甲高い金属音が次々に響く。
先程までは、月明かりの多くが木の枝にとって遮られていたのだが、今はそこで戦っている人物……レイとアンテルムの姿は柔らかな月明かりに照らされていた。
その理由は、レイとアンテルムの攻撃によって周囲に生えていた多くの木が切断され、地面に倒れていたからだ。
メキ……と、今もまたレイが回避したアンテルムの魔剣の一撃がトレントの森に生えている木の幹を切断する。
普通に考えれば、大人の胴体程の太さがある木を一度の斬撃で切断するといったようなことは出来るものではない。
それが出来る実力があるからこそ、アンテルムはランクA冒険者なのだろう。
「逃げ足だけは達者だな。どうした? そっちのグリフォンも一緒に戦ってもいいんだぞ?」
魔剣を手に、自分の攻撃を回避したレイを嘲るように挑発するアンテルムだったが、レイはアンテルムの言葉に逆に嘲笑を向ける。
「ぶんぶんと大袈裟に振るだけなら、別にお前じゃなくても出来るだろ。ランクAというのが自慢な割に、攻撃の速度も遅いし、鋭さも足りないし、威力も随分と低いな。総じて言えば、お前の実力がランクAとは到底思えない。ランクD辺りからやり直したらどうだ?」
挑発気味に言うレイだったが、その言葉は多分に嘘が含まれている。
アンテルムの攻撃がレイにまだ一発も命中しておらず……それどころか、かすり傷を付けることすら出来ていないのは事実だったが、その一撃の速度は速く、鋭さもあり、一撃の威力も十分に高い。
ランクDどころか、ランクAとしての実力は十分にあった。
それでも、レイはアンテルムが言うように、セトと一緒に戦うといった真似はしていない。
自分の実力だけでアンテルムを倒し、セトというランクS相当のモンスターの実力を借りないで負けたという事実を突きつけ、アンテルムの持つプライドを砕き、踏みにじる為に。
レイはアンテルムの攻撃を回避しながら、一瞬だけ狼の死体に視線を向ける。
その死体は、レイが戦っている間にセトが一ヶ所に集めてあった。
戦いの中で、狼の死体を気にしてレイが実力を発揮出来ないなどといったことがないようにする為の行動。
おかげで、レイは現在自由に戦うことが出来ていた。
とはいえ、レイの攻撃は基本的にアンテルムの攻撃よりもかなり数が少ない。
レイが防御をしているのは、見れば明らかだった。
「結局のところ、お前が回避に専念しているのは間違いない。それは、お前の実力が足りないからだ」
「本当にそう思っているのなら、お目出度い頭をしてるな。まぁ、お前の様子を見ればそんな風に思えるのは当然だけどな」
挑発に挑発で返すレイ。
普通なら、このような簡単な挑発に乗るといったことはないだろう。
だが、それはあくまでも普通ならだ。
アンテルムは高いプライド……いや、この場合は自尊心と評した方がいいのかもしれないが、ともあれ自分が侮られるという行為を許すことが出来ない。
レイはこれまでのアンテルムとのやり取りから、相手のそんな性格を理解していた。
(これが、実力を伴わないプライドじゃないだけ、厄介なんだよな)
今までレイが戦ってきた……いや、一方的に処分してきたといった方が正しいのかもしれないが、ともあれ倒してきた貴族というのは、プライドや自尊心が無意味に高かった。
そのような者達と違い、アンテルムはランクAにまで昇格するだけの実力がある。
しかも、その性格からソロでだ。
性格は下種という言葉が相応しい相手だったが、その強さだけはランクに負けないだけのものを持っているというのが、非常に厄介だった。
「どうした? お前のその魔剣とやらも、結局のところお前同様に外見だけの代物なのか? いや、木は切ってるんだから、樵の斧代わりとしては使えるのかもしれないがな」
そう言い、レイは自分の手に持つデスサイズと黄昏の槍をアンテルムに見せつける。
「お前の安物の魔剣に比べて、俺のマジックアイテムを見てみろよ。格の違いってのが、お前程度の奴でも分かるだろ?」
「貴様……」
アンテルムの持つ魔剣は、決してレイの言うような安物の魔剣ではない。
ランクA冒険者の報酬があっても、容易に買えないような値段を持つ一級品の魔剣だ。
だが……そんな一級品の魔剣と比べても、レイの持つデスサイズと黄昏の槍は明らかに格上だった。
これでアンテルムに物を見る目がなければ、ふざけるなと言い返すことも出来ただろう。
しかし、アンテルムは多数のマジックアイテムを使っているだけあって、マジックアイテムを見る目に関しては確かなものを持っている。
そんなアンテルムの目から見て、実際にレイの持つデスサイズと黄昏の槍は、自分の持つ魔剣よりも明らかに格上の存在なのだ。
……いや、デスサイズと黄昏の槍だけではない。
本来なら隠蔽効果でドラゴンローブは普通のローブと認識されるのだが、アンテルムはドラゴンローブをしっかりとドラゴンローブだと認識していた。
そしてドラゴンローブもまた、アンテルムでは手も足も出ないくらいに非常に高性能なマジックアイテムなのだ。
それが分かるだけに、マジックアイテムを多用する身としては自分がレイよりも格下のように思えてしまう。
レイに対する強い憎悪は、その辺も関係しているのだろう。
「貴様……」
アンテルムの口から出たのは、数秒前と全く同じ言葉。
だが、そこに込められている殺気は、一般人がいれば即座に腰を抜かすか……場合によっては泡を吹いて気絶してもおかしくはないだけの、圧倒的な迫力を持っている。
アンテルムのプライドを傷つけるという意味では、レイの目論見は見事に成功した形となる。
「どうした? それしか言えないのか? お前にしてみれば、自分の未熟さを認められないってところか。だが、事実は事実だ。お前が幾ら喚いたところで、それは変わらない」
「貴様ぁっ!」
三度同じ言葉を口にするアンテルムだったが、今度は叫ぶと同時にレイに向かって間合いを詰め、魔剣を振るう。
そんな魔剣の一撃を、レイは今までのように回避する……のではなく、黄昏の槍を使って受け流す。
(ぐっ、やるな)
表情には出さないようにしているレイだったが、アンテルムの放つ魔剣の一撃はかなりの威力を持つ。
レイは表情を変えず、それこそ適当に攻撃をいなしているように見えたかもしれないが、実際にはそれなりな一撃に内心で驚く。
それでも挑発された後での一撃ということもあってか、本来のアンテルムの一撃に比べればかなり雑な一撃ではあったのだが。
「どうした? お前が怒っても結局はその程度の一撃でしかないのか? だとすれば、お前がランクA冒険者になったというのも、何かの間違いかもしれないな。もしくは、ギルド職員に賄賂でも送ったのか?」
「貴様ぁっ!」
レイの侮辱は、余計にアンテルムの頭に血を上らせる。
ランクA冒険者であっても、そこまで怒りやすいのはどうかと、そうレイは思うのだが……それでも、自分にとっては有利である以上、不満を口にはしない。
(それでもここまで逆上するってことは……もしかして、実は本当に裏金でも送ったのか?)
ギルムのギルドであれば、そんな裏金を受け取る者は……いないとは言い切れないが、それでもレイが見た感じではほぼいないと言ってもよかった筈だ。
マリーナがギルドマスターをしていた時は、そのマリーナの有能さによって、そんな真似が容易に出来るような状況ではなかった。
今にして思えば、もしかしたら精霊魔法でその辺を監視していたのかも? と、マリーナの精霊魔法の技術を思えば、そのように思ってしまう。
だが……そう、それはここが辺境のギルドだからこそ、そのようにきちんと実力での見極めが大きい。
もし辺境にあるギルムのギルドが賄賂で昇格させたりした場合、最悪ギルムそのものに大きな被害が与えられるような出来事にもなりかねない。
しかし、アンテルムはギルム出身の冒険者ではなく、ゾルゲラ伯爵家からの紹介でギルムにやって来たのだ。
そうである以上、賄賂を使って昇格試験をどうにかした……といった可能性は、十分にある。
「おや、もしかして賄賂でランクアップしたというのは、本当だったのか? だからこそ、そこまで動揺してるのか?」
「俺を、侮るなぁっ!」
その声と共に、振るわれる魔剣。
アンテルムの魔力によって強化されているのは、レイもこれまでのやり取りで理解している。
だが……仮にもアンテルムのような腕利きが使っている魔剣だ。
そのような効果以外にも、何らかの特殊な効果があるだろうと予想し……だからこそ、次の瞬間アンテルムの攻撃に反応出来た。
「放て!」
その一言こそがトリガーだったのか、アンテルムによって振るわれた魔剣から、斬撃が飛ぶ。
(飛斬!?)
レイは自分に向かってきたその斬撃に見覚えがあり、そのおかげで即座に対処することが出来た。
放たれた斬撃は、レイの後ろにあった木の幹に十cm程の深さの傷跡を刻み込む。
頑丈な木の幹に、一撃でそれなりに深い傷跡をつけたのだ。
「この一撃を避けただと!?」
飛斬と同じような斬撃だけに、レイも半ば勘で回避したのだが、アンテルムはまさか今の一撃が回避されるとは思っていなかったのか、驚愕に顔を歪める。
「残念だったな。珍しい攻撃を見せて貰った礼だ。俺もいいものを見せてやるよ。動くなよ? ……飛斬!」
デスサイズのスキル、飛斬を発動するレイ。
振るわれた一撃は、真っ直ぐアンテルムに向かって飛び……そのすぐ横を通り抜け、背後にあった木の幹を傷付ける。
動くなと、そうレイが口にしたように、レイには最初から飛斬の一撃をアンテルムに命中させるつもりはなかった。
自分が使える攻撃を、相手もまた使えると……そう示すことで、アンテルムの心を折ろうとしたのだ。
「なっ!?」
そして事実、そんなレイの放った一撃はアンテルムを驚かせるには十分だった。
(俺が……いや、正確にはデスサイズがだが、飛斬を使えるというのはそれなりに知られている話だと思ったんだが……まぁ、アンテルムは俺の事も知らなかったみたいだし、その情報を持っていなくてもおかしくはないのか? だからといって、それでこっちが手加減をするつもりはないが)
驚きの表情を浮かべるアンテルムに、レイは余裕を見せるように笑って口を開く。
「どうした? この程度のことで、そこまで驚くようなことがあるのか?」
「貴様……」
「何だか、さっきから貴様という言葉しか聞いてない気がするな。他に何か言葉は言えないのか? それとも、その言葉しか口に出来なくなっているのか?」
「そこまで言うのなら、この魔剣の力を見せてやろう!」
苛立ちと共に叫び、アンテルムは魔剣を手にレイとの間合いを詰める。
そんなアンテルムを前に、レイはデスサイズと黄昏の槍を構えた。
レイの持つ武器は、双方共に長物だ。
それだけに、レイは間合いを詰められると本領を発揮出来ないのだが……それは、今まで多くの敵と戦ってきたレイにとっては分かりきっていることでもある。
それだけに、アンテルムの攻撃に対処するのも難しい話ではない。
そもそも、アンテルムが持っているのは短剣ではなく長剣の魔剣だ。
その一撃を有効に使うには、槍のような長物の武器程ではないとはいえ、ある程度の距離を必要とする。
なのに、何故そのような魔剣を手にしているのにここまで間合いを詰めたのか。
そんな疑問を抱くレイだったが、今はそれを疑問に思うよりもアンテルムの対処をする方が先だった。
付き合いが長いとは言えない狼だったが、それでも友好的な関係を築き、この先も恐らくは楽しくやっていけるのだろうと思っていた相手。
そんな狼を殺されたことは、レイに怒りを抱かせるには十分な理由だった。
だからこそ、今はアンテルムのプライドをへし折るという行為をする必要があるのだ。
相手がランクA冒険者で実力があるのは知っている。
しかし、それを表に出さないようにして……アンテルムは自分の敵ではないと、そう示す必要があった。
(魔剣の柄で殴りつけてくる気か?)
魔剣であれば、刀身だけではなく柄の部分を接触させることで何らかの攻撃方法があったとしても、おかしくはない。
であれば、そのような手段があるのではないか。
そんな風に思ったレイは、そのまま反撃をする……のではなく、一度距離を取ることにする。
魔剣である以上、どんな効果を持っているのか分からない為だ。
そうして地面を蹴ってアンテルムから離れた瞬間……
「そう来ると思ったぞ!」
その言葉と共に、届かないにも関わらずアンテルムは魔剣を振り……その刀身が不意に伸びると、レイに向かって襲い掛かってくるのだった。