2473話
「……何だか、随分と騒がしくなってるな。もしかして、アンテルムの件が関係してるのか?」
トレントの森からギルムに戻ってきたレイは、伐採された木を運んでいる途中で街中が騒がしいのに気が付く。
アンテルムがゾルゲラ伯爵家の一件の犯人の可能性が高い以上、その犯人を捜している者がいるのは当然だろう。
(とはいえ、問題なのはアンテルムを見つけても捕らえることが出来る相手がそう多くないってところか。……ヴィヘラなら、嬉々としてアンテルムに戦いを挑むだろうけど)
それだけは、レイにとっても絶対に確信出来ることだった。
強者との戦いを求めているヴィヘラだ。
ランクA冒険者であり、尚且つ自分の愛する男を狙っているとなれば、それでヴィヘラが手を出さない筈がない。
「何? どうしたの?」
レイの様子から、何か疑問を抱いたのだろう。ドラゴンローブの中で、ニールセンが何があったのかといったように、尋ねてくる。
最初はアンテルムの件を教えない方が面倒がないと考えたレイだったが、ニールセンの様子を見る限りでは、事情を知るまで何度でも繰り返しレイに尋ねてくるだろう。
それこそ、ドラゴンローブの中から聞こえる声が、周囲に響いてもおかしくないくらいに。
「アンテルムって冒険者に絡まれたのは知ってるな?」
「知ってるわよ。それでマジックアイテムが必要だったんでしょ?」
「そうだ。で、どうやらそのアンテルムが自分を雇っていた者達を全員殺して、行方を眩ませたらしい。だからこそ、警備兵とかが動き回ってるんだろうな」
とはいえ、そんな警備兵達の存在に気が付いていない者も多い。
元々が現在のギルムには普段以上の人数が集まっていることもあり、その集まった者達にしてみれば、警備兵がそうして動き回っているのもギルムでは普通の仕事だろうと思ってしまうのだ。
これは、警備兵がそのように見えるように行動しているから、というのが大きい。
それでも一定以上の技量を持つ者や、観察眼の鋭い者、もしくは以前からギルムに住んでいるような者の中には、そんな警備兵の様子に気が付いている者もいたが。
「そんなことがあったの? 私は知らないわよ?」
「誰かさんは二日酔いで眠ってたからな」
「ぐ……」
レイの言葉に、何も言えなくなるニールセン。
二日酔いというのは、ニールセンにとっても大きなミスだったのだろう。
「ともあれ、危険な奴がいなくなっているから、警備兵達は捜してるんだろうな。……いや、警備兵だけじゃなくて、草原の狼も動いてるのか」
少し離れた場所を歩く男に見覚えのあったレイは、そう呟く。
その男もレイが自分を見ていることに気が付いたのだろう。
少しだけ驚いた様子を見せると、頭を下げてその場から立ち去る。
「草原の狼って?」
「ギルムの裏……工作員とかスパイ狩りとか、そういうことをやってる連中だよ」
「ふーん」
レイの言葉を理解したのか、してないのか。
ニールセンの様子を見ている限りでは、レイにもその辺は分からなかったが……レイとしても草原の狼についての話を街中でするのは不味いと思ったので、それ以上突っ込んだ話はしなかった。
「ともあれ、ゾルゲラ伯爵家の件もあるし……エレーナがいるならまず心配はいらないだろうけど、それでも何かあったら大変だ。早いところマリーナの家に向かうぞ」
エレーナの実力なら、それこそアンテルムを相手にしても問題なく対処出来るだろうという予想がレイにはある。
だが同時に、だからといってエレーナをアンテルムの前に出したくないという思いもまたあった。
アンテルムの性格から考えれば、エレーナ程の美人を前にした場合、どのような行動をとるのかが容易に予想出来る。
なまじ実力があるからこそ、自分は何をやっても許されると、そんなことを考えてもおかしくはないのだ。
……それでもエレーナに勝てるとは思わなかったが。
「えー? 色々と買っていかないの?」
不満そうに言うニールセンだったが、レイの口からマリーナという言葉が出ると途端に大人しくなる。
それだけニールセンにとってマリーナという存在は苦手な相手なのだろう。
(それでも、結局はマリーナの家に行く俺についてくるんだから、思ったよりも苦手じゃなかったりするのか? ……まぁ、その辺は俺が考えるまでもないか)
ニールセンが黙り込んだ以上、今は少しでも早くマリーナの家に向かうべきだ。
そう判断し、貴族街に向かうのだが……
「あ、セトちゃんだ! ねえ、セトちゃん。遊ぼう!」
何人かの子供達がセトを見つけ、そう声を掛けてくる。
これが大人であれば、今は仕事中だと理解してくれるのだろうが、生憎と子供達にはそのようなことを言っても理解されない。
レイが子供であっても容赦なく殴り倒すような存在であれば、子供達もレイを怖がってセトに話し掛けるといった真似はしなかっただろう。
だが、生憎とレイは基本的に子供に手を出すような真似はしない。
子供達もそれが分かっているからこそ、こうして気軽にセトに話し掛けてくるのだろう。
「悪いな、今は仕事中だ。また今度暇な時にセトと遊んでくれ」
そう告げるレイだったが、子供達は何故か今日に限ってレイの言葉を素直に聞く様子はない。
「えー! 嫌だ! 私は今セトちゃんと遊びたいの!」
その子供の様子に、どうしたらいいのか迷い……
「っ!?」
次の瞬間、レイは半ば反射的にその子供の手首を握り締めていた。
そう、短剣を手にした子供の手を。
「え?」
いきなりの行動に、その子供と一緒にいた他の子供達驚きの声を漏らす。
当然だろう。その子供が一体何をしているのか……そしてレイが何故そのような真似をしたのかが、全く分からなかったのだから。
「誰だ?」
「え? 何? 私はセトちゃんと遊びたいだけよ?」
レイの言葉に、そう返してくる子供。
アンテルムを捜す為に、警備兵の多くが街中に出ている。
当然ながら、そんな中でこのような行動をしていれば警備兵達も何があったのかと、疑問に思ってレイ達に向かって近付いてきた。
そうして警備兵達が見たのは、レイに手首を掴まれている子供の姿。
普通であれば、そんな光景を見ればレイの方を加害者として認識するだろう。
それでも警備兵が即座にレイを捕らえようとしなかったのは、レイは警備兵とそれなりに親しい間柄だったからだ。
レイの性格を知っているだけに、レイが子供相手に妙な真似をするとは思えなかったし、何よりもレイが掴んでいる子供の手には、短剣が握られていたのを見た為だ。
普通に考えれば、子供が持っている短剣は玩具か……もしくは刃のない模造刀だろう。
だが、そんな模造刀を持っている程度で、レイがこのような真似をするとは思えない。
つまり、子供が持っているのは本物の短剣であるということを意味していた。
「レイ、一体何があった?」
「この子供を押さえてくれ。……注意しろよ。子供とは思えない力だ」
「ねぇ、セトちゃんと遊ばせてよ? 私はセトちゃんと遊びたくてここに来たのに」
レイに手首が捕まえられているとは思えないような、その言葉。
それを聞いて、警備兵も目の前で起きている出来事が普通ではないと理解したのだろう。
仲間の警備兵に視線を向け、レイが捕まえている子供を押さえる。
一人が胴体を、そしてもう一人がレイの掴んでいる近くの手首を。
「いいか? 手を離すぞ?」
そんな二人の様子を見てレイが尋ね、頷いたのを確認してから手を離し……
「うおっ!」
「なぁっ!?」
二人揃って驚きの声を上げる。
当然だろう。子供……十歳にもならない子供だというのに、日頃から警備兵として身体を鍛えている大の大人二人が揃って引きずられそうになったのだから。
それでも何とか子供を押さえ込むことが出来たのは、やはり普段から鍛えているからこそだろう。
もしその辺の一般人が子供を押さえようとしていれば、間違いなく引きずられてしまっていた筈だ。
「レイ!?」
一体この子供は何だ? そんな疑問と共にレイに向かって叫ぶ警備兵だったが、レイはそれに答えるよりも、この場はどうするのが最善なのかを考える。
「まずは押さえてろ」
そう言い、子供の掌を半ば強引に開けて握っていた短剣を地面に落とす。
「ふぅ。……あとはこの子供だが……問題はどうするかだな」
「ちょっ、どうでもいいから、とにかく何とかしてくれ! 何だこの子供の力は! とてもじゃないが、子供の力じゃないぞ!」
警備兵が、一体何なのだこれは! といった様子で叫ぶ。
警備兵にしてみれば、普段から相応に鍛えている自分たちが、一体何でここまで圧倒されるのかと不思議に思うのは当然であり……同時に、この子供を一体どうすればいいのかと、そう疑問に思うのも当然だろう。
「仕方ないな。気は進まないが……悪いな」
最後の一言は独り言ではなく、目の前の子供に対して向けたもの。
このような状況になりながらも、未だにセトと遊ぶといったようなことを無邪気に口にしている子供。
そんな子供の後ろに回り、押さえている警備兵の邪魔にならないように首の裏に手刀を放ち、意識を絶つ。
くたり、とレイの一撃を受けて地面に倒れ込む子供だったが、警備兵は素早くそれを受け止める。
「っと! レイ、あまり乱暴な真似はするな!」
「そう言ってもな。このまま暴れさせる方が難しいだろ? 見たところ普通の子供だ。そんな子供がお前達二人でも抑えるのが難しいんだ。そんな状況で子供の意識を自由にさせておくというのは、色々と不味いだろ?」
「それは……」
レイの言葉に一理あると思ったのか、レイに文句を言おうとした警備兵が黙り込む。
実際に今の状況を考えれば、先程のような力で子供が暴れた場合、子供に悪影響が出るというのはすぐに分かったからだ。
(火事場の馬鹿力って奴か? ……もしそれでも、普通は使う必要がないから使えないんであって、それを自由に使うとなると筋肉が千切れたりとか、そんな風になってそうだよな)
レイは気絶した子供を見ながら、そんな風に思う。
ともあれ、気絶させたことでこの場は問題なくなった。
だが……それはあくまでもこの場での問題だけだ。
「多分、この子供は洗脳されるとかそんな感じだろう。問題なのは、意識が戻った時にその洗脳がどうなっているのか……だな。幸い、洗脳されているのかどうかは、見れば分かりやすかった」
話が通じない様子を見れば、洗脳されているのかどうかは容易に判断出来るだろう。
それだけが、せめてもの救いだった。
「問題なのは誰がこんなことをしたかだが……」
警備兵の一人が、そう不満そうに呟く声が聞こえてくる。
レイがそんな警備兵に向けたのは、半ば呆れの視線。
「この忙しい時に、警備兵がここまで必死になって動き回っているのは何でだ? その理由を考えれば、想像出来そうだけどな」
「っ!? では、これは……」
アンテルムの仕業なのか。
そう言おうした警備兵だったが、ここでその名前を口に出すのは不味いと思ったのか、黙り込む。
何しろ、今の一連の行動は周囲にいる通行人達にもしっかりと見られている。
そうである以上、ここでアンテルムの名前を出した場合、どのような影響が出るのか分からないのだ。
基本的にギルムで活動していない冒険者なので、知名度そのものはそこまで高くはない。
だが、貴族街で接触したことのある冒険者達にしてみれば、非常に不愉快な相手だ。
酒場でその経験から不満を口にする者もおり、それを聞いた者も当然のように存在する。
だからこそ、今回の一件においてはアンテルムの名前を迂闊に出すなと警備兵達は上司から言われているのだ。
「俺と奴の関係は聞いてるか?」
「一応な。だが……こんな真似をするか?」
ランクA冒険者ともあろう者が。
そう言いたげな警備兵は、まだ若い。
それこそ、警備兵になったばかりの新人なのだろうと、そう思うくらいには。
「するぞ。少なくても今回の件は間違いない。貴族街での騒動は知ってるだろう」
「それは……」
レイの言葉に何も言えなくなる警備兵。
信じられないのではなく、信じたくないといったところだろう。
(冒険者に憧れてたタイプか? けど、実力不足だったり、それ以外にも何か他の理由で冒険者になれなくて、警備兵になったとか。……そういうのに限って、何故か冒険者に憧れていたりするんだよな)
隣の芝生は青いと言われることが多いが、冒険者になれなかった者にしてみれば、冒険者というのは憧れの職業なのだろう。
レイとしても、それは理解出来ない訳ではなかったが、それでも今の状況を考えるとアンテルムの仕業ではないとは思えない。
「取りあえず、他の子供達の件もあるし……詰め所に行って話さないか?」
自分の友達のいきなりの行動に驚いている子供達を見ながら、レイはそう告げるのだった。