2470話
ダスカーとの話を終えたレイは、トレントの森に向かう。
アンテルムがゾルゲラ伯爵家の事件を起こしたとすれば、もう貴族街にはいないかもしれない。
しかし、そう思わせておいて未だに貴族街のどこかに隠れているという可能性もあった。
その辺りの事情を考えると、やはり今回の一件は警戒するべきだった。
だからこそ、昨日よりも妖精の作るマジックアイテムを欲している。
……もっとも、そのマジックアイテムを使うのは当然だが家の家主のマリーナであって、レイはあくまでもマジックアイテムを運んでくる役目でしかなかったのだが。
それが若干不満ではあるが、それでも妖精の作ったマジックアイテムを目にすることが出来るというのは、レイにとって幸運なことだった。
基本的に妖精の作ったマジックアイテムを見る機会のある者など、本当に少ないのだから。
「んん……ん……?」
トレントの森が近付いてきたからか、ドラゴンローブの中で眠っていたニールセンが、そんな声を上げながら起きてくる。
「もう二日酔いはいいのか?」
「ええ。完全にって訳じゃないけど、それでもある程度は何とか」
「これに懲りたら、もう酒は飲まないことだな」
「そうね。でも、美味しかったわよ?」
「は?」
「……何よ」
「いやまぁ、実際に美味くなければ酒で身を持ち崩すような奴もいないだろうから、美味いと思える奴には美味いんだろうけど……」
「何? もしかしてレイは酒が飲めないの?」
「飲めないって訳じゃない。ただ、飲んでも美味いとは思わないだけだ」
レイにしてみれば、酒はとてもではないが美味いとは思えない。
だが、その酒を好んで飲む者が多いというのは、当然だが知っていた。
それでもやはり自分が美味いとは思えない酒を美味そうに……それも二日酔いになる程に飲むというのは、どうかと思わないでもなかったが。
「妖精にも酒ってあるのか?」
「あるけど、好きな時に飲める訳じゃないわ。特別な時しか飲めないのよ。ハチミツを手に入れるのが難しいし、それを酒にする前に食べようとする者も多いし」
ハチミツで酒と言われて、レイは日本にいた時に見たTV番組を思い出す。
最古の酒と言われるハチミツ酒は、ハチミツに水を入れておけば勝手に完成するという酒だった。
そんなので本当に酒が出来るのか? と思ったレイだったが、きちんとした理由については色々とやっていたものの、聞き流していた。
ともあれ、ハチミツに水を入れて時間が経てば酒になるというのだけは分かっているので、それで十分だった。
(なるほど。まぁ、ハチミツ酒なら気軽に作れるし、ワインとかみたいに手間暇が掛かるものじゃないしな)
そう考えるレイだったが、実際にワインをどのようにして作るのかといったことは、分からない。
ハチミツ酒が紹介されていた番組において、その辺りもやっていたのだが……レイが覚えているのは、ワイン用のブドウというのは普通にスーパーで売っているようなブドウとは違って甘くないということ。
いや、勿論ワインは色々な種類があるので、中には甘いブドウを使ってワインを作っている所もあるのかもしれないが、少なくてもレイがTVで見たところではそうなっていた。
「ハチミツ酒か。……まぁ、妖精なら酒になる前にハチミツを舐めて、舐めて、舐めて、舐めて、とにかく満足するまで舐めて、最終的にはハチミツが全部なくなりそうだよな」
「ぐ……」
レイの言葉に、ニールセンは呻き声を上げる。
実際に今まで何度も同じようなことがあったのだろう。
だからこそ、酒は滅多に飲めるものではないのだ。
「っと、そろそろ樵達の場所だから……」
「グルゥ?」
「ん? どうしたセト?」
樵達の場所だから、ニールセンに静かにしてくれと言おうとしたレイだったが、不意にセトが不思議そうに喉を鳴らす。
そんなセトの様子に疑問を持つレイ。
これが普段なら、そこまで気にするようなことはなかっただろう。
だが、今はアンテルムの一件がある以上、万が一を考える必要があった。
(アンテルムの一件がなければ、トレントの森に新しいモンスターでもやって来たのかと、そう思うだけだったんだけどな)
そう思いながらセトの様子を見るレイだったが、やがてセトは気のせいだったのか何でもないと喉を鳴らす。
「そうか。なら……一応気をつけながら進むか。万が一アンテルムに見つかるようなことがあったら、間違いなく面倒になるし。そうだな、少し遠回りしながら進むか」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かった! と鳴き声を上げる。
「えー……せっかく復活したのに、戻るまで時間が掛かるの?」
そんなセトとは裏腹に、不満そうな様子を見せるのはニールセンだ。
ニールセンにしてみれば、ようやく二日酔いの苦しみから復活したのに、わざわざ遠回りして自分達の住処に戻ると言ってるのだ。
出来るだけ早く戻って、マジックアイテムの件を長に頼み込む必要があった。
そう考え……急速にニールセンのやる気は失っていく。
「あ、そうね。文句はないわ。それどころか、もっとゆっくり……今日一日掛けて戻ってもいいと思うわ」
「それは幾らなんでも……」
ニールセンの言葉に、レイは呆れの言葉を発する。
とはいえ、ニールセンの様子を見れば……そして昨夜のマリーナとのやり取りを思えば、何となくニールセンがそんな風に言う理由も分かる気がした。
だからといって、まさかそんなことをする訳にもいかない。
レイは妖精の件を最優先にするようにダスカーに言われているが、樵の伐採した木を運ぶといったような仕事もあるのだ。
(まぁ、そっちの仕事を最優先にして、妖精の住処には後で行くって方法もあるけど……いや、ないな。マジックアイテムの件で説得するのに時間が掛かるのなら、その前に下手に時間を使えば、それは最悪今日はマジックアイテムを持って帰れなくなるかもしれないし)
アンテルムの一件がある以上、妖精のマジックアイテムは是非とも必要だった。
それを入手出来なくなるというのは、可能な限り避けたいと思って当然だろう。
「悪いけど、それは出来ないな。……っと、そろそろ静かにしてくれ」
セトの進む先に樵の護衛をしている冒険者を見つけ、レイはドラゴンローブの中のニールセンにそう告げる。
レイの言葉に若干不満そうな表情を浮かべたが、マリーナからレイに出来る限り迷惑を掛けないようにと言われていたのを思い出したのか、素直に黙り込む。
ニールセンにとって、マリーナという存在は苦手な相手なのだろう。
……それでいながら、決して嫌悪感を抱いている訳ではない。寧ろ好意すら抱いていた。
それはマリーナが世界樹の巫女であることが関係しているのだが、そのおかげで苦手でありながら好意を抱いているという、微妙な様子になっている。
「よう。レイ。今日はちょっと遅かったな」
冒険者は、レイを見て気軽に挨拶をしてくる。
これが見知らぬ誰かであれば、警戒するようなこともあっただろうが、レイは既に何度となくここに来ている。
そんなレイだけに、当然冒険者もレイのことを知っていた。
(そういう意味では、アンテルムが俺を知らなかったのは……まぁ、あの性格だから、他人に興味がないと言われれば、その通りかもいれないけど)
アンテルムの件は取りあえず今は忘れておこうと、そう判断して冒険者との会話を続ける。
「ちょっとダスカー様に用事があってな。結局この時間になった」
既に時間は、昼……とまではいかないが、午前十一時近い。
元々ニールセンの二日酔いがある程度治るまで待っていたのと、ゾルゲラ伯爵家の件で様子を見に行ったことや、アンテルムの件をダスカーに報告したりといったことをしていたので、この時間になってしまったのだ。
そういう意味で、今回の一件は色々と面倒なことがあったのも事実。
「ふーん。まぁ、レイの立場ならそういうこともあるんだろ。伐採した木を運ぶ以外にも、色々とやってるんだろ?」
「そうなるな。個人的には、今の状況もそんなに嫌いじゃないけど」
一つの仕事だけをやるよりも、複数の仕事をやるというのは、レイにとっても悪い話ではない。
もっとも、その辺りは人によって違いはあるのだが。
「それはレイだからだよ。……ともあれ、伐採した木はそれなりにあるから持って行ってくれ。俺はもう少し見回りをしてくるよ」
「ああ。気をつけろよ。トレントの森では何があるのか分からないしな」
そう告げるレイの頭の中にあったのは、先程セトが何か気になった様子を見せたところか。
ゾルゲラ伯爵家の一件がある以上、万が一を考える必要があった。
アンテルムがここにいるのかどうかは、レイにも分からない。
それでもランクA冒険者である以上、何らかの奥の手を持っていてもおかしくはないのだ。
「分かってるって。そもそも、ギルムの外にいるんだぞ? そしてトレントの森の状況を考えれば、油断出来る訳じゃないのは間違いない」
その冒険者の言葉は、決して間違いではない。
そもそも、ギルムは辺境で外には多くのモンスターが存在している。
そうである以上、冒険者が警戒をしているから問題はないと言うのは、レイにも理解出来た。
「なら、その辺は任せた。とはいえ、トレントの森には多くのモンスターが出て来るから、気をつけた方がいいのも間違いないぞ」
そう言い、レイは冒険者と別れる。
そうして少し離れた場所に積まれていた、伐採された木をミスティリングに収納していく。
「さて、取りあえずこっちはこれでよし。後は……妖精のいる場所だな。セト、今日は真っ直ぐに行けそうか?」
「グルゥ!」
任せて! と喉を鳴らすセト。
妖精の妙なちょっかいさえなければ、セトなら問題なく妖精の住処まで到着出来るだろうと、そうレイは判断する。
「じゃあ、任せた。……まぁ、もし道に迷っても、また狼が出て来てくれそうだから、その辺は心配いらないか」
この数日ですっかり顔見知りになった狼のことを想像する。
モンスターではなく、普通の狼。
にも関わらず、不思議な程に頭がいい。
それこそ、レイ達の道案内をして報酬に食べ物を貰うといったようなことをしてもおかしくはないくらいには。
(あの狼がモンスターになったりしたら、もの凄い知能を持つモンスターになりそうだな。……いや、でもそこまで知能が高くなれば、俺達と敵対するデメリットもしっかりと理解して、その辺りの心配はいらなくなるんじゃないか?)
ふとそんなことを考えるレイだったが、もしそうなったらトレントの森の中での自分達の面倒は減るのではないかという、そんな期待もあった。
そうして考えている間にもセトはトレントの森を進み……
「グルルルルゥ!」
レイに向かって、到着したよと鳴き声を上げる。
「お、到着したか。狼達は……いないな」
周囲の様子を見てみるが、狼達の姿はない。
そう思い、少しだけ残念に思う。
あの頭のいい狼とちょっと会いたかったな、と。
「いないならしょうがないか。狼達だって、自分達の餌は自分達でどうにかしないといけないんだし。……ニールセン」
「……んん……なぁに……」
「また寝てたのか。お前達の住処に到着したぞ。早くマジックアイテムを貰ってきてくれ」
「分かったわよ」
レイの言葉で起きたニールセンは、不承不承といった様子でドラゴンローブから出ると、自分の住処に飛んでいく。
それを見送ったレイは、セトから下りる。
セトもニールセンを待つ間は暇なのか、地面に寝転がった。
幸い、ここは地面から様々な草が生えているので、セトが寝転がっても汚れることはない。
……もっとも、セトはその辺をあまり気にしたりする様子を見せなかったが。
レイもまた、地面が草ということで特に気にすることなく座り、セトに寄り掛かる。
そんなレイの様子に、嬉しそうに喉を鳴らすセト。
セトの鳴き声を聞きながら、レイはマジックアイテムを受け取った後のことを考える。
(昨日はグリムに会いに地下空間に行けなかったし、実験の結果がどうなったのかも知りたいから、あっちに顔を出してみるか。そして実験結果を聞いたら、ギルムに戻って木材を運んで……それからどうするか、だな)
レイがダスカーから受けていた依頼は、妖精の件の解決だ。
それに関しては、既にダスカーとニールセンの交渉という状況になっている以上。レイが何かをすることはない。
敢えてレイのやるべきことを考えると……それは、ニールセンの送り迎えくらいだった。
(となると、アンテルムの捜索とか? 出来ればこっちに被害が出る前に何とかしたいんだけどな)
そんな風に思いながら、レイは森の中を吹く風を気持ちよく感じるのだった。