2469話
その屋敷の周囲には、大勢の冒険者と警備兵の姿があった。
本来なら、殺人事件が起きたとなればそこを検分するのは警備兵の仕事であって、そこに冒険者が関わることは……ない訳ではなかったが、それでも滅多にある訳ではない。
そのような光景が今こうしてレイの目の前に広がっているのは、やはりここが貴族街だからこそだろう。
貴族は特権階級だ。
そのような貴族が集まっている貴族街の中で、ゾルゲラ伯爵家の屋敷にいた全員が殺されるといった出来事があったのだから、貴族街に住む貴族が不安を覚えるのは当然だろう。
そして不安を覚えたからこそ、自分の雇っている冒険者をこうして派遣して捜査に協力するという形で、少しでも情報を得ようとしてるのだろう。
警備兵側としても、冒険者の応援を受け入れたのは不承不承だった筈だ。
だが、現在の警備兵は増築工事の関係でどうしても人が足りない。
そうである以上、冒険者達を受け入れる必要があった。
……勿論、ゾルゲラ伯爵家の敷地の外には、冒険者以外にも多くの者が集まっている。
主から、少しでも何らかの情報を持ってこいといったように命じられた者達が。
(さて、誰に情報を聞くか。……とはいえ、屋敷の外にいる連中は何か重要な情報を持っているとは思えないしな。そうなると、やっぱり敷地内に入らないようにしている冒険者か? 顔見知りのが誰かいればいいんだが)
そうしてゾルゲラ伯爵家の敷地を見回すと……そこには、ちょうど見知った顔があった。
いや見知った顔どころか、昨日レイがアンテルムと揉めた時に仲裁に入ってくれた冒険者だ。
そうしてレイが向こうを見ていると、やがて向こうもレイの存在に気が付いたのだろう。
少しだけ驚きの表情を浮かべる。
そんな相手に、レイはセトと共に近付いて行く。
「昨日ぶりだな」
「ああ。それで? 何を聞きたいんだ?」
こうしてレイがやって来たことから、何らかの情報を欲してのことだろうと向こうも判断していたのだろう。前置きもなしに、単刀直入にそう尋ねてくる。
レイとしても、余計な話をしなくてもいいのでそんな相手に向かって口を開く。
「なら、率直に。……死体の中にアンテルムはあったか?」
「いや、ないな」
躊躇する様子もなく、そう告げる。
本来なら、その手の情報はそう簡単に人に話してもいいようなものではない。
だというのに、何故今回は素直に口を開いたのか。
それはやはり、昨日の一件を見ていたからこそだろう。
……また、レイは知らなかったが、この男が雇い主の貴族に事情を話し、その貴族がゾルゲラ伯爵家に苦情を入れたというのも関係しているのだろう。
「だとすれば、この件はやっぱりアンテルムが犯人か?」
レイもアンテルムの死体がなかったと言われても、特に疑問を持たない。
アンテルムはランクAである以上、相当の実力を持つ。
そうである以上、そう簡単に何者かの手に掛かるとは思ってもいなかったのだ。
「警備兵の方ではその可能性が高いと考えている。アンテルムの件は俺だけじゃなくて他の連中からも情報を集めていたようだしな」
アンテルムは、昨日はセト欲しさにレイに絡んだ。
だが、それは別に昨日が特別だった訳ではなく、レイが異世界に行っている間にも何人もの冒険者と問題を起こしていたのだ。……それも、相手に一方的に因縁をつけるといった手段で。
それだけに、アンテルムは色々な冒険者から恨まれていた、……憎まれてすらいただろう。
だからこそ、アンテルムの情報はすぐ警備兵に集まったのだ。
「それで、この屋敷の者達が皆殺しにされたのは具体的にいつくらいだ?」
そうレイが尋ねたのは、やはり昨夜マリーナの家の敷地に近付いてきた存在にセトが気が付いた一件があったからだろう。
結局はその何者か……恐らくアンテルムであろうと、レイは半ば確信しているが、そのアンテルムの一件があった後で屋敷の住人が皆殺しにされたのか、それとも皆殺しの一件があった後でマリーナの家の敷地内に来たのか。
「その辺の詳しいところまでは分かっていない。……分かっていても、こっちに情報を寄越すかどうかは微妙だが」
「警備兵にしてみれば、今回の一件はあくまでも自分達の仕事だという認識だし……それも間違っていないしな」
そもそも、ここまで露骨に冒険者が事件の捜査に関係しているのは、やはりここが貴族街だからの話だ。
いわば、権力があってこそのもの。
警備兵にとって、それが面白くないと思うのは当然だろう。
「そう言えば、ここに来る途中に会った冒険者から、貴族街が閉鎖されるかもしれないって話を聞いたけど、その辺はどうなんだ?」
「今のところそんな話は聞いていないな。そもそも、今更貴族街を閉鎖したところで意味はないだろ? アンテルムはもう逃げてるし。……ああ、でも逃げたアンテルムがまた貴族街に入ってこないように厳重に警備をするって可能性ならあるかもしれないな」
「それはそれで厄介だな。貴族街に入る時にギルドカードを出したりする必要が出て来るとか?」
「そこまでは分からないな。ただ、そういう風になる可能性も否定は出来ないけど」
そう告げる男に、レイはそうかと短くそれだけ言ってからゾルゲラ伯爵家の屋敷を見る。
(アンテルムがどこに行ったのか分からないのが、難点だな。……セトの嗅覚上昇で探せるか? いや、何かアンテルムの臭いがある何かがあれば別だが、今それを入手するのは不可能な筈だ。だとすれば……取りあえず、今は忘れておいた方がいいな。まずはトレントの森だ)
もしアンテルムがやって来ても、マジックアイテムでそれを察知出来るようにしておけば安心は出来る。
正面から戦えば、レイは自分がアンテルムに負けるとは全く思っていなかった。
そうである以上、相手が攻めてくるのが分かれば、対処のしようは幾らでもある。
……もっとも、アンテルムが自分の実力を正確に理解し、レイと正面から戦うといった手段を選ばなければ、厄介なことになると思えたが。
「色々と情報、助かった。じゃあ、俺はそろそろ行くよ」
「いいのか? 昨日の件を考えると、アンテルムは間違いなくレイを狙うぞ? ……正確には、レイじゃなくてセトだろうが」
「グルゥ!」
自分は大丈夫! と男の言葉に、セトは喉を鳴らす。
そんなセトの様子を見て、男も思わずといった様子で笑みを浮かべる。
本来ならもっと真剣にならなければいけないというのは、男も分かっていた。
しかし、セトの様子を見る限りでは、その程度のことはどうとでもなるのではないかと、そんな風に思ってしまったのだ。
見ている者を自然と明るくする。
それもまた、セトの能力の一つなのだろう。
「セトもこうして大丈夫って言ってるし、問題ないと思う。じゃあな」
軽く手を振り、レイはセトと共にゾルゲラ伯爵家の屋敷の前から去る。
そして、十分離れた場所でレイはドラゴンローブの中にいるニールセンの様子を見てみるが……
「すぅ、すぅ……」
今までのレイの会話を全く聞いた様子もなく、完全に眠っていた。
(まぁ、二日酔いだし、しょうがないか。……ここで下手に騒がれるよりはいいだろうし)
もしニールセンがアンテルムのことについて話していたのを聞いていれば、その性格から間違いなく色々と行動していただろう。
その結果として、先程のような場所でニールセンが目立ってしまうといったことになっていた可能性は大きく、そうなれば間違いなく面倒なことになっていた筈だった。
その辺の事情を考えると、こうして眠っていて貰ったのはレイに好都合だったのは間違いない。
「まずは貴族街を出るか。警備が厳しくなったりすれば、出るのに時間が掛かるようになるかもしれないし」
貴族街だけに、人の出入りそのものは決して多くはない。
いや、それなりの人数は出入りするのだが、それでもギルムに入ってくる者達と比べれば、その数は当然のように少なくなるのだ。
だからこそ、今回の貴族街の出入りをしていれば分かりやすいのだが。
「グルルゥ?」
トレントの森に行くの? と、喉を鳴らすセト。
「ああ。まずはマジックアイテムを手に入れておく必要があるし……この件は、ダスカー様にも知らせて……いや、俺が知らせなくても当然情報は届いているか」
ダスカーにとっても、貴族街というのは非常に重要な場所だ。
それだけに、この場所でこのような事件が起きたとなれば、当然のようにすぐ報告が行くだろう。
(あ、でもアンテルムの件については知らない可能性があるな。そうなると、この情報は少しでも早く伝えた方がいい。だとすれば、やっぱりトレントの森に行くよりも前に知らせておく必要があるか)
そう判断し、セトを撫でながら口を開く。
「悪いな、セト。やっぱりトレントの森に行く前に、ダスカー様にちょっと会って行くことにするよ。そうしないと、面倒なことになりそうだし」
そう告げるレイに、セトは分かったと喉を鳴らすのだった。
「アンテルム、だと? その男がゾルゲラ伯爵家の屋敷の一件の犯人だと?」
領主の館にある執務室で、レイはダスカーと会っていた。
本来なら、午前中のダスカーは忙しい。
それこそ普段であっても忙しいのに、それだけではなく今日はゾルゲラ伯爵家の一件がある。
それを思えば、本来ならレイであってもそう簡単に会うことは出来ない。
実際にレイがダスカーとの面会を希望した時も、現在は忙しいから会うのは難しいとダスカーの部下に言われてしまった。
だが、それでもレイは何とか話したいと頼んだのだ。
代わりに、ゾルゲラ伯爵家の一件で情報を持っていると、そう告げて。
そうしてようやくダスカーはレイと会う時間を作った。……それでもそこまで長い時間は取れないと、そう最初に言われたのだが。
レイも時間がないということで、執務室に入ってソファに座ると、即座にゾルゲラ伯爵家の一件はアンテルムが犯人の可能性が高いと、そう告げた。
「あくまでも、その可能性が高いというだけです。確実な証拠がある訳ではありません。ですが……ゾルゲラ伯爵家の屋敷で死んだ者の中に、アンテルムの姿はどこにもありませんでした。そうなれば、当然怪しいと思われます。それ以外にも、昨日の一件を考えると……」
レイは昨日の件についても話してある。
その情報を知っているダスカーであれば、そう結論づけるのもおかしな話ではない。
「アンテルムか。……一体、どういうつもりでそのような真似をした? これがレイを襲ったのであれば、その意味も理解出来る。だが、何故そちらではなくこのような真似を……」
「分かりませんね。ただ、アンテルムかどうかは分かりませんけど、昨夜……それも夜中にマリーナの敷地内に誰かがやって来たのは間違いありません。セトが感じていましたから」
普通であれば、実際に相手を見た訳ではないのにそんな言葉を信じられるかといったように思っても、おかしくはない。
だが、ダスカーはセトがどれだけの存在なのかを知っている。
そうである以上、セトが見つけたと言うのであれば間違いなく見つけたのだろうと、そう理解することが出来た。
「そうなると……もうギルムから脱出したと思うべきか?」
普通であれば、ギルムから脱出することは容易でない。
スラム街にある裏組織に大金を支払って脱出するか、もしくは変装をして脱出するか。……それ以外では、アンテルムの実力を考えると強引に抜け出すか。
だが、今は増築工事中ということもあってか、そちらの方面からなら容易に抜け出すことが出来る。
勿論、以前のコボルトの一件の時のように、モンスターを警戒する見回りの兵士や冒険者もいる。
だが、アンテルムはランクA冒険者である以上、そのような者達に見つからないように移動するのは難しい話ではなかった。
つまり、本気でギルムから逃げ出そうとしたのであれば、それを防ぐといった真似はまず不可能なのだ。
「どうでしょうね。普通に考えれば、雇い主……どころか、屋敷にいる全員を殺したんですし、もうギルムにいるとは思えません。ただ、俺に絡んで来た時のことを思えば……どこまでセトを欲しているか、でしょうね」
もしセトにそこまでの価値を感じていないのであれば、もうギルムから脱出している可能性が高い。
ギルムから脱出しても、ギルドの持つ対のオーブによってアンテルムの件はすぐに他のギルドにも知らされる以上、もう冒険者として活動するのは難しい。
(いや、脱出していようがいまいが、ランクA冒険者がこれだけの騒動を引き起こした以上、ギルドの方で手を回してもおかしくはないけど)
そんな風に思いながら、レイはダスカーとの会話を続ける。
……なお、ニールセンは未だに二日酔いが治っていないのか、ドラゴンローブの中で眠っているのだった。