2464話
ゾルゲラ伯爵家で惨劇が起きている頃……当然だが、レイ達はそんなことは知らずにマリーナの家の中庭で楽しい時間をすごしていた。
エレーナとアーラは、ニールセンのことを知っていてもやはり興味津々なのか、話をしたがっていたのだが……ニールセンは何故かイエロの背中に乗って空を飛びながら、セトと遊ぶ。
「ああして見ると、竜騎士だよな」
「……なるほど」
何気なく呟かれたレイの言葉に、エレーナは納得したように頷く。
本来の竜騎士はワイバーンや飛竜と呼ばれる、一種の亜竜に乗るのが一般的なのだが、ニールセンが乗っているのは黒竜の子供のイエロだ。
そういう意味では、普通の竜騎士よりもの凄いことをしているのだが……レイがニールセンを見る限り、とてもではないがそのような真似をしているという自覚があるようには思えなかった。
もっとも、イエロはあくまでも子供なので、その辺のことを全く理解していなかったのだろうが。
そうした時間が経過し……やがて夕方になると、最初に帰ってきたのはヴィヘラとビューネの二人。
「ん! んん!」
ビューネがニールセンを指さし、珍しく興奮したようにヴィヘラの薄衣を引っ張る。
そんなビューネの様子に、ヴィヘラはニールセンを見て驚く。
「あら……あれがニールセン?」
驚きはしたが、ビューネ程に驚いた様子がないのは一度妖精を間近で見ている為か。
また、レイがニールセンを連れてくるとマリーナと話していたのを聞いたというのも大きい。
それによって、恐らく今日は妖精がマリーナの家にやって来ると、そう思っていたのだ。
「ああ。今日泊まるかって言ったら即座に頷いたからな。……まぁ、長に許可を貰いに行ったから、即座にってのは少し大袈裟かもしれないけど」
「ふーん。……喜んでるわね」
そう告げるヴィヘラの視線は、どこか哀れみが浮かんでいる。
何の為にマリーナがニールセンを呼んだのか……それを理解しているからだろう。
とはいえ、今ここでそれを言えば、恐らくニールセンは逃げ出す。
レイはそう考え、ヴィヘラに目配せをしてその件を言わないように視線で告げる。
ヴィヘラも昨日妖精についての話を聞いていたので、レイが何を言いたいのか理解し、頷きを返す。
「ん! ん!」
だが、そんなやり取りをしているレイやヴィヘラとは違い、ビューネは自分も妖精と一緒に遊びたいと、そう態度で示す。
ビューネにしてみれば、難しい話は自分には関係ないのだろう。
「そうね。……ビューネも向こうに行ってもいいんじゃない? ビューネなら、あの妖精も喜んで一緒に遊んでくれると思うし」
「どうだろうな。いや、ニールセンが喜ぶのは間違いないと思う。けど、ニールセンは見ての通り妖精だ。多分大丈夫だとは思うけど、もしかしたら何らかの悪戯をする可能性は十分にある」
「それは……」
レイの言葉に、ヴィヘラは少しだけ眉を顰める。
ビューネも何だかんだと外見とは見合わない実力を持っている。
それでもニールセンの悪戯……レイ曰く、命に関わるような悪戯をすることもある妖精の悪戯をどうにか出来るかどうかは、微妙なところだった。
「ん!」
だが、そんなレイの言葉を聞いていたビューネは、自分なら大丈夫だと、そう態度で示す。
普段であれば、滅多に表情を変えるようなこともないビューネなのだが、今は見るからに必死な様子だった。
ビューネもまた、妖精という存在に憧れがあったのだろう。
(両親が小さい頃に死んだらしいし、そうなると両親から聞かされたお伽噺に対する思い入れは余計に強いのかもしれないな)
ビューネの様子を見ていたレイは、どうするべきか迷い……取りあえずビューネの保護者ということになっているヴィヘラに視線を向ける。
「どうする? ヴィヘラが構わないと言うのなら、俺は構わないと思うけど。……ただ、ビューネがニールセンと遊ぶ場合は、もし何か悪戯をされて、それが洒落にならないような悪戯の場合はすぐに止める必要があるけど」
そんなレイの言葉に、ヴィヘラは少し考え……やがて頷く。
「分かったわ。けど、もし何かあったらレイも手助けしてね」
「ああ、それは任せろ。何かあったら出来るだけすぐ動けるようにはしておく」
「ありがとう。……ビューネ、行ってもいいわよ」
「ん!」
ヴィヘラの言葉を聞き、即座にニールセンのいる方に向かって走り出すビューネ。
「ビューネもやっぱり女の子ね」
「ふふっ、そうですね。……どうぞ」
ヴィヘラの言葉に、アーラは微笑みながら紅茶を渡す。
「ありがとう。……こうして仕事が終わった後にここで飲む紅茶って、美味しいわよね。特にアーラの淹れてくれた紅茶だと」
「そう言って貰えると、私も嬉しいです」
そうして話をしながら、全員でビューネの様子を眺める。
最初はニールセンも突然のビューネの存在に戸惑っていたようだったが、それでもすぐに慣れる。
そうしてビューネとニールセン、セトとイエロが遊んでいる光景を眺めつつ、お互いに今日何があったのかといったことを話していると……唐突にイエロの背中に立っていたニールセンが動きを止める。
動きを止めても、ニールセンは自分で飛ぶことが出来る為か、イエロが自分の足下からいなくなっても、特に地上に落ちるといったようなことはなかった。
「ん? どうしたんだ?」
そんなニールセンの様子を見て不審に思ったレイがそう呟くと、他の者達もそちらに視線を向ける。
そんな視線の先では、相変わらずニールセンが空中で静止ししたままだったが……
「何か震えているように見えるが」
エレーナのその言葉に、そうか? とレイは改めてニールセンに視線を向けたが、言われてみれば震えているように思える。
「何かあったか?」
「さぁ? こうして見ていた限りでは、特に何もなかったように思うけど」
ヴィヘラの答えに、レイもそうだよなと納得する。
見ていた限り、特に何かあったようには思えなかった。
では、何故? 一体何があった?
そう思ったところに、丁度声が掛けられる。
「ただいま。……どうやら妖精は無事に来たみたいね」
それが誰の声なのかは、この場にいる全員がすぐに分かった。
「マリーナ、診療所の方はもういいのか?」
「ええ。今日はそこまで怪我人は多くなかったから楽だったわ」
「ならよかったな。これで増築工事が順調に進むといいんだけど」
「そうね。でも、一日や二日順調な日があっても、そう変わらないわよ。……それで、あの妖精がニールセン?」
「ああ。お前の言った通り連れてきたぞ」
「そう。向こうも私の存在に気が付いたみたいだし、少し話してくるわね」
「……気が付いた?」
マリーナの口から出た言葉の意味が分からず……いや、言ってる意味は分かるのだが、何故そのように判断したのかが分からないレイは、ニールセンの方に近付いていくマリーナを追う。
エレーナ、ヴィヘラ、アーラの三人も、当然のようにそんなレイを追う。
そしてマリーナが近付いてきた妖精は、ぎこちない動きで振り返り……そしてマリーナを見た瞬間、叫ぶ。
「世界樹の気配!?」
その言葉の意味を、レイは……そして他の面々もすぐに理解する。
何しろ、この場にいる中で世界樹と関係している者となると一人しかいないのだから。
そして、その一人がこの場に姿を現した瞬間にそのようなことを言うのだから、誰が来てニールセンの動きが止まったのかは、考えるまでもない。
(というか、妖精って世界樹と何か関係あるのか? いやまぁ、イメージ通りではあるけど)
あくまでもレイの中にあるイメージなのだが、その中では妖精と世界樹は関係があると言われても納得出来た。
そんなニールセンに向かい、マリーナが近付いていく。
「あ、あわわわわわわわ」
自分に近付いてくるマリーナの存在に気が付いたのだろう。
ニールセンが慌てた様子を見せるが……こうなってしまえば、今この状況で逃げ出すといったようなことは到底出来ない。
ニールセンもそう判断したのか、やがて覚悟を決めた視線で自分に近付いてくるマリーナを眺めていた。
緊張しているニールセンに対し、マリーナの口元に笑みが浮かんでいる。
「初めまして、私はマリーナよ。貴方の名前を聞かせて貰える?」
「ニールセンよ」
「そう。今日は私の家に遊びに来てくれてありがとう」
そう言った瞬間、ニールセンの視線はレイに向けられる。
マリーナの前にいるので、言葉を発することは出来なかったが……それでも、裏切ったな! という強い意思を感じさせる視線だ。
そんな視線を向けられたレイは、そっと視線を逸らす。
その行為そのものが、今回の一件を最初から知っていたということを示していた。
後で仕返ししてやる。
そう思ったニールセンだったが……そう思った瞬間、ニールセンの前に立つマリーナから受ける迫力が強くなった。
「っ!?」
そんな迫力……いや、圧力に息を呑んだニールセンだったが、それでもさすがと交渉役に選ばれた人材だけのことはあるのか、そのままマリーナの迫力に押されるだけではなく、何とか口を開く。
「世界樹の力をその身に宿しているということは、世界樹の巫女……でいいのかしら?」
「そうね。一応そう思って貰っても構わないわよ。それで、妖精達の件だけど……悪戯をするなとは言わないわ。けど、人の命に関わるような悪戯はしないで欲しいのよ。それと、レイ達は色々とやることがあるから、そっちもなしで。……どう?」
そんなマリーナの提案……いや、実質的には命令に対し、ニールセンは何と答えるべきか迷う。
これがニールセンだけの話であれば、その言葉にも素直に従っただろう。
だが、生憎と今回のマリーナの要望は、ニールセンだけではなくトレントの森にいる妖精全体に対してのものだ。
それに対して、ニールセンが迂闊に返事をする訳にはいかない。
もしここで適当に返事をしておきながら、それを破るようなことになったらどうなるか。
妖精というのは気紛れだ。
ここで約束して、トレントの森に戻って他の妖精に言っても、それを素直に聞くとは到底思えない。
そして、もしここで自分が約束してそれが破られた場合、どうなるか。
妖精にとって、世界樹という存在は大きな意味を持つ。
ましてや、マリーナは世界樹の巫女なのだ。
そうなると、間違いなく面倒なことになるのは分かっている。
そんな状況で、素直にマリーナの提案に頷ける訳がなかった。
「その、私だけでは判断出来ないわ。そこまで大きなことになると、それこそ長に相談しないと」
結局自分の判断だけではどうしようもないからと、そう告げる。
マリーナはそんなニールセンの様子に、若干面白くないものを感じつつ……それでも、こう言っている以上、今の自分が何を言っても意味はないだろうと、そう判断する。
「そう。じゃあ、明日トレントの森に戻ったら、長に話してちょうだい。……言っておくけど、それが受け入れられない場合、こっちも相応の態度をとることになるから、覚えておいてちょうだい。聞いた話だと転移能力があるみたいだけど……それで逃げられるとは思わないでね?」
ふふっ、と笑みを浮かべながらそう告げるマリーナだったが、その笑みには先程以上の迫力がある。
「わ、分かりました……」
その証拠に、ニールセンも上位者に対するような言葉遣いで返事をしたのだから。
そんなニールセンを、マリーナは無言でじっと見る。
マリーナが無言なだけに、余計に周囲の緊張感が高まっていき……やがてマリーナがようやく口を開く。
「じゃあ、お願いね。ただ、もし聞いて貰えなかったりしたら、私がトレントの森まで直接行くことになると思うけど、よろしくね」
それは半ば脅迫と言うのでは?
マリーナとニールセンのやり取りを見ていた者のレイ達が、そろってそんな風に思う。
とはいえ、今のマリーナにそんなことを言えるような者はいなかったが。
もし今ここで何か言った場合、ニールセンに向けられている圧力が自分に向けられるかもしれないと、そう思ったのだ。
……そして実際、それは間違っていないようにレイには思えた。
「さて、じゃあニールセンの相手はマリーナに任せておくとして……俺達は少し早いけど夕食の準備でも始めるか。いつもはマリーナに頼ってるんだし、たまには俺達だけでやった方がいいんだよな」
そう言いつつ、レイはマジックアイテムの窯を取り出す。
この窯で焼けば、大抵は美味くなるという非常に重要なマジックアイテムだ。
そんなレイを見て、他の面々もそれぞれ行動を開始し……ニールセンだけが視線で助けを求めていたが、レイはそれをスルーしたのだった。