2462話
「無事到着……そして、ニールセンは起きなかった、か。いや、助かったけど本当にそれでいいのか?」
アンテルムとの一件も無事――という表現は相応しくないのかもしれないが――に終わり、レイはマリーナの家の前に到着していた。
アンテルムと戦闘になってもおかしくはなく、実際に殺気や闘気といった気配が周囲に放たれていたのだが……そんな状況であっても、レイのドラゴンローブの中で眠っているニールセンは、全く起きる様子がなかった。
幻と呼ばれる程に人にみつかりにくい妖精なのに、そんなに緊張感がなくていいのか?
そうレイは思うのだが、実際に満腹な状態で眠っていたニールセンは全く起きることもなかった。
それを思えば、妖精としてやっていけるのかといった思いがない訳でもなかったのだが、妖精の場合はもし捕まっても妖精の輪を使って転移が出来る。
それを考えれば、ニールセンのこの態度も理解出来ない訳ではなかったのだが。
「グルルゥ?」
どうしたの? 中に入らないの? そう喉を鳴らすセトを撫で、レイはマリーナの家の敷地に入っていく。
ニールセンを連れている状態で精霊がどう判断するのか。
そんな緊張が若干レイの中にはあったのだが、幸いにして特に問題なく入ることが出来た。
「ふぅ」
精霊によってニールセンが敵判定を受けなかったことに安堵しながら、レイは中庭に向かう。
普通なら家の中に行くのだが、中庭に向かうのは……ある意味で習慣といったものだ。
勿論眠る時は普通に家の中で寝ているのだが、寛ぐ時は居間ではなく中庭でとなっていた。
マリーナの精霊魔法によって、雨が降ろうが強風が吹こうが、この家の敷地内であれば全く問題なく快適にすごせるから、というのが大きいだろう。
それでも普通なら建物の中ですごすのだろうが……中庭でそのようにしてすごすのは、やはりセトの存在があった。
体長三mのセトだけに、家の中に入ってゆっくりするといったことは出来ない。
セトも自分達の仲間だと認めているからこそ……そしてセトがレイを大好きだと知っているからこそ、中庭で皆がすごすことは多くなっていた。
「レイ?」
予想通り中庭にあるテーブルでアーラの淹れた紅茶を飲んでいたエレーナは、この時間にレイが戻ってきたことに驚く。
とはいえ、エレーナとしてはいつもより早くレイに会えたのだ。
恋する乙女として、それを喜びはしても嫌がる筈もない。
「随分と早かったようだが?」
「ああ。ニールセン……妖精を連れてきた」
「よく無事に連れてくることが出来たな。ニールセンのことだから、嫌がるかとも思っていたのだが」
エレーナも、当然のようにレイがマリーナに妖精を連れて来るように言われていたのは聞いていた。
だが、それでも相手は妖精だ。
そう簡単に連れてくることは出来ないと、そう思っていたのだろう。
にも関わらず、こうしてあっさりと連れて来た辺り、ある意味でレイの実力を見誤っていたといったところか。
とはいえ、それはエレーナにとっても喜ぶべきことだ。
エレーナもまた妖精に対しては憧れのようなものがあり、昨日の一件の後でもそれは消えていないのだから。
嬉しそうなエレーナの様子を見れば、レイもその期待は分かる。分かるのだが……妖精の可憐さはともかく、その悪戯についても知っている以上はエレーナの様子を素直に喜ぶことは出来ない。
(いや、でもまぁ……ニールセンだっただけ、まだいいか)
ニールセンも妖精で悪戯好きであるのは間違いないが、それでも長に交渉の全権を任されるだけあってか、大人な対応はある程度出来る。
少なくても、ここで悪戯をしてレイ達の機嫌を損ねるといったような真似はしないだろう。
「レイ、それで妖精は? ニールセンだったか?」
「ああ。さっき昼食食べて満腹になったからか、今は寝てる。……出すか」
これがマリーナの家の敷地の外であれば、ドラゴンローブからニールセンを出せば、真夏の暑さによりニールセンはすぐに目覚めただろう。
だが、精霊によってすごしやすくなっているこの中庭なら、ニールセンをドラゴンローブの外に出しても問題はない筈だった。
「そうか。眠っているのなら、起こさないようにな」
レイの言葉にそう返すエレーナだったが、その目は言葉とは裏腹に強い期待が込められていた。
そんなエレーナの後ろでは、アーラもまた同様に楽しそうな様子で妖精の登場を待っている。
アーラもエレーナと同様に妖精には強い興味を抱いていたのだろう。
中庭の中でイエロと一緒に遊んでいるセトを一瞥してから、レイはドラゴンローブの中に手を入れる。
そして、そっとニールセンを取り出す。
「おお」
眠ってるニールセンの様子に、エレーナの口から感嘆の声が漏れる。
エレーナにしてみれば、レイの掌の上にいるニールセンは可憐な妖精そのものに見えたのだろう。
実際、ニールセンは妖精なのだから、その感想は間違っていないのだが。
一応昨日も会っている以上、レイにしてみれば何故今日もそこまで喜んでいるのかは分からなかったが。
「起きている時とは違い、眠っているとお伽噺で聞いた以上ですね」
アーラもまた、眠っているニールセンを見てそう呟く。
レイはそんな二人に言いたいことがあったが……今の眠っているニールセンを見ただけでは、その言葉は決して間違っていないのだ。
可憐という表情が相応しいニールセンの寝顔。
(俺は何も言わない方がいいか。昨日ニールセンに会ってるんだから、そこまでショックを受けるといったことは、まずないだろうし。やっぱり、妖精ってだけで女にとっては憧れる対象なんだろうな)
ある意味逃げではあったのだが、実際に今ここでニールセンがどんな性格をしているのかといったことを改めて思い出させても、今の二人の様子を見た限りでは受け入れられないと思える。
「テーブルの上で寝かせておくか。もしかしたら紅茶の匂いで起きるかもしれないけど」
「あ、レイ殿。少し待って下さい」
レイがテーブルの上にニールセンを置こうとすると、アーラの口からそんな言葉が漏れる。
一体何だ? と思ったレイだったが、アーラは一端家の中に入ると、すぐに出て来た。
アーラが持っているのは、布。
テーブルの上に直接置くのではなく、その布の上で眠らせればと、そう考えたのだろう。
ニールセンの正体を知っているレイにして見れば、そこまでする必要があるのか? といった思いもあったのだが、だからといってアーラがそうするのをわざわざ断るといったようなつもりもない。
素直にテーブルの上に布が敷かれるのを待ち、その上にニールセンを眠らせる。
レイの手から自由になったニールセンは、ドラゴンローブの中という、快適ではあるが狭い場所から解放された為か、どこかリラックスしているようにも思えた。
そんなニールセンを眺めていたレイは、エレーナとアーラの二人もまたテーブルの上で眠っているニールセンを見て、笑みを浮かべているのに気が付く。
(この笑み、ニールセンが起きてからも続くか? いやまぁ、ニールセンの性格を思い出せば、多分難しいとは思うんだが)
そう思いつつ、レイはテーブルの上にある果実を手に取り、口に運ぶ。
ブルーベリーのような小さな実は、紅茶に合わせているのか酸味が強い。
勿論しっかりと甘みもあり、レイの舌を楽しませる。
「ん? 何この匂い……」
レイが果実を食べていると、布の上で眠っていたニールセンがそんな風に呟き、身体を起こす。
(さっきあれだけ腹一杯になるまで食べたってのに、食べ物の匂いで目が覚めるとは……甘い物は別腹って奴か?)
そんな風に思いながら、レイは持っていた果実をニールセンの方に近づける。
「甘酸っぱい香り……はぐ」
レイにとっては小さめの果実でも、掌程の大きさのニールセンにしてみれば、十分な大きさだ。
そんな果実に口を思い切り開いて噛みつくニールセン。
一見すると可憐な容姿なのだが、そんなのは知ったことかと言わんばかりの大口で果実を食べていく。
そんなニールセンを見ていたレイだったが、ふとエレーナとアーラに視線を向ける。
するとそこには、微妙な表情を浮かべている二人の姿が。
エレーナやアーラにしてみれば、妖精なのだからもっと上品に果実を食べるのでは? と思っていたのだろう。
実際には妖精だからといって、そんなことはないのは、昨日の領主の館の一件で十分に分かっている筈なのだが。
そうして自分をじっと見ているエレーナとアーラの姿に気が付いたのだろう。
ニールセンにも恥ずかしいという感情はあるのか、少しだけ頬を赤くしながら口を開く。
「あまり、食べてるところを見られるのは好きじゃないんだけど。……昨日ぶりね」
「うむ。ニールセンも元気なようで何よりだ。ただ、出来れば妖精らしく、もっと優雅に食べて欲しかったのだが」
「あのね、エレーナが私達にどんな幻想を抱いているのかは、分からないわ。けど、私達はあくまでも生きてるのよ? そして生きてる以上はしっかりと食事もするの。……まぁ、そういう風に思われているのは悪い気分じゃないけど」
ニールセンも、自分がエレーナやアーラの想像していたような妖精ではないからといって不満を持たれても困る。
同時に、妖精という種族を好意的に思って貰ったというのは、決して嬉しくない訳ではなかった。
……例えその妖精が、モンスターの死体を頭上から落とすような真似をするような存在でも。
「エレーナとアーラの件はともかく、ここが今日ニールセンの泊まる場所だ。……どうだ? 特に問題もないと思うけど」
レイの言葉に、ニールセンはエレーナやアーラとの話を止めると、周囲の様子を見る。
羽根を羽ばたかせながらある程度の高さまで上昇すると、周囲の様子を興味深そうに眺めていた。
「へぇ……いい所ね」
「だろ? この家みたいに快適な場所は、そう多くはないぞ。いやまぁ、マジックアイテムを使いまくれば同じような環境になるかもしれないけど」
「マリーナの凄いところは、本来ならそれ程にマジックアイテムが必要なことを、自分の能力だけで出来るということだ。……とはいえ、マリーナ程の才能や能力を持つ者など、非常に稀な存在だ。だからこそ、マジックアイテムが発展したという一面もあるのだろうが」
「必要は発明の母って聞いたことがあるな。……そんな感じか」
「まさに、そのような感じだ。もっとも、マジックアイテムは基本的に高価なのが問題だが」
基本的に、マジックアイテムというのは手作りの物が大半だ。
それだけに、製造するとなるとどうしても値段が高くなってしまう。
……中には、それこそ完成するまで数年、場合によっては十数年も時間が必要なマジックアイテムもある。
レイの持つマジックアイテムだと、マジックテントなどがそうだろう。
一般的に考えれば、黄昏の槍もその手のマジックアイテムなのだが……黄昏の槍を生み出す為の素材やベースとなった魔剣を持っていた為に、そこまで時間が掛からなかったが。
もし一から黄昏の槍を作ろうとした場合、その素材を集めるのに一体どれだけの時間が掛かることか。
そうして長い時間を使ってマジックアイテムを生み出すというのは、ある意味で妖精達のマジックアイテムと似ているだろう。
ましてや、マジックテントや黄昏の槍は非常に便利であったり、強力なマジックアイテムなのだから。
「マジックアイテムか。……ニールセン、そっちはどうなってるんだ? やっぱり難しいのか?」
ダスカーは、出来れば妖精の作るマジックアイテムを購入したいと、そう希望している。
だが、今のところその交渉については難航中だった。
それはダスカーとニールセンの交渉を見ていたレイも分かっていたのだが、それでも出来ればマジックアイテムを売って欲しいという思いがレイにあるのは、レイもマジックアイテムを集める趣味があるからだろう。
「難しいでしょうね。元々私達はそこまでマジックアイテムを作るのが得意な訳じゃ……っ!?」
中庭の様子を見ていたニールセンは、レイの言葉にそう返し、慌てて口を押さえる。
だが……その動きが、今のニールセンの言葉が真実であったと、見ていた者達に教えてしまう。
「……ニールセン?」
「いえ、何でもないわ。ええ、何でもないのよ」
レイの言葉に誤魔化そうとするニールセンだったが、だからこそ余計に先程の一言が真実であると、そう態度で示していた。
ニールセンも、やがてそれを理解したのだろう。恐る恐る……といったように、口を開く。
「その、あくまでも妖精の中ではってだけで、マジックアイテムは普通に作れるのよ?」
その言葉にレイが疑惑の視線を向けてしまったのは、仕方のないことなのだろう。