2461話
レイにとって、セトを狙うと言っている相手を見逃すといった考えはない。
だが同時に、現在レイのドラゴンローブの中にいる妖精のニールセンを相手に見つけられる訳にはいかなかった。
そうなると、現在は満腹になって寝ているニールセンを起こさないようにしながら、視線の先にいる人物……セトを自分の物にすると言っている相手に対処する必要がある。
今の状況でそれをどうにかするには、間違いなく矛盾した状況となっていた。
(どうする? あいつをこのまま放っておけば、絶対に面倒なことになる)
今までの経験から、それは間違いないと断言出来た。
これまで色々な相手からミスティリングや黄昏の槍、セト……といった諸々を奪おうと、もしくはそこまで乱暴ではなくても売って欲しいと言ってくる相手はいた。
そのような相手と接してきたからこそ、レイはこの場であの男を見逃せば後々問題になると、理解出来たのだ。
(どうする? ……ニールセンが厄介だな。誰かいれば、そっちに……いや、無理か)
ここに自分の仲間の誰かがいれば、そっちに預けるといった真似も出来るのでは? と思ったレイだったが、すぐにそれを却下する。
ニールセンは、あくまでもドラゴンローブの機能である、簡易エアコン的な機能によって、快適にすごせるといった能力によって、真夏の午後という時間にも関わらず気持ちよく眠っているのだ。
今この状態でニールセンをドラゴンローブから取り出すような真似をすれば、照りつける太陽の光と周囲の気温によって、ニールセンはすぐに目覚めるだろう。
そして何故ドラゴンローブから出したのかと、不満を口にするのは間違いない。
そして不満を口にしたとなれば、当然の話だが現在レイの前にいる男達もそんな声を聞き、誰の声なのかを確認するだろう。
……最終的に妖精が見つかってしまえば、それこそ現在ダスカーが必死に隠している妖精の件が一気に広がってしまう。
それは少なくてもレイが望む展開ではない。
(となると、どうするべきか)
完全に膠着状態になってしまう。
現状を無理矢理にでも動かすとすれば、それはレイがニールセンの一件が知られる可能性が高い上で、ドラゴンローブに匿ったまま戦うか、後々必ず面倒なことになると理解した上で男を見逃すか。もしくは……
「おい、そこで何をしている!」
第三の手段がないかと考えていたレイだったが、不意にそんな声が周囲に響く。
声のした方に視線を向けたレイが見たのは、自分でも向かい合っている男でもない、別の貴族が雇っているのだろう冒険者達がやってくる様子だった。
とはいえ、これは当然のことだ。
ここは貴族街で、その貴族街において険悪な様子……いや、それこそただの喧嘩ではなく殺し合いになってもおかしくないような雰囲気を放っていたのだから。
貴族街の見回りをしている冒険者達が、それを察して止めに来るのは当然だろう。
(取りあえずこれで何とかなったか)
そんな冒険者の様子を見て安堵したレイだったが……
「黙れ、貴様等如きがこの俺に指図する気か?」
男のその反応に、レイは驚く。
この状況でそのような真似をすれば、当然だが問題になる。
後々自分の雇い主に対しても大きな被害となる可能性が高い。
そんな状況で一体何故そのような真似をするのか。
一瞬そう思ったレイだったが、今までの男の言動を考えてみれば、そうおかしな話ではない。
(普通なら、冒険者として活動していく上で貴族としての驕りとか、そういうのは消えるんだけどな)
正確にいえば、そのような驕りを消すことが出来ない冒険者は死ぬ可能性が高い。
当然だろう。誰がそのような人物と一緒に行動したいと思うか。
利用しようとしている者であったり、それ以外でも何らかの特殊な理由でもない限り、そのような者はパーティを組むことすら難しい。
だからこそ、そのような者達は自然に淘汰されることが多いのだが……たまに、本当にたまにだが、運や実力が並外れている者の中にはレイの視線の先にいるように生き残る者もいる。
「何だと? ……おい、お前達。確かゾルゲラ伯爵家に雇われている者だったな? この一件は抗議させて貰う。そのつもりでいろ」
「ちょっ!」
その言葉に動揺したのは、セトを欲していた男ではなく、その男と一緒にいた他の冒険者達だ。
当然だろう。この男達はレイのことを知っており、揉めるつもりは全くなかった。
そんな中で一緒に行動している男だけがレイに突っかかっていたのだ。
それを本気で止めるといったような真似はしなかったが、そもそも本気で止めても自分達の言葉を聞くとは、短い時間一緒に行動しただけであっても思えなかった。
だからそこまで本気で止めようとはせず、もし男がレイと揉めるような真似をしても自分は関わらないと決めていたのだが……そこで今のこの状況を雇い主に知らされ、それによって自分の評価が悪くなるというのは絶対に許容出来なかった。
「俺達は何も関係ねえぞ! 争っていたのはこの二人だけだ! なぁ!?」
男が慌てて周囲の仲間に声を掛けると、その男達も自分が今回の一件に巻き込まれて評価が下がるのはごめんだと、慌てて同意する。
「そうだ! 俺達は悪くねえ! そいつが勝手にレイに喧嘩を売ったんだ!」
「そもそも、そいつはギルドで依頼を受けたわけじゃなくて、ゾルゲラ伯爵家からの個人依頼でここにいるんだ! そいつらと俺達を一緒にされたら困る!」
そんな風に叫ぶ声が周囲に響き、そうなるとこの場に割り込んで来た第三者の冒険者の視線が未だにセトを諦めた様子のない男に向けられる。
「お前さんの仲間はこう言ってるが、その辺はどうなんだ? ……言っておくが、お前の行動は目に余る。もしこれ以上何か問題を起こすようなら、危険分子としてこちらも相応の対処をさせて貰う」
宣言した男は武器を構え、他の冒険者達も同様に武器を構える。
それを見た男は、苛立たしげな視線をそちらに向け……やがて大きく息を吐く。
「お前、名前は?」
そうして名前を尋ねたのはレイ。
レイとしても、出来れば視線の先にいるような相手とは関わり合いたくはなかった。
だが、あの男の様子から、間違いなく自分に絡んでくるのは間違いないと思われる。
そうである以上、レイとしては何か面倒なことになった時、すぐ対処出来るように相手の名前を知っておきたい。
勿論、関わらないならそれに越したことはないのだが。
「アンテルム・サーライナだ。知っておくがいい」
アンテルム・サーライナ、か。
一応マリーナ辺りに話を聞いてみた方がいいか?
冒険者なら元ギルドマスターのマリーナが情報を……いや、貴族出身ってことは、マリーナではなくエレーナから話を聞いた方が情報を入手出来そうな気がする。
そんな風に思いながら、レイは口を開く。
「俺はレイだ」
「……ふんっ、名字も持たないのか。俺と会話出来たことを嬉しく思うのだな」
「面倒な相手と会ったってことで、嫌な思いをしてるのは間違いないがな」
その言葉がアンテルムには面白くなかったのか、レイを睨み付ける。
「覚えておけ」
それでもこの状況でこれ以上揉めるのは不味いと判断したのか、それだけを言うとその場から立ち去る。
アンテルムと一緒にいた者達も、このままここに残るのは危険だと判断したのか、その後を追う。
このままここに残っていれば、今の一件で自分達が責められると、そう思ったのだろう。
実際、アンテルムと一緒のパーティという訳ではないのだろうが、それでも一緒に行動している以上、どうしてもアンテルムの行動はそちらに影響が出てもおかしくはない。
そんなアンテルム達の後ろ姿を見送っていたレイに、先程割り込んで来た……そしてある意味でレイを助けてくれた冒険者の男が話し掛けてくる。
「面倒な奴に絡まれたな」
「ああ。……正直、俺のことを知らない奴がこの貴族街にいるとは思わなかった」
「レイは暫くギルムにいなかっただろ? その間に来た奴だよ。それも、ギルドの依頼じゃなくて、個人依頼で」
「そう言えば、そんなことを言っていたな。……けど、個人依頼であっても、雇い主は俺のことを教えなかったのか? 自分で言うのもなんだけど、俺はギルムでは色々と特殊な存在だぞ?」
普通に考えれば、自分で自分のことを特殊な存在と表現するのは気恥ずかしいものがあってもおかしくはない。
だが……レイの場合はその言葉が決して間違っていなかった。
周辺諸国にまで深紅の異名は知れ渡っており、ギルムの領主ダスカーの懐刀と呼ばれているのだから。
前者はともかく、後者はダスカーからの依頼を受けて行動していたところ、自然とそのように呼ばれるようになったというだけで、レイ本人にとってダスカーは尊敬出来る人物であり、マジックテントをくれた太っ腹な依頼主という相手ではあっても、忠誠を誓うような相手ではないのだが。
ともあれ、ギルムにいる貴族であれば当然そんなダスカーのことは知っており、ダスカーの懐刀と思われているレイに手出しをするといったようなことはまず有り得ない。
だが……それでも、先程アンテルムはレイに向かって攻撃しようとしたのだ。
それは、とてもではないがこの場所で仕事をしている立場としては考えられない。
「元貴族らしいし、他人の話を聞いたりといったことはしないのかもな。ともあれ、向こうにはこっちから苦情を入れておく。……正確には俺じゃなくて雇い主の貴族様が、だけどな」
「分かった。ただ、それでも向こうが話を聞かないでちょっかいを出してきたら、こっちも相応の態度を取るぞ? ちなみに、アンテルムを雇っていた貴族……ゾルゲラ伯爵家だったか。その家の派閥はどこだ?」
「国王派だな」
「よりによって国王派か」
レイが面倒臭そうに息を吐く。
これが中立派の貴族であれば、ダスカーの治めるギルムでそのような真似をするとは思えないし、もしそのような真似をしても最悪ダスカーから口利きをして貰えば問題はない。
貴族派の貴族であれば、貴族派を率いているケレベル公爵の娘にして、貴族派の象徴とも呼ばれているエレーナがいるので、そちらから話を通して貰えばいい。
だが、それが国王派となると話は変わってくる。
国王派というのは、手を組んでいる中立派と貴族派の二つの派閥と対立している派閥だ。
一応、レイにも国王派の中に知り合いはいるのだが……それでも、ダスカーやエレーナといったような、親しい相手ではない。
そうである以上、国王派に話を通して貰うというのはまず不可能だった。
「まぁ、取りあえず気をつけろ。ああいう奴は、自分が何をしても許されると思ってるからな。……実際、聞いた話だとゾルゲラ伯爵家が雇っていた冒険者を模擬戦で徹底的に痛めつけたらしい。ランクA冒険者だけあって、腕は確かだ。……腕はな」
その言葉は、腕以外に問題があると言っているようなものだった。
実際、レイもアンテルムとのやり取りでその辺りの事は既に承知している。
「取りあえず、注意はしておくよ。襲ってきたら襲ってきたで、こっちも相応の対応をすればいいだけだし」
アンテルムはランクAである以上、ランクBのレイよりもランクは上だ。
だが、レイはランクBの中でも滅多にいない異名持ちなのに対し、アンテルムは異名を持っていない。
そう考えれば、レイとアンテルムの戦力は客観的に見た場合は互角に近い筈だった。
その上で、レイはアンテルムと正面から戦っても負けるつもりはない。
それこそ、ランクA冒険者にして雷神の斧の異名を持つエルクと正面から戦って勝っているし、レイは自分だけではなくセトといった仲間もいる。
アンテルムと戦って、負ける要素がなかった。
「そうしてくれ。ただし、戦うのなら貴族街で戦うなんて真似は止めてくれよ。色々と……本当に心の底から面倒な事になるから」
貴族街で戦いが起きれば……それもランクAと異名持ちの二人が戦うようなことになった場合、一体どれだけの被害が出るのか想像も出来ない。
特にレイは広範囲殲滅魔法を得意としているだけに、そんな魔法を貴族街で使われるようなことになったら洒落にならないと、そんな風に思うのは当然だろう。
レイもその辺りの事情は分かっているので、頷く。……ただし、若干不満そうに。
「それは分かったけど、幾ら何でもこんな場所でそんな大規模な魔法を使うと思うか? それくらいは、分かってると思うけどな」
そんなレイの言葉に、冒険者はそんなつもりはなかったと、あくまでも念の為に言ったことだと釈明するのだった。