2460話
「ふぅ、美味かったな」
「そうね。……ケプ」
店から出てレイが呟くと、ドラゴンローブの中でニールセンが同意する。
ただし、食いすぎたのか若干苦しそうだ。
掌程の大きさのニールセンだったが、最終的にはレイが予想していた以上の料理を食べた。
特にレイが提案して持ってきて貰ったうどんに果実や肉、野菜と炒めた料理を載せたものは、ニールセンにとっても美味かったのだろう。一人前を何とか食べきった。
質量的にニールセンの体重よりも多くの量を食べたのだが、それでも少し食べすぎたといった程度にしか、苦しそうにはしていない。
単純に食べた量ではレイが圧倒的に上だったが、身体の大きさの比率で考えれば、ニールセンの方が上だろう。
なお、当然だがニールセンはうどんも素手で食べたので、その身体はかなり汚れることになり、レイが水で濡らした布で拭くといったようなことになった。
何故自分がそこまで? とレイも思わないでもなかったのだが、ニールセンが隠れる場所がドラゴンローブの中である以上、もし汚れたままで放っておけば、それは結果的にドラゴンローブが汚れることになる。
それが嫌でそのような真似をしたのだが、レイにしてみれば面倒であるのは間違いなかった。
「取りあえず、食いすぎて吐くなんて真似はしないで、大人しく寝てろ」
「分かったわよー」
人間の作った料理……それも、その辺にいる者達が適当に作ったのではなく、本職の料理人が吟味した食材で技量を凝らして作ったのだ。
当然、その料理はニールセンを満足させるのに十分なものだった。
それだけニールセンは限界を超えて食い続けただけに、ドラゴンローブの中でそう返事をする声は気怠げだった。
腹が一杯になったので、今はもう眠りたいといったところだろう。
幸い、ドラゴンローブの中はマジックアイテムとしての効果で快適だ。
真夏の午後、直射日光を浴びている現在であっても、ニールセンが眠るのに丁度いい環境となっていた。
……それでも普通ならレイが歩いているのでドラゴンローブの中で寝るというは厳しい筈なのだが、ニールセンにとってそのくらいは何の問題もないのだろう。
そんな訳で、ニールセンをドラゴンローブの中で休憩させながら、レイは店の外の様子を見て……人が大勢集まっているところを見つける。
そうしてそちらに向かうと、その場所……セトを愛でていた者達がレイに場所を開ける。
セトのことが好きだからこそ、セトが誰を一番好きなのか理解しているのだ。
セトとレイが一緒にいるのを邪魔してセトを悲しませるような真似は、とてもではないが出来ない。
……そのように考える者が大半だったのは、双方にとって幸運だったのだろう。
もし自分がセトと遊ぶのが最優先であり、レイとセトが会わないようにするといった真似をしようとした場合、間違いなくセトによって排除されていたのだから。
何人にも撫でられ、もしくは抱きつかれているセトを見て……ふと、レイはそこにミレイヌの姿がないことに気が付く。
「あれ? ミレイヌはどうした? ここにいたと思うんだけど」
「あ、ミレイヌさんはその……スルニンさんが……」
セトの身体を撫でてうっとりとしていた女が、少しだけ気まずそうに言う。
女が最後まで言わずとも、スルニンの名前が出ただけでレイは何が起こったのかを理解する。
(やっぱり何かしらあったか)
スルニンのことを口にした時のミレイヌの態度から、何かしらやらかしたのだろうというのはレイも予想出来ていた。
それでも仕事が終わったという話はミレイヌの様子から本当だったのだろうと思ったので、特に突っ込まなかったのだが……スルニンの登場によってそれが嘘だった……もしくはまだ途中だったのに終わったと口にしたのだろうと、予想出来た。
とはいえ、他のパーティのことである以上はそれ以上突っ込むようなことはしない。
何よりもミレイヌのことだから、そう遠くないうちに何気ない様子でまたレイの前に――正確にはセトの前に――顔を出すのは間違いないだろうと、そう思えた。
「そうか、分かった。……じゃあ、悪いけど俺とセトはそろそろ行かないといけないから、遊ぶのはその辺にしておいてくれ。セト、行くぞ」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトは自分の周囲にいる相手に申し訳なさそうに喉を鳴らし、立ち上がる。
申し訳なさそうにしながら、それでもレイの側に行くのを止めない辺り、セトらしいのだろう。
「さて、じゃあ今のうちに家に帰るか。……エレーナ達もいるだろうし」
「グルゥ!」
イエロと会えるからか、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
そして、周囲にいた者達の何人かは、レイが口にしたエレーナというのが誰のことなのかを理解してしまう。
勿論、エレーナというのはそこまで珍しい名前ではない以上、ギルムにも同じ名前の持ち主は何人かいてもおかしくはない。
だが、レイが口にしたエレーナという名前が誰のことなのか……それは考えるまでもなく明らかだった。
つまり、エレーナ・ケレベル……姫将軍。
レイとエレーナの関係を知っている者であれば、ここで迂闊に手を出すといったような真似はまずしないだろう。
それが分からない者達も、周囲にいるそんな何人かの様子からレイに何かをするようなことはなく、そのまま行かせるのだった。
「さて、セトは……その様子だと、色々と食べさせて貰ったみたいだな」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
レイとニールセンが色々な料理を食べている間に、セトも楽しい時間をすごしたのだろう。
……もっとも、セトとしては出来ればレイと一緒にいたかったというのが正直なところなのだろうが。
「一応、あの店でもセト用に色々と作って貰ったから、マリーナの家に帰ったら食べてみるか?」
「グルゥ!」
色々とご馳走して貰ったセトだったが、そんなセトでもやはりレイが食べた美味い料理というのは自分も食べてみたいのだろう。
レイの言葉に、嬉しそうに喉を鳴らす。
(あ、そう言えばまだダーラウルフの魔石があったな。……ランク的にスキルの習得は難しいだろうけど、一応デザート的に後でセトに食べさせてみるか)
昨日は何だかんだとすっかり忘れていたが、未知のモンスターの魔石というのは、レイにとって非常に重要な品だ。
であれば、忘れないうちに出来るだけ早く新しいスキルを習得するか、それとも現状のスキルを強化するか……はたまた、全く何の意味もないか。
それを試してみる必要があった。
「レイ、どうだい? ちょっと寄っていかないか?」
そんな風に何人かの屋台の店主に声を掛けられるも、それらは適当にスルーする。
今は出来るだけ早くマリーナの家に帰りたいと、そう思っていた為だ。
(出来れば、ニールセンが眠っている間にマリーナの家に到着したいな。でないと、ニールセンが何か妙な真似をしないとも限らないし)
ニールセンは本能的に悪戯をする妖精だ。
ドラゴンローブの中にいる状態でも、何か妙な真似はしないとも限らなかった。
であれば、やはりここはそのニールセンが眠っている今のうちにマリーナの家に到着してしまえば、問題が起きなくなる可能性は高い。
マリーナの家でなら、もしニールセンが妙な真似をしても精霊がどうにかしてくれるといったような希望があったのも、事実だったが。
レイはセトと会話をしながら貴族街に入る。
当然だが、仕事を求めて多くの者が集まっている現状、貴族街の警備は厳しくなる。
冬になればギルムにいる者達もそれぞれ自分の故郷に戻るので、警備もそこまで厳しくないのだが……今は夏だ。
そうである以上、当然のように警備は厳しかった。
そんな中……
「おい、お前! 誰だ!」
貴族街の中を歩いていると、不意にそんな声を掛けられる。
「は?」
レイの口からそんな間の抜けた声が発せられたのは、ギルムの貴族街で働く者である以上、有名人である自分のことは当然知っていると思ったからだ。
特に貴族街で働くような者なら、当然だが仕事の前にその手の情報は自分で調べるといったような真似をするし、雇用主から情報を渡されたりもする。
特に後者は、自分の雇った冒険者が他の貴族の雇った冒険者……それも場合によっては、自分の家よりも爵位の高い貴族が雇った冒険者に喧嘩を売ったりといったようなことをした場合、最悪それが没落の原因にもなりかねない。
不幸中の幸いと言うべきか、ここはあくまでも辺境のギルムで、貴族の当主本人がやって来るといったことはないが……それでも、問題を起こした場合は最悪の結末を考える必要があった。
そんな中で、レイというギルムの中でも有名な相手に対して居丈高に声を掛けた者がいたのだから、レイがそれに驚くのは当然だろう。
そして驚いた者達は他にもいた。
「ちょっ、まっ、待って下さい! あの人はレイですよ、レイ! 前もって情報は渡したでしょう!?」
焦ったように叫ぶのは、レイに声を掛けてきた相手と一緒に行動していた男達だ。
一人が慌てて声を掛けた人物に説明しており、他の者はレイに対して謝罪の意味も込めて深々と頭を下げている。
ここでもしレイを怒らせようものなら、一体どうなるのかと恐怖心を抱いているのだろう。
何しろ、レイは敵対した相手には容赦しない。
下手をすれば手足の一本や二本折られる……いや、その程度で済めば寧ろ幸運だろう。
レイの象徴とも呼ぶべきデスサイズは、それこそ手足の一本や二本容易に切断出来るのだから。
「……何? あれが? なるほど。だからこそ、グリフォンを連れているのか。だが……あれは俺にこそ相応しい」
仲間からそんな言葉を聞いた男だったが、それでもセトが欲しいと呟く。
男にとって不幸だったのは、レイの五感が非常に鋭かったころだろう。
だからこそ、そんな男の言葉はレイの耳に聞こえてしまう。
そして……聞こえてしまえば、レイもそんな男の言動を許容出来る筈もない。
ピクリ、と。
男の言葉に笑みを浮かべるレイ。
ただし、その笑みは親しい相手に向ける笑みではなく、獲物を見つけた獰猛な肉食獣の如き印象を周囲に与える笑みだ。
そんなレイの笑みを見た冒険者達は、揃って数歩後退る。
貴族に雇われている冒険者だけに、その技量は高い。
レイの雰囲気を感じ、それに対応して反射的に動いてしまったのだろう。
最初にセトを欲しいと言った男も、突然変わったレイの雰囲気に驚き……それでも、他の冒険者達のように後退ったりといった真似はしない。
「ほう、この俺を相手にそこまでやる気を見せるとはな。褒めてやろう」
レイの雰囲気の変化に驚き、気圧されるものは感じているものの、だからといって退く様子はない。
それどころか、レイに負けないような獰猛な笑みを浮かべて口を開く。
「そのグリフォンを置いていけば、俺に対する無礼を許してやる。どうする? 言っておくが俺はランクA冒険者だ。また、伯爵家の次男でもある。そんな俺に逆らうつもりでいるのか?」
ランクA冒険者と言われて、レイも納得する。
自分と向き合いながら、それでも怯んだ様子を見せないのは、それだけの実力がある証だろう。
とはいえ、伯爵家の次男ともあろう者が何故冒険者をしているのかという疑問はあった。
……もっとも、貴族の三男、四男といった者達は成人したどこかの貴族に婿養子になるか、もしくは騎士になるか……そして冒険者になるかといったような道を選ぶ必要がある。
そんな中で、次男がそのような道を選ぶというのは非常に珍しい。
基本的に貴族の次男というのは、次期当主の長男に何かがあった時の予備といった扱いだ。
そんな次男が危険の大きな冒険者となり……ましてや、ランクAにまで駆け上がるというのはそれなりに珍しい。
非常にではなくそれなりというのは、貴族の場合は子供の頃から戦闘訓練を受けるといったことが珍しくない為だ。
その為、貴族が冒険者になった時はそれなりに高ランク冒険者になることは珍しくない。
とはいえ、冒険者は一対一で正々堂々と戦うといったような真似ばかりではない。
それこそ、一対多、多対一、多対多といったように様々な戦闘がある。
訓練で型どおりにしか動けない者、戦いに適応出来ない者は、すぐに死んでいく。
また、ランクCとBの間には簡単に超えることが出来ない壁がある。
そんな中で、ランクA冒険者に上り詰めた目の前の男は、間違いなく傑物と言ってもよかった。
とはいえ……だからといって、レイがセトを狙う相手をそう見逃す筈がないのだが。
「そうか……なら……」
そう言ったレイだったが、言葉を途中で止める。
男にとって不運だったのが、セトを欲しているのをレイに聞かれたことであれば、幸運だったのはレイのドラゴンローブの中にニールセンがいたことだろう。
妖精の件を他人に知られる訳にはいかない以上、レイは現在の状況でそう簡単に男と戦う訳にはいかなかった。