2459話
個室の中にあるテーブルには、様々な料理があった。
レイが注文した料理の数々だ。
幸いにも現在は昼のピークがすぎた時間なので、厨房でもレイの注文した大量の料理に対応出来た。
……幾つかは、材料が足りなくて希望する量はなかったが。
この辺が、ピークをすぎた……つまり、客が多くの料理を注文した後ということの欠点だろう。
レイにしてみれば、そのことが若干残念だったが、それでも多く料理が並んでいるを見れば、それなりに我慢出来た。
「ほら、そろそろ出て来てもいいぞ」
料理を運んできた店員が部屋を出ていったのを確認すると、レイはそう言ってドラゴンローブの中にいたニールセンを出す。
テーブルの上に立ったニールセンは、目の前に広がる料理の数々に歓声を上げる。
「きゃあああっ! 凄いわね、これ。人間って、本当に料理に関しては凄い才能を持ってるわ」
そう告げるニールセンの言葉が、お世辞でも何でもないのを示すように、目が光り輝いている。
テーブルの上にある料理の数は、ざっと十皿程。
それ以外にも微かにまだ温かいパンがあり、スープも置かれていた。
その上で皿に盛られている料理はどれもが数人分はあるくらにはたっぷりで、普通に考えればとてもではないがレイだけで食べきれる量ではい。
だが……それはあくまでも普通ならの話であり、レイであればこのくらいの量は食べようと思えば普通に食べられる。
また、もし食べきれなかった場合でも、レイにはミスティリングがあるので残すといったようなことはない。
「ねぇ、レイ。どれから食べるの?」
「そうだな。取りあえずは野菜からにするか。ほら」
そう言い、店員に何枚か用意して貰った皿の一枚にサラダを取る。
サラダではあるが、野菜だけではない。
カリカリに焼いたベーコンが、川魚を蒸したもの、夏に採れる珍しいキノコや、新鮮な野菜……それ以外にもギルムでは本来なら入手出来ないような香辛料が幾つか使われており、サラダはサラダでも立派な料理の一つだった。
(香辛料は……もしかして、緑人達が作った奴がもう出回ってるのか?)
ダスカーが緑人達を保護する理由として、香辛料の育成を考えていたのはレイも聞いて知っている。
植物を生長させる力を持つ緑人だけに、ダスカーに保護されてからそれなりの時間が経過している以上、もう香辛料の収穫が行われていてもおかしくはない。
もっとも、香辛料は収穫した後に干したり砕いたりといったようなことをする必要もあるので、収穫したからといってすぐに使える訳ではないのだが。
「美味しい……こっちの野菜も、森の中で食べるのとちょっと違うわね」
「まぁ、野生と育てた奴だと、やっぱり違うんだろうな」
そう言うレイだったが、日本にいた時のことを思い出して育てた奴だからといって美味いというのは必ずしも事実ではないと、そう理解する。
例えば、レイの家で栽培していたトマト。
十分に水や肥料を与えるよりも、少量の水や肥料を与えた方がトマトは生き抜く為にその実に栄養を……甘さを蓄え、結果として半野生といったトマトの方が美味い。
キノコでも、ナメコはレイの家で自家用に栽培していたものとスーパーで売っているものでは、大きく違う。スーパーで売っているナメコは、指先程の大きさの物が殆どだが、野生――正確には原木栽培という意味では野生ではないのだが――の物は大きなものになると掌くらいの大きさにもなる。
勿論、大抵は野生の物よりもきちんと栽培されているものの方が美味いのだが。
例えば、果実の類。
野生の果実は、そこまで甘くなかったりする。
だが、農家が栽培しているのは品種改良を重ねた結果、野生のものよりも甘かったり、種がなくなっていたりする。
そういう意味では、食べ物によってその辺りは大きく違うということなのだろう。
「ねぇ、レイ、次はそっちの料理をお願い」
「分かった。熱いから気をつけろよ」
次にニールセンが食べたいと言ったのは、蒸した肉に赤いソースの掛かった料理。
同じような料理は今までレイも何度か食べたことがあり、それなりに一般的な料理だ。
だが、同じ料理であっても料理人が違えばその味もまた変わる。
「美味いな、これ。ソースは甘酸っぱい果実を使ってて、ソースだけだと少し酸味が強すぎるけど、肉と一緒だとそれが肉の脂っぽさを消してくれる」
「美味しいわね……ねぇ、レイ。この料理もう少しちょうだい」
ニールセンにとってもこの料理は美味かったのか、もっと食べたいと主張される。
……レイとしては、自分が食べる分が少なくなるので、この料理はあまりニールセンに食べさせたくはなかったのだが。
「ニールセン、こっちの料理も美味いぞ。魚をチーズと一緒に焼いた奴だ。しかも川魚じゃなくて海の魚。……これ、かなり新鮮っぽいけど」
ギルムは海に接していない。
川はあるが、海の魚を塩漬けの類ではなく、生のままで新鮮なままで入手するとなると、マジックアイテムを使う必要があり、当然だがその分値段は上がる。
(あ、でも俺達にとってはそうだけど、妖精にしてみればそういうのは問題ないのか? ……そもそも、妖精が肉や魚を食べるって時点でイメージ的にちょっとおかしいけど)
レイの中にある妖精というのは、それこそ食べ物らしい食べ物を食べるといったイメージがなかった。
魔力があればそれで十分で、もし何か食べるとしても、それは果実や木の実といったもの。
もしくは、朝露を飲んだりといったもの。
……あくまでもそのようなイメージであって、実際にそうなのかどうかはまた別の話なのだが。
「どうしたの? 食べないなら、私が食べるわよ?」
少なくても、レイがイメージしていた妖精というのは、こうして嬉々として色々な料理を食べるといったものではなかった。
「つくづく、お前達妖精は俺の予想を裏切ってくれるな」
「何よ、急に?」
レイの言葉が意外だったのか、ニールセンは料理を味わいつつも疑問の視線を向けてくる。
それに対し、レイは何でもないと首を横に振ってから、自分もまた料理に手を伸ばす。
シンプルに肉と野菜を炒めた料理だが、不思議なくらいに野菜の食感が残っている。
(普通、炒めると野菜はしんなりとしたりするんだけどな)
日本にいた時、母親の作ってくれた野菜炒めを思い出すと、皿の中には汁があった。
だが、現在レイの目の前にある炒め物は、皿の中に汁はない。
……皿の中に汁が出るのは、炒める時に長時間炒めているというのが理由だ。
また、野菜を炒める前に油通しといったような真似をすればいいのだが……普通の家庭ではそのような真似はしない。少なくても、レイの母親はしていなかった。
その辺の技術をレイは知らなかったが、取りあえずこの店で出るような料理が美味いというのだけは理解出来た。
「レイ、それを私にも」
レイが美味そうに食べていた為だろう。ニールセンも、自分もその料理を食べたいと主張する。
レイはそんなニールセンの言葉に頷き、皿に取り分ける。
……なお、当然だがニールセンが使うような食器はないので、ニールセンは素手で料理を食べていた。
(妖精が使えるような、小さいスプーンやフォークとか用意した方がいいな。……もっとも、妖精は手で食べるのが普通だと言われれば、それに対処のしようがないけど)
一般的な妖精のイメージというのは、可憐だといったようなものが多い。
そんな可憐な筈の妖精が、手掴みで料理を食べるというのは……何も知らない者がこれを見れば、とてもではないが許容出来ないだろう。
(いや、手掴みだからといって野蛮だとはいう認識はおかしいのかもしれないけどな)
実際、レイが日本にいた時はスプーンやフォーク、箸といったものを使わずに手掴みで食事をする文化もあるのをTVで見たことがあった。
それも未開の部族といった者達ではなく、普通に高い文化を持つ国であってもだ。
「どうしたのよ?」
ニールセンが自分を見て疑問の表情を浮かべているレイに、そんな声を漏らす。
ニールセンにしてみれば、レイの行動の意味が理解出来なかったのだろう。
「いや、何でもない。それより、ここの店の料理は気に入ったみたいだな」
「ええ、どの料理も美味しいわ。……そっちのパンをちょうだい」
ニールセンの言葉に頷き、パンを千切る。
もう少し前……ちょうど昼にこの店にやって来たのなら、パンも焼きたてでもっと美味かったのだろう。
だが、今はもう昼すぎである以上パンは大分冷めているし、香ばしい香りも……ない訳ではないが、それでもかなり少なくなっている。
そんなパンだったが、それでも少し高い店で出しているだけあって、ニールセンは心の底から美味そうに食べていた。
「これ、美味しいわね。外側は香ばしくて、中は柔らかくて」
身体全体で掌程の大きさのニールセンだ。当然顔は小さく、レイが千切ったパンの中に顔全体で突っ込むような形でパンを食べていた。
そんなニールセンの様子は、取り分けた料理を手掴みで食べるよりはまだ妖精らしい。
「そうか。なら、好きなだけ食べろ。料金はまだ昨日の分があるし」
昨日ニールセンが買い物をした時に使った金は、ダスカーから預かったものだ。
結構な量を購入したニールセンだったが、それでもまだかなりの金額が残っていた。
その金額を考えれば、この店で結構な量を頼んでもまだ余裕がある。
ましてや……妖精のニールセンは、その身体の小ささ故に食べられる量は決して多くはない。
正直なところ、この料理の大半はレイの腹に消えるだろう。
誰もがレイのように大食いな訳ではないのだから。
「へぇ……この料理、甘みが強いからどうかと思ったけど、いいな」
そうレイが言ったのは、こちらもまた炒め物。
ただし、具材の中には甘い果実が含まれている。
普通に食べても甘みの強い果実で、デザートやおやつとして食べられることが多い。
それを辛みの強い香辛料とやオーク肉でも脂身の少ない部位、それにクルミに似た木の実と一緒に炒めることで、その甘みは不思議と食欲を刺激する味に変わっていた。
「うどんとかの上に掛けると、結構美味そうだけど。さすがにうどんはないか。……いや、頼めばあるか? ニールセン、少しテーブルの下に隠れてろ。上手くいけば、もっと美味い料理を食べられるかもしれないぞ。……ただし、見つかれば大騒ぎになるけど。どうする? 自信がないなら、美味い料理を諦めてもいいけど」
レイとしては、この店にこのような料理があるというのは分かったのだ。
であれば、別に今日食べなくてもまたこの店に来て食べればいい。
そんなレイと違い、ニールセンは妖精である以上、そう簡単にこの店に来るような真似は出来ない。
いや、無茶をすればこの店に来ることも出来るだろうが、そうなれば騒動になって料理を食べるどころではないだろう。
ニールセンもそれは分かっているのか……いや、それとも単純に自分が隠れていて見つからなければ美味い料理を食べられるのかもしれないと知り、パンを持ったままテーブルの下に隠れる。
「いいわよ」
ニールセンの単純な様子に、それでもレイは今日ここで食べられると笑みを浮かべ……部屋の中にある鈴を鳴らす。
すると一分も経たないうちに店員が姿を現した。
「失礼します。何かご用でしょうか?」
「ああ、うどんを頼めるか? ただし、少し固めに茹でて、それを水洗いしてぬめりを取ってから、またお湯に潜らせた、うどんの麺だけだ。スープとかそういうのはいらない」
「何人分でしょうか?」
「そうだな。……この料理を見ると、五人分くらいでいいか」
出来ればもっと食べたいレイだったが、それ以上の量となると、具が少なくてうどんだけが多くなってしまう。
勿論、レイが目を付けた以外の料理でも同じような真似は出来るのだが……そちらはそちらで、パンと一緒に食べた方が美味いと思えた。
「少々お待ち下さい」
一礼し、店員が去っていく。
それを見届けると、テーブルの下からニールセンが姿を現す。
「ふぅ。結構面白かったわね。……パンも美味しかったし。あ、そっちのパンをちょうだい。何か他のパンとちょっと違う」
ニールセンが次に欲しがったのは、ハムが練り込まれているパンだ。
そのパンは人気があったのか、他のパンより数が少ない。
「ほら」
パンを千切ってニールセンに渡し、レイもまたそのパンを口に運ぶ。
パンの甘さとハムの塩気が合わさり、いつまででも食べていられるような、そんな幸せな味。
その味を楽しみながら、レイはうどんが来るのを待つのだった。