2457話
「ようやくついた……」
領主の館が見えてきたことで、レイの口からはそんな声が漏れる。
ギルムに入ったニールセンは、昨日のように幾つもの店に寄っては色々と買って欲しいと言ってきたのだ。
……いや、昨日のようにではない。
昨日はニールセンにとっても初めてのギルムだった為か、ある程度遠慮していたようだったのだが、今日は二回目ということもあってか昨日よりも積極的に色々な店に寄りたいと、そう言ってきた。
ましてや、昨日はレイ以外にもエレーナやアーラがいたので、ニールセンはドラゴンローブに入ったままだったが、そちらに話し掛けたりといったようなこともしていた。
だが、今日はレイ一人……いや、正確にはレイとセトだけだ。
それだけに、昨日は三等分されていたニールセンの相手を今日はレイだけでやる必要があった。
更に悪いことに、エレーナとアーラがおらず、レイとセトだけというのも影響してか、セトを愛でたい者達の多くが集まってきた。
仕事中だからということで、何とか納得して貰ったのだが……その最中にもニールセンが何かやらかさないかと、レイは注意する必要があったのだ。
「何よ、もうついたの? もう少し遊びたかったのに」
「……昨日はドラゴンローブに入れた瞬間に眠ったのに、何で今日はそんなに元気なんだ?」
呆れたように言うレイだったが、妖精の性格を思えばそのようになってもおかしくはなかった。
気まぐれというのは妖精の最大の特徴なのだから。
「取り合えず大人しくしてろよ。お前の正体が知られたら、大きな騒動になる。そうなればダスカー様だってお前のことを庇うような真似も出来ないし、何よりもお前達がいる場所に人が集まる可能性もあるぞ」
「そうなったら、悪戯し放題で面白いでしょうね」
「……代わりに、お前達は狩られるけどな」
妖精というのは、実在するのは知られているが、半ばお伽噺の存在だ。
そんな妖精が確実にいるとなれば、当然だが多くの者がその住処となっているトレントの森に集まる筈だった。
あるいはギルムが普通の街であれば、妖精も一方的に悪戯をするだけで自分達の心配はしなくてもいいだろう。
だが、ここはギルムだ。
今は増築工事の仕事を求めて多くの冒険者がやってきているが、それでも以前からギルムにいた……辺境の中で生き残ってきた冒険者は相当な人数がいる。
そんな腕利きの冒険者であれば、妖精を捕らえるといったことは可能だろう。
(妖精の輪で転移出来るから、捕まってもすぐに逃げ出すだろうが。けど……それが、妖精にとっては致命的だ)
非常に希少な存在の妖精。
その妖精を捕らえても逃げられるとなれば、次に何を考えるか。
当然、生け捕りが無理なら殺して素材として利用することを考えるだろう。
あるいは、剥製か。
妖精の存在を思えば、その剥製を欲しいと思う者はそれこそ幾らでも存在する筈だった。
そして……最終的に、トレントの森にいる妖精は全滅するか、身の危険を察して逃げ出すか。
そんな未来しか待っていない。
そのような未来になるかどうかは、ニールセンの態度で決まるのだ。
「だから、取りあえず大人しくしてろよ」
そう告げ、一応だが大人しくなったニールセンをドラゴンローブに隠したまま、領主の館の門番に声を掛けるのだった。
「昨日に続き、よく来てくれた」
「しょうがないじゃない。それが仕事なんだもの。それに、ここに来れば色々と珍しい物を見たり聞いたり触ったり食べたり出来るから、そんなに嫌じゃないわよ」
「俺のギルムを褒めてくれているようで嬉しいよ。……それで、だ。昨日の件はどうなった?」
「昨日の件って悪戯とマジックアイテムのこと?」
「そうだ。俺達にも利益があれば、トレントの森にいても何も言わないでおいてやる。……いや、それどころかマジックアイテムを買うといった形で料金を支払ってもいい。ギルムは面白いだろう?」
ニールセンの様子から、ギルムに好印象を持っているのは理解したのだろう。
ダスカーはそう言いながら、ニールセンの返事を待つ。
だが、ニールセンはダスカーの言葉に迷う。
ダスカー達がマジックアイテムを欲していたのは、昨日の交渉の時点で聞いていた。
また、昨日持って帰った色々な物……ギルムで購入した物は、食べ物も合わせて自分以外の多くの妖精にも非常に好評だった。
それを考えれば、ギルムで買い物をする為の資金源というのは是非欲しいと思うのは当然だろう。
だが……問題なのは、妖精の作るマジックアイテムは一つ作るのにかなりの時間を必要とすることだ。
それこそ、ギルムにいる錬金術師であれば一つのマジックアイテムを作るような時間があっても、妖精がマジックアイテムを作るのには到底及ばない。
つまり、それだけ数が少ないのだ。
その分、性能は錬金術師が作るマジックアイテムよりも高いのだが。
だからこそ、ニールセンとしてはそう簡単にダスカーの言葉に頷くことが出来ない。
……同時に、ダスカーもまたニールセン達がトレントの森に棲み着くことをそう簡単に許可はできない。
悪戯によって多くの者が大なり小なり被害を受けている現状では、妖精という存在を許容するにはギルム側にも大きなメリットが必要なのだ。
(妖精の存在がここまで貴重じゃなければ、妖精を見世物……というか、妖精達のサーカス的な感じで金を儲けるといったような真似も出来るんだろうけどな。そうなれば、ギルムには観光客もかなり押し寄せてくるだろうし。……それはそれで今の状況ではありがたくないけど)
マジックアイテムに考え込んでいるニールセンを見て、レイは現在のギルムの状況……具体的には、宿の状況を考える。
増築工事の仕事を求めて来ている者達で、現在のギルムはほぼ全ての宿が全室埋まっている。
それだけでは宿が足りず、ギルムの住人の家で部屋に余裕のある者も宿として使っている……レイの認識でいえば、民泊に近い形をとっている家も多く、それでもまだ宿が足りずに増築工事の現場の近くには雑魚寝をするように簡単な小屋を建てたりもして、何とかしている状況だ。
そんな状況である以上、ここで更に妖精の存在を公表し……その上でサーカスのような真似をしたらどうなるか。
間違いなく、ギルムの許容出来る人数を超えてパンクする。
それこそ、妖精の為に一体どれだけの人数が来るのかを考えれば、ギルムの増築工事が終わった後であっても、パンクする可能性は高かった。
「うーん、お金が欲しいのは事実だけど、私達もそこまで大量にマジックアイテムを持っていないのよね。生活に必須の物もあるし、そうなると売れるのはもっと少なくなるわよ?」
そう告げるニールセンの言葉は、ダスカーにとっては不満の残るものだった。
ダスカーにしてみれば、ニールセン達が持っているマジックアイテムには、それだけ期待していたのだ。
何よりも……と、ダスカーの視線はレイに向けられる。
(レイがマジックアイテムを集めているという以上、報酬として使えるマジックアイテムがあるのは助かる)
妖精のマジックアイテムは、非常に大きな効果を持つ。
そんなマジックアイテムである以上、レイは間違いなく興味を持つというのがダスカーの予想だった。
マジックアイテムを集める趣味を持つレイだ。
妖精の作ったマジックアイテムに興味を惹かれない訳がない。
……もっとも、レイが集めているマジックアイテムはあくまでも実戦で使えるような物であって、観賞用といったものには興味がなかったのだが。
ダスカーもそれは知っているが、それでも妖精の作るマジックアイテムならと期待するのは当然だろう。
「そこを何とかしてくれると、こちらとしても助かるんだがな」
「無理なものは無理に決まってるでしょ。勿論さっきも言ったけど、一個か二個……それも簡単なものなら、ともかく」
そう告げるニールセンだったが、ダスカーとしてはそれでは許容出来ないのは間違いない。
とはいえ、ない物を売るようにと言っても無意味なのは理解している。
何より、ダスカーとしては妖精という存在は厄介な存在であると同時に、ギルムに大きな利益をもたらしてくれる者達でもあるのだ。
そう考えれば、ここで無理を言うといったような真似をしなくてもいいのではないか。
そんな風に思い、ダスカーは話題を変える。
「そう言えば、俺は妖精という種族のことはあまり知らないのだが、具体的にどのような種族だ?」
それはダスカーにとっては正直な疑問だった。
勿論、ダスカーもお伽噺に出て来るような妖精の事は知っている。
……いや、ダスカーの立場として、妖精を見たといった情報や、接触したことがあると主張する者の証言を目にしたこともある。
だが、それはあくまでも人伝の情報であり、当事者たる妖精達から聞いた訳ではない。
ダスカーが急にそのようなことを言い出したのは、昨日ニールセンと交渉した時に、悪戯は妖精の本能からくるものだと聞かされた為だ。
ダスカーも妖精が悪戯を好むというのは知っている。
お伽噺ではその辺りの話が取り上げられることもめずらしくないのだから。
ダスカーはそれを趣味からくるものだと思っており、妖精がその気になれば止められると、そう思っていたのだ。
しかし、それが本能から来るものだとすれば、止めようと思ってもそう簡単に止められるようなものではない。
(妖精の悪戯が本能からくるもの。……これを妖精の研究家に知らせれば、どうなる? 喜ぶか、それとも疑うか)
ダスカーはニールセンと会話を続けながら、そのように考える。
妖精は確実に存在するが、幻と言ってもいい種族だ。
だからこそ、そんな妖精を研究している者も少なくない。
妖精の研究者にしてみれば、妖精の悪戯が趣味ではなく本能からくるものというのは、非常に大きな発見だろう。
……最大の問題は、どうやってダスカーがその情報を入手したのかといったことを隠しながら、相手に信じさせるといったとことだろうが。
「なるほど。妖精は甘い食べ物が好きなのか」
「そうね。色々な妖精がいるけど、甘い食べ物を嫌いというのは……私は見たことがないわ」
「では、今日……いや、今日はレイの所に泊まるのだったか?」
わざとらしくなく、ダスカーがレイに尋ねる。
前もって打ち合わせしておいたということを、隠したかったのだろう。
だからこそ、わざわざこうしてレイに聞くような真似をしたのだ。
演技だけではなく、本当にニールセンから許可を貰ってマリーナの家に連れていくのか、といったこともあったが。
そうして話を続けること、一時間程。
ダスカーはもう少し話したかったようだったが、ギルムの領主である以上はやらなければならない仕事がある。
……寧ろ、大量の仕事がある状態でよくここまで時間を取れたことにレイは驚く。
「悪いが、仕事が残っている。……それと、結界の件はくれぐれも頼む」
「分かってるけど、私が言ったからって絶対にとは言えないわよ?」
この場合結界というのは、昨日地下空間から出て来た後で迷わされた結界の件だ。
セトがいたからこそ、あっさりと結界を破壊することが出来たが、もし樵だけであの結界の中にいた場合、脱出することはまず不可能だろう。
魔力を感じる能力を持つ者がいれば、もしかしたら脱出出来ていたかもしれないが。
ダスカーはその辺を問題視した。
増築工事を行っているギルムにおいて、建築資材となる木の伐採を行う樵は非常に重要な存在だ。
それだけに、結界の中に樵を閉じ込めるといった真似は許容出来ない。
「それに、妖精の中でも結界を使えるのは少ないし、それにもかなりの魔力を必要とするから、一度使ったら暫くは使えないと思うから安心して」
「……それで安心しろという方が無理なんだがな」
大きく溜息を吐くと、ダスカーはその場から立ち去る。
まだ色々とニールセンと話をしたかったのだが、今はまず仕事を片付ける必要があったからだ。
そうである以上、その辺りはニールセンに……そしてニールセンを自分の家に泊めるように言ってきたマリーナに任せるしかない。
実際にマリーナがニールセンを自分の家に泊めて、何をしようとしているのかは、ダスカーにも分からない。
だがそれでも小さい頃から一緒のマリーナのことは信頼している。
……とてもではないが、本人に言うような真似は出来なかったが。
「さて、それじゃあどうする? そろそろ外に出るか? いつまでもここにいる訳にもいかないし」
そう言いながら、レイは今日はグリムに会いに行って昨日の実験の結果を聞くのは無理だなと、少し残念に思うのだった。