2454話
最初に帰ってきたのは、レイの予想を外れてマリーナだった。
診療所での仕事が忙しく、街中の見回りをしているヴィヘラとビューネの方が先に帰ってくると予想していたレイだったが。
とはいえ、ヴィヘラとビューネもマリーナからそう遅れることなく帰ってきたので、それを思えばそこまで気にするようなことではないのかもしれないが。
「じゃあ……夕食にしましょうか。今日の夕食はエレーナが手伝ってくれたから美味しく出来てるわよ」
マリーナのその言葉に、エレーナは少しだけ照れ臭そうにする。
実際にはエレーナが料理の下準備をしているところでマリーナが帰ってきて、そこからは二人で料理をした……というのが正しい。
それだけに、料理で使われている肉や野菜、魚といった食材の中には大きさが不揃いなものもあれば、妙な形のものもある。
それでも、この場にいる者がそれに不満を言う様子はない。
そうして食事が始まり……それぞれが今日の出来事を報告する。
そんな報告の中で、やはり一番に驚かれたのはレイ達だ。
「もう妖精を見つけたの!?」
ヴィヘラの口から驚愕の声が出た。
他の者達も、当然のように驚いている。
……普段表情があまり変わらないビューネですら、見て分かる程に驚いているのだから、それを見れば一体どれだけ驚いてるのかが分かりやすいだろう。
とはいえ、昨日ダスカーに依頼をされてその翌日にはもう捕まえたのだ。
それを考えれば、ビューネまでもが驚くのは当然だった。
「ああ。もっとも、妖精の相手はかなり大変だったけどな。……なぁ?」
「うむ。悪戯好きで愛らしいと表現すればいいように聞こえるのだが……な」
エレーナのその言葉は、決して間違っていない。
実際に妖精の姿はかなり愛らしいし、悪戯好きというのも正しいのだから。
だが、その愛らしさはともかく、悪戯はとてもではないが可愛らしいものではない。
モンスターの死体を頭上から落としたり、結界を張ってそこから出られなくしたりといったように、洒落にならないものも多かった。
(あ、そう言えば魔石がまだだったな。夕食が終わった後で試してみるか。……多分何のスキルも覚えられないような気がするけど)
魔獣術は、基本的に高ランクモンスターの魔石の方が新しいスキルを習得したり、もしくはスキルがレベルアップしたりしやすい。
だからこそ、ランクDモンスターのダーラウルフの魔石では到底スキルを覚えられるとは思わなかったのだ。
(これで意外なことにスキルを習得出来たら、それはそれで面白いんだけどな)
サプライズ。
そんな言葉を思い浮かべるレイだったが、それだけにその可能性は低いだろうと思えた。
「レイ? どうした? その……何か好みではない料理があったか?」
普段の凛とした表情とは違い、恐る恐るといった様子でレイに尋ねるエレーナ。
レイの食べているスープの野菜を切ったのがエレーナだったので、心配になったのだろう。
「いや、どの料理も美味いと思うぞ」
「そうか」
短い一言だったが、それはエレーナにとって非常に嬉しい言葉だ。
自分の愛する男から、作った料理が美味いと言われたのだから。
「えっと、それで……妖精だったな。取りあえずダスカー様と妖精の間で交渉を行うことが決定した。ダスカー様としては妖精を取り込みたいらしいな。……その話も分からないではないが」
生産性は低いが、強力なマジックアイテムを作ることが出来る妖精だ。
それ以外にも、妖精の輪を使って転移するといった能力も持つ。
それでいて掌程の大きさということもあってか、相手の隙を突くにはかなり便利だ。
……もっとも、妖精を連れているというのを周囲に知られると、間違いなく騒動になるだろうが。
何よりも妖精の存在を公にしようものなら、それこそ王都から召喚状が届くような事態になってもおかしくはない。
(そう考えると、しみじみ大事だよな。……いや、ウィスプの一件からして問題か)
普通に考えれば、異世界から転移してきた湖やリザードマン達、生誕の塔、そして何より異世界に直接続く穴。
そのどれもが、王都に知られれば召喚状が来てもおかしくはない出来事なのだ。
「妖精かぁ……出来れば私も会ってみたいわね。明日はレイと一緒に行こうかしら」
世界樹の巫女というのも関係しているのか、それとも単純に知的好奇心からか、マリーナも妖精には興味津々といった様子だ。
レイとしては、そこまで興味を持つのならマリーナを明日トレントの森に連れていってもいいのではないかと思うのだが、そうなった場合は診療所の方で問題が起きてしまう。
特に今は夏真っ盛りで暑さから苛ついて喧嘩をしたり、作業の途中でミスをして怪我をしたり、熱中症になったりする者も多い。
そのような相手の対処をする為には、やはりマリーナという存在は必要なのだ。
いや、いなければいないで何とかする可能性もあったが、そうなれば間違いなく診療所は今以上に忙しくなってしまうだろう。
それが分かっているからこそ、レイもマリーナに診療所を休めといったようなことは言えない。
(とはいえ、妖精をここに連れてくるって真似は……出来れば避けたいしな)
マリーナが妖精を見たいだけなら、この家に妖精を連れてくるといった手段もない訳ではないのだ。
だがそのような真似をした場合、悪戯で一体どれだけの被害を受けるのか。
間違いなく、レイが考えているよりも大きな被害となるだろう。
レイはそれを分かっているだけに、ここに連れてくるといったような真似は考えれない。
(というか、悪意を持っていると判断して、精霊が入れさせなかったりするんじゃないか?)
精霊対妖精。
少しだけそんな戦いを見てみたいと思うレイだったが、それを口に出すと面倒なことになりそうな気がしたので、取りあえずスルーしておく。しておいたのだが……
「ねぇ、レイ。出来れば明日、妖精をここに連れて来てくれない?」
「……は?」
マリーナのその言葉に、レイは数秒動きを止める。
まさかそんなことを言われるとは、思ってもいなかった為だ。
それはレイだけではなく、今日妖精と直接会ったエレーナとアーラも同様だった。
一応妖精に会ったという点ではヴィヘラも会ってはいるのだが、ヴィヘラの場合は会った瞬間に即座に妖精が逃げ出したので、三人の様子に疑問を抱いている形だ。
「えーと……マリーナ、一応聞くけど……本気か?」
冗談であってくれ。
そんな思いで尋ねるレイだったが、マリーナはあさりと頷く。
「ええ、本気よ」
「……正気か?」
「あのね、何で正気かなんて聞くのよ?」
「本当にマリーナが正気かどうか分からなかったからだが? もし妖精をこの家に連れて来たら、一体どんな騒動になるか、俺は知らないぞ?」
それこそ、イエロは妖精にとって格好の悪戯相手と見なされる可能性が高い。
いや、イエロだけではなく、この家全体の問題にも……場合によっては、この家の近くにある別の貴族の家にも迷惑を掛ける可能性がある。
それを理解してるからこそ、今のこの状況でこの家に妖精を連れてくるといった真似は絶対に反対だった。
だが……レイのそんな言葉に、マリーナは何故か自信満々といった様子で口を開く。
「その辺は私に任せて貰えば何とかするわ。それに……今回の交渉についても、それなりに有利になる可能性があるわよ? 何なら、私がダスカーから許可を貰ってもいいけど」
「止めてやってくれ」
マリーナはダスカーが子供の頃から知っており、黒歴史とも呼ぶべきものを知っている。
勿論、ダスカーもただマリーナが自分の我が儘で妖精を家に連れていきたいと言えば、例えそれで自分の黒歴史が公表しようとも認めないだろう。
しかし、その行為によって妖精との交渉が有利に働くとなれば、ダスカーもマリーナを止める必要はない。
それどころか、自分の黒歴史が公表されず、妖精との交渉も有利に進むということでいいことづくめですらある。
……問題なのは、それにマリーナの力を借りる必要があるということだが、ギルムの利益になるのであれば、ダスカーもその程度のことは許容範囲だろう。
代わりに、ダスカーの胃に小さくないダメージを与えることになる可能性が高かったが。
自分も色々とぶん投げており、それがダスカーの胃にダメージを与えているという実感がある為に、レイはマリーナを止めたのだ。
「じゃあ、妖精を連れてきてくれる?」
「……取りあえず明日ダスカー様に聞いてみる」
マリーナと妖精を会わせるといったような真似をするのは、もう止められない。
そう判断し、せめてマリーナをダスカーに会わせないようにしようと、そう判断する。
……レイとしては精一杯の気遣いだが、ダスカーがそれを喜ぶかどうかは微妙なところだろう。
結局マリーナの力を借りて妖精との交渉を纏めようというのだから。
「へぇ、なら、明日は妖精を見ることが出来るのね。昨日は少ししか見ることが出来なかったから、楽しみだわ。ビューネも妖精には興味あるでしょう?」
「ん」
内臓と豆の煮物といった、子供よりも酒飲みが好みそうな料理を食べながら、ビューネはヴィヘラの言葉に頷く。
何気に可愛い物好きのビューネだけに、妖精にも興味を抱いたのだろう。
……実際、妖精は外見だけなら愛らしいのだ。
その内面や行動がその外見に見合わないだけで。
(とはいえ、ビューネには異世界の件で色々と迷惑を掛けたしな。そういう意味でも、ビューネが妖精に会いたいのなら、それを叶えるのもいいか)
ヴィヘラを異世界に連れて行った……いや、正確にはヴィヘラが自分の判断で異世界に行ったのだが、それはともかく。
ヴィヘラがいない間、他人と接することが苦手なビューネが苦労をしたのは間違いのない事実だ。
それも一日や二日といった短時間ではなく、何だかんだと結構な長期間。
それを思えば、レイもビューネに多少は報いてもいいのではないかと、そう思うのは当然だった。
「分かった。なら、明日そういう風に調整しよう。……ただし、ダスカー様が許可を出したらだぞ」
本来なら、ここで妖精……交渉担当のニールセンがマリーナの家にやって来るのを承知したらと言いたいレイだったが、ニールセンの性格を考えれば、間違いなく二つ返事で来ると言うだろうというのは予想出来た。
「ん!」
ヴィヘラ以外にも、ビューネが嬉しそうにしているのが理解出来た。
ビューネも妖精に会ってみたいと、レイ達の話を聞いてそう思っていたのだろう。
「ヴィヘラ達は今日どんな感じだった? ヴィヘラは久しぶりの依頼だったから、色々と疲れたんじゃないか?」
「そうね。前よりも喧嘩騒ぎが多くなってるような気がするわ。……これもやっぱり暑いからかしら」
そう告げるヴィヘラの服装は、向こう側が透けて見えるような薄着であるだけに、非常に涼しげだ。
そんなヴィヘラが暑いと言っても、聞いている方にしてみれば嫌みにしか聞こえないだろう。
もっとも、マリーナの家の敷地内は精霊魔法によって快適にすごせるように気温が整えられている。
ギルムにいる大半の者が、暑さを我慢して熱帯夜をすごしているのを思えば、マリーナの家で暮らしているレイ達は非常に羨ましい……いや、妬ましいだろう。
とはいえ、何気にギルムの中にはこの熱帯夜を快適にすごしている者も多いのだが。
例えば、マジックアイテムがふんだんに使われている夕暮れの小麦亭を始めとする高級な宿屋や、この貴族街にある屋敷、大きな商会を営んでいる者の家……といったように。
勿論、ダスカーが住んでいる領主の館もその一つだ。
……領主の館の場合は、ダスカーを含めた者達が快適にすごすといった理由もあるが、それ以上に他の貴族からの使者が来たりといったこともあるので、そのような者達に暑い思いをさせられないという理由もあるが。
「暑さか。……いっそ、ギルム全体をマジックアイテムで快適にすごせるようにすればいいんだけどな」
「それは無茶でしょ」
レイの言葉に、ヴィヘラがあっさりと断言する。
実際、もしそれが出来ればギルムにとっては非常に大きな利益となるのは間違いない。
だが、それはあくまでも出来ればの話だ。
もしそのようなマジックアイテムを作るのであれば、まず誰がそのマジックアイテムを作るか……そして何より、そのマジックアイテムを動かす為の魔石や魔力をどう用意するのかといった問題もある。
魔力という点なら、それこそレイの魔力があればどうとでもなるのだが……レイもいつまでもギルムにいる訳ではない。
そうである以上、レイが言ったようなマジックアイテムを作るのはまず不可能だった。