2453話
幸いにもと言うべきか、錬金術師達は夕方になったということもあってか、既に仕事を終えてほぼいなくなっており、残っているのは雑用を行う為の人員だけだった。
……レイとしては、そのような相手の方が他の錬金術師達のように面倒なことをしなくてもいい為、非常にありがたかったのだが。
何しろ、そのような者達は何か珍しい素材がないかとか、変わったマジックアイテムはないかといったように、言い寄ってくることはないのだから。
それこそ、レイとしては出来れば自分の担当はいつもそのような者達に行って欲しいというのが正直なところだった。
……とはいえ、今の状況を考えるとそんなことを言ってるような余裕はないのだが。
「さて、取りあえずこれで仕事は終わった訳だけど……どうする?」
「ダスカー殿に、妖精の件を知らせなくてもよいのか?」
「知らせた方がいいと思うけど……今はかなり忙しいんじゃないか? 夕方だし」
ただでさえダスカーは多数の書類を処理し、会いに来た相手と面談し、増築工事の進捗を聞き……といったように、複数の仕事をしている。
だがその仕事は、夕方になると更に忙しくなる。
何故なら、その日に起きた様々な報告が一気にダスカーの下に届く為だ。
その書類に目を通し、問題点があればそれに対処し……といったようなことを行う以上、今の時間にレイが会いに行っても、迷惑を掛けるだけだろう。
いや、重要な仕事を頼んでいるレイが会いに行き、更にはそのレイと一緒に姫将軍のエレーナまでいるのだ。
ダスカーとしては、そんな相手が尋ねてきたら会わない訳にはいかない。
しかし、そこまでして会っても報告出来ることはそう多くなかった。
妖精が結界を張って悪戯をしたといったような内容や、アナスタシアが地下空間で真面目に仕事をしており、ギルムに戻って来るのではなく生誕の塔で野営をするといったくらいか。
(あ、それと妖精の中にはテイマー……もしくはそれに似た能力を持っている奴がいるってことも説明した方がいいか?)
そう思うも、わざわざ忙しい中で無理に時間を取って貰って報告するといったような内容ではない。
それなら、明日の午前中……朝の忙しい時間が一段落したところで、報告に行った方がよかった。
(グリムが異世界間を固定するマジックアイテムを作ってる件や、ドラゴニアスの死体を向こうの世界で解体すれば素材とかが翌日には使えなくなってるって点は……いや、これはまだ言わない方がいいか)
グリムの存在は未だにダスカーには秘密にしている。
異世界の件も、レイの師匠がやったということになっているのだ。
そうである以上、ここで迂闊にその件を話すのは地雷を踏むことにもなりかねない。
(出来れば、忙しさにこのままスルーしてくれればいいんだけど……それは難しいだろうな)
ダスカーは領主として決して無能ではない。
いや、それどころかギルムをここまで上手く運営出来ているのだから、その領主としての技量は非常に高いと言ってもいいだろう。
そうである以上、いずれ異世界の件は話す必要があるというのがレイの予想だった。
(師匠云々じゃなくて、グリムの件も話した方がいいんだろうけど……それもまた難しいんだよな)
エレーナ達はレイの存在もあってか、グリムを受け入れた。
そうして受け入れたエレーナ達であっても、グリムという存在には強い畏怖を抱いているのだ。
……グリムの方は、エレーナ達をレイの嫁、つまり孫の嫁的な存在と認識しているのだが。
ともあれ、アンデッドというのは普通はそれだけ生きている者とは相容れない。
その辺の事情を考えれば、ダスカーとグリムが会うのは色々と厳しいものがあるだろう。
また、問題はダスカーだけではなくグリムの方にもある。
レイに対しては、ゼパイルの見いだした存在という件もあって半ば孫のように接しているし、エレーナ達は孫の嫁といった認識なのでそれなりに友好的だ。
しかし、それ以外の相手の場合はどう対応するか。
幾ら親しみやすくても、グリムはアンデッドだ。
親しい相手ならともかく、それ以外の相手となると気にくわないという理由で攻撃をするようなことがあってもおかしくはない。
……勿論、ダスカーがレイの世話になっている相手であると知れば、そこまで極端な真似はしない可能性が高かったが。
「ともあれ、報告は明日にしておこう。今は取りあえず家に帰るか」
「うむ。レイがそれでいいのなら、私は構わん。アーラはどうだ?」
「何の問題もありません」
アーラにしてみれば、エレーナがそれでいいのなら何も問題はない。
もしこれが、エレーナにとって大きな不利益のあるようなことであれば、アーラも当然のようにその一件については反対するだろう。
だが、今の話を聞く限りでは、エレーナにとっても何の問題もないように思えた。
だからこそ、それでいいのなら……と、そう判断したのだ。
そうしてやることが決まれば、行動するのは早い。
領主の館に寄るようなこともなく、レイ達は貴族街にあるマリーナの家に向かう。
夕方になっている為に、街中はかなり混雑していた。
そんな中をレイ達は移動し……やがて、貴族街に到着する。
ここに来るまでの間、何人もから話し掛けられ、中にはセトと一緒に遊びたいといったような者もいた。
だが……それでもいつもより圧倒的に早く貴族街に到着出来たのは、やはりエレーナがいたからだろう。
事情を知っている者はエレーナに声を掛けるのを躊躇うし、事情を知らない者でもエレーナの美貌に圧倒されて声を掛けるのを躊躇ってしまう。
ある意味でレイとしては非常に助かったのだが……それでも少しだけ申し訳ない気持ちになるのは、セトと遊ぶことを楽しみにしている者が多数いると理解しているからだろう。
そんな相手までをも遠ざける結果になってしまったのだから。
……当然だが、そのように思っているのはレイだけではなく、セトもまた同様だ。
いや、寧ろセトと遊びたいと思う者が多いということで、余計にセトが現在の状況に色々と感じてもおかしくはない。
「今日はマリーナは遅いのか?」
「どうだろうな。怪我人によって終わる時間は大きく変わってくるだろうし」
エレーナの言葉に、レイはマリーナの働いている診療所を思い出しながらそう返す。
マリーナ程の美人に回復してもらい、大抵の怪我はすぐに治るのだ。
マリーナが人気になるのは当然だろう。
……もっとも、以前からギルムで冒険者をしていた者にしてみれば、マリーナというのは凄腕のギルドマスターというイメージがあるので、色々と思うところはあるのだろうが。
ギルドマスター時代のマリーナを知っている者にしてみれば、それこそ頭の上がらない存在なのだから。
中にはギルムに到着出来たことで相応の技量の持ち主であると有頂天になり、偶然マリーナと遭遇し、ギルドマスターとは知らずに口説こうとした……といったような黒歴史を持っている者もいる。
なお、その冒険者は現在ではギルムでも上位よりの中堅といったくらいにはなっており、頼りになる冒険者としてギルドからも信頼されている。
……そうなった理由が、ギルドマスターのマリーナに弱みを握られて色々と面倒な依頼を受けさせられたからなのだが……本人としては、現在の自分の状況を考えると何とも言えなくなっていたりする。
「マリーナはともかく、ヴィヘラとビューネはそろそろ帰ってきてもおかしくないんじゃないか?」
ギルムの見回りをしている二人だけに、レイの言う通りそろそろ仕事が終わって戻ってきてもおかしくはない時間だった。
(警備兵達に感謝だよな)
レイがそのように思うのは、本来なら街中の見回りで一番忙しくなるのはこれからだからだ。
増築工事の作業をしていた者、ギルムの外で仕事をしていた者、そのような者達が夕方になってギルムに戻ってくるのだ。
そして明日に備えて英気を養う為に酒場に向かい……そうなれば当然酔っ払う。
今日の仕事が終わった開放感といったものから、気が大きくなる者もいる。
そのような者達が集まればどうなるか……当然、喧嘩だ。
多少の喧嘩ならまだしも、度がすぎる喧嘩になれば警備兵や見回りをしている者達がそれに介入することになる。
また、ヴィヘラの踊り子や娼婦のような向こう側が透けて見えるような服装と、非常に起伏に富んでいる男好きのする肢体。
普段であれば、ヴィヘラに言い寄ろうという者は多くないが、それが酔っ払っていれば話は別だ。
そういう点で、夜の場合はヴィヘラがいればそれだけ騒動が起きることから、ヴィヘラと……そしてヴィヘラがいなければ意思の疎通が難しいビューネは夕方で仕事が終わるのだ。
ビューネの場合は、意思疎通以外にも単純にまだ子供だからという点もあるのだろうが。
「どうだろうな。ともあれ、ヴィヘラ達が戻ってきたらゆっくり出来るように食事の準備をしておいた方がいいかもしれんな」
エレーナのその言葉に、レイは納得したように頷く。
仕事が終わって帰ってきた時に、食事の準備が出来ているというのは非常に嬉しいものだ。
マリーナの場合は何気に家事をするのが好きという家庭的な一面もあるので、自分の愛する男や仲間に手料理を食べて美味いと言われるのは嬉しいのだが。
ともあれ、いつまでも外にいると見回りの冒険者に怪しまれるかもしれない。
貴族街で雇われる冒険者となれば信頼の出来る冒険者で、当然その数は少ない。
そういう意味でレイやエレーナ、アーラといった面々とは顔見知りの者も多いのだが……中には当然の話だが初めて雇われたといった者もいる。
そのような者にしてみれば、貴族街の屋敷の前で中にも入らずに話しているレイ達はあまりにも怪しかった。
それによって面倒なことにならない為にも、さっさとマリーナの家に入ってしまった方がいい。
そう判断し、レイ達はマリーナの家の敷地内に入る。
こうなってしまえば、もう他の冒険者達にどうにかされるといった心配はない。
もし無断でマリーナの家の敷地内に入ろうとした場合、マリーナの精霊魔法によって酷い目に遭うだけだろう。
そうしてマリーナの家の中に入ると、すぐにアーラはお茶の準備を始める。
アーラにしてみれば、今日はエレーナと一緒に動き回っていたということもあってか、お茶を出す回数が減ったのだろう。
(何でそこまでお茶に拘るのかは分からないけど、美味いからいいか)
アーラの淹れるお茶は非常に美味だ。
エレーナと一緒にいれば、レイもまたアーラの淹れたお茶を味わうことが出来る訳であり……そういう意味では、レイにとっても大きなメリットだった。
「レイ、食事の準備は私も手伝おう」
「……本気か? いやまぁ、それは助かるけど」
エレーナの立場から考えれば、料理をするといった行為は似合わない。
実際に貴族の令嬢では料理が出来ないという者も多い。
これが爵位の低い貴族であれば、領主の妻や娘が家事をすることもあるし、中には爵位の高い貴族の令嬢であっても料理をする趣味を持つといったものはいる。
そういう意味で、貴族全員が料理を出来ないという訳ではないのだが……エレーナの場合は、その豪奢な外見から料理の類が出来なくてもおかしくないと思えてしまう。
だが、エレーナも姫将軍として戦場を駆けてきた人物だ。
簡単な……いや、大雑把と表現してもいいような料理をすることはあった。
それだけではなく、マリーナの家で寝泊まりするようになってから、多少ではあるがマリーナが食事を作る時に手伝いをしたりもしている。
これは別にマリーナにそうするように言われたという訳ではなく、単純にエレーナがレイに自分の手料理を食べて貰いたいと、そのように思っての行動だ。
エレーナの、恋する乙女らしい行動と言える。
「レイはテーブルを中庭に出してくれ。私は食器の方を準備する。……竈の方も出しておいてくれ」
てきぱきと作業の指示をするエレーナ。
レイはそんなエレーナの指示に従いながら、中庭で駆け回っているセトとイエロに視線を向ける。
イエロは今日レイ達と一緒に行動していなかった分、こうして帰ってきたセトと一緒に遊んでいるのだろう。
本来ならイエロも一緒にトレントの森に行っていたのだが。
(あ、でも妖精とイエロって相性悪そうだよな)
イエロはまだ小さい。
それは身体だけではなく精神も同様だ。
それでいて非常に強固な防御力を持っているのだから、妖精達にしてみれば格好の悪戯対象だろう。
そういう意味で、やはりイエロは今日ギルムに残ってよかった。
そう、レイはしみじみと思うのだった。