2451話
グリムとの話が終わったレイは、マジックアイテムを作るというグリムと別れて地下空間の中を見回す。
自分が適当に動き回り、それによってグリムとの件を知られる訳にはいかないと、そのような思いを抱いての、念の為の行動だった。
とはいえ、そのような行動であっても地下空間の中を見て回るのは悪い話ではない。
昨日は結局こちらの世界に戻ってきてすぐに地上に向かったので、この地下空間をしっかり見て回るといったようなことは出来なかった。
(まぁ、アナスタシアのことだから、当然今日この地下空間に来たら以前と違うところがないか、見て回っただろうけど)
好奇心の旺盛なアナスタシアだけに、今のこの地下空間がどのような状況になっているか……それこそ、自分達がいない間に何か変わったところがないのか。
その辺りについて、興味津々の様子で調べるといった真似は必ずしていた筈だった。
だからこそレイが今更この辺りを調べても、特に何かが見つかるようなことはないだろう。
……だが、それでも今の状況を思えばしっかりと確認しておいた方がいいというのがレイの判断だった。
あるいは、自分ならアナスタシアが見つけられなかった何かを見つけることが出来るかもしれないと、そんな微かな希望があったのも事実だが……
「残念」
一通り地下空間を見て回ったレイだったが、結果として何もそれらしい物を見つけるようなことは出来なかった。
とはいえ、自分が見つけられるというのは、あくまでももしかしたらだから……と、そう自分に言い聞かせる。
「で? 何か面白いものでも見つけた?」
皆のいる場所にレイが戻ってくると、早速アナスタシアがそう尋ねる。
レイが何も見つけられなかったと、そう察した上での行動。
……とはいえ、それに何かを言い返そうにも実際に何も見つけることは出来なかった以上、負け惜しみにしかならない。
実際には、グリムから妖精についての情報を多少ではあるが貰ったのだが……まさかここでそれを言う訳にもいかない。
「いや、特にそれらしいのは見つからなかったよ。ただ、久しぶりに色々と歩いたから、それがちょっと面白かった」
「そう? 妙な趣味をしてるのね」
「……お前にだけは言われたくない」
「二人とも、その辺にしておけ。アナスタシアは研究で忙しいのだろうし、レイも他に色々とやるべきことがあるだろう」
エレーナが間に入り、レイとアナスタシアのやり取りは終わる。
「そうだな。取りあえずこの地下空間も見て回ったし、そろそろ地上に戻るか」
今回この地下空間にレイが来たのは、ドラゴニアスの死体についてどうなっているかをグリムに聞く為だった、
その用事が終わった以上、いつまでもここにいる必要はない。
また、エレーナが言ったようにレイには他にも色々とやるべきことがある。
そうである以上、いつまでもこの地下空間にいる訳にはいかなかった。
「そっちはいいか? 俺に付き合わせる形になったけど」
「うむ。二人から色々と興味深い話を聞けたしな。レイから聞いた以外の向こうの世界の話とか」
そう告げ、エレーナの視線は異世界に繋がっている空間に向けられる。
アナスタシアとファナの二人は、向こうの世界でレイと合流するまでは二人で行動していた。
その時に何があったのか、それを聞いたのだろう。
レイもその辺りについてはそれなりに興味深いのだが。
何しろ、気が付けばとある集落のケンタウロスはアナスタシア達に恩を感じ、それこそ神でも拝むかのように、接していたのだから。
他にもどのような行動をしていたのか、興味を抱くのは当然だろう。
……今の状況で直接尋ねても、恐らくしっかりと答えては貰えないだろうから聞くつもりはなかったが。
(それに、後でエレーナに聞いてもいいしな)
そう判断し、レイは地上に戻ることを決める。
「じゃあ、俺はそろそろ行くけど……アナスタシアは今夜どうするんだ? 生誕の塔に方に行くのか、夕暮れの小麦亭に行くのか。夕暮れの小麦亭の方は、俺も暫くは泊まる予定がないから、使っても構わないけど」
「いえ、生誕の塔の方に行くわ。湖の生き物とか、興味深い存在も多いし」
「そうか。まぁ、頑張れ」
普通なら、寝る時にはベッドの上で眠りたいと思うものだろう。
だが、相手がアナスタシアであれば、快適な睡眠と好奇心を満たすというどちらを選ぶかと言われれば、後者を選んでもレイに納得出来た。
……それに付き合わされるファナは、多少可哀想だと思わないでもなかったが。
それでもファナにとってアナスタシアは尊敬すべき相手であるのは間違いないらしく……いや、あるいは単純にアナスタシアを見捨てられないと思っているだけなのかは分からなかったが、ともあれ宿ではなく生誕の塔の周辺にあるテントで眠るといったことに不満を抱いた様子はない。
「言っておくけど、俺達がいないからって妙な真似はするなよ。……湖の生き物はまだ全てが解明された訳じゃないし、中には妙な毒を持っているような奴もいるかもしれないからな。その辺の事情を考えれば、妙なちょっかいは出さない方がいい」
一応といった様子でそう告げるレイだったが、アナスタシアの場合はレイがそのようなことを言ってもまず話を聞かないだろうというのは、容易に予想出来る。
問題なのは、アナスタシアが妙な真似をした結果……また何か大きな異変に繋がるのではないかということだった。
普通ならそこまで考える必要がないのだが、何しろ異世界の一件がある。
(俺も大概トラブルに巻き込まれるような性格……いや、特性? を持っていると思ってたけど、アナスタシアはそんな俺の上をいくしな)
深紅に勝利した女。
そう呼んでやろうかと思ったレイだったが、それを言えば言ったでまた妙な騒動になりそうな気がしてしまう。
「何よ、そんなことにならないように注意してるから安心しなさい。もしそんなことになっても……それは私がしっかりと対処するわ」
「……その対処ってのは、お前の好奇心を満たす為に行動するって訳じゃないよな?」
一応といった様子で、そう告げる。
本来なら、そこまで聞くような必要はないだろう。
だが、相手がアナスタシアの場合は、その辺をしっかりしておかないと、後々不味いことになるのは何となく予想出来た。
「も、勿論でしょ」
レイの言葉に言葉に詰まるアナスタシア。
その様子を見れば、何を考えていたのかは考えるまでもなく明らかだった。
レイはそのことに突っ込みたかったが、ここで妙に突っ込んでしまえば話が長くなるだけのような気がして、それ以上は何も言わずその場から立ち去ることを決める。
「じゃあ、俺達はそろそろ行くから。エレーナ、アーラ、行くぞ」
「うむ。私も特に何かやるべきことはないからな。……出来れば、私も向こうの世界に行ってみたかったのだが」
それが、エレーナがこの地下空間にくることを決めた理由だったのだろう。
ヴィヘラだけが向こうの世界に行ったことは、エレーナにとって非常に羨ましかったのだ。
だからこそ、出来れば自分も一度でいいから向こうの世界に行ってみたいと思ったのだろうが……エレーナを預かっている立場のダスカーとしては、とてもではないがそれは許容出来ないだろう。
何しろエレーナは、貴族派の象徴とも呼ぶべき人物だ。
そのような人物が最近は友好関係にある中立派のギルムにいること、そのものに不満を持っている者は多い筈だ。
そのような状況の中で、向こうの世界に行ったのはいいものの、戻ってこられなくなったらどうなるか。
間違いなく現在の貴族派と中立派の友好関係は破綻するだろう。
今でさえ、貴族派の中には中立派と協力関係となっていることの意味を理解している者は少ない。
いや、正確には中立派と友好的な関係になることで得られる利益があるのは理解しているが、感情的な面でそれを許容出来ないといった者が多いのだ。
利益と感情で後者を重要視するのはどうかとレイも思わないでもなかったが、貴族として何不自由なく暮らしてきた者達にしてみれば、自分達よりも下の存在と思っている中立派が……という思いがあるのだろう。
とはいえ、相手を嫌っているのは貴族派だけではない。
中立派の中にも貴族派を嫌っている者は当然いる。
特に貴族派は……正確にはその中でも特に悪質な者達は、自分が世界の中心であるかのように振る舞う者も少なくない。
その結果として、貴族でない者は人間にあらずといったような認識を持つ者も多く、気に入らないから死刑。いい女だから寄越せ。お前がそんな物を持っているのは生意気だから寄越せ……といったようなことを領地で行う者も多かった。
中立派の中には、そんな貴族派の貴族と隣接した領地を持っている者も多い。
当然そのような貴族派の貴族にしてみれば、気に入らない中立派の貴族にちょっかいを掛けることも多い。
そのような相手がいる貴族派と友好的な関係になるのを面白く思わない者が多いのは、当然だろう。
それでも、中立派は人数が少ない影響もあり、それを率いているダスカーのカリスマ性が高いので、ダスカーの決めたことならと我慢する者も多い。
「エレーナに何か問題があれば、貴族派と中立派の関係にまで発展しそうだしな。……いや、それ以前にアーラが爆発するか」
「レイ殿の言う通り……と言いたいところですが、エレーナ様が向こうの世界に行くのであれば、私もそれに同行します。そうである以上、私に関しては問題にはならないかと」
「……そうか。考えてみればアーラはエレーナの護衛騎士団の団長だしな。最近はすっかり忘れてたけど」
「私も時々忘れそうになります。……ギルムにいる間は、書類仕事とかをしなくてもいいので、それが理由ですね」
元々その手の仕事は決して得意ではないアーラだけに、エレーナの側にいて世話をしていればよく、書類仕事をしなくてもいい今の生活は非常に幸せな日々だろう。
アーラが書類仕事をやらないということは、アーラの代わりに書類仕事をやっている者がいるということなのだが……本人はそれを忘れているのか、それとも単純に気にしていないのか、気楽な生活を楽しんでいる。
そんなアーラの様子に若干の呆れを抱きながらも、レイ達は地下空間から地上に出たのだが……
「うわ……」
視線の先に広がっている光景を見て、レイが驚きの声を上げる。
レイの後ろにいたエレーナとアーラの二人も、その光景には驚く。
当然だろう。セトが寝転がっている周囲には、何羽もの鳥が集まっていたのだから。
それこそ、セトの身体の上を居心地のいい場所と思っているかのように、何羽もが歩き回っていた。
それ以外にもレイだけが気が付いたのだが、セトから少し離れた場所には二頭の鹿がいた。
……そう、アナスタシアとファナの従魔――モンスターではなく野生動物だが――の二頭の鹿が。
この鹿は、異世界でもセトと一緒に行動していたが、元々が野生動物だったというのも関係しているのか、セトに対してなかなか警戒心を解くような真似はしなかった。
実際、レイ達が地下空間に向かう為にここに来た時、二頭の鹿はセトが来たというのを察するや否や、この場から離れたのだから、未だにどれだけ警戒しているのかは分かりやすいだろう。
とはいえ、二頭の鹿もセトが自分達に危害を加えるような存在ではないというのは、一緒にすごした時間から知っている。
それでもセトに対する警戒心を解くことが出来ないのは、純粋にセトという存在が自分達よりも圧倒的に格上だと理解しているからだろう。
「レイ、どうする?」
「……そう言われてもな」
エレーナの問いに、レイはこの場をどうするべきか迷う。
いや、今の状況を考えれば、どのようにするべきなのかは決まっている。
だが、視線の先で寛いでいる鳥や鹿、それ以外にもリスやネズミ、ウサギといったような野生動物を追い散らかしていいものかと、そう思ってしまうのは当然だろう。
ある意味で奇跡の光景を目にしているのかもしれない。
レイはそんな風に思ってしまう。
……とはいえ、そんなレイの様子を気が付かないのがセトだ。
自分の大好きなレイが地下空間から戻ってきたというのに気が付けば、それに反応しないという選択肢はない。
寧ろ今回は眠りが深すぎてレイの存在に気が付くのが遅くなってしまった……と、眠っていた状態から勢いよく身体を動かしたのだが……そうなれば、どうなるのか。
セトの身体の上を歩いていた鳥達はパニックを起こして飛び去り、動物たちも急いでその場から逃げ出し……当然ながら、顔見知りの筈の二頭の鹿も即時にその場から離れるのだった。