2444話
「すまない、ちょっと断ることが出来ない相手が面会に来ていてな」
ダスカーはそう言いながら、レイ達にソファに座るように示す。
いつもであれば、レイ達がダスカーと会うのはダスカーの執務室だ。
しかし、今回は違う。
ダスカーと会うのは、レイ達だけではなく妖精のニールセンもいる。
ダスカーも当然のようにそれは知っているので、執務室ではなくきちんと客人と会う為の部屋を用意したのだろう。
……実際には、その断ることが出来ない相手と面会したのもこの部屋だったのかもしれないが。
「いえ、お気になさらず。それで……」
レイはそう言い、ドラゴンローブの中にいたニールセンを取り出す。
幸いにして、今回はドラゴンローブの中でも眠るといったようなことはしていなかったらしい。
……何故ニールセンがドラゴンローブの中にいたのか。
それは、例えメイドであっても妖精の姿を見せる訳にはいかなかった為だ。
妖精の件は、異世界に繋がる穴を生み出すウィスプと同等……いや、それよりは少し下がるが、それでも重要な存在なのは間違いない。
ダスカーに忠誠を誓っている部下達やメイド達であっても、妖精の存在は可能な限り隠しておく必要があった。
その為、客室からこの部屋に来るまでの間、ニールセンはレイのドラゴンローブの中に入っていたのだ。
「ふぅ……」
とはいえ、ドラゴンローブの中から出されたニールセンは、決して不満そうな様子はない。
ニールセンにしてみれば、ドラゴンローブの中は涼しく快適にすごせる場所なのだろう。……多少狭くても。
だからこそ、移動中にドラゴンローブの中に入れられても、特に怒るようなことはしなかったのだ。
「おい、ニールセン。ダスカー様だ。このギルムの領主で……トレントの森の所有者って言えば分かりやすいか?」
実際には色々と違うのだが、レイは取りあえずニールセンに分かりやすいようにと、そう告げる。
そんなレイの言葉に、ニールセンはレイの掌の上でダスカーを見ていたが……やがて、羽根を羽ばたかせながら浮き上がる。
「ふーん。貴方が。……私はニールセンよ。長から今回の一件を任されてるわ」
ダスカーを興味深そうに眺めたニールセンが、特に緊張した様子もなくそう告げる。
もしダスカーが怒っても、何かあったら転移してここから消えればいいと、そう思っているのだろう。
そして実際、転移をするとなればニールセンをどうにかする術はレイ達にはない。
いや、捕獲するのではなく殺してもいいというのであれば、ニールセンが転移する前に対処するのも難しい話ではないだろう。
だが、今の状況でそのような真似をすれば、それこそトレントの森にいる他の妖精達がどう行動するのか分からない。
……好奇心が旺盛で、自分達が楽しければ後はどうでもいいといったような性格を持つ妖精だ。
仲間が死んでも特に気にしないという可能性もあるが、仇討ちと面白がって攻撃をしてくる可能性もある。
勿論、現在ギルムには多くの者が集まっており、以前からギルムにいた面々のことも考えると、その戦力があれば妖精と戦って負ける筈もない。
ただし、それはあくまでも妖精と正面から戦っての場合のことだ。
元々妖精は正面から戦うなどといったような真似をすることはない。
そうである以上、ゲリラ戦となるのは間違いない。
トレントの森だけでも、冒険者や樵は結構な被害を受けているのだ。
そんな中で、もし妖精がギルムにまで来たらどのような騒動になるか……考えるまでもないだろう。
ギルムの増築工事は確実に失敗して、ダスカーは全く意味のない金額を浪費しただけに終わってしまう。
(そういう面倒なことにならないようにする為にも、出来ればダスカー様との間で交渉を纏めてくれると、助かるんだけどな)
レイとしては、この世界に来てから最初にやって来た街ということで……そして数年の間拠点としたことで、ギルムに対しては愛着を持っている。
レイにとっては、このエルジィンという世界の故郷と言ってもいいだろう。
「今回の一件を任されてる、か。……なら、こちらも率直に聞こう。妖精達は何の為にトレントの森にやって来た? 本当なら、レイ達にそれを探って貰うつもりだったのだが……」
「すいません」
ダスカーの言葉に、頭を下げるレイ。
ダスカーにしてみれば、妖精について調べて貰おうと思ってレイに依頼をしたら、何故かその依頼の答えとしてレイが妖精を連れて自分の所へやってきたのだ。
予想外なのは間違いなかった。
とはいえ、ダスカーとしてはそれでレイを責めるといったつもりはない。
当然の話だが、妖精がトレントの森にやって来た目的や、どれくらいの数がいるのかというのは、人伝に聞くよりも自分が直接聞いた方が確実な為だ。
これはレイのことが信頼出来ないという訳ではなく、どうしても人伝になるとしっかりとした情報……もしくは説明した時のニュアンスといったものが相手に伝わらないというのが大きい。
だからこそ、ダスカーとしてはこうして妖精を連れてきたレイを、褒めこそすれ責めるつもりはないのだ。
……その場にエレーナとアーラがいるというのは、予想外だったが。
しかし、レイと一緒に行動している以上は、その辺も仕方がないものがあるのは間違いない。
「気にするな。妖精を連れて来てくれただけで十分だ」
頭を下げたレイにそう告げると、改めてダスカーはニールセンに向かって尋ねる。
「それで、何故トレントの森に?」
「何故って言われても……居心地がいいから? 環境的にも、私達にとってはいい場所だしね」
「……環境……」
ニールセンの言葉に、レイは小さく呟く。
トレントの森は、現在様々な現象が起きている、魔境とも呼ぶべき場所になっている。
そのような場所の居心地がいいと言われても、レイとしては素直に納得出来ない。
勿論、トレントの森で活動しているレイにしてみれば、決して悪い雰囲気の森であるとは思っていないが……それは、あくまでもレイだからだ。
普通の者がトレントの森の事情を知ることになれば、出来るだけ近付きたくないと思う者がいてもおかしくはないだろう。
何しろ、場合によっては異世界に飛ばされるという可能性も否定は出来ないのだから。
レイであれば、転移した世界でも普通に生き延びることは出来るだろうが……その辺の樵や、技量の低い冒険者なら、どうなるか。
それは、考えるまでもなく明らかだ。
……それこそ、ドラゴニアスどころかケンタウロスにすら勝つことは難しいという者も多いだろう。
(まぁ、ケンタウロスはともかく、ドラゴニアスは基本的に飢えという本能で動いている者が大半だったし、上空にいる敵に対しては攻撃の手段がない。そう考えると、種族特性として空を自由に飛べる妖精がケンタウロスの世界に行っても……問題はないんだろうが)
勿論、ドラゴニアスの中にもブレスのように遠距離攻撃の手段を持っている者もいれば、空中を歩いたり転移したりといったような攻撃手段を持っている者もいるので、空を飛んでいるからといって必ずしも安全ではない。
もっとも、そのような特殊な能力を持つドラゴニアスは、女王共々レイやヴィヘラ、セトによって殲滅させられているのだが。
ただし、ケンタウロスの場合は洒落が通じない者も多く、空中にいる敵に対しても弓や魔法といった攻撃手段を持っているので、ケンタウロスに悪戯をする場合には注意が必要だが。
「環境がいいのは理解した。しかし、既にレイから聞いていると思うが、トレントの森の木は現在増築工事を行っているギルムにとっても非常に重要なのだ。トレントの森の木は伐採したいのだが……それはどうだね?」
「うーん、ある程度ならともかく、それが広まると困るわね。それに人間って欲深いから、決められた場所以外の木も普通に切りそうなのよね」
「それは……」
自分も人間で、ましてやギルムの領主をしているだけあって、人間の欲深さをよく知っているダスカーには、ニールセンの言葉を否定出来ない。
幸いにして、今は木の伐採をしているのは樵達だけで、その数は決して多くはない。
ダスカーにしてみれば樵の数はもっと増やしたいというのが正直なところなのだが、残念ながら今のところこれ以上増やすことは出来ないでいた。
周辺の……いや、かなり遠くの村や街、都市から何とか樵を集めようとはしていたのだが、どこでも樵というのはそれなりに重要視されている。
そうである以上、樵を派遣出来るのはそこまで多くはない。
勿論、この場合の樵というのは、ただの樵という訳ではなく、相応の技量を持つ樵だ。
金を目当てにした、樵になったばかりの者……どころか、その金を目当てに自分が樵だと言い張るような素人は論外だった。
「だから、私達としてはトレントの森だっけ? あの森の木の伐採をされるのは困るのよ。それに……ここには植物を生長させることが出来る人がいるんでしょ? なら、別に森の奥までやって来なくても、外側の木だけを伐採していけばいいじゃない」
ニールセンの口から出た言葉は、正論ではあった。
現在樵達が行っている伐採は、ある程度の幅を持たせながらも森の中心部に向かって進んでいる。
その辺りの事情を考えれば、トレントの森の外側の部分だけを伐採すればいい。
トレントの森は広大なのだから、外側を一周するように伐採するだけで相当な量の木を伐採出来るだろう。
そして伐採した場所は緑人によって生長させて貰えば……一周して戻ってくる頃には、もう木が元に戻っている可能性は十分にあった。
とはいえ、それはあくまでも理屈だ。
そう上手くいくとは限らないし、何よりも樵達には生誕の塔はともかく、湖に関わって欲しくないという思いがダスカーにはあった。
「そう言われても、こちらもそれなりに計画を立てて木を伐採しているのだ。そうである以上、こちらとしてはそうすぐに計画を変えるような真似は出来ない」
「なら、どうするの? 私達と敵対する?」
挑発するように言うニールセン。
森の中の戦いでは、自分達が有利だと確信しているからだろう。
「……最悪、燃やすか」
びくっ! と、小さく呟いたレイの言葉を聞いたニールセンは身体を硬直させる。
トレントの森の木は増築工事を行う上で非常に貴重な代物だ。
だが、それでもギルムに敵対的な妖精がその場にいるというのは、ギルムにしてみれば非常に厄介な存在なのは間違いない。
であれば、いっそトレントの森ごと燃やしてしまえばいい。
ましてや、レイは広域殲滅魔法を得意としている。
火災旋風を始めとした魔法は、トレントの森を燃やすには十分すぎる威力を持つ。
それらを使えば、当然だがトレントの森の木を建築資材として使うことも出来なくなるのだが。
「そ……そうね。少しはお互いに妥協した方がいいわよね。ええ、実は私もそうしたいと思っていたのよ」
レイの言葉に本気を感じたのか、ニールセンは先程の挑発めいた様子から一変し、お互いに妥協をしようと、そう告げる。
ダスカーはレイに対して複雑な表情を向けた。
褒めればいいのか、責めればいいのか。
その辺りが微妙なところだった為だ。
とはいえ、最終的には交渉が前向きに進展したのだから、ダスカーもそれ以上は不満を口にする様子はない。
「そう言って貰えると、こちらとしても助かる。それで……まず聞いておきたいのは、妖精はどのくらいの数がいるのかということだ。その数によって、こちらも配慮をする時にどれくらいの余裕を持って配慮すればいいのかが変わってくるのでな」
「うーん、数……数かぁ……」
数を聞かれたニールセンは、それに対して少し迷う様子を見せる。
本来なら、自分達がどれくらいの数がいるのかと聞かれて迷うといったようなことはない。
だが……これは交渉だ。
ダスカーが聞いてきた数について素直に答えた場合、それはお互いの戦力差をはっきりとさせるということになってしまう。
ニールセンはそれを嫌ったのだろう。
とはいえ、この場で自分達の数を教えないとなると、交渉そのものが進まない。……いや、ある程度数を多めに言っておく分には問題はないと思われたが、それはあくまでも今の話であって、将来的には数が問題になってしまいかねない。
であれば、ここでそれを口にしないという選択肢はなかった。
「正確な数は分からないけど、五百くらいよ」
「……それはまた……五百人、か」
ダスカーの口から驚きの声が漏れる。
具体的にどのくらいいるのかは、ダスカーにも分からなかったがのだろうが……それでも五百というのは意外だったのだろう。
……レイにしてみれば、匹ではなく人と数えていたところに驚いていたのだが。
ただ、交渉をするという意味を考えると、モンスターを数える匹ではなく、人や亜人を数える人で数えるのは当然だった。