2435話
「久しぶり、です。レイ、様」
途切れ途切れの声でではあったが、レイはその声を発した者を見て驚く。
何故なら、その言葉を発したのはゾゾ……レイに心酔しているリザードマンだったからだ。
以前までは、レイと意思疎通する際は言葉ではなく文字を使ってのやり取りをしていた人物。
それだけに、まさかこうして言葉でやり取りを出来るとは思っていなかった。
「言葉を喋ることが出来るようになったのか?」
「私は、貴方の言葉を、喋られります」
「惜しい。そこは喋れます、もしくは喋ることが出来ますといった感じだな」
ある程度言葉で意思疎通は出来るようになっていたが、それでもまだ完全といった訳でもないのか、多少間違うところがあった。
とはいえ、レイがアナスタシアを助けに異世界に行った時はまだ殆ど喋ることが出来なかったことを思えば、その進歩は驚くべきものといってもいい。
少なくても、レイから見れば十分以上という認識だ。
(何だか学校の授業で英語を習っていた時みたいな感じだけど……日本人の英語を海外の人が聞けば、こんな感じなのか?)
ゾゾとの会話で若干そんなことを考えたレイだったが、ともあれ今は多少おぼつかなくても話を続けていれば自然と慣れて、もっとスムーズに会話が出来るだろうと思えた。
英語が何も出来ない者であっても、外国で暮らしていれば嫌でも言葉を覚えるといったようなことは、レイも何度か聞いたことがある。
それが事実かどうかは、正直なところレイは分からない。
だが、実際にそのような実例がある以上、事実であると考えるしかないのだろう。
……レイの場合は、同じような真似が出来るとは到底思えなかったが。
「レイ」
ゾゾの進歩に驚いていたレイだったが、エレーナから名前を呼ばれたことですぐに我に返る。
自分がここに来たのは、幾つか用事があった為だと思い出したのだ。
その用事をすませるよりも、ゾゾの口から言葉が出たことに驚いたのだが……それでもエレーナの言葉で現状を思い出すと、口を開く。
「ゾゾ、悪いが話はまた後でな。……言葉が喋れるようになっていて驚いた。その調子で頑張ってくれ」
そんなレイの言葉に、ゾゾは嬉しそうな様子を見せる。
全てを完全に理解した訳ではなかったのだろうが、それでもレイが自分を褒めたというのは理解出来たのだろう。
そんなゾゾをその場に残し、レイは近くにいた冒険者に声を掛ける。
「ちょっといいか? 色々と話を聞きたいんだが」
生誕の塔にいる冒険者達は、レイが以前ここにいた時と比べてもあまり変わっていない。
何人か知らない顔がいるが、それは新しく追加でここに派遣された者達だろう。
基本的にリザードマンの護衛として生誕の塔で寝泊まりしている冒険者は、ギルドから信頼が出来て高い実力を持つと認識された冒険者達だ。
だが、幾らそのように有望な冒険者だからといえ、いつまでも生誕の塔の周辺で野営をするといったようなことは出来ない。
どうしても野営生活というのは、疲労が貯まるからだ。
一応近くに湖があり、そこで獲れる魚も……基本的には問題なく食べられる。
他にも未知の存在が多い湖だが、その中には友好的な存在もいた。
例えば、レイが以前ここにいた時に湖からやって来た光の塊がいる。
様々な色をしているその光は、明らかにレイ達に対して友好的な存在だった。
勿論、襲ってくるモンスターも多くいるので、どちらか一方に偏るといったことはないのだが。
「何だ?」
レイの言葉に、顔見知りの冒険者がそう返す。
「最近、何か妙なこと……具体的には、妙な悪戯とかそういうのはなかったか?」
ゾゾと話をしたいという思いはあったが、レイとしてはまずその辺りの話を聞いておく必要があった。
トレントの森に隣接している以上、妖精がその気になれば様々な悪戯をすることは難しい話ではない。
そして、一応聞いてみたレイだったが……恐らく何らかの悪戯がされていると、そう確信していた。
「いや? 悪戯って……特にそういうのは覚えがないけど」
だからこそ、レイの問いに冒険者がそう答えたことは完全に予想外だったのだ。
「え? 本当か?」
レイが冒険者の言葉に驚いたように、冒険者もまたレイの言葉に驚く。
冒険者にしてみれば、何を当然のことをといった様子だ。
その表情は何かを隠しているといった様子はない。
少なくても、レイがその冒険者の顔を見ても何か嘘を吐いているといったようには思えなかった。
「ふむ、では何も問題はないと?」
「……はい」
エレーナがレイと一緒にいるのには、当然のように理解していた。
だが、まさか自分に話し掛けてくるとは思わなかったのか、男は突然エレーナに声を掛けられたことに驚きながらも、その言葉に慌てて頷きを返す。
「そうなると……」
冒険者の焦った様子は特に気にした様子もなく、エレーナの視線はレイに向けられる。
エレーナが何を言いたいのかは、当然のようにレイにも理解出来た。
つまり、妖精はこの辺りまでやって来ていないのだ。
(けど、何でだ? 樵やその護衛とか下働きをしている冒険者達は、妖精の悪戯の餌食になってたのに)
一瞬だけ、実は妖精はここまで来ることが出来ないのではないかと考える。
一口にトレントの森と言っても、その面積は広大だ。
そんな広大なトレントの森の中を妖精が動き回っているのであれば、その外に出るといった真似が出来なくてもおかしくはない。
そう思ったのだが、すぐにその考えを却下した。
レイが知っている妖精であれば、それこそ悪戯をする為ならトレントの森から出るといったようなことくらいは、平気で出来る筈だった。
それでもここが悪戯の被害に遭ってないということは……
(考えられる可能性としては、リザードマンの気配に何かを感じてるのか、生誕の塔か、湖か、燃え続けているスライムか。……妖精が嫌いそうな候補は、何気に結構あるな)
生誕の塔の周辺は、色々な意味で特殊な場所と言ってもいい。
その特殊な何かを妖精が嫌っていたとしても、レイには十分に納得出来た。
とはいえ、同時にその何かに興味を持って大量の妖精がやって来ても、同様に納得出来たのだが。
妖精というのは、好奇心によって動く。
そういう点では、アナスタシアと似たようなところもあろうだろう。
そのように考えながら、レイは何人もに囲まれているアナスタシアに視線を向ける。
ウィスプがケンタウロスのいる世界とこの世界を繋いでから、アナスタシアとファナがここに戻ってくることはなかった。
世界が繋がった瞬間を察知したレイは、そのままセトに乗って真っ直ぐウィスプのいる場所に向かったが、この場所に残った者はあれ以来久しぶりにアナスタシアやファナと会うのだから、心配していた者達が集まるのも当然だろう。
……もっとも、中には心配ではなく下心を抱いてアナスタシアに近寄る者もいたのだが……
「ピー!」
「うおわぁっ!」
他の冒険者が話している間にアナスタシアの尻に手を伸ばした冒険者の男は、近くにいた鹿がその立派な角で自分を狙っているのに気が付き、何とか回避する。
女好きで手が早いということで知られている男だが、同時にギルドからこの場所の護衛を任されるだけの技量の持ち主でもある。
鹿の角の一撃には驚いたが、それでもその攻撃を回避するのは難しいことではなかった。
……もっとも、回避出来たとはいえ鹿の角を間近で見た男は急いでアナスタシアから距離を取ったのだが。
「ピイイィィ!」
逃げ出した男を見て、勝ち誇ったような鳴き声を上げる鹿。
そんな男を見て、周囲の者達は笑い声を上げる。
「レイ様、私、何か縛るか?」
「……何かしますか、だな。いや、本当にそうだよな? あの男を縛るとか、言ってないよな?」
「ゆっくり、お願いします」
ゾゾはレイの言葉をまだしっかりと聞き取れない……もしくは聞き取った後、頭の中で変換するのが難しいらしく、戸惑ったようにそう言ってくる。
取りあえずアナスタシアの尻を触ろうとした相手を縛ろうとしている訳ではないと、そう思いながらレイは頷いて口を開く。
「気にするな」
ゾゾが何を心配しているのかは、レイにも分からなかった。
だが、それでも取りあえずこう言っておけば問題はないだろうと、そう判断し……ゾゾも何となくレイの言ってることは分かったのか、頷いていた。
「レイ、久しぶりだな。どうだ? 俺と模擬戦をやらないか?」
ゾゾと話している中でそう声を掛けてきたのは、ガガだ。
ゾゾの……そして今は領主の館の地下牢に閉じ込められているザザの兄。
レイのイメージでは武人というものだったのだが、ゾゾと比べても流暢に言葉を発しているのを見れば、頭の回転もゾゾより上だということなのだろう。
……いきなり模擬戦をやろうと言ってくる辺りは、いつも通りだったが。
「やる訳がないだろ。……ヴィヘラがいれば、やったかもしれないが」
「そのヴィヘアはどうしたんだ?」
「ヴィヘラ、だ。アじゃなくてラ」
ゾゾと比べて流暢に言葉を話せるガガだったが、それでもやはり自分の慣れている言葉ではないからなのか、もしくは単純に言いにくい為なのか、言葉を間違う時があった。
ヴィヘラの名前を訂正してから、そのヴィヘラがここに来ることが出来ない理由を話す。
「ヴィヘラはギルムの見回りをしている。……ギルムって分かるか?」
ガガがどこまで単語を覚えているのか分からない以上、レイも慎重に尋ねる必要がある。
だが、ガガは当然といった様子で口を開く。
「俺達が以前いた場所の名だろう。俺としては、生誕の塔の方が落ち着くが」
「そうか。……ああ、ちなみにガガにもちょっと聞いてみたいんだが、最近誰かに何か悪戯をされるとか、そういうことはないか?」
レイの二倍近い身長の持ち主であるガガだけに、話す時もレイは上を見ながら話す必要がある。
首が痛くならないか少し心配しながら、ガガの言葉を待ち……
「いや、特に何もそれらしいことはなかったな」
そう返事を貰い、先程の冒険者と同じ言葉に、やはり妖精はこちらに出て来てないのかという思いを強くする。
「そうか。……悪いが今は色々と忙しくて、模擬戦の相手をしている暇はない。リザードマンや冒険者達と模擬戦をやっててくれ」
瞬間、言葉を話せるようになったリザードマンや、ここの護衛として雇われている冒険者達の視線がレイに向けられる。
何てことを! といったような、半ば絶望に満ちた視線が。
(あー……どうやら、色々と問題があったみたいだな。多分、俺がいない間に冒険者やリザードマン達と模擬戦をやっていたんだろうが……)
ガガは現在エルジィンに転移してきたリザードマンの中でも最強の力を持つ存在だ。
その技量をギルドに見込まれてここの護衛を任されている冒険者達にとっても、勝つのは難しいと思えるくらいに。
その上で模擬戦……正確には自分が強くなるのを好むので、多くの者に模擬戦を挑む。
何よりも厄介だったのは、ガガがこちらの世界の言葉を理解し、喋ることが出来るようになったことだろう。
言葉を喋れない時は、ゾゾを通訳にして意思疎通をする必要があったのだが、自由に言葉を喋れるようになった今となっては、自分の言葉で模擬戦に誘うことが出来るようになったのだから。
そういう意味では、ガガが言葉を覚えてしまったというのは冒険者達にとっては不利益の面が大きかったのだろう。……それでも、いざという時のことを考えれば言葉は理解出来た方がいいのだが。
「そうか、残念だ」
言葉通り、本当に心の底から残念そうに呟くと、レイの前から立ち去る。
レイが久しぶりにここに戻ってきたことは、ガガにとってそこまで重要なことではないのだろう。
心なしか寂しそうに見えるガガの背中に、レイは何か声を掛けるべきかと考えるも……今の状況でそのような真似をしても、意味もなく期待を抱かせるだけになりかねないと判断し、言葉を掛けるのを止める。
「悪いが、俺はすぐにまたトレントの森に戻る必要がある。ここに来たのは、無事にアナスタシア達を取り返したというのを知らせておこうと思ってな」
「……取り返し?」
レイの言葉を聞いた冒険者が、その言葉に違和感を覚える。
アナスタシアが行方不明になっていたのは事実だが、それでもここで取り返すといった表現は、普通使わないだろうと。
そんな冒険者の様子を見て、レイも自分が言葉を間違ったことを理解し……
「知らない方がいいこともある」
誤魔化す為に……そして同時にそうした方がお前の為だという意思を込めて、そう告げるのだった。




