2425話
「疲れた……」
そう言ったのはレイ……ではなく、ヴィヘラ。
そんなヴィヘラの側では、アナスタシアとファナの二人もまた、疲れたという言葉に同意するように頷いていた。
ギルムにある、トレントの森の木を処理する錬金術師達が集められている施設。
そこに、レイはトレントの森から運んできた木を持ってきたのだが、そんなレイの存在に目敏く気が付いた錬金術師達によって、レイは多くの錬金術師達に不満を言われつつ、もしくは何か珍しいマジックアイテムはないかと、詰め寄られたのだ。
レイにしてみれば、ここに来た時はいつものことだったで、面倒だとは思いつつも、それを実際に口にするようなことはしなかった。……勿論、態度には示したが。
しかし、それはあくまでもレイならではの話であって、ヴィヘラ、アナスタシア、ファナの三人は違う。
自分の目で初めてそんな光景を見て、体験したのだ。
ある意味で慣れてしまったレイとは違い、そんな錬金術師達に圧倒されたとしても不思議ではない。
「ほら、これからダスカー様の所に行くんだから、しっかりとしろ。特にアナスタシアは、ダスカー様にどれだけ心配を掛けたと思ってるんだ?」
「……ファナはいいの?」
「勿論、ファナのことも心配はしているだろうが、やっぱりダスカー様が心配しているのは恩人のアナスタシアだろうしな。それに、真っ先に向こうの世界に行ったのは、アナスタシアだからだろ? 他にもファナは仮面を被ってるので、その表情がダスカー様には分からないとか、そういうのもあるし」
そうレイが告げると、何故か微妙にファナがショックを受けた様子を見せる。
もしかしたら、レイの言葉で何かショックを受けたのかもしれない。
(本来なら、こういう時はダスカー様に最初に顔を見せるのが正しかったんだろうけど……木材の不足を思えば、やっぱりこっちに最初に来たのは間違ってないよな)
増築工事をしているギルムにとって、木材の不足はかなり深刻な状況になっていた。
普段なら、単純に伐採した木を運ぶ者達を多くすれば、それで問題は解決したのだろうが……現在のトレントの森は、生誕の塔や湖の件もあり、そう簡単に誰でも派遣する訳にはいかなくなっている。
冒険者の中でも、ギルドで信頼出来るといった者や以前からトレントの森で働いていた者達。
そのような者達にしか、頼むことは出来ない。
……実際には、トレントの森についての話は、色々と広まってはいるのだが。
人の口に戸は立てられぬと言われるように、トレントの森で働いている者達も、素面の状態ではわざわざ言い触らしたりはしないだろうが、それが酒場で酒に酔っていたり、もしくは娼館で娼婦との寝物語にともなれば、どうしても何人か話を漏らす者は出て来る。
とはいえ、ダスカーもその辺については諦めている。
幾ら口止めをしたところで、情報というのは絶対に漏れるだろうと。
だからこそ、この状況でわざわざ騎士や兵士を派遣して、許可のない者がトレントの森に近付かないようにしてるのだから。
「グルゥ!」
と、セトが鳴き声を上げて、早く領主の館に行こうと急かす。
何故セトがそんなに領主の館に行きたいのか……それは、ダスカーに会いたいから……という訳ではなく、領主の館に行けばセトは中庭で遊ぶことになる。
そして中庭で遊んでいれば、領主の館で働いている者達が色々と料理をくれたりするのだ。
場合によっては、料理人が作った試作の料理を食べさせて貰ったりすることもある。
だからこそ、セトは領主の館に行くのが楽しい。
……もっとも、それはあくまでもセトだけの話であって、レイにしてみればダスカーとの会話は若干ではあるが緊張したりもするのだが。
とはいえ、行かなければならない以上、躊躇するような真似は出来ない。
「そうだな。じゃあ、行くか。ダスカー様も俺達を待ってるだろうし」
ダスカーの下には、当然のように色々な情報が集まってくる。
それだけに、レイが……正確にはアナスタシアが戻ってきたという情報は入手していてもおかしくはない。
「そうね。でも……出来れば、果実水を買っていかない? 喉が渇いたわ」
アナスタシアは、錬金術師達が仕事をしている場所から少し離れた場所にある屋台を見て、そう告げる。
レイはドラゴンローブを着ているので実感はないが、現在の気温は三十度を……いや、三十五度を超えている。
日本であれば、猛暑日と呼ばれるような気温だ。
それでも日本よりも夏がすごしやすいのは、湿気が日本に比べるとかなり低いからだろう。
出来るだけ急いでダスカーに会いに行きたいと思っていたレイだったが、アナスタシアが汗を掻いているのを見れば、何か飲んだ方がいいだろうとは思えた。
アナスタシアもそうだが、ファナの方がかなり限界のように思えたから、というのも大きい。
ファナは仮面を被っており、だからこそこの暑さの中では余計に厳しそうに見えたのだ。
「マリーナは水の精霊魔法を使ってある程度暑さを遮断することが出来ていたけど、アナスタシアは出来ないのか?」
「……あのね、私は精霊魔法を使えるし、技量もそれなりにあるとは思ってるけど、だからといって何でも出来る訳じゃないのよ」
自分とマリーナは同じ精霊魔法使いではあっても、その技量にはそれだけの差があると、そう言いたいのだろう。
レイも向こうの世界でその辺りについては理解していたので、それ以上は突っ込むようなことはなく、屋台に向かう。
この時季になると、果実水が屋台で売られることは多い。
だが、一口に果実水と言っても、屋台によって大きな当たり外れがある。
果汁に何を使っているか、そして何種類の果汁を使っており、その配合は。
本当に凝っている――つまり値段が高い――屋台ともなれば、それ以外にも果実水を飲むコップの形にも拘っていたりする。
水にしろ、果実水にしろ……それこそ紅茶やアルコールといった諸々であっても、コップの口をつける場所の形によって、味が変わったりする。
正確には味が変わる訳ではなく、香りであったり、口当たりであったり、喉ごしであったり……そのような諸々が変わることにより、味が変わると認識されるのだ。
そのように凝っている屋台は仕事として屋台をやっている者ではなく、赤字覚悟の趣味でやっていたりするのだが。
ともあれ、そんな中でレイが絶対に購入前にチェックする点は、冷蔵用のマジックアイテムを持っているかどうかだ。
夏になりかけ、もしくは夏の終わりといった頃ならともとかく、今のような夏真っ盛りともなれば、温い果実水というのはとてもではないが飲めたものではない。
……冷たい果実水に比べると、温い果実水の方が身体にはいいのかもしれないが。
ともあれ、折角ミスティリングがあるのだから、レイとしては冷たい果実水があるのなら大量に欲しい。
「いらっしゃい。果実水は一杯銅貨五枚だよ」
「……高いわね」
屋台の店主の言葉に、アナスタシアは微かに眉を顰めてそう告げる。
普通の果実水なら、どんなに高くても銅貨三枚程度だ。
場合によっては、銅貨一枚という店も珍しくはない。
そんな中で銅貨五枚というのは、かなり強気の値段だった。
勿論、アナスタシアも名の知られた研究者なので、貧乏という訳ではない。
それこそ、金持ちと呼ばれてもいいくらいには、資産を持っている。
だがそれでも、屋台の銅貨で五枚というのは金持ちであってもぼったくられている気分になるのは当然だろう。
しかし、そんなアナスタシアの言葉に店主は笑みを浮かべて口を開く。
「姉ちゃんの言いたいことは分かるが、まずは飲んでみてくれ。もし飲んでそれで銅貨五枚の価値がないと思ったら、差額分は返すよ」
自信満々にそう告げる店主の様子に、アナスタシアはそれ以上不満を口にせず、まずは実際に飲んでみることにした。
これで銅貨五枚分の価値がなかったら、思い切り不満を言ってやろうと思いながら。
そうして、レイ達には取りあえず見ているように言い、銅貨五枚を支払って果実水を貰う。
木のコップで出て来た果実水だったが、驚くべきはその果実水が半ばシャーベット状になっていることだろう。
シャーベット状になっていながら、完全に凍っている訳ではなく、普通に飲むことが出来る。
液体とも固体とも違う、その間の食感。
それが気に入ったのか、アナスタシアは勢いよくコップの中身を飲み……
「痛っ!」
不意に飲むのを止め、頭を押さえる。
いわゆる、アイスクリーム頭痛という奴なのだが、好奇心旺盛なアナスタシアでもその辺りの知識はないらしく、痛みを堪え……やがて、屋台の店主を睨み付ける。
しかし、睨み付けられた店主は今までの客で同じことを何度も経験している為か、特に怯えた様子もなく、口を開く。
「うちの果実水を一気に飲むと、そうなる奴もいるんだよ。ならない奴もいるから、人によって違うんだろうが」
「……何かの罠、じゃないのね?」
「当然だ。このマジックアイテムは、そこの建物にいる錬金術師達が作ってくれたんだぜ?」
「だからこそ、何らかの罠だと思ってしまうんだが」
錬金術師達に散々迷惑を掛けられているレイが、店主の言葉を聞いてそう呟く。
だが、錬金術師達があそこまでレイに執着するのは、あくまでもレイが錬金術師達の興味を惹く素材やマジックアイテムの類を持っているからだ。
とはいえ、この屋台にそこまで錬金術士達が協力する理由は分からなかったが。
「それにしても、錬金術師達はよくそこまで手を貸してくれたな」
レイが知っている錬金術師達であれば、自分に利益があるのならともかく、他人の為に無償で自分の技術を使う……といったようなことはないように思えた。
「ああ、それは俺の屋台で売ってる果実水が美味いからだろうな。それを、半分くらい冷凍してくれるようなマジックアイテムを作って貰って、更に美味くなったけど」
そう言われると、レイも納得する。
まだレイは果実水を飲んではいないが、アナスタシアの様子を見れば、店主が言ってるように自信満々なのは理解出来た。
「取りあえず、銅貨五枚の価値はある。そう思ってもいいのか?」
尋ねるレイに、ようやく頭痛が治ったアナスタシアが頷く。
「ええ。それどころか、銀貨一枚でも買う人はいるでしょうね」
それだけ、アナスタシアにとって果実水は美味かったということなのだろう。
そんなアナスタシアの言葉を聞けば、レイ達もそれを飲んでみたいと思うのは当然のことで、それぞれに料金を支払って果実水を買う。
……セトと二頭の鹿の分だけは、レイが持っていた器に入れて貰ったが。
そうして飲んだ果実水は……
(シェイク?)
それが、レイの正直な感想だった。
レイの住んでいた場所は東北の田舎だ。
だが、それでもハンバーガーチェーン店は多い。
……もっとも、全世界的にチェーン展開されているハンバーガー店がオープンしたのは、レイが高校に入った後の話だったが。
それまでは、美味いが高校生の小遣いでは気軽に入ることが出来ないような、高いハンバーガーのチェーン店しかなかったので、実はシェイクを飲んだ回数そのものは、レイはそこまで多くなかったりする。
それでも果実水は間違いなくシェイクに近い味だった。
(普通に果実水を凍らせただけだと、こういう風にはならないよな。牛乳の類も入ってるのか? いや、けど……うーん……)
レイは、元々そこまで味覚が鋭い訳ではない。
現在の身体になって五感が日本にいた時よりも強化されているのは事実だが、だからといって食べたり飲んだりした料理や飲み物がどのような材料を使われ、どのように調理されているのかといったことを、理解出来る訳ではないのだ。
だからこそ、購入した果実水はシェイクに近い味であるというのは分かるが、具体的にどのようにすればこのようなことが出来るのかといったことは、レイにも分からない。
(出来れば聞きたいけど、この屋台にとってはそれこそこれが飯の種なんだから、教える筈がないか)
そう判断したレイは、どうやってこの果実水を作っているのかは聞かず……代わりに現在ある分、全てを購入してミスティリングに収納するのだった。
「あんなに購入して、よかったの?」
領主の館に向かっている途中、アナスタシアが呆れたように言ってくる。
だが、レイは特に気にした様子もない。
「店主も喜んでいたし、問題ないだろ。それに、俺が買ったのは在庫分だけで、まだ材料があるから、少し時間は掛かるけど品切れにはならないって言ってたし」
そう言いながら進み……やがて、領主の館が見えてきたことで、アナスタシアもそれ以上は責めるのを止めるのだった。