2421話
「じゃあ、レイ、ヴィヘラ、セト。……それとアナスタシア、ファナ。お前達には本当に世話になった」
そう言い、ザイが名残惜しそうにしながら頭を下げてくる。
そんなザイの姿に、集落から見送りに来ていた他のケンタウロス達も、レイ達に向かって頭を下げる。
……つい先程までヴィヘラと模擬戦をやっていた者達は、頭を下げる前にヴィヘラに向かって畏怖の視線を向けていたが。
ヴィヘラの方は、そんな相手の様子を特に気にしてはいないらしいが。
「気にするな。俺もお前達のおかげで色々と助かったのは事実だしな。アナスタシア達も見つけられたし」
そう告げるレイの言葉に、ザイは複雑な表情を浮かべる。
いや、それはザイだけではなく、この集落の長たるドラムやその息子のドラットもまた同様だった。
何しろ、アナスタシア達の情報収集をするというのが、レイ達が偵察隊に参加する報酬だったのに、戻ってきてみればそのアナスタシア達と合流しているのだから。
結果として、報酬代わりにレイ達が要望したのは精霊の卵を守るということだった。
……本来なら、それこそ精霊の卵以外にもっと別の報酬を要求してもおかしくはなかったのだが、レイにそんな気はない。
地形操作のレベルが上がり、多数のドラゴニアスの死体を入手したことで、十分満足したのだ。
これで、ザイの集落に何かレイの興味を惹くマジックアイテムでもあれば、話は違ったのだろうが。
「そう言って貰えると、こっちとしても助かる。……それにしても、本当に見送りはここまででいいのか?」
集落のすぐ外までの見送りだけに、もっと遠くまで送っていっても構わない。
そう告げるザイだったが、レイとしてはそれでは困る。
何しろ、レイ達が行くのはこの世界とは違う異世界であり、それだけに一緒についてこられると困るのだ。
「ああ。ザイ達も今は自分達がどうするか考える必要があるだろ。特に精霊の卵に関しては、ザイ達が守るにしても、敵に見つからないようにするとか、そういう必要もあるだろうし」
その言葉に、ザイは真剣な表情で頷く。
実際、精霊の卵の一件は自分達が強くなるというのも大事だが、そもそも精霊の卵がこの集落にあると、探している相手にそう認識させない必要があった。
「また、機会があったらこっちに寄るよ。その時、精霊の卵をどうしているのか教えてくれ」
一応そう告げるレイだったが、またこの世界に来ることが出来るかどうかは、まだ不明な状況だ。
ダスカーがどう対応するのかといった問題もあるし、何よりもエルジィンとこの世界を繋げているのはグリムだ。
……勿論、グリムはアナスタシアとは別の意味で好奇心の強い性格をしている以上、こちらの世界に対して興味を持ってもおかしくはないのだが。
「すまないな。……じゃあ、またな。いい風が汝に吹くことを」
その言葉は、恐らく相手に幸運を祈るという……グッドラック的な意味なのだろうと判断し、レイは頷く。
いつものように、レイはセトの背に乗り、ヴィヘラはレイの後ろに乗る。
アナスタシアとファナは、この世界で遭遇した鹿に乗っていた。
そして、最後の別れをすませる。
ケンタウロスの……特に今朝の模擬戦でヴィヘラと戦った者達は、ヴィヘラがいなくなるということで安堵している者が大半だったが。
……そう、大半であって全員ではない。
中には、あの戦いで新たな道を開いてしまったのか、ヴィヘラに熱っぽい視線を向けている者が一人だけだが存在した。
本来なら、ケンタウロスというのはヴィヘラのような二本足の相手には、好意の類を持っても、それはあくまでも友人や恩人としての好意であって、男女間の好意とはならない。
ならないのだが……ヴィヘラに熱い視線を向けているケンタウロスは、その一線を跳び越えてしまったのだろう。
当然の話だが、そんなつもりのなかったヴィヘラは、熱い視線を向けてくる相手に困ってしまい、今では無視することにしたらしい。
「じゃあな」
短くそれだけ告げ、レイはセトの首の後ろを軽く叩く。
レイの合図に、セトは走り始める。
……そんなセトから少し離れ、二頭の鹿も走り始めた。
鹿にしてみれば、まだセトは恐怖の象徴でしかない。
自分達よりも圧倒的に格上の存在で、それこそセトがその気になればすぐにでも自分達は殺されてしまうような、そんな存在。
とはいえ、そういう意味ではレイやヴィヘラもまたセトと同様に二頭の鹿を瞬時に殺すことが出来るだけの実力を持っている。
(その割には、俺やヴィヘラに対しては、そこまで警戒心を抱いてないんだよな)
走るセトの背の上で、レイは若干の疑問を抱きつつ、少し離れた場所を走る二頭の鹿を見る。
鹿はレイが視線を向けているのに気が付いても、特にそれらしい反応を見せることはない。
(これって、俺とヴィヘラがモンスターじゃないから、安心してるのか? いや、けどそれだとちょっとおかしいよな)
レイの身体は、ゼパイル一門によって作られたものだし、ヴィヘラはアンブリスというモンスターを吸収している。
双方共に、とてもではないが普通の人間と言えない状態なのだ。
それこそセトをモンスターとして怖がるのなら、レイやヴィヘラも同様に怖がってもおかしくはない程に。
「どうしたの?」
そんなレイの様子に気が付いたのか、ヴィヘラが後ろから声を掛ける。
ヴィヘラにしてみれば、不意にレイが横を向いてアナスタシアやファナの方を見ていたので、一体どうしたのかと疑問に思ったのだろう。
レイにしてみれば、アナスタシアやファナではなく、そんな二人が乗っている鹿を眺めていたのだ。
そんな中で不意に声を掛けられ、少し驚いたものの、何でもないと首を横に振る。
「いや、何でもない。ただ、ちょっと……あの二頭の鹿が俺達の世界に来ても大丈夫なのかと思ってな」
「それは……まぁ、ドラゴニアスのことがあれば心配したくなるかもしれないけど、でも、鹿よ? 大丈夫じゃない?」
「だと、いいんだけどな」
レイが咄嗟に口にしたのは、言い訳だった。
だが、それを実際に口にしたことで、それが本当に大丈夫なのかと、そんな疑問を抱いてしまったのは事実だ。
「ドラゴニアスは私達の世界にはいない。それに死体だから、素材として使い物にならなくなった。けど、鹿なら私達の世界にも普通にいるんだし、問題ないんじゃない?」
「普通に考えればそうなんだが……」
レイはそこで一度言葉を止め、再び鹿に視線を向ける。
鹿と一括りにしていても、多少の差異で名前が変わるということは、日本でも普通にあった。
勿論、それは生物学的に考えてそうするのが自然だからということなのだろうが……アナスタシア達が乗っている鹿は、果たしてエルジィンの鹿と同じと考えてもいいのかどうか。
その辺の判断はレイにもつかなかったが、鹿に対してここに残るようにと言っても、まず間違いなくそんなレイの言葉を聞く筈がない。……そもそも、レイの言葉を理解出来ているかどうかも、難しい話だが。
そんな訳で、レイは結局アナスタシアやファナに対して、何も言わないことにする。
何を言っても鹿がアナスタシアやファナと共にエルジィンに来ることを止めない以上、ここで何かを言っても意味はない……どころか、無駄にアナスタシア達を不愉快にするだけだろうと、そう思った為だ。
それに、ヴィヘラが言うように鹿が普通にエルジィンで生きていけるという可能性も否定は出来ないのだから。
「グルゥ!」
レイが鹿を見ていると、不意にセトが喉を鳴らす。
そんなレイの様子に視線を前方に向けると、その先にあるのは見覚えのある場所だった。
正確には、エルジィンに繋がっている場所を隠している場所というのが正しい。
とはいえ、何らかの目印がある訳ではない以上、レイは見覚えがある気がするといった感じなのだが。
だが、魔力を感じるセトが反応している以上、それは間違いない筈だった。
「ここだ」
レイの言葉を聞き、セトは足を止める。
そしてセトから離れた場所を走っていた二頭の鹿も、セトが止まったのを見て足を止めた。
「え?」
アナスタシアの口から、そんな疑問の声が上がる。
アナスタシアにしてみれば、周囲に特に何もあるように見えないのだろう。
(まぁ、それだけグリムの技量が高いってことなんだろうけど)
グリムの技量を考えれば、アナスタシアやファナがエルジィンに繋がるこの場所を認識出来ないのは、おかしな話ではない。
グリムはゼパイルが生きている時代から存在し続けているのだから。
そんなグリムに対し、アナスタシアはそれなりに優秀な精霊魔法使いで、そしてとびきり優秀な研究者であっても、グリムの施した偽物の光景を見破るような真似は出来ない。
ファナにいたっては、魔法使いでもなく、研究者としてもアナスタシアよりも下なのだから、アナスタシアが見つけられない存在を見つけられる筈もない。
「取りあえず、念の為に降りてくれ。多分大丈夫だとは思うけど、この先で何が起きるか分からないしな」
そう告げるレイの視線が向けられるのは、やはり二頭の鹿だ。
この世界の存在が、死体ならともかく生きたままでエルジィンに向かうのは、一体どういうことになるのか。
これが初めてである以上、どうしても注意深く見守る必要があった。
「そこまで心配しなくてもいいと思うわよ?」
そう気楽にヴィヘラが告げる。
特に何かの根拠がある訳ではなく……敢えて根拠を上げるとするのなら、それは女の勘とでも呼ぶべきものだろう。
だが、レイはそんなヴィヘラの言葉に気持ちを落ち着かせて周囲の様子を確認する。
まだ昼前だからか、それとも草原ということで涼しげな風が吹いている為か、暑さの類は感じない。
エルジィンに戻れば、そこは間違いなく夏だというのに。
……もっとも、レイの場合は簡易エアコンの機能があるドラゴンローブを着ているので、気温に関しては特に問題にしていないのだが。
「うん、いい空気だな。この世界にまた来ることが出来るかどうかは分からないけど、出来ればまた来たいと思うくらいには」
「私は絶対にまた来たいわね。何だかんだと精霊の卵をもっと研究したいし。……でも、ウィスプも研究したいのよね。こうして実際に異世界に来ることが出来たのは、結局ウィスプのおかげなんだし。だとすれば、あのウィスプをもっと研究すれば……それは最終的に、様々な世界を自由に行き来出来るかもしれないということだし」
そう告げるアナスタシアは、それこそ本気で現在の自分はどうしたらいいのかと、迷ってしまう。
自分の身体が二つあれば……と、そんなことすら考える。
勿論、今までにも似たようなことを考えることは多かったが、今回の一件に関しては間違いなく今までで一番大きな意味を持つ。
何しろ、異世界なのだ。
普通に考えれば、間違いなく一生で一度出会えるかどうかといったような、そんな研究対象なのだ。
その異世界そのものと、異世界と繋げたウィスプ。
どちらを研究したいかと言われれば、その答えはとてもではないがすぐには出せない。
「アナスタシア、どうした。そろそろ行くぞ」
アナスタシアが考えに夢中になっている間にも時間は経過していたのだろう。
レイの声で我に返ったアナスタシアは、そちらに視線を向ける。
すると、いつの間にか……本当にいつの間にか、レイ達が揃って自分の方を見ているのに気が付き、そちらに向かって歩き出す。
「ごめんなさい。ちょっと考えごとをしていたのよ。……この世界ともそろそろお別れとなると、どうしてもね」
「あー……まぁ、そうだろうな。今回の一件はアナスタシアにとっては色々と意味が大きかっただろうし。そうでも思わないと、今回の一件は色々と面白くなかっただろ」
「そうでも思わないとというか……そう思わなくても、私は面白かったけどね。命の危機には遭ったけど」
好奇心旺盛なアナスタシアにしてみれば、異世界という場所に来ることが出来たことそのものが大きな意味を持っていた。
それこそ、そう簡単にこの世界の研究を諦められないくらいには。
幸か不幸か、この世界はエルジィンと比べて、そこまでおかしな場所はない。
……エルジィンには存在しない、ケンタウロスやドラゴニアスといった存在がいるという点が大きく違ったが。
とはいえ、エルジィンも広いし、まだ未知の領域は多数存在する。
そのような場所にドラゴニアスはともかく、ケンタウロスがいるという可能性は否定出来なかったのだが。
「さて、取りあえず行くぞ」
レイはそう告げ、他の面々と共にグリムによって隠された場所に踏み込むのだった。