2410話
地下空間の中を進み始めて、二時間程……当然のことながら、ケンタウロス達の中にはこのまま進み続けることに不満を持つ者も現れる。
これが地上……草原であれば、二時間程度走ったところで特に不満を覚えたりはしないだろう。
草原を走るのなら、風が吹くし、空には青空や雲、太陽といった諸々が存在し、また周囲を見れば様々な草や木、石、川といったような豊かな自然を見ることも出来る。
だが……この地下空間は違う。
走っている以上、空気をその身で感じることは出来るが、それはあくまでも空気であって風ではない。
何よりもケンタウロス達の精神を疲労させたのは、走っても走っても、周囲の光景は全く変わらないといったことだろう。
実際には微妙に違ってはいるのだろうが、地上の草原のように、見て分かる程の違いはない。
そんな中を延々と走り続けるのは嫌になり、途中で地上に繋がっている坂に戻る者も多数いた。
……それでも大半の者達が走り続けたのは、やはり自分達を苦しめた女王の姿を……それこそ、例え肉片や炭、もしくは灰であってもいいから、見てみたいと思ったのだろう。
ドラゴニアスによって、ケンタウロスがどれだけの被害を受けたのか知っているレイとしては、ザイを始めとしたケンタウロス達がそのように希望するのなら、それを叶えない訳にはいかない。
(昨日なら、もうとっくに女王の姿が見えてたんだけどな。……いやまぁ、燃やした俺が何を言っても、意味はないか)
セトの背の上で遠くを眺めつつ、レイはしみじみと昨日の戦いに思いを馳せる。
昨日の戦いは、それこそレイにとってもかなり危険な戦いだった。
「レイ、どうしたんだ?」
近くを走っていたアスデナが、不思議そうにレイに視線を向けてくる。
セトの背の上で、遠くを見るような様子だったレイに、疑問を抱いたのだろう。
そんなアスデナに対して、レイは何でもないと首を横に振る。
「ちょっと昨日のことを思い出していただけだよ。……昨日なら、ここくらいの距離からもう女王の姿が見えたんだけどな」
「……ほう」
レイの言葉に、興味深そうな様子を見せるアスデナ。
ここからもう見えたという女王が、一体どれだけの大きさだったのかを考えているのだろう。
「ドラゴニアスは、魔法を使うといったことをしないからね。それとも、この地下空間にいたドラゴニアスは、魔法を使ったりしたのかい?」
アスデナとの話を聞いていたのか、ドルフィナがレイに向かってそう尋ねる。
昨日は何だかんだと忙しく、地下空間での戦いについて詳しく聞くことは出来なかった。
今日もまた、朝に起きたら朝食を食べ……その後はある程度ゆっくりとした時間があったものの、それでもタイミングが悪かったのか、ドルフィナが聞きたかったことを聞き逃してしまう。
その後は、何となく聞くことが出来ないままにここまで来たのだが……今がチャンスと、アスデナと話しているレイに、そう尋ねたのだ。
そんなドルフィナの様子など全く気が付いていないレイは、少し考えてから口を開く。
「そうだな。色々と特殊能力を持っているドラゴニアスはいたけど、魔法を使ってる奴はいなかったな」
「特殊能力? それは、斑模様のドラゴニアスのようなかい?」
「そんな感じだな。光学迷彩……透明になるような能力や、身体を斬り裂かれてもすぐに再生する能力、ブレスを吐いたり、短距離だが転移したり、空を自由に歩いたり。……改めて考えると、もの凄い能力の持ち主だったな。女王は女王で、色々と特殊な能力を持っていたし」
レイが驚いたのは、女王が黒の鱗のドラゴニアスと同じような再生能力を使ったことだろう。
もしかしたら、他のドラゴニアスの能力も使えた可能性があったのだが、幸いなことにそのような能力が実際に使われることはなかった
……代わりに、先端が振動している触手を無数に放ってきたり、身体を激しく震動させて防御力を高めたりといったようなことはしてきたが。
(女王は間違いなく高い知性を持っていた。……何しろ、こっちとの意思疎通が出来るくらいの能力はあったんだから。もっとも、その意思疎通も単語だけだったから、こっちで翻訳する必要があったけど)
そんな女王だけに、もし他の能力を使えたのなら、レイと戦っていた時に使っていた筈だ。
もっとも、あれだけの巨体であった以上、光学迷彩を使っても容易に攻撃は命中させられるだろうし、転移能力も基本的には短距離なので、女王の巨体であれば意味はない。
また、あの巨体である以上は空中を歩くといったような真似も出来ないだろう。
透明の鱗のドラゴニアスの強靱な脚力も、同様に女王の役に立つとはレイには思えなかった。
(そうなると、白の鱗のドラゴニアスのブレスだけが役に立つのか)
そう思い……ドルフィナとの会話を続けつつ、更に時間が経過すると、やがて高熱で地面が焼けた影響か、広範囲に渡って地面がガラスと化している場所に到着する。
「うわぁ……」
その場所に到着した時、そう呟いたのは一体誰だったのか。
……何故か、レイもまたその光景を見て驚いていた。
女王を倒した時、既に意識が朦朧としていた為か、地面がこのようなことになっているとは気が付かなかったのだ。
レベル五になった地形操作を使ってその性能を確認するといったようなこともしたのだが、それでも地面がこのようになっていると気が付かなかった辺り、やはり限界が近かったということの証なのだろう。
(一応、意識ははっきりしていた筈なんだが……そこまで気が付かないくらいに朦朧としてたのか? とはいえ、幾ら何でもこうなっていたら気が付いてもいい筈だが。……となると、もしかして俺がここから立ち去った後でこうなったとか?)
それであれば、レイがここにいた時に地面のガラス化に気が付かなかったのは、十分に理解出来る。
自分がこんなことにも気が付かなかったとは思いたくないのか、レイは半ば無理矢理にそう思い直す。
……もっとも、昨日の戦いを考えれば、それでレイを責めるような者はいないだろうが。
「凄いわね、これ」
皆がガラス化した地面に声も出せない程に目を奪われている中、最初に我に返ったのはアナスタシアだった。
好奇心旺盛な性格をしているだけに、ガラス化した地面というのは、それこそ興味を持つなという方が無理なのだろう。
すぐに乗っていた鹿から降りると、ガラス化した地面に向かって駆け出し、調べ始める。
そんなアナスタシアを追うように、ファナもまた鹿から降りてガラス化した地面に向かう。
「これ、外にあったら太陽の光に反射して、凄く綺麗なんでしょうね」
ヴィヘラが、少しだけ残念そうに呟く。
ここは天井や地面が何らかの理由で光ってはいるが、当然太陽の光には及ばない。
だからこそ、一応それらの光がガラスに反射はしているが、そこまで綺麗には見えなかった。
「そうだな。……とはいえ、地上であんな行為をそう簡単にやる訳にはいかないし」
土がガラスとなるには具体的にどのくらいの温度が必要になるのかは、レイにも分からない。
ただ、以前日本にいる時にTVで見た古代文明に本来は有り得ないというオーパーツ……いわゆる、場違いな工芸品に関する特集で、古代核戦争説というのが紹介されて、その中で地面がガラス化しているというのを見たことがある。
つまり、この地面がガラス化しているということは、レイが女王の体内で炎帝の紅鎧に魔力と生命力を注ぎ込んで内部から燃やした時には、それに匹敵する温度だった筈なのだ。
……もっとも、それだけの熱が発生したのなら、それこそこの地下空間そのものがどうにかなってもおかしくはないのだが……それがこの程度の効果範囲ですんでいる辺り、炎帝の紅鎧というスキルの特殊さ故なのだろう。
「……ちょっと、レイ……」
「アナスタシア?」
先程まで興味津々といった様子でガラスを調べていたアナスタシアが、それこそ信じられないといったような……一種の恐怖に近い表情を浮かべながらレイの方を見てくる。
「貴方……これ、とんでもないわよ?」
「とんでもない?」
好奇心を満足させる為なら、多少の……いや、かなりの危険にも自分から突っ込んでいくようなアナスタシアの様子とは思えないことに疑問を持ちながら、話の先を促す。
「ええ。私はエルフだから火の精霊についてあまり詳しくないから気が付くのが遅れたけど……このガラス、強力な火の精霊の力が封じ込められてるわよ」
「……精霊? 何で?」
これが、あるいは単純に炎の力と言われれば、レイも納得出来ただろう。
実際に女王を燃やすのに炎帝の紅鎧によって強力な熱を発したのだから。
だが、そこに精霊という要素が入ってくると、何故? と疑問に思うのは当然だろう。
少なくても、レイには精霊魔法は使えない。
(待て。精霊魔法? 精霊……精霊か。女王は強大な土の精霊の力の塊とでも呼ぶべき精霊の卵を欲していた。つまり、女王そのものが精霊に何らかの関係があった存在であったとしても、おかしくはない。そんな女王を、俺は炎帝の紅鎧で焼き殺した。だとすれば……)
そこまで考えを纏めたレイは、改めてガラス化された地面を見て、口を開く。
「火の精霊がガラスに封じられていても、おかしくはない……のか?」
普通に考えれば、十分におかしい。
だが、それでも今の状況を考えると、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、そのような可能性はあってもおかしくはないのではないか。
……魔法使いや、精霊魔法使い、研究者といった者達が聞けば、恐らくそんなことは絶対に有り得ないと口を揃えて言ってもおかしくはない。
だが、それでも現在の状況を考えると、そのようなことになってもおかしくはないと、そう思えるのだ。
「何でそうなったのかは分からないけど、偶然に偶然が重なって、その上で更に偶然が幾つか組み合わさった結果出来たんだろうな」
「……何個の偶然が関わったのかしら?」
呆れた様子でアナスタシアが呟くが、実際にそうでなければこのような状況にならないというのは、本人も理解しているのだろう。
「取りあえず、このガラスは何かの役に立つかもしれないから、持って帰った方がいいわね」
「……もしかして、マジックアイテムの素材になるのか?」
少しだけ……だが、確実に期待の込められた様子で、レイはアナスタシアに尋ねる。
マジックアイテムを集める趣味を持つレイにしてみれば、もしこのガラスが何らかのマジックアイテムの素材になるのなら、それを放っておくという選択肢はない。
火の精霊の力が宿るガラス。
それが一体どのような効果を発揮するマジックアイテムに生まれ変わるのかと考えれば、女王を倒したことに意味があったと、笑みが浮かぶ。
「そう、ね。使い道は色々とあると思うわよ? その辺は、それこそ錬金術師によって変わってくると思うけど。それに、恐らくこのガラスは純粋に攻撃手段としても使えると思うわ。……見てて」
そう言い、アナスタシアはガラス化している地面から指先程度の一欠片のガラスを手に取ると、少し離れて誰もいない場所に向かって投げる。
そうして投げられたガラスは、地面に触れるや否や、強烈な炎を生み出す。
ガラスと炎と言われてレイが思い浮かべたのは、火炎瓶だ。
だが、アナスタシアが投擲したガラスが生み出した炎は、火炎瓶とは比べものにならない程の巨大な炎を生み出す。
……もっとも、レイが知っている火炎瓶というのは、あくまでも漫画やアニメ、ゲームといったもので知った知識であって、実際に自分の目で直接火炎瓶を見たことはないのだが。
「これは……凄いな」
生み出された炎に、レイは驚きを感じながら呟く。
アナスタシアが投擲したガラスの破片は、非常に小さな代物だ。
そうである以上、もっと大きなガラスの欠片を投擲した場合、それが一体どれだけの炎となるのか。
考えただけで、レイの口元には笑みが浮かぶ。
「直接攻撃の手段としても使えるし、マジックアイテムの素材としても使えるのか。……間違いなく一級品だな」
レイの言葉に、アナスタシアは頷き……同時に、疑問を口にする。
「レイのスキルでこうなったって話だったけど、それは一体どういうスキルなの? 少なくても、私が知ってる限りではこんなことになるようなスキルなんて存在しないわよ?」
「だろうな」
アナスタシアの疑問に、レイはそう返す。
実際、女王との戦いでは、レイもかなり無茶をしたという思いがある。
また、スキルというのは魔力があっても魔法を使えない者が、その魔力を独自の技術、もしくは技にするというものであって、言ってみれば千差万別だ。
人の数だけスキルがあると言ってもいい。
……勿論、人によっては似たスキルを持っていることも珍しくはないのだが。
そんな思いを抱きつつ、レイはガラスをミスティリングに収納するのだった。