2397話
降り注ぐ雨のように、大量の触手がレイに向かってやって来る。
いずれもその触手の先端は激しく振動しており、もし生身でその振動に触ったりしたら、一体どうなるのかは、考えるまでもない。
前後左右上下……あらゆる場所から、触手は襲ってくる。
……そう。先端が振動している為か、容易に地面を掘り進めることが出来るのか、触手はレイの足下からも地面を通って襲ってくる。
(地中からも襲ってくるとなると、雨って表現はどうかと思うけどな)
そこら中から触手で攻撃されながらも、レイはそんな風に感じるだけの余裕がある。
実際、触手の先端部分が単独で炎帝の紅鎧によって産み出された深紅の魔力の防御を突破出来ないのだから、レイとしてはそこまで警戒する必要はない。
とはいえ、それはあくまでも一部単独での場合での話だ。
もし触手が連続で襲ってきた場合は、一体どうなるのか。
それは、正直なところレイにも分からない。
分からないので、取りあえず襲ってくる触手は可能な限り切断していた。
デスサイズと黄昏の槍が、それぞれに独自の意思を持っているかのように振るわれ、レイに向かって接近してくる触手を、休む間もなく切断し続ける。
また、触手の迎撃に動いているのはその二つの武器だけではなく、レイの身体を覆っている深紅の魔力も、第三の手のように自由に動き回っては、次々と触手を吹き飛ばしていく。
触手は、その先端部分は激しく振動しており、触れることも難しいだろう。
だが、激しく振動しているのは、あくまでも先端の部分だけなのだ。
つまり、レイが攻撃の手段としているデスサイズ、黄昏の槍、深紅の魔力……それらを使って触手の先端より下の部分を攻撃すれば、そちらはあっさりと切断したり、砕いたりといったことが出来る。
それ以外にも……
「そこだ!」
その言葉と共に、深紅の魔力にレイのイメージが付与され、その通りの炎……深炎となって放たれる。
空中で爆散した深炎は、無数の炎になって触手に付着し、燃やしていく。
女王は触手に付着した炎を消そうとするも、粘着力のある炎はそう簡単に消えるようなことはない。
それどころか、粘着力がある為に、その炎を消そうとして触れた別の触手にも燃え広がってしまう。
そのような状況になると、女王としてもその触手をそのままにしておけば、次々と炎が燃え広がると判断し、触手を根元で切断する。
それはいいのだが、根元から切断された触手は、次の瞬間には再び生えてくる。
「厄介な。……いや、黒の鱗のドラゴニアスを産み出していたんだから、その能力を使えるのはおかしくないのか? けど、そうなると……」
デスサイズで真っ直ぐ自分に向かって来た触手を切断し、その隙を突くかのように後ろから放たれた触手を黄昏の槍で弾き、深紅の魔力で掴んで燃やす。
常にそのように身体を動かしながらも、レイは女王を観察することは止めない。
この場合、何よりも厄介なのは女王が黒の鱗のドラゴニアスと同じような再生能力を持っていたことだろう。
それはつまり……
(もしかして、ドラゴニアスの能力の全てが使える?)
そのような可能性が浮上したことを意味していた。
とはいえ、透明の鱗のドラゴニアスが使う脅威的な跳躍力の類は、見上げるような肉塊である女王が使えるとは思えない。
だが、それ以外……例えば、七色の鱗のドラゴニアスが使う短距離の転移や白の鱗のドラゴニアスの放つブレス、透明の鱗のドラゴニアスが使う光学迷彩……他にも諸々の特殊能力が使える可能性は、十分にある。
「とはいえ、何よりも厄介なのは再生能力だけどな!」
叫びつつ、デスサイズで数本の触手を纏めて切断する。
黒の鱗のドラゴニアスを倒す時に、一番手っ取り早いのは再生能力の意味がない程に強烈なダメージを与えることだ。
だが、それはあくまでも黒の鱗のドラゴニアスだったからこそ出来たことであり、その再生能力を女王が持ってるとなると、話が違ってくる。
(ゲーム的に言えば、ボスキャラが自動回復能力を持っていて、その自動回復される量は最大HPで決まる……って感じか?)
日本にいた時にやったRPGを思い出しながら考えるレイだったが、そのような真似をしている今も、女王から攻撃されている触手を次々と切断していた。……切断されてから少しすると、再び触手が伸びてくるのだが。
とはいえ、ある程度の余裕があるレイは触手の相手をしながら周囲の様子を確認する。
その視線の先では、セトとヴィヘラもそれぞれ敵と戦っている。
セトは、レイが最初に言ったように女王の周囲にいる普通のドラゴニアスと戦っているのだが……その光景は、戦いではなく蹂躙と呼ぶのが正しい。
産まれたばかりの為か、そこにいるドラゴニアス達の鱗は決して硬くはない。
レイが透明の鱗のドラゴニアスをあっさりと粉砕した時に比べると、ある程度時間が経っているので、多少は硬くなっているのかもしれないが……セトの体当たりを防ぐといった真似は、まず出来ない。
結果として、全速力で突っ込んでくるセトによって次から次に弾き飛ばされ……一撃で死ぬようなことはなくても、身体の骨が折れて身動き出来なくなるといったドラゴニアスが多数生み出されていた。
回避しようにも、セトの使った王の威圧の効果により動けず、セトを回避するような真似も出来ない個体が多数だったし、動けてもとてもではないが普段通りの行動とはいかないような、ゆっくりとした速度であり……そのような状況である以上、セトの攻撃に蹂躙されるのは当然だろう。
本来なら、通常のドラゴニアスは飢えに支配されているので、攻撃されてダメージを受けても、それを気にするようなことはない。
だが、それはあくまでもダメージを受けないということではない。
ダメージがあるが、飢えに支配されているが故に、その痛みを感じないのだ。……勿論、この辺りには個体差があり、飢えに支配されていても痛みを感じる個体もいるが。
そんなドラゴニアス達だが、足の骨が折れれば物理的に立てなくなるし、腕の骨を折られれば物理的に物を持てなくなる。
そういう意味で、セトの体当たりを正面から食らった個体は、身体が爆散するようなことはなくても、身体中の骨が折れるといったようなことになり、物理的に動けなくなる。
そうなれば、例え生きていても、そのドラゴニアスは脅威ではない。
いや、そのような状況になっても飢えに支配されており、近付けばその肉を喰い千切ろうとするのだから、それを考えれば絶対に安全という訳でもないのかもしれないが……少なくても、セトにとっては敵ではなかった。
「グルルルルゥ!」
そんなドラゴニアスよりも厄介なのは、セトを狙って女王から放たれる触手。
ドラゴニアス達がセトの周囲にいる為か、触手の数そのものはそこまで多くはなかったが、それでも隙を突くようにしては、攻撃が放たれてはいた。
ドラゴニアスの攻撃ならセトも問題はないと無視することは出来るのだが、先端が激しく振動しているが故に、強力な攻撃力を持っているその触手は、セトも容易に当たる訳にはいかない。
だからこそ、セトはドラゴニアス達を蹂躙しつつも、時折女王から放たれる触手の攻撃を回避することに集中していた。
とはいえ、当然の話だがセトもやられっぱなしという訳ではない。
触手の攻撃を回避すると同時に、前足を振るったり、クチバシで切断したり、もしくはスキルを使ったりといったように、触手は次々と壊されていく。
……黒の鱗のドラゴニアスと同じような再生能力を持っている女王は、触手が破壊されると、すぐに再生させていたが。
そうしてセトはドラゴニアスと戦いながらも、触手の相手をしているのだった。
(ヴィヘラは……)
自分に迫ってくる触手を、デスサイズ、黄昏の槍、深紅の魔力を使って破壊しながら、次にレイの視線が向けられたのは、自分と同じく女王と戦っているヴィヘラ。
ヴィヘラにも当然のように女王が放つ触手が次々と放たれてはいたが、その数そのものはレイに向かって放たれているものに比べるとかなり少ない。
これは、女王がどちらをより強く危険視しているかということの証だろう。
とはいえ、それでも次々に放たれる触手は、ヴィヘラにとって厄介な相手なのは間違いない。
自分に向かってくる、激しく振動している触手の先端を回避しながら、手甲から伸びている魔力によって生み出された爪や、足甲の踵から伸びている刃で、触手の振動していない場所を切断する。
切断された部位は、振動しながら地面に落ち……切断されても振動は即座に止まらない為か、地面に触れた場所がその振動によって強制的に耕されたり、爆散したり、地面に潜ったりと、様々な結果を見せている。
当然だが、そのような触手の先端はヴィヘラにとって決して好ましいものではない。
格闘を得意としているヴィヘラだが、当然のように動く時は地面を蹴って移動するし、一撃を放つ時もしっかりと地面に足を付けて一撃を放つ。
そのように地面が畑のように柔らかくなったり踏んだ瞬間にその地面が予想とは違って踏ん張りがきかなかったり、といったようなことになれば、当然のように思い通りの攻撃を放つことは難しい。
もっとも、ヴィヘラ以上に大量の触手によって襲われているレイの場合も、それは似たようなものなのだが……それを解決する方法は、そう難しいものではない。
つまり、触手が落ちていない場所の地面を踏めばいい訳で……一ヶ所に留まらず、移動しながら戦うというのが、その方法だった。
レイやヴィヘラにとっては、そこまで難しい話ではない。
次々と放たれる攻撃を回避するだけでも、意図的にせよ、無意識にせよ、レイもヴィへラも移動しながら行動しているのだから。
「それでも、こういう多数を相手にする時は、レイの武器が羨ましいわね!」
そう言いつつ、ヴィヘラは背後から襲ってきた触手の一撃を半回転することによって回避しながら、その動きと同時に右腕を下から上に放つ。
その一撃は、拳で何とかしようとしたのではなく、手甲から伸びている魔力の爪で触手を切断したのだ。
触手の中程から切断され、その先端は地面に落ちて振動により半ばまで地中に潜る。
だが、ヴィヘラはそんな様子を全く気にしない。
……正確には、自分に向かって襲ってくる大量の触手を相手にするのが忙しく、そちらに注意を払っている余裕がないのだ。
これで切断された触手がまだ女王の意識通りに動き、地面に落ちた状態から再びヴィヘラに向かって攻撃をするといったような真似が出来るのなら、また話は別なのだろうが……幸いなことに、今のところそのような様子はない、
「この数の触手は……これはこれで面白いんだけど、出来ればもっと別の相手と戦いたいわね!」
まるで蛇のように足下から近づいてきた触手の振動していない場所を足で踏みつけ……いや、踏み砕きながら、その場所から一気に跳躍する。
そして空中で放たれる後ろ回し蹴り。
ただし、普通に放たれる後ろ回し蹴りに比べてその一撃は非常に鋭く、ヴィヘラが空中にいる時間は短い。
多数の敵と戦っている最中に、踏ん張りがきかない空中に身を躍らせるというのは、ある意味で致命的だ。
これが、レイやエレーナのように、空中を蹴ることが出来るスレイプニルの靴のようなマジックアイテムでもあれば、話は別なのだが。
(この戦いが終わったら、その辺のスキルを開発してみてもいいかもしれないわね)
触手の攻撃を回避しながら、手甲の爪と足甲の刃によって切断しつつも、そんなことを考えるような余裕があるのは、ヴィヘラもこの戦いにある程度慣れてきたということなのだろう。
蛇のように足下から近付いてきた触手を踏み砕き、次の瞬間に跳躍しながら身体を動かす。
空中では身動きが取れないのが普通なのだが、ヴィヘラの場合は手足を動かすことにより、空中でも身体を動かすことは可能だ。
そうして動きながら、次々と自分に近付いてくる触手を切断し、砕いていく。
普通に考えれば、地上にいる状況と空に浮かんでいる状態では、身体の自由度もそうだが、何より下も含めて上下左右前後全ての方向から攻撃されてしまう。
……もっとも、激しく振動している触手は、その振動を使って地中に潜って下から攻撃するといったような真似も出来るのだが。
それでも地中を進むのと空中を進むのでは、どちらが上なのかは考えるまでもないだろう。
だというのに、ヴィヘラは空中で身体を捻らせながら手足を動かし、次々と踊るような動きで触手を切断していくのだった。