2373話
銅の鱗のドラゴニアスは、レイ達に対して全く攻撃をしないまま地下空間を進む。
最初こそ、相手の行動を少し……いや、かなり疑っていたレイだったが、それでもかなりの時間歩き続けても何も起こらない以上、取りあえずこれは自分達を罠に嵌めようとしている訳ではないのだろうと、そう判断する。
もし何らかの罠が仕掛けられていても、自分達ならどうとでも対処出来ると、そう思ってはいたのだが……それでも、取りあえず罠の類に誘き寄せる為の行動ではないというのは、レイにとっても助かったのは間違いない。
「時間の感覚がないのは、ちょっと問題だけどな」
「そうね。地上なら、空を見れば大体の時間が分かるんだけど……こういう場所だと、ちょっとね」
周囲に地上が見える穴でもあれば、時間を確認することは出来るだろう。
だが、穴も窓も何もないこの地下空間においては、空を見て現在の時間を確認することが出来ない。
光っている地面や天井、床が時間の経過と共に暗くなるのなら、時間を確認も出来るのだろうが、残念ながら今のところその様子はなく、光は最初にこの地下空間に入ってきた時のままだ。
……もっとも、レイの場合はミスティリングの中にマジックアイテムの懐中時計があるので、それで時間を確認することは出来るが。
そして懐中時計を出して時間を確認すると、銅の鱗のドラゴニアスによって案内されてから二時間程が経過していた。
それだけの時間が経過すれば、当然のように空腹を覚える。
そして空腹なのだと自覚すれば、余計にその空腹は強くなってしまう。
「腹が減ったな。……歩きながらだけど、何か食うか?」
本来なら、その場に座って何かを食べたい。
だが、自分達の案内をしている銅の鱗のドラゴニアスは、とてもではないが自分の言葉を聞いてくれるようには思えなかった。
だからこそ、何かを食べるとしてもその場で休みながら食べる訳にはいかず、歩きつつ食べるという選択肢しかない。
……銅の鱗のドラゴニアスを見失っても構わないのなら、その場で座って食べてもよかったのだろうが。
「そうね。この先、いつ食事を出来るか分からないし……食べられる時に食べた方がいいわね。残念なのは、歩きながらだから凝った料理は食べられてないことかしら。スープとかも無理そうね」
歩きながら食べるのだから、当然零れやすいスープの類は無理だろう。
それ以外にも皿に取り分けて食べるような料理も難しい。
やはりここは、普通に街中で食べ歩きが出来るような、そんな料理が最善だった。
そういう訳で、レイはミスティリングから自分とヴィヘラ、セトの分のサンドイッチを取り出す。
一応銅の鱗のドラゴニアスが近くにいるということで、黄昏の槍はミスティリングに収納したが、デスサイズだけはいつでも使えるように右手に持っている。
そして歩きながら食べるが……不意に銅の鱗のドラゴニアスが足を止めた。
そして、じっと……レイの方を見てくる。
銅の鱗のドラゴニアスが何を望んでいるのか……それは、レイにもすぐに分かった。
何しろ、ドラゴニアスというのは飢えに支配された存在だ。
そんなドラゴニスが……例え知性を持っている銅の鱗のドラゴニアスであっても、レイ達が食べているサンドイッチを見れば、それに食欲を刺激されない筈がなかった。
「ちょっと、じっとこっちを見てるわよ?」
サンドイッチを食べる手を止め、ヴィヘラがレイにそう尋ねる。
無表情でいなががら、銅の鱗のドラゴニアスの口……牙の間からは涎が地面に垂れている。
(どうする?)
一瞬そう考えたレイだったが、結局のところ銅の鱗のドラゴニアスが動かなければ、どこに行けばいいのか分からない――遠くに見えている何かに向かえばいいのだろうが――ので、レイはミスティリングからサンドイッチを一つ取り出し、銅の鱗のドラゴニアスに近付く。
レイと銅の鱗のドラゴニアスの間に、一瞬の緊張が走る。
もし自分が近付いたことでこちらに向かって攻撃してくるようなことになった場合、すぐに左手のデスサイズを振るうべきだと、そう考えながら……銅の鱗のドラゴニアスのすぐ前までやってきたところで、レイはサンドイッチを差し出す。
そのサンドイッチは、焼いたオーク肉と新鮮な野菜を挟んだサンドイッチ。
出来たてを購入してミスティリングに収納していたので、そのサンドイッチから漂ってくる香りは、焼き上がったばかりのオーク肉と甘めのソースが組み合わさった、食欲を刺激する香り。
飢えに支配されたドラゴニアスでなくても、それこそ普通の人間であってもその香りには空腹を覚えるだろう。
(どう出る?)
レイは、そう思いながら銅の鱗のドラゴニアスの反応を待つ。
目の前の相手が、自分達を案内する為に女王からここに遣わされたのは間違いない。
そうである以上、現在差し出しているサンドイッチを奪う為に襲ってくる……というのは、普通なら考えられない。
そもそも、差し出している以上、このサンドイッチは銅の鱗のドラゴニアスに渡すのを前提としているのだから。
だが……そのような常識が通用しないのが、ドラゴニアスなのだ。
だからこそ、このような状況で一体どう反応するかと、そう思っていたのだが……
「ジャハタアチャナ」
銅の鱗のドラゴニアスは、相変わらずレイには理解が出来ない言葉を口にしながら、差し出されたサンドイッチを受け取る。
それも乱暴に奪ったり、ましてやサンドイッチを持っているレイの手ごと噛みつくといったような様子ではなく、しっかりと自分の手でレイの持つサンドイッチを受け取ったのだ。
その上、ドラゴニアス特有の鋭い爪でレイの手が怪我をしないように、注意を払っている素振りすら見せながら。
(これは……ちょっと予想外だったな。もしこっちに攻撃せずにサンドイッチを受け取るにしても、てっきりもっと乱暴な真似をするかと思っていたのに。これは、銅の鱗のドラゴニアスが高い知性を持っているからか? それとも、俺達を案内するこの個体だけが特別に高い知性を持つのか?)
意外なドラゴニアスの行動に驚きつつも、レイはサンドイッチを持ったドラゴニアスの行動から目を離さない。
このような状況になった以上、まずここから自分に向かって攻撃をしてくることはないと思うが、それはあくまでもレイの予想通りならの話だ。
レイとは全く違う論理で動いているドラゴニアスだけに、それこそこの状況からでも一体何をするのかは、分からない。
場合によっては、ここでいきなりレイに向かって攻撃してきても、それには納得が出来てしまうくらいには、ドラゴニアスのことを信じてはいなかった。
だが……そんなレイの懸念には全く何の意味もないと言いたげに、銅の鱗のドラゴニアスは手に持ったサンドイッチを半ば無造作と言ってもいいような動きで口に運ぶ。
鋭い牙でサンドイッチを咀嚼し……
「ハンジャ!?」
サンドイッチの味が完全に予想外だったのか、銅の鱗のドラゴニアスの口からはそんな驚きの声が出た。
それが不味いと思っているのではなく、美味いと思っているのは、その顔を見れば明らかだ。
表情そのものは非常に分かりにくいのだが、それでも嬉しそうにしているというのは、見ている者には雰囲気で分かる。
(まぁ、普段は生きている生き物……ケンタウロスとかの肉を喰い千切っているんだから、料理という概念そのものがドラゴニアスには存在しないんだろうし。そう考えれば、この結果は納得出来るな)
今まで、何でも生で……それこそ、味付けどころか焼いたり煮たり蒸したりといったようなことをしないままで、食べてきたのだ。
そんなドラゴニアスにとって、サンドイッチというのは一体どれだけの驚きだったのか。
サンドイッチそのものはそこまで小さいものではなかったのだが、ドラゴニアスはレイと比べても大きい。
銅の鱗のドラゴニアスだから、他のドラゴニアスよりは小さいが、それはあくまでも他のドラゴニアスと比較しての話だ。
レイの渡したサンドイッチなど、一口で問題なく食べることが出来てしまう。
そうして食べ終わってしまえば、物足りないと思ったのか、銅の鱗のドラゴニアスがレイに視線を向けてくる。
その視線がどのような意思を示しているのかは、レイにも容易に理解出来たので、ミスティリングから新たなサンドイッチを取り出し、銅の鱗のドラゴニアスに渡す。
「ハタンジャ」
そう言いながら、レイが差し出した新たなサンドイッチを受け取る銅の鱗のドラゴニアス。
言葉は分からないが、恐らく感謝の言葉を口にしているのだろうと思うレイの視線の先で、銅の鱗のドラゴニアスは早速サンドイッチを口に運ぶ。
だたし、今度は一度に食べるのではなく、その鋭い牙で少しずつ、しっかりと味わうようにしながらサンドイッチを食べていた。
(こうして見ると、銅の鱗のドラゴニアスはそれなりに意思疎通は出来るんだよな。……ただ、ここまで来てしまった以上、ドラゴニアスとケンタウロスが友好的な決着を迎えるということはないだろうな)
これが、まだケンタウロスに殆ど被害の出ていない頃であれば、あるいは双方にとって幸運な決着になった可能性もあるだろう。
だが、数え切れない程のケンタウロスが喰い殺され、集落も幾つも潰されてしまった。
偵察隊に参加しているケンタウロスの中には、当然のようにそのような中で生き残った者が多い。
また、ザイの集落に集まっていたケンタウロスのように、自分の集落をドラゴニアスによって文字通りの意味で食い物にされた生き残りもいる。
そのような者達に、今更ドラゴニアスと友好的に接しろと言っても、それはまず不可能だろう。
場合によっては、そのようなことを口にしたレイに向かって、ケンタウロス達が攻撃を仕掛けてくる可能性も十分にあった。
とにかく、何をするにも遅いのだ。
今となっては、ケンタウロスとドラゴニアスのどちらかが殲滅されるしかないという、そんな状況になっている。
「お前達が、もう少し友好的にケンタウロスと接触していればな。……まぁ、知能があるのは指揮官以上のドラゴニアスだけだから、普通にドラゴニアスが出て来た時点でどうしようもなかっただろうけど」
そんなレイの言葉を聞き、銅の鱗のドラゴニアスはサンドイッチを少しずつ食べながら、レイに視線を向ける。
それこそ、もしかしたらレイがまた追加でサンドイッチをくれるのかもしれないと、そう思ったのだろう。
だが……結局のところ、レイが何も行動を起こす様子ないのを見て、銅の鱗のドラゴニアスは再びサンドイッチを食べることに専念する。
「それはもう、今更の話でしょう?」
サンドイッチを食べ終わったヴィヘラが、今までとは明らかに違う銅の鱗のドラゴニアスを見ながら、そう告げる。
ヴィヘラにしてみれば、銅の鱗のドラゴニアスはそこまで強そうには思えないので、本来はそこまで興味は抱かない筈だった。
普段であれば、銅の鱗のドラゴニアスであっても強敵として認識していたかもしれないが、今となってはこの地下空間に存在するだろう、自分がまだ一度も戦ったことがない、金の鱗のドラゴニアスや、斑模様のドラゴニアスといった相手との戦いを楽しみにしていた。
だからこそ、今は銅の鱗のドラゴニアスには興味を持たなかったのだ。
「簡単な腹ごしらえも終わったんだし、そろそろ進みましょう。この先に何が待っているのか……それを考えただけで、楽しみだわ」
「ヴィヘラの場合は、アナスタシアとはまた別の意味で目を離せないんだよな」
「あら、そう? なら、ずっと私から目を離さないようにしていてもいいのよ? 私としては、そんなことになったら大歓迎だし」
笑みを浮かべてそう告げる様子は、それこそ見ている者を魅了するだけの強烈な破壊力を秘めている。
ただし、この地下空間の中ではそんな魅了の威力も十分に発揮されるようなことはなかったが。
「そうだな、出来るだけそうするよ」
普通の男なら、すぐにでも頷きそうな魅力を発揮するヴィヘラの笑みだったが、レイは半ば投げやりにそう返すだけだ。
ヴィへラの美貌にも耐性が出来たということなのだろう。
「ともあれ、いつまでもこのままって訳にはいかないし。進むとするか。……おい、先に進むぞ」
サンドイッチを食べ終わり、生まれて初めての美味を思い出している銅の鱗のドラゴニアスに声を掛けるレイだったが、残念ながらレイの言葉が聞こえても理解は出来ない。
そうなると、やはり自分が進むことで銅の鱗のドラゴニアスにも行動を促すしかなく……レイはヴィヘラとセトを連れて、歩き出すのだった。