2371話
「これは……」
炭と化したドラゴニアスの死体を踏み砕きながら地下空間の中を進んだレイ達だったが、二十分程進むと、いきなり目の前に土の壁が姿を現す。
ただし、その土の壁もレイの放った魔法によって燃やされており、表面が焦げている。
「ドラゴニアスの中にも、魔法を使う個体がいるのね。……けど、この魔法は……」
ヴィヘラが驚いたのは、土の壁が一直線に、どこまでも続いているからだろう。
この広大な……それこそ、もう一つの大地と呼んでもいいような場所を区切るようにそびえ立っている土壁は、驚くべき存在なのは間違いない。
地形操作というスキルなら、レイも使える。……実際には魔獣術でデスサイズが習得したスキルだが。
しかし、その地形操作でも動かすことが出来る地面は、自分を中心にして半径七十m以内の地面を、百五十cm上げたり下げたり出来るというものだ。
とてもではないが、これだけの長さの土壁を作るような真似は出来ない。
ましてや、土壁の高さも地形操作でレイが作る土壁よりも圧倒的に高いのだ。
つまり、この土壁を作った存在は、最低でもデスサイズの持つ地形操作のスキル以上の土魔法の使い手ということになる。
「普通に考えれば、その辺のドラゴニアスに出来るような代物じゃないな。……考えられるとすれば、金の鱗のドラゴニアスか? それとも……斑模様のドラゴニアスか?」
レイが知ってる限り、銅の鱗のドラゴニアスは小柄で隠密性や知能は高いが、それだけの存在だった。
銀のドラゴニアスは基本的に戦闘に特化している形だ。
だが……金の鱗のドラゴニアスとなれば、魔法を使えてもおかしくはない凄みを感じさせる。
斑模様のドラゴニアスは、血のレーザーを放つような真似をする以上、普通のドラゴニアスが使えない魔法を使えてもおかしくはない。
(斑模様と、金、銀、銅の鱗のドラゴニアス以外に、別の種類のドラゴニアスがいなければの話だが)
ここがドラゴニアスの本拠地である以上、レイが今まで見ていない種類のドラゴニアスがここにいてもおかしくはない。
もっとも、ドラゴニアスは非常に個体差が大きいので、もしかしたら銅や銀の鱗のドラゴニアスであっても魔法を使える個体はいる可能性もあったが。
「女王」
結局その可能性が一番高いと、レイはその単語を口に出す。
まだドラゴニアスの頂点に立つ存在が女王……女王蟻や女王蜂のような存在であるとは限らないのだが、それでもここまで蟻に近い習性を見せられると、レイとしては一番その可能性が高いと思ってしまう。
「女王ね。……もしいるとしても、この土壁の向こうだと思うけど、どうするの? 壊す?」
「いや、わざわざ壊す必要はないだろ。乗り越えれば、それでいい」
呟き、レイはスレイプニルの靴を発動して空中を蹴って呆気なく壁を越える。
ヴィヘラは軽く跳躍して手甲に産み出した魔力の爪を壁に引っ掛け、それを支点にして腕の力だけで跳ぶと、あっさりと壁を乗り越えた。
そして……セトは当然の話だが翼を持つ以上は特に問題なく壁を飛び越える。
「こっちも変わらず、か」
壁を越えた先にあったのは、先程と全く同じくドラゴニアスが燃やされた、炭だけが周囲に広がっていた。
ただ……違うのは、遠く……レイの視力でも米粒程にしか見えない大きさの場所に、何かが存在しているということだ。
「……何だと思う? あれ」
かなりの距離があるだけに、視線の先にある何かは分からない。
だが、この距離でも見えるということは、かなりの大きさを持つのだろうと予想するのは難しくなかった。
「さぁ? 普通に考えれば、ドラゴニアスの巣じゃない?」
「……本拠地の中に、更に巣があるのか? いやまぁ、これだけ広大な地下空間なら、その可能性もない訳じゃないだろうけど」
レイが思い浮かべたのは、今まで何度か見てきた貴族の屋敷だ。
ここまで広大な敷地はなかったが、それでもかなり広大な敷地を持つ貴族はいた。
そんな貴族達にとって、敷地の奥に屋敷があるのは珍しい話ではない。
とはいえ……これが、人間……いや、ケンタウロスがやったことであれば、レイも素直に納得出来ただろう。
だが、この地下空間を作ったのはドラゴニアスだ。
そうである以上、ドラゴニアスが人間と……それも貴族と同じような考えを持っているとは、到底思えない。
レイから見て、ケンタウロスという種族は人間と全く同じという訳ではないが、考え方が似ている部分はかなり大きかったのだから。
「ともあれ、あの巨大な何かにドラゴニアスの女王がいるんだろうな」
「そうでしょうね。……一体、どんな相手なのかしら?」
そう尋ねるヴィヘラだったが、レイも色々な意味で常識を越えてくるドラゴニアスの存在を、上手い具合に説明することは出来ない。
「普通に考えれば、指揮官級のドラゴニアスと同様にしっかりと自分の意思は持ってるだろうな」
これだけは、確実にそうだと言えた。
何しろ、精霊の卵を入手する為に、何度となく集落を攻撃してきたのだ。
ドラゴニアスが攻めてくる様子から考えると、戦力の逐次投入といったように見ることも出来るが、物量を使った波状攻撃と見ることも出来た。
また、金の鱗のドラゴニアスを始めとする、知性の存在するドラゴニアスを多数存在している以上、その頂点に立つ存在が普通のドラゴニアスのように知性が存在しない……というのは、レイにとって少し考えられなかった。
それはレイだけではなく、ヴィヘラやセトも同様だったのか、それぞれがレイの言葉に頷く。
「とはいえ……」
レイの言葉を聞いていたヴィヘラが、少し面白そうに言葉を続ける。
「レイの予想が間違っていても、それはそれで面白いことになりそうな気はするんだけどね」
「知性の有無を考えると、ない方が戦いやすいのは間違いないだろうけどな」
そんな会話を交わしながらも、二人と一匹は地下空間の中を進む。
多数存在する、ドラゴニアスの炭を踏み砕きながら。
そうして歩き続けてはいるが、一向に地下の壁は見えてこない。
それこそ、本当にこの地下空間は地上の草原並に広いのではないか?
そんな風にレイが考えてしまうのも、当然だろう。
「ねぇ、レイ。……この地下空間はやっぱりドラゴニアスのボスがやったと思う? それとも、実は元々この辺りには広大な地下空間があって、それをドラゴニアス達が本拠地として使ってるだけとか」
「どうだろうな。出来れば元々あったって方が俺としては助かるんだけど」
これだけ広大な空間を、何らかの力――恐らく精霊のだろうと、レイは予想しているが――で作ったとなると、それはとんでもない実力の持ち主となる。
そのような相手との戦いになるかもしれないと思えば、レイとしてはあまり嬉しい話ではない。
(魔石を持っているのなら、魔獣術の件で期待は出来たんだろうけど)
強力なモンスターであれば、その魔石からは強力なスキルを習得出来る。
あくまでも、レイの経験からだが……ドラゴニアスの女王が魔石を持っていない以上、出来れば強力なモンスターではない方が嬉しい。
もっとも、それはあくまでもレイの考えであって、レイの隣を進むヴィヘラにしてみれば強力なモンスターとの戦いは望むところだ。
「ともあれ、今は進むしかないわね。……けど、どこまで続くのかしら。下手をすると、この地下の中で野営をする可能性が出て来るかもしれないわね」
「それは……ちょっと不味いな。俺達はともかく、地上に残してきた連中には食料の類を置いてきてはいない」
つまり、そうなるとレイ達がこの地下で野営をする場合、ケンタウロス達は食事が出来ないのだ。
勿論、実際には何らかの干し肉の類を持っている者もいるだろうから、全く何も食べられないということはなだろう。
だが、結局持っている食料はかなり少ない以上、全員が満足出来る……どころか、そもそも全員に行き渡るかどうかも微妙なところだった。
「それは……けど、まさか今から一旦戻る? まぁ、レイの場合はセトがいるから、戻ろうと思えばすぐに戻れるだろうけど」
セトの飛行速度を考えれば、ヴィヘラの言ってることは決して間違いではない。
とはいえ、だからといってそのような真似をするのかと言われれば、話は別だったが。
「いや、止めておくよ。それに……もしそんな真似が出来るのなら、それこそセトに乗ってここを飛んで移動するという方法もある訳だが……」
「敵が、それも知性のある敵が待ち構えている以上、そんな真似は出来ないでしょ?」
「そうなる」
自分の言葉を引き継ぐように告げるヴィヘラに、レイはそう返す。
ドラゴニアスは個体差が大きい以上、一体どのような罠があるのか全く予想出来ない。
であれば……場合によっては、空を飛んで移動すると、鋼糸の類が、蜘蛛の巣のような粘着力のある何かが仕掛けられている可能性は十分にあった。
「こうして何の問題もなく歩いているけど、ここが敵の本拠地なのは変わらないしね。そうなると、どこに罠があるか分からないし。……もっとも、もし罠があってもレイの魔法で燃やしつくされてるだろうから、そこまで気にする必要はないと思うけど」
「そうなると、本番なのはドラゴニアスの炭がなくなった後からってことだろうな」
そのように言葉を交わしつつ歩くが、当然のようにその速度はそこまで速い訳ではなく……
「やっぱりセトに乗って移動しないか?」
レイの口からそんな言葉が漏れる。
「あのねぇ。さっき空中に罠がある可能性があるから駄目ってのは分かるでしょ?」
「空を飛んで移動するんじゃなくて、地上を走るんだよ。それなら、もし罠があっても魔法で燃やされてる筈だろ?」
「……なるほど」
ヴィヘラも少し驚いた様子で数秒黙り込むが、やがて納得したように頷く。
ヴィヘラが先程言ったように、地面に何らかの罠があってもそれは先程の魔法で燃やされている筈だった。
問題なのは、地面ではない場所……ある程度の高さに罠が存在した場合だったが、レイ、ヴィヘラ、セトであれば、事前に罠を発見出来る可能性は高い。
とはいえ、それでも確実ではない以上、何かあった時にはすぐに対処出来るだけの実力があるからこそ、レイはそう提案したのだが。
「セト、頼めるか? セトに乗って移動するとなると、もし罠があった場合に一番危険なのはセトだ。そうなると……」
「グルゥ!」
レイに最後まで言わせず、セトは自分に任せてと鳴き声を上げる。
「……悪いな。頼むよ」
自分の為にそこまでしてくれるセトに対し、レイは感謝を込めて撫でる。
嬉しそうにレイに撫でられていたセトだったが、数分が経過すると名残惜しそうに身を屈め、レイとヴィヘラが乗りやすい体勢になった。
レイとヴィヘラはそんなセトの背に乗り……やがて、セトは地面を蹴って走り出す。
その衝撃で近くにあったドラゴニアスの形をした炭が崩れ落ちたが、セトには……そしてレイにも、それを気にするようなつもりはない。
そうして走り出したセトは、今までの速度は何だったのかと言いたくなるくらいの速度を出す。
(それでも、この広大な空間の中だと、具体的にどれくらいの速度で走っているのかが分からないけど)
広大な地下空間の中だけに、特に目印になるようなものは存在しない。
ある意味、草原と似ているのだろう。
とはいえ、草原と地下空間では当然のように違う場所も多い。
「ねぇ、レイ。……目印なら、やっぱりあれがいいんじゃない?」
そう言って、レイの後ろに乗っていたヴィヘラが、前方を指さす。
その指の先にいた……もしくはあったのは、先程から見えていた何か。
かなり遠く……それこそ、先程から見えてはいたのだが、それでもそれが何なのかというのは、分からない。
セトが全速ではなくても、かなりの速度で走っているにも関わらず、その姿を完全に見ることは出来なかった。
「あれを目印にか? セトが走っても殆ど大きさが変わらないんだぞ?」
「何もないよりはいいんじゃない? それに……殆どということは、多少は大きさが変わってるってことになるんだから」
「それは……まぁ」
実際、その言葉は間違いのない事実だ。
少し……本当に少しずつだが、地底空間の先にある存在は大きくなっている。
問題なのは、その大きくなってくる何かが、未だに何なのかが分からないということだろう。
(とはいえ、俺の予想が正しければ、多分あれは……)
いつ何が起きてもいいように、デスサイズと黄昏の槍を手に、レイは視線の先にある何かを睨み付けるのだった。