2369話
「まさか、ここまで来てもドラゴニアスに襲われないとは思わなかったな」
地下に続く坂道の上で、レイはそう呟く。
そんなレイの側では、セトが興味深そうに周囲を見ており、ヴィヘラはこれから行われるだろう戦いに強い期待を抱いていた。
「向こうも、自分達の本拠地を隠していた幻影が解除されたのは、当然分かってる筈よ。そうなると、下手に戦力を出して戦うよりは、地下で待ち構えていると考えた方がいいんじゃない?」
「そうかもしれないけどな。少なくてもそのくらいのことを考えられる頭は持っている……ってことになる訳だ」
「グルルゥ?」
レイとヴィヘラの会話に、セトはこのまま行くの? とレイに視線を向ける。
当然の話だが、レイもこのまま真っ直ぐ敵が待ち構えているだろう場所に行くつもりはない。
「いや、まだ下りない。まずは、ここから地下を暖かくしてやらないとな」
「……レイの言う暖かいって、一体どんな暖かさなのかしらね? 灼熱の熱さ?」
「否定はしない。……ともあれ、ドラゴニアスが攻めてくるよりも前に、さっさと試すか」
ミスティリングからデスサイズを取り出したレイは、どのような魔法を使うのかを考える。
地下……とはいえ、具体的にどれくらい深い場所なのかは、レイにも分からない。
そうである以上、炎の魔法を使うにしても、爆発の類が起きるような魔法の場合は、それこそ地面が陥没しかねなかった。
数秒考え……面倒になったこともあって、新たな魔法を試すことにする。
この辺りが、感覚派の驚くべきところだ。
理論派は魔法の構成を最初から組み立てて新たな魔法を生み出すのだが、感覚派の場合はその名前通りに感覚で魔法を使う。
……誰かに魔法を教えるという点では理論派の方が圧倒的に勝っているのだが、新たな魔法を生み出すという点では間違いなく感覚派の方が上だった。
『炎よ、炎。汝はどこまでも広がり、触れる全てを燃やしつくす者なり。広大な炎により、地平線の彼方まで、その全てを炎で包み込め』
呪文の構成により、レイの魔力はかなり消耗する。
この魔法は、炎に特化し、莫大な魔力を持つレイだからこそ使える魔法。
デスサイズの石突きを地面に突き刺し……魔法が発動する。
『蹂躙する炎』
デスサイズの石突きを突き刺している場所に、猛烈な炎が生み出され……次の瞬間、爆発的に広がった炎は、レイの示す方向に向かって地面を燃やしながら進む。
その炎は進行方向にある地下に続く通路を進み……当然のように、炎の行く先々にある全てを燃やしていく。
「また、凄い魔法ね。……一応聞いておくけど、強敵は燃やしたりしないと思っていい?」
「どうだろうな。ただ俺の炎に耐えられるだけの強さを持っていれば、生き残ってはいるだろ。……赤い鱗のドラゴニアスも、生き残ってるだろうけど」
炎に強い耐性を持つ赤い鱗のドラゴニアスは、今までレイの魔法でも殺すことは出来なかった相手だ。
そうである以上、恐らく地下にいるだろうドラゴニアスも、赤い鱗のドラゴニアスは生き残っている筈だった。
……とはいえ、赤い鱗のドラゴニアスは炎に対しては強い耐性を持つが、特徴はそれだけだ。
一般的なケンタウロスにしてみれば、勝つのが難しい程度の強さを持っているのは間違いないが、同時にその程度の強さでしかない。
金や銀の鱗のドラゴニアス、斑模様のドラゴニアスといったような特殊な存在と比べると、その実力は考えるまでもなく、低いのだ。
だからこそ、レイは赤い鱗のドラゴニアスが残っても、そこまで気にしていなかった。
……レイが得意としている炎の魔法が効かない以上、厄介な相手であるのは、間違いのない事実だったが。
「それで、一体どのくらい待てばいいの? 中からは悲鳴とかが聞こえてくるんだけど」
地下に続く坂道を見ながら、ヴィヘラがレイに尋ねる。
悲鳴が聞こえてくるという言葉は嘘ではなく、常人よりも鋭いレイの耳にも、地下から悲鳴が聞こえていた。
当然の話だが、レイよりも更に鋭い五感をもっているセトは、その悲鳴がより鮮明に聞こえていたことだろう。
「どのくらいと言われてもな。初めて使った魔法だから、正直何とも言えない。これが地上なら、もっと分かりやすかったりしたんだろうけど」
地上であれば、レイも自分の使った魔法がどのような効果を発揮したのかが分かりやすかっただろう。
だが、今回魔法を使ったのは地下だ。
現在その地下で、一体どのようなことになっているのか……それは、レイにも全く分からなかった。
最初、それに気が付いたのは、地下にいるドラゴニアスの中でも地上に近い場所にいた個体だった。
現在地下には、多くのドラゴニアスが集まっており……本拠地となっている場所には、それこそ見渡す限りの数が集まっている。
そのような数が集まっているだけに、当然の話だが地下に入りきらない個体も出て来て、端に追いやられていた。
そのドラゴニアスも、そんな個体の一匹だった。
ドラゴニアスが持つ飢えの本能も、この地下にいる間はかなり収まっている。
勿論、収まっているとはいえ、完全に飢えがなくなった訳ではないのだが、自分達を生み出した女王からの命令は、飢えという本能よりも圧倒的に上位に位置していた。
それこそ、女王からの命令があれば、餓えで死にそうになっても、その場から一切動かないようになる……といった程度には強い強制力が働いている。
この場合、そのドラゴニアスにとっては、それが災いしたと言えるだろう。
地上に続く坂道で待機していたそのドラゴニアスは、まるで坂道を水が流れるかのように……炎が流れてきたのを、その目でみてしまったのだから。
それが何なのかは、それこそドラゴニアスにも全く気が付くことが出来ないままに炎に呑み込まれ、その意識は闇に包まれる。
その一匹が、最初だった。
まるで、水が流れるように坂道を流れてきた炎は、次々とドラゴニアスをその炎で包んでいく。
「ンジャパパンナジャ!」
ドラゴニアスの一匹がそんな悲鳴を上げ……そこでようやく、坂道の近くにいたドラゴニアス達も異常に気が付いたのか、顔をそちらに向ける。
本来ならもっと派手に動いてもいいのだろうが……残念ながら、今のドラゴニアスは女王によって厳しく統制されている関係上、ろくに動くことが出来ない。
そして動けないまま、次々と炎によって呑み込まれていく。
この炎が厄介なのは、ドラゴニアス数匹をのみこんだところで、全くその勢いが衰えないということだろう。
次々に呑み込んでいくその様子は、見ている者にしてみればどこまでも続く無限の炎のようにすら思える程だ。
そして、坂の近くにいた百匹近くのドラゴニアスが炎に呑み込まれ、赤い鱗のドラゴニアス以外が炭となったところで、ようやく地下の中心部分にいる者達も異常に気が付く。
「ギイイイイイイイイイイイイィィイイイイィィ!」
不意にそんな音……いや、声が周囲に響き渡り、それを聞いたドラゴニアス達は今まで動きが止まっていたのが嘘のように、突然動き始める。
地面を流れてくる炎を食い止めようと、銀や金の鱗のドラゴニアスがそれぞれ動き始めたのだ。
そのような者達が行った命令は、そう複雑なものではない。
それこそ、次々に赤い鱗のドラゴニアスに指示を出し、炎をせき止めるように命じたのだ。
炎の中で全く問題なく動けている赤い鱗のドラゴニアスがいたからこそ、出来る方法なのは間違いない。間違いないのだが……赤い鱗のドラゴニアスが自分の身体を防壁代わりに炎を止めようとしても、ドラゴニアスである以上、どうしても完全にせき止めることは出来ない。
二匹のドラゴニアスが防壁になろうとしても、どうしても隙間が幾つか生まれてしまう。
また、この地下空間も地面が平らになっている訳ではない。
赤い鱗のドラゴニアスの身体であっても、隙間なく地面を遮断するような真似は出来ない。
そして、そのような小さい場所からであっても容易に地面を流れてきた炎は通り抜ける。
赤い鱗のドラゴニアスは必死にそれを封じようとしているのだが、開いている隙間を封じようとすれば、それは当然のように別の場所に隙間が空き、そこから流れる炎が次々と他のドラゴニアスを燃やしていく。
「ギギギギギイイイイイギギイイイギギギ!」
先程同様、地下空間の中に再びそんな声が響き……その瞬間、地面が盛り上がる。
それこそ、レイが地形操作のスキルを使った時のように……いや、高さ五m程の土壁が生み出されたのを思えば、その能力の規模はレイよりも明らかに上だろう。
それでいながら、地下空間の天井部分に届くのは全く足りていないのを考えれば、この地下空間が一体どれだけの広さを持っているのか、容易に想像出来るだろう。
そんな土壁によって炎の波を封じようとしたドラゴニアスの女王だったが……だが、炎の波は土壁があろうとも、問題にはしない。
土壁を燃やして破壊するのではなく、土壁に沿って炎の波は移動し、進み続ける。
赤い鱗のドラゴニアスが偶然完全に遮断した場所では、炎はそのまま進まずに止まったのだが。
また、焼き殺されて炭になったドラゴニアスの死体が偶然壁代わりになっている場所もあったのだが、炎の波はそれを気にした様子もなく乗り越え、進み続けた。
これは、燃やす相手が意思のない存在……死体だろうが土壁だろうが、そのような存在であれば、炎の波にとっては燃やすのではなく乗り越えるべき相手と認識するのだろう。
そうして次々に燃やされていく、ドラゴニアス。
ドラゴニアス達にとって不幸中の幸いだったのは、この場には女王が……ドラゴニアスを統べる存在がいたことだろう。
そのドラゴニアスの命令により、他のドラゴニアス達は騒ぐような真似をせず、ただ坂の上から自分達が倒すべき……いや、喰らうべき相手がやってくるのを待っていた。
だからこそ、仲間が燃やされているのを見ても特に騒ぎ出すような真似はせず、より上位の……金、銀、銅の鱗のドラゴニアス達の命令に素直に従う。
「ギイイイイイイイイイイイイイイィッィィィィッィイッィィ!」
と、再び広大な地下空間の中に響き渡る、女王の鳴き声。
その命令に従うように、赤い鱗……だけではなく、他の色の鱗を持つドラゴニアスまでもが、自分から進んで炎に突っ込んでいく。
それこそ、いつ燃えても構わないと言いたげなその様子は、もし見ている者がいたら異様さに目を見開くだろう。
自分を燃やさせて、それによって少しでも炎の勢いを弱めようとする……そんな自殺めいた行動をしているのだから、とてもではないが正気とは思えないような行動をするのだから。
それが、例え自分に対する絶対的な命令権を持つ相手であっても。
だが……それを行えることが出来るからこそ、女王なのだ。
自分の命令には、命を失う危険があっても平気でその命令に従わせる……本当の意味での絶対的な命令権。
それを持つ女王の命令に従い、ドラゴニアス達は文字通りの意味で自分の命を燃やすことによって、炎の勢いは確実に弱まっていく。
自分達の仲間……女王に産み出されたという意味では、血を分けた家族ですらある仲間が次々に焼き殺されているのを見ながらも、ドラゴニアス達はその光景に対して特に何を思うようなところもない。
飢えに支配されているからというのもあるのだろうが、ドラゴニアスにとっては仲間が、家族が殺されようとも、特にどうと思うところがないのだろう。
「ギイイイィイイイィィィ!」
鋭く鳴き声を発する女王。
その言葉に促されるように、まだ炎に向かって突っ込んでいく様子がなかった他の……炎から離れた場所にいたドラゴニアスが動き出す。
それこそ、自分の仲間が焼き殺されて炭となったのを見ていたにも関わらず、そんなのは全く関係ないと、自分には意味のないことだと、そう言わんばかりの行動。
そして……やがて、数千、数万……もしかしたら数十万匹以上いてもおかしくはないドラゴニアス達が、次々と動き出す。
そして触れた端から、次々と燃えていくドラゴニアス。
それこそ、一体何があればそこまで……と、そう思ってもおかしくはない行動だったが、それを行っているドラゴニアス達には、そんな意識はない。
女王から命令されたから、ただそれに従うだけだ。
それ以外は、それこそ飢えに支配されて行動をするだけであり……言ってみれば、普通のドラゴニアスには自我の類は存在しないようなものだ。
だが……今回は、それが功を奏した形だった。
次々と、次々と……数え切れないくらいのドラゴニアス達が炎に向かっていき……やがて、その炎は姿を消す。
無数のドラゴニアスを灰へと変えた後で。