2368話
地下にドラゴニアスの本拠地があるのだろう草原。
その草原をすぐ近くにある丘の上から見ていたレイ達……偵察隊の面々だったが、そんな中で不意にセトが鳴き声を上げた。
その鳴き声が、何の意味もなく上げられたものだとは、レイには到底思えない。
いや、レイだけではなくセトとそれなりに付き合いのある者……つまり、ここにいるケンタウロスの殆どの者がそうだったのは間違いなかった。
「どうした、セト。何か見つけたのか?」
そんなセトに、隣で他の面々と同じように草原を見ていたレイが尋ねる。
「グルルゥ? グル、グルルルルゥ……」
レイの言葉に、セトは草原の一部分を見ながら、鳴き声を上げる。
そんなセトの視線を追ったレイだったが、見たところでは特にセトが反応するような何かがあるようには思えない。
一体、何がセトの注意を引いたのか、レイには全く理解出来なかった。
「何かあるか? ……誰か、何か気が付いた奴はいるか?」
今のレイとセトのやり取りは、当然のように他の者達にも聞こえていたし、見えていた。
だからこそ、レイと同様にセトの見ている方に視線を向けていたが……その言葉に、皆は首を横に振る。
ケンタウロスだけではなく、ヴィヘラまでもが首を横に振っているのとを見れば、その視線の先に何があるのかは、誰にも分からないのは当然だった。
(けど、セトが反応した以上、何かがあるのは間違いない。間違いないんだが……問題なのは、それをどうやって見つけるかってことなんだよな)
今の状況では、どうやってもセトの見つけた何かを見つけることが出来ない。
そうである以上、まずはその何かを見つける方法を考える必要があり……ふと、レイの視線は神輿の上にある精霊の卵に向けられる。
(本拠地が地下にあるから、地面に埋まっていた精霊の卵を見つけたんだとしたら……それは、ドラゴニアスの王か女王かは分からないが、そいつも精霊の力に何か関係している可能性が高い。だとすれば……)
レイの視線が、精霊の卵からアナスタシアに向けられる。
精霊の力で隠蔽されている以上、それをどうにか出来るのは結局のところ精霊の力だろうと。
当然、アナスタシアもレイから視線を向けられたのには気が付いていたのだが、出来れば今はこれ以上精霊の卵の力を使いたくないといというのが、正直なところだった。
何しろ、今の自分の状況でそのような真似をしたら、それこそただでさえ疲れているのに、余計に疲労することになるのは確実だった為だ。
……とはいえ、敵の本拠地を見つけることが出来なければ、例えレイであってもどうしようもないのは、事実だ。
実際には、それこそレイならこの状況からでも炎の魔法を使いまくって、目の前にある草原を破壊し、地中を土砂で埋めるといったような真似も、やろうと思えば出来るのだが。
ただし、それはドラゴニアスの本拠地を本当に潰したのか……何より、本拠地にいるドラゴニアスの王や女王と思われる存在を本当に殺すことが出来たのかを確認するのが非常に難しい。
だからこそ、可能であればしっかりと敵の姿を確認し、そこに向かって攻撃を行い……そして確実に殺したという確証が欲しかったのだ。
とはいえ、今の状況では贅沢を言っているというのも理解出来る以上、本当に無理なら諦めるつもりだったが。
ただし、それはあくまでも本当に無理ならの話だ。
恐らくは精霊の力による何かが働き、それによって地下に向かう出入り口が分からなくなった。
そうである以上、それを解決出来る相手に頼むのは、当然のことだった。
「アナスタシア、頼めるか?」
「……出来れば、やりたくはなかったんだけどね。ただ、そうも言ってられないみたいだし……」
ふぅ、と。
溜息を吐きながら、アナスタシアは精霊の卵にそっと手を伸ばす。
そして、小さく呟くと……次の瞬間、精霊の卵から不可視の力が周囲に向けて放たれた。
それが自分達に影響のない力だというのは、レイにも分かっている。分かってはいるのだが、それでもやはり精霊の卵から放たれる力を感じた瞬間、身構えてしまうのはレイにとっては当然のことであり……
「何っ!?」
視界に入ってきた光景を目にし、身構えた状態から思わずといった様子で驚きの言葉を発する。
何故なら、視線の先にある景色……つい先程までは普通の草原にしか見えなかったその光景が、不意に歪んだのだ。
それこそ、空間が歪むといった表現が相応しい光景に驚き……だが、次の瞬間、その空間の歪みが収まった後に広がっていた光景は、更に多くの驚きを……驚愕と言ってもいい感情をレイに抱かせる。
いや、驚愕したのはレイだけではない。周囲にいたケンタウロスや、それ以外でもヴィヘラ、ファナといった面々までもが驚いており……それ以外でも、アナスタシアとファナの乗っている鹿までもが驚きの表情を浮かべているように、レイには思えた。
「これは、また……」
目の前に広がる光景は、数秒前までと比べても一変している。
つい数秒前までは眼下に広がっていたのは、一面の草原だった。
だが……精霊の卵の力が放たれた瞬間、空間が歪み……その歪みが収まった時、丘の下に広がっていたのは、数秒前と全く違う光景となっている。
そもそも、広がっているのは草原ではない。
地面に生えている筈の草はほぼ存在しておらず、そこにあるのは剥き出しの地面だ。
それ以外にも、地面には巨大な坂が存在している。
地下に続くような、巨大な坂が。
その坂の下に何が広がっているのか……それは、考えるまでもなく明らかだ。
「偽装、か」
レイの呟きに、精霊の卵に触れていたアナスタシアが、荒い呼吸をしながら頷く。
「はぁ、はぁ、はぁ……そうよ。幻影によって、周囲から本拠地は分からないようにしていたんでしょうね。はぁ……ふぅ……」
喋っているうちに、次第に息が整ってきたのか、アナスタシアは心配そうに自分を見るファナに、何の問題もないと頷いてから、言葉を続ける。
「これで明らかになったのは、やっぱりドラゴニアスの頂点に立つ存在は、精霊魔法……もしくはそれに準じた何らかの力を使えるということね」
その言葉に、レイは驚くと同時に納得の表情を浮かべる。
ドラゴニアスがここまで精密な精霊魔法に近い力を使うということに驚き、同時にそのような存在なのだから、精霊の卵を発見出来たのだろうと。
「自分が精霊の力を持っていたから、強力な精霊の力が込められている精霊の卵を欲した、か。……ドラゴニアスが姿を現してから今まで、結構な時間があったのに、何で今? といった疑問はあるが」
それは、レイが精霊の卵を見つけた時から抱いていた疑問。
だが、その理由はともあれ、ドラゴニアスが襲ってくる以上は、それに対処する必要があるので、半ば棚上げになっていた疑問だったのだが……
「それは恐らく、精霊の卵がここまでの力を発揮するようになったのが最近だから、向こうが精霊の卵に気が付いたのも最近だった……ということでしょうね」
そんなレイの疑問に答えたのは、完全に息を整え終わったアナスタシアだった。
「本当か、それ?」
「絶対にそうだとは言わないけど、それが一番可能性が高いのも事実よ。でないと、もっと前にドラゴニアスがあの集落を襲っていてもおかしくはなかった筈だもの」
精霊についてそこまで詳しくないレイは、精霊魔法を使うアナスタシアにそう言われると、そういうものかと納得するしかない。
実際、今回の精霊の卵の一件では、色々と分からないことも多いのだ。
それを多少なりとも納得出来るのなら、そこで納得しておいた方がいいのは、間違いない。
「これからドラゴニアスの本拠地を殲滅する前に、疑問を解決してくれたのは俺にとっても嬉しかったよ。……さて、疑問も解けたことだし、そろそろ本拠地の殲滅に移るか。ザイ、お前はここで他のケンタウロス達と一緒に警戒してくれ」
「分かった」
レイの言葉に、少しだけ悔しそうな様子を見せながら頷くザイ。
本来なら、ドラゴニアスの件は自分達で片付けたいところだったのだろう。
それをほぼ完全にレイに任せているところに、ザイの立場としては色々と思うところがあったのだ。
……もしくは、自分が偵察隊を率いているのに、レイに指示を出す仕事を任せてしまっていることに対して、思うところがあったのかもしれないが。
「ヴィヘラは……言うまでもないか」
「当然でしょ。元々そういう約束だったし。普通のドラゴニアスを倒すのはレイに任せるけど、それ以外の強敵は私にも分けてくれるって約束だったと思うけど?」
そうヴィヘラに言われれば、レイも却下は出来ない。
実際、ヴィヘラの強さがあればドラゴニアスを誘引するという意味で、非常に大きな意味を持つのは事実だ。
「分かった。前からの約束だったしな」
結局、レイはそんなヴィヘラの言葉に頷くことしか出来なかった。
そんなレイの様子に満足したのか、ヴィヘラは、満面の笑みを浮かべ……その笑みを見たケンタウロスの何人かが、顔を引き攣らせる。
これまで何度も……それこそ、数え切れない程にヴィヘラと模擬戦を行ってきた者達だけに、今のヴィヘラの笑みは、それこそ敵との戦いをこれ以上ない程に楽しみにしているものだと、そう理解した為だ。
今まで模擬戦でヴィヘラにこの笑顔を出させた者は、ザイを含めてほんの数人だけだ。
そしてこの笑みを浮かべた後で行われたヴィヘラとの模擬戦においては、それこそ立ち上がる気力も体力もなくなるくらいに、叩きのめされるのだ。
それを間近で見ただけに、背筋が冷たくなるのは当然だろう。
唯一にして最大の救いは、ヴィヘラのその笑みが向けられている先が自分達ではなく、ドラゴニアスだということだろう。
「じゃあ、いつまでもここでこうしていても意味はないし、そろそろ行動に移るか。ヴィヘラは俺と一緒に。ああ、勿論セトもな」
ヴィヘラの名前しか出していなかったことに気が付いたセトが、自分も行きたいと喉を鳴らす。
レイはそんなセトに、当然のように自分と一緒に来て貰うと告げ、次に視線を向けたのはアナスタシアだ。
今回の一件で大きな役割を果たしたアナスタシアは、息こそ整えたが、それでも未だに精霊の卵を使った疲れを残していた。
ただし、その疲れ切った様子とは裏腹に、目だけは好奇心で強く輝いている。
なまじ顔立ちが整っており、美人と呼んでも皆が納得する容姿だけに、その目に存在する強烈なまでの好奇心の光は、見ている者に強烈な印象を残す。
それはレイも同じで、アナスタシアが何を希望しているのかは十分に理解していたが、それでも首を横に振る。
「アナスタシアを連れていく訳にはいかない。その理由はお前が一番理解しているだろ?」
「それは……」
不満そうな様子を見せるアナスタシアだったが、消耗しているのは事実だったし、アナスタシア本人も精霊魔法使いとしては優れているが、ドラゴニアスと正面から戦って勝てるだけの実力を持っている訳ではない。
(精霊の卵を使えば何とかなるかもしれないけど、まさかドラゴニアスと戦っている場所に精霊の卵を持っていける筈がないしな)
そもそも、ドラゴニアスが狙っているのが精霊の卵なのだ。
それをわざわざ、ドラゴニアスの本拠地にまで持っていくような真似をしたら、どうなるか。
それは考えるまでもないことだろう。
それこそ、ドラゴニアスの集団が精霊の卵を奪おうと集まってくるのは確実だった。
だからこそ、精霊魔法使いのアナスタシアと、濃密な精霊の力を持つ精霊卵は別々に行動させる訳にはいかなかったし、ドラゴニアスの本拠地に連れていく訳にもいかなかった。
「……分かってるわよ」
レイの言葉に、アナスタシアは目に宿る好奇心の光を幾分か弱め、そう告げる。
本当に諦めたのかどうかは、レイにも分からない。
だが、一応アナスタシアの様子を見る限りでは、無理に自分についてくるといったようなことはしないように思えた。
勿論、それはあくまでもレイの予想であって、実際にどのような心づもりなのかは、分からなかったが。
だからこそ、レイはファナに視線を向けて、口を開く。
「ファナ、アナスタシアの面倒を頼んだ」
結局のところ、アナスタシアの面倒はファナに見て貰うのが最善なのだ。
アナスタシアも、ファナのことは頼りにしているのか無理を言うようなことはあまりない。
ダムラン辺りに頼んでも……と一瞬思ったレイだったが、アナスタシアに心酔していると言ってもいいダムランの場合は、それこそアナスタシアがそうしたいと言えば、すぐにでもドラゴニアスの本拠地に行くだろうと判断して、すぐに却下する。
それが正解だったのは、それこそアナスタシアの表情を見れば明らかだった。