2362話
「何だか、ケンタウロス達が不安そうにしてるけど……大丈夫?」
林から出て、ドラゴニアスの本拠地に向かって進む中で、ヴィヘラがそう尋ねる。
セトの背にレイと一緒に乗っているヴィヘラだったが、周囲の状況を見て素直にそんな疑問を抱いたのだろう。
「そう言ってもな。結局あの精霊の卵は持っていかないといけない以上、慣れて貰うしかないな」
集落にあった木々を使って簡単な神輿を作り、そこに精霊の卵を置いて移動している。
単純に現在のケンタウロス達の様子を表せば、そんなところだろう。
もっとも、そのような状況である以上、移動速度は決して速くはない。
歩くよりは速いが、ケンタウロスの本来の速度に比べるとどうしても落ちてしまう。
当然だろう。ケンタウロス達が神輿を持ち、その中央に安置されている精霊の卵を落とさないように移動しているのだから。
……それでも、移動を続けることによって、そのうち慣れてくるのではないかと、レイは考えていたが。
実際にレイが日本にいた時にTVで祭りの特集をやる時の神輿を見ると、人数が多いせいもあるのか、かなりの速度で移動しているのを見たことがあった。
それに対し、現在の神輿を運んでいるのは日本人と比べても圧倒的な身体能力を持っているケンタウロスだ。
今はまだ神輿を運ぶという行為に慣れてはいないが、それは時間が解決してくれる筈だと、そうレイは思っていた。
(とはいえ……それでも普通に走るのに比べると、どうしても遅くなる。アナスタシアが示したドラゴニアスの本拠地がある場所も結構距離があったし……今日中にドラゴニアスの本拠地を殲滅するというのは、ちょっと難しいだろうな)
レイにしてみれば、この件は出来れば今日中に片付けたかった。
何よりも、こうして精霊の卵を発掘してしまった以上、そこから発せられている精霊の力を求めて、ドラゴニアスが今夜にでもやって来るという可能性は決して否定出来ないのだから。
それこそ、こうしてドラゴニアスの本拠地に向かっている以上、ドラゴニアスと接触する可能性も高くなる。
幸いにして、今のところはまだそのようなことはないが……この先もずっと敵に遭遇しないとは、限らないのだ。
そして、特に問題なのは野営をしている夜だろう。
セトという圧倒的に鋭い五感を持っている見張りがいるだけに、ドラゴニアスが近付いてくればすぐに発見することは出来る。
だが同時に、ドラゴニアスの襲撃は察知出来ても、それを止めるといった手段はないのだ。
そもそもが、飢えによって支配されているドラゴニアスだけに、自分よりも格上……それも多少ではなく、圧倒的なまでに格上の存在たるセトを前にしても、攻撃が鈍るといったようなことはない。
それどころか、セトの巨体は自分の飢えを満たすのに最善だと、そんな風にすら思っている。
(俺が地形操作で、ある程度防壁を作っても……ただのドラゴニアスならともかく、指揮官がいると、戦術的な行動も取るから、そこまで効果はないんだよな)
最初にレイが地形操作を使って堀や壁を作った場所でも、想定しているのは指揮官を擁しない、飢えに支配されたドラゴニアスの集団だった。
そのような相手なら、ドラゴニアスがそれなりの数で攻めて来ても、それに対処するのは難しい話ではない。
だが、ケンタウロスの要望に従って集落から出られる場所をそれなりの数作っている以上、ある程度指揮出来る者にしてみれば、そこを突くのはそう難しい話ではなかった。
「アナスタシア、一応聞くけど……ドラゴニアスの本拠地までは、距離があるんだよな?」
「そうね。残念だけど、このまま進んでも、今日中に到着するのは難しいと思うわ」
その言葉に、いっそセトに乗って自分だけで行くか? とレイは思ってしまう。
ヴィヘラを乗せてだと、セトは飛べない。
だが、ヴィヘラにはセトの前足に掴まって空を飛ぶという方法もある。
……問題なのは、ドラゴニアスの本拠地が地下にある以上、それをきちんと自分達だけで見つけられるか、ということだろう。
ドラゴニアスが大量に出入りしている以上、当然の話だが地下にある本拠地の出入り口は大きい筈だった。
ドラゴニアスそのものがかなりの大きさなのだから、その出入り口が小さいということは、レイも思わない。
(けど、思わないからって、その場所を見つけられるかどうかというのは、また別の話だしな)
ドラゴニアスの親玉……もしくは女王蟻や女王蜂のような存在は、当然のように頭がいいと考えるべきだった。
金、銀、銅、斑模様の鱗のドラゴニアス……といったように、しっかりと戦術を考えるだけの頭脳を持つドラゴニアスを生み出せるということは、当然のようにその存在も相応に頭がいい筈なのだから。
「結局、アナスタシアを連れていく以上、ゆっくりと移動するしかない、か」
「ゆっくりって言っても、実際には結構な速度が出てると思うけど?」
アナスタシアが告げたその言葉に、レイは周囲を見て……確かに、と納得する。
ケンタウロスが精霊の卵を運んでいるのは間違いなかったが、それでも普通の人間が運んでいる訳ではない以上、当然のようにその移動速度はそれなりのものだ。
そう考えれば、この集団の移動速度は決して遅くはない……そう考え、半ば無理矢理自分を納得させていると、不意にセトが鳴き声を上げる。
「グルルルゥ!」
それは、明らかに警戒をしている鳴き声。
「ドラゴニアスか? ……集落で少し前に倒したばかりだってのに厄介な」
「そう言っても、集落を発つにもそれなりに時間が掛かったでしょ? そうなれば、ドラゴニアスが次の行動に出てもおかしくないわよ」
レイの後ろにいるヴィヘラが、少しだけ嬉しそうな様子でそう告げる。
ヴィヘラにしてみれば、ドラゴニアスの集団が来るということは、その中に指揮官のドラゴニアスがいるという可能性が高い。
そうである以上、強敵との戦いを楽しみにしているヴィヘラにしてみれば、寧ろドラゴニアスの襲撃は望むところだ。
レイもそれは理解しているので、そんなヴィヘラの態度に対し、特に不満を言うような真似はしない。
(そうなると、問題なのは誰が行くか。……俺だろうな)
ドラゴニアスが集団でやって来る以上、それを纏めて倒すことが出来るレイは、先制攻撃要員として必須なのは間違いなかった。
また、ドラゴニアスを殲滅するとなると、空中から魔法を放つのが最善である以上、セトも必須となる。
そうなると、ここに残るのはヴィヘラということになるのだが……
(無理だよな)
強敵との戦いを楽しみにしているヴィヘラの様子を思えば、ここに残って欲しいとは言えない。
いや、ここに残って欲しいと言えば、ヴィヘラも渋々ではあるが、残ってくれるだろう。
ドラゴニアスとの戦いは強敵との戦いが期待出来るとはいえ、それはあくまでもつまみ食いに近い形だ。
本当の意味での強敵となると、それこそドラゴニアスの本拠地での戦いとなる筈なのだから。
だというのに、ここでヴィヘラまでもが戦いに向かってアナスタシアや……それこそ、精霊の卵に何らかの被害が出たりすれば、それは最悪の結果でしかない。
それこそ、最悪の場合はまた一からドラゴニアスの本拠地を探すといったようなことをしなければならないのだ。
ザイの集落を発ってから、ドラゴニアスの本拠地を見つけるまで一体どれだけの時間が掛かったのか。
それを思えば、例え相手が強敵だとしても、戦いはレイに任せてアナスタシアと精霊の卵の護衛に回った方がいいのは明らかだった。
(しょうがない、か)
気の進まない様子で、レイは自分の後ろで戦いを楽しみにしているヴィヘラに声を掛ける。
「ヴィヘラ、悪いがアナスタシアと精霊の卵の護衛を頼めるか? 俺とセトでドラゴニアスの集団を殲滅してくるから」
その言葉に、ヴィヘラは何かを言おうとするも……すぐに、ドラゴニアスとの戦いのことを考えれば、自分がここを守るしかないと、そう理解する。
ケンタウロスの多くは、ヴィヘラや……時々行われるレイとの模擬戦によって、その実力を高めている。
ザイを始めとした何人かは、単独でドラゴニアスと戦っても、ある程度余裕で勝てるといったようなくらいには強くなっていた。
だが……それでも、ドラゴニアスの数が多ければ、話は変わってくる。
ケンタウロスと同数、もしくは少し多いくらいなら何とかなるかもしれないが、二倍、三倍といった数になれば、それはどうしようもない。
何しろ、現在レイ達が向かっているのはドラゴニアスの本拠地だ。
そのような場所に近付いているのだから、ドラゴニアスの数が増えるのは当然のことだ。
その上、ここに残った者は自由に戦えるといった訳ではなく、アナスタシアと精霊の卵を守って戦う必要がある。
そうなると、当然のように機動力を使って戦うケンタウロス達にとって不利なのは当然だろう。
「分かったわ」
渋々といった様子で、レイの言葉に頷くヴィヘラ。
そのまま走っていたセトの背から飛び降りると、近くを走っていたザイに声を掛け、その背中に乗る。
「じゃあ、俺はちょっとドラゴニアスを倒してくるから、少し速度を落としてくれ。倒したらすぐに戻ってくる。……セト」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは走っている状態から翼を羽ばたかせ、空に向かって駆け上がっていく。
そうして空を飛び始めれば、セトの移動速度は精霊の卵を運ぶ速度に合わせているケンタウロス達よりも、圧倒的に速い。
見る間に地上を走るケンタウロス達との間に距離が開き……
「うわ……」
そのまま数分も経たないうちに見えてきた光景に、レイの口から思わずといった様子でそんな声が漏れ出る。
当然だろう。レイはドラゴニアスが襲ってくるにしても、その数は今までと同じように数十匹……どんなに数が多くても、百匹前後だと思っていた。
だが、レイの目に見えたドラゴニアスの数は、数百匹。……場合によっては、千匹に届いているのではないかと思える程の数だったのだから。
「これはまた……完全に予想外だな」
そう呟きつつも、レイは何となくこれだけの数が移動しているのに……林にある集落に向かっている理由が想像出来た。
何故なら、この数のドラゴニアスが欲しているのは、恐らく精霊の卵だからだと、そう思えたからだ。
現在のレイ達の状況を思えば、ほぼ間違いない。
「おまけに……いよいよ登場、か」
ドラゴニアスの集団の最後尾にいるドラゴニアスが、金の鱗のドラゴニアスであることはレイの視覚であればはっきりと理解出来た。
今までは拠点を襲っても、銀の鱗のドラゴニアスしかいなかった。
林の中の集落を攻めてきたドラゴニアスの中には銅の鱗のドラゴニアスもいたし、レイが遭遇したドラゴニアスの集団を率いていた中には斑模様のドラゴニアスもいたが……金の鱗のドラゴニアスだけは、全く出て来ていない。
それが、ここに来て出て来たのは……
「やっぱり、精霊の卵の関係だよな」
それ以外の理由で金の鱗のドラゴニアスが出て来たというのは、レイには考えられない。
いや、あるいは他に何らかの理由がある可能性はあったが、レイにはすぐに思いつかなかった。
「ともあれ、問題なのは金の鱗のドラゴニアスをどうするかだよな」
普通に考えれば、レイが倒してしまった方がいい。
そもそも、金の鱗のドラゴニアスはドラゴニアスの中でも特に強く、普通のドラゴニアスに対する命令強度とも言うべき度合いは、他の指揮を執るドラゴニアスよりも数段上だ。
……それこそ、自分が死ぬとしてもそのまま待機し続けろといったようなことを、ドラゴニアスに命令出来る程に。
その上で、レイが全力で投擲した――地面の上ではなく空中のセトに乗ってだから、威力は劣るが――黄昏の槍の一撃を、鱗に大きな被害を出しながらも、受け流すといったことが出来た。
勿論、それはあくまでもレイが戦った金の鱗のドラゴニアスだ。
銀の鱗のドラゴニアスであっても、戦闘力に秀でていたり、指揮能力に秀でていたりとドラゴニアスらしく個体差が大きいので、金の鱗のドラゴニアスも個体によって能力差がある可能性はあったが。
「ともあれ、ヴィヘラに残してやりたいけど……残念ながら、そんな余裕はないな。今の状況でそんな真似をすれば、それこそ精霊の卵に被害が与えられかねない」
金の鱗のドラゴニアスとヴィヘラを戦わせるとなると、どうしてもレイがケンタウロス達のいる場所まで連れていく必要がある。
だが、そうなった場合、金の鱗のドラゴニアスはレイやセト、ヴィヘラといった相手ではなく……目的の精霊の卵に真っ直ぐ向かう可能性があった。
「ともあれ、金の鱗のドラゴニアスをどうにかするにも、他のドラゴニアスをどうにかする必要があるか」
そう呟き、レイはミスティリングからデスサイズを取り出し、呪文を唱え始めるのだった。