2336話
レイの問いに、ラーリエは不思議そうな表情で口を開く。
「ドラゴニアスが風化ですか? いえ、その……正直、言ってる意味が分からないんですけど」
そう答えるラーリエの表情は、とてもではないが嘘を吐いているようには見えない。
そうなると、恐らくラーリエは本当に風化の一件を知らないのだろうと、そうレイは予想する。
その予想はヴィヘラも同様だったらしく、不思議そうな表情を浮かべるラーリエを見て、口を開く。
「言っている意味も何も、言葉そのままよ。昨夜倒したドラゴニアスの死体を、このままだと腐臭やら疫病やらアンデッドやらで不都合があるから、処分しようと思ったんだけど……林に行ってみたら、昨夜の死体はもう風化しつつあった」
おかげで腐臭を始めとした心配はしなくてもよくなったんだけどね。
そう続けるヴィヘラの言葉にレイは頷きつつも、本当に大丈夫なのか? といった思いを抱く。
実際、腐臭についての心配はしなくてもいいのは、間違いないだろう。
アンデッドも、このままなら肉だけではなく骨までもが風化してしまう以上、ゾンビやスケルトンといった意味でのアンデッドは気にしなくてもいい。
レイスやゴーストといったアンデッドにならないとも限らないが。
そんな中で、レイが唯一心配しているのは疫病だ。
風化しているということは、ドラゴニアスの死体が粉塵となって風に乗り、周囲に散らばるということに他ならないのだ。
そうである以上、その粉塵によって何らかの疫病が広まったりしないかというのは、当然の心配だろう。
(何だかんだと、やっぱり浄化してしまった方が確実で安心出来るのは間違いないんだよな。……とはいえ、それをやる為には死体を集める必要があって、風化している今の状況だとそれも出来ないんだが)
それこそ、林そのものを浄化して燃やした方が安心出来るのではないか? そんなことすら思ってしまうレイだったが、そんなレイにラーリエが尋ねる。
「その、林の中ではということでしたけど、集落の中にあった死体はどうなりました?」
ラーリエも昨夜の戦いでは林の中以外に集落の中でも戦いが起きたというのは知っている。
そして自分達がドラゴニアスを相手に圧勝したということも。
そうである以上、この集落の中には死体があるのは当然で、その死体はどうなったのか。
そんな疑問を口にするラーリエだったが、そんなラーリエに対し、レイはどう答えるべきか少し迷いながら、ここは素直に教えておいた方がいいだろうと、口を開く。
「集落の中で殺された死体は、そのまま……新鮮なって表現がこの場合は相応しいのかどうかは分からないが、ともあれそんな感じの死体だった」
「それって……この集落の中で殺されて、死体がこの集落に中にあったから、そうなったということですか?」
「どうだろうな。その辺は分からないから、この集落出身のラーリエが何か知らないかと思って、こうやって聞きにきた訳だが……」
そう言いながらも、ラーリエの様子を見ればとてもではないが何らかの事情を知っているようには思えなかった。
(つまり、この件を知っている者がいたとすれば、それは集落の上層部といったところか)
だが、上層部は全てがドラゴニアスによって喰い殺されてしまい、生き残っているのは集落の中でもほんの少数だけだ。
ラーリエを含め、本当に運のいいものだけが生き延びたのだ。
……もっとも、本当に運がいいのならこんなことにはなっていなかっただろうが。
「あ、でも……林にはなるべく出るなと言われてました。それを聞いた時は、ドラゴニアスに見つからないように言われてるのかと思ったんですが、そうなるともしかしたら……」
「なるほど。林の危険さは上の方は当然知っていたんだろうな。……で、この集落の中で死んだドラゴニアスの死体は新鮮なままだとすると、やっぱりこの集落の中だけが特別な訳だ」
レイの言葉に、ラーリエは少し考え……やがて頷く。
「そうですね。この集落の中で暮らしている時、特に何かおかしな様子はなかったですし。それを思えば、集落の中は特に何の問題もないと思います」
「確かラーリエの一族はドラゴニアスから逃げるようにしてこの林の中に移ってきたんだよな? なら、一体誰がそれを決めたんだ?」
「それは……正直分かりませんけど、長とかその周辺の人達だと思います」
ラーリエは集落の中でも一般人でしかない。
だからこそ、具体的に誰がここに集落を移してきたのかというのは分からなかったし、それ以外でも集落の範囲……ドラゴニアスや、それ以外に対する備えとしても防壁をどうやってこのような範囲に建造したのか。
その辺りの事情が分かれば、レイとしてもかなり好ましいと思ってはいるのだが。
「その辺を詳しく知ってる奴が死んでしまったというのは痛いな。……何か手掛かりのような物でも残ってればいいんだが……」
「難しいでしょうね。そもそも、テントの多くはドラゴニアスとの戦いで壊れているもの。もし何らかの手掛かりの類があったとしても、それが残ってるかどうかは分からないわ」
レイの言葉を続けるように、ヴィヘラがそう告げる。
それでも一応ということで、この集落の長のテントがどこにあったのかとレイがラーリエに尋ねる。
出来れば採掘作業をやっていない場所にあって欲しいと、そう願いながら。
テントが無事なら、他のテントよりも大きいのが長のテントだと認識出来るのだが、残念ながらこの集落にあるテントの大部分はドラゴニアスが攻めて来た時に……そして、レイ達がこの集落を取り戻す時に破壊されている。
ましてや、採掘作業をしている場所にあったテントを含め、それ以外のテントもこれからの採掘作業の邪魔になる可能性が高いということで、既に片付けられている。
まだ使えそうな物もあるので、全てを廃棄する訳ではなく一ヶ所に集めているのだが……ケンタウロス達が暮らすテントだけに、かなりの大きさを持つ。
そのようなテントが片付けられた場所から何か手掛かりを探そうとした場合、多大な労力が必要となるのは間違いないだろう。
レイとしては、出来ればそんな真似はしたくなかったのだが……運命の女神は残酷だった。
「もう破壊されていたので、他のテントの残骸と一緒になってると思います」
そう告げてくるラーリエに、レイとしては何か言い返すようなことは出来ない。
「あー、じゃあ、取りあえず今日の仕事の一つはその手掛かり探しだな、幸い、人数だけはかなりいるし」
「あら、採掘作業の方に人数を回さなくてもいいの?」
「そっちはセトがいるから、大丈夫だろ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、任せて! と喉を鳴らすセト。
セトにしてみれば、地面を掘るというのはそんなに大変なことではない。
元々セトの膂力が非常に強いので、前足を使えば容易に掘ることが出来るのだ。
……他の採掘作業に参加している者達にしてみれば、非常に羨ましいと思ってもおかしくはないだろう。
実際にレイから見ても、セトがいるだけで実際に地面を掘るのは十分なのではないかとすら思ってしまうのだから。
とはいえ、実際には当然のように掘る者が多ければ多い程に採掘作業が進むのも事実だ。
唯一の難点としては、ケンタウロスもドラゴニアス程ではないにしろ、レイやヴィヘラのような普通の人間――双方共に、正確には普通の人間ではないのだが――と比べるとかなりの大きさを持つ。
それだけに、ケンタウロスが採掘作業をやるとなれば、どうしても人間が採掘作業をやるよりも人数としては少なくなってしまうのだ。
……ケンタウロスのザイ達にとっては、それが普通なのだが。
レイにしてみれば、ケンタウロスがいる分だけどうしても採掘作業に関われる者が少なくなってしまうという印象が強い。
また、実際に人数が余り気味であるのも事実である以上、その余っている人手を手掛かり探しに回すというのは、決して悪い手段ではないように思えた。
そう説明するレイだったが、ヴィヘラは若干怪しげな視線を向けて口を開く。
「ねぇ、本当に大丈夫? 絶対に二日酔いになってる人がいるわよ?」
「それは……」
手掛かりを探す以上、当然のようにその場合は注意深さが必要となる。
とてもではないが、二日酔いの状態でそのような真似が出来る筈もなかった。
「そこまで多くの酒を出したつもりはなかったんだけどな」
疑問を抱きつつ呟くレイだったが、レイ本人は酒を飲まないので、具体的にどれくらいの酒を飲めばケンタウロス達が酔っ払うのかは分からない。
また、本人は気が付いてなかったが……レイが昨日渡した樽の一つには、かなり度数の高い酒が入っていた。
ケンタウロスの二日酔いの原因は、その酒が大きい。
レイは取りあえず酒ならと適当に買い集めていたので、酒の種類については詳しく知らず……結果として度数の高い酒が出されることになったのだ。
もっとも、それは裏を返せばレイのミスティリングの中に入っている高級な酒が出される可能性もあったのだが。
とはいえ、レイのミスティリングの中に入っている高級な酒というのは、そこまで高級という訳でもないのだが。
日本……いや、地球においては、それこそ一本数百万円のワインといったものも存在する。
レイのミスティリングには、高級な酒とはいえそこまでの代物は入っていない。
ともあれ、度数の高い酒を出したということに全く気が付いていないレイは、少し考えてから口を開く。
「そうなると、二日酔いじゃない奴を手掛かりを探す方に回して、二日酔いの連中は採掘作業の方だな。身体を動かして汗を流せば、二日酔いも治るだろうし」
レイは日本にいた時に二日酔いを治す為に父親がサウナに行っていたことを思いだし、そう告げる。
……実際には、二日酔いでサウナに入るのは非常に危険で、やっては駄目な行為なのだが。
二日酔いを治すのに必要なのは大量の水……それこそ1リットル程の水を飲ませることだ。
幸か不幸か、レイがエルジィンにやってきてから自分や身内が二日酔いになったことが殆どなかった為か、その辺の知識は全くなかった。
「そう? まぁ、レイがそれでいいのなら構わないけど。……それに、いつ新しいドラゴニアスが来るのか分からない以上、二日酔いのままでいられると問題があるし」
ヴィヘラの言葉に、レイは同意するように頷く。
昨夜のように林の中からドラゴニアスが現れた場合、どこから集落の中に入ってくるか分からない。
そんな肝心の時に、非戦闘員を二日酔いで守れないなどといったことになれば……そこには、最悪の結果しか存在しない。
二日酔いで非戦闘員を守れませんでしたというのは、ケンタウロス達にとっても考えたくないことだろう。
そんな訳で、レイはヴィヘラとセト、それとラーリエを引き連れて二日酔いの集団に向かう。
「セト、頼む」
「グルルルルルルルゥ!」
『ぬおおおおおお!』
二日酔いのところで、不意にセトの鳴き声が周囲に響き渡ったのだ。
二日酔いのケンタウロス達は、頭の中に響く声に呻き声を上げる。
だが、レイはそんな面々に関係なく、陸に上がったマグロの如く地面に倒れているケンタウロス達に向かって声を掛ける。
「起きろ、仕事の時間だ。昨夜も言った通り、お前達が二日酔いだろうがなんだろうが、仕事はして貰う。まず、二日酔いじゃない奴は手を挙げろ」
レイの指示に従って、十人程が手を挙げる。
これだけの中で十人。
そのことにレイは何と反応すべきか迷ったが、取りあえず二日酔いではない者が十人程いることを喜ぶべきとだけ判断する。
「お前達は、この集落の長のテントの残骸を調べて、この集落について何か情報がないかを探せ」
「えっと、それってどういう意味ですか?」
ケンタウロスの一人が、レイが何を言ってるのか分からずにそう尋ねる。
何故この集落についてそこまで調べる必要があるのか、それが理解出来ないのだろう。
そんな面々に、レイは集落の外……林で見た光景を説明する。
当然のようにそんな説明をすぐ信じることは出来なかったが、実際に集落を出て林まで見に行けば、ドラゴニアスの死体が風化しているのは明らかだ。
証拠を見せられてしまえば、疑っていた者達も信じざるをえない。
そして、集落の中に残っている死体は全く風化していない。
それを考えれば、この集落の中だけが何か特別だというのは間違いのない事実だった。
だからこそ、この集落について何かないかを調べるようにレイが言ってるのだと、二日酔いではないケンタウロス達も理解出来ただろう。
「それで……俺達は……」
二日酔いのケンタウロスが、休んでもいいという言葉を期待して、レイにそう尋ねる。
だが……レイはそんなケンタウロス達に対し、無情にも採掘作業をするように指示したのだった。