2331話
採掘作業を始めた、その日の夜……集落の一部を野営地として眠っていた偵察隊の面々だったが、不意にそんな静寂を破る声が周囲に響き渡る。
「グルルルルルルルルルルルルゥ!」
それは、見張りをしていたセトの鳴き声。
それもただの鳴き声ではなく、警戒を促すような鳴き声だった。
当然のように、そんな鳴き声が響けば眠っていた偵察隊の面々も目を覚ます。
そしてすぐに戦闘用意を調えつつ、眠っていたテントから飛び出す。
本来なら、今日は夕方まで採掘作業をしていたので皆が疲れている筈だった。
普段しないような仕事をしたのだから、それも当然だろう。
だが……そのような状況であっても、ここに何かがあるというのは理解しており、だからこそ緊張もあって深い眠りに就くことは出来なかった。
何しろ、この集落に埋まっているだろう何かがあれば、ドラゴニアスを根本からどうにか出来る……かもしれないのだ。
あくまでも、かもしれないという程度でしかないのだが、それでもケンタウロス達にとって大きな希望であるのは間違いない。
そのような物を採掘しているということで、当然の話だったが興奮し……そして興奮すれば眠りが浅くなったり、そもそも眠くても眠れなくなったりする。
だからこそ、セトの鳴き声が聞こえた瞬間に多くの者がすぐ反応することが出来たのだろう。
……レイとヴィヘラの場合は、そんなケンタウロス達とは違ってぐっすりとマジックテントの中で眠っていたのだが、それでもセトの鳴き声を……それも警戒心が多分に含まれている鳴き声を聞き逃すようなことはなく、最低限の身嗜みを整えてマジックテントから飛び出す。
レイの場合はそこまで身嗜みを気にしなくてもいいのだが、ヴィヘラの場合はその服装が服装である以上、どうしても最低限の身嗜みを整える必要があったのだ。
この辺、踊り子や娼婦のような薄衣を着ているヴィヘラの欠点と言ってもいいだろう。
もっとも、それは欠点であると同時に利点でもある。
何枚も服を着る必要はないのだから。
ともあれ、レイがマジックテントから外に出て数分後、ヴィヘラもその後を追う。
そうして外に出たヴィヘラが見たのは、ケンタウロス達が戦闘準備を整えている光景だった。
ザイの指示に従い、戦闘能力のないケンタウロスは一ヶ所に集められ、その周辺には護衛を任されたケンタウロスの姿がある。
「アスデナ、何があった?」
レイは近くにいたアスデナに、そう尋ねる。
だが、アスデナもテントから出て来たばかりであって、実際に何があったのかを理解している訳ではない。
「レイの方こそ、事情は分からないのか? セトの鳴き声で起きたんだから……何か分からないか?」
「そう言われてもな。何か危険が近付いてきているということだけは、分かるんだが」
レイにしてみれば、正直なところそれが分かっただけでも十分だったのだが。
今はとにかく、何が起きてもすぐ対処出来るように周囲を素早く見回す。
……幸いなことに、先程のセトの鳴き声でほぼ全ての者がテントの外に出て、何が起きてもすぐ対処出来るように準備を整えている。
レイはそんな様子を眺めてから、ヴィヘラとアスデナの二人を連れてセトのいる方に向かう。
いつもなら、セトはレイの使っているマジックテントのすぐ側で寝転がっている。
だが、この集落は現在採掘作業中で忙しく、レイの使うマジックテントやケンタウロスの使うテントを以前までの野営地のように並べるようなことは出来ない。
結果として、セトのいる場所はマジックテントから少し離れた場所になるのだった。
……とはいえ、あくまでも離れた場所は少しなので、レイ達はすぐにセトのいる場所に到着する。
「グルルルゥ」
レイの姿を見つけたセトは、嬉しそうに喉を鳴らす。
そんなセトの様子は、先程警戒の鳴き声を上げた時と比べると大きく違っていた。
……もっとも、レイとしてはそんなセトの様子に少しだけ安堵したのも事実だが。
もし本当にセトが警戒すべき相手がいるのであれば、セトもここまで安心した様子を見せはしない。
つまり、警戒すべき何かが存在するのは間違いないが、その警戒すべき相手はそこまで脅威ではないと、そうセトの態度から理解は出来るのだ。
「レイ」
レイの姿を見つけ、ザイがそう声を掛ける。
この偵察隊を率いているのは、間違いなくザイだ。
だが、偵察隊の中で最強は誰なのかと言われれば、やはりそれはレイなのだ。
……もしくは、ヴィヘラだったりセトだったりするかもしれないが。
ともあれ、ザイから見て自分より強く……そして何より言葉が通じる相手がやって来たというのは、この場合大きい。
レイもそんなザイの様子を理解しているので、安心させるように頷いてから口を開く。
「敵か何かが近付いてきたんだろうけど、ここにいる面々は強い。それを考えれば、敵が何をしてこようとも対処するのは難しい話じゃないだろ」
それはお世辞でも何でもなく、純然たる事実だ。
実際、この集落を取り戻す時の戦いでドラゴニアスと戦ったが、その時も怪我をした者はいたが、死人は出なかった。
これは、かなり大きな意味を持つ。
ケンタウロス達に、自分達は十分にドラゴニアスを相手にして戦えると、そのような実感を抱かせるには十分だったのだ。
……それを可能にしたのが、ヴィヘラの行った地獄の模擬戦なのだが。
ヴィヘラと延々模擬戦を繰り返すことに比べれば、それこそドラゴニアスと戦っていた方が楽だというのは、多くのケンタウロスの意見だろう。
何しろ、ドラゴニアスには曲がりなりにも攻撃を当てることが出来るのだから。その攻撃に効果があるのかどうかはまた別の話として。
だが、ヴィヘラと戦った場合、まず攻撃を当てるのが不可能となる。
幾ら攻撃を繰り返し、仲間と連携して攻撃をしても、全く攻撃が当たらないのだ。
それは、ある意味で悪夢だろう。
そして自分達の攻撃は全く当たらないのに、ヴィヘラからの攻撃は次々と命中してしまう。
……ましてや、その攻撃が手加減されていると露骨に分かってしまうのだから、余計に悔しいだろう。
その上、ヴィヘラは本気になれば一撃で自分達を倒すことが出来るだけの一撃を放てると知っていれば、余計にそう強く思ってもおかしくはない。
「敵か。……やっぱりドラゴニアスだと思うか?」
「だろうな」
この状況で敵がやって来る以上、まさかドラゴニアス以外の敵が近付いてくるとはレイには思えない。
「この状況で第三勢力が現れるとかなったら、それはちょっと面白くないな」
「私達が、ある意味で第三勢力と言えるのかもしれないけどね」
笑みを込めてそう告げるヴィヘラ。
実際、その言葉は決して間違いではない。
レイとセト、ヴィヘラの二人と一匹は、あくまでもケンタウロスに協力しているだけであって、ケンタウロスの勢力ではないのだ。
……もっとも、レイはそんなケンタウロスと別行動をするつもりはなかったが。
現在の状況では、どちらかと言えばケンタウロスと同じ勢力であるという認識の方が強い。
「あまりからかうなよ。一応現在の俺達はケンタウロスと協力をしてるんだから」
「そうね、気をつけるわ」
あっさりとレイの言葉に頷くヴィヘラ。
ヴィヘラも本気で言った訳ではないのだろう。
レイはそんなヴィヘラの様子を一瞥し、改めてザイに視線を向ける。
「ともあれ、敵が来るのは間違いない。具体的にいつくらいに来るのかは、俺にも分からないが……セト、どんな感じだ?」
「グルゥ? グルルルルゥ」
レイの言葉に、セトはそう鳴き声を上げる。
……セトが何を言いたいのかは分からず、レイは取りあえず雰囲気からそう遠くないうちだろうと判断する。
「そう遠くないうちに、だろうな」
その言葉を聞いていたザイは、微妙な表情を浮かべる。
本当に今のやり取りでセトの言葉を理解出来たのか? と、そう思うのは当然だろう。
だが、実際に今までレイとセトが意思疎通に困っているような様子を見せた時は一度もなく、それを考えれば恐らく本当なのだろうと、そう理解する。
また、話を聞いていたヴィヘラも、レイを全面的に信じている様子を見れば、安心出来たのも事実だ。
「なら、どうする? ここで迎え撃つのは、出来れば避けたいんだが」
集落の一画を見ながら、ザイが尋ねる。
その一画は、日中には採掘作業が行われていた場所だ。
もしドラゴニアスとの戦いになれば、そちらにも被害が及ぶ危険があった。
また、それだけでははなく、戦闘の際に何らかの弾みで地下に埋まっているだろう何かが出て来たり、あるいは壊れたり、もしくは……そうなるのかどうかは分からないが、発動したりといったようなことが起こるかもしれない。
そうならない為には、やはり集落に入れる前にドラゴニアスを倒してしまった方がいいのは当然の話だった。
……もっとも、林の中での戦闘となるとセトは当然参加出来ず、ケンタウロス達も木々が邪魔で戦闘をするのは難しい。
出来ない訳ではないが、木々に注意して戦わなければならない以上、ドラゴニアスに不覚を取る可能性も十分にあった。
勿論、ザイを始めとして偵察隊の中でも突出して技量の高い者……あるいはドルフィナのように魔法を使える者であれば、林の中でも十分に戦うことは出来るのだろうが。
とはいえ、林の中での戦いとなると、レイやヴィヘラでも敵を逃がす可能性は十分にある。
それを思えば、やはりここでは林の中に向かうのは自分とヴィヘラだけの方がいいというのが、レイの判断だった。
(セトがいるから、紛れ込んできたドラゴニアスを対処するのは難しくないと思うんだけどな)
そう思うも、ドラゴニアスが一体どれくらいの数でやって来たのか分からない以上、戦いの中で注意が必要なのも間違いなかった。
「取りあえず、俺とヴィへラで偵察がてら敵の数を減らしてくるから、ザイ達は防御を固めていてくれ」
「……前々から思っていたんだが、レイの中にある偵察と俺の中にある偵察では、その言葉の意味がかなり違うような気がするんだが」
うっ……と、レイは言葉に詰まる。
レイも偵察というのは、あくまでも敵に見つからないで敵の情報を得ることだというのは分かっている。
他にも威力偵察というのがあるが、こちらは相手と小規模な戦闘を行って情報を引き出すという偵察であって、レイがやっているように本格的な戦闘を行うような行為ではない。
レイがやっているのは偵察ではなく、ただの攻撃行動と言ってもいい。
もっとも、レイ本人もそれは十分に分かっているので、余計にザイに何も言い返せなくなるのだが。
「ともあれ、ドラゴニアスが林を抜けて集落に向かってきたら、そっちで対処を頼む。セトがいるから心配はいらないと思うけど、幾らセトが強くても一匹しかいないのは間違いないしな」
逃げたな。
一瞬、そうザイは思ったが、だからといって今の状況でそれを口に出来るような時間的余裕はない。
そんなザイの様子を見たレイは、すぐにヴィヘラに声を掛ける。
「じゃあ、行くか。……セトの様子から考えると、ドラゴニアスは来てるだろうけど、そこまで警戒する必要はないらしい」
「つまり、銀の鱗のドラゴニアスはいないって訳ね」
「あくまでも恐らく、予想では、多分といった感じだけどな」
銀の鱗のドラゴニアスにも、ヴィヘラが戦った二匹のように強い個体もいれば弱い個体もいる。
弱い個体が来ていれば、セトなら問題のない敵だと認識してもおかしくはないかった。
「まぁ、いいわよ。じゃあ、取りあえず行きましょ。林の中での戦いというのも、それなりに面白そうだし」
多数の木々が生えている中での戦いは、ヴィヘラも今まで何度か経験している。
だが、そのような場所でドラゴニアスと戦うというのは、ヴィヘラにとっても楽しみなのだろう。
「グルゥ……」
「セトはドラゴニアスが集落の中に入ってきたら、相手をしてくれ」
一緒に行けないことを残念そうにするセトに、レイはそう言って頭を撫でてやる。
実際、林の中をドラゴニアスが進んでいるのはほぼ間違いないのだが、具体的にどこから来るのかというのは、今のところまだ不明だ。
もしかしたら、思いも寄らない場所からやってくる可能性もある。
だからこそ、セトにはこの集落を守って欲しかった。
「グルゥ!」
セトもそんなレイの様子を理解したのか、任せて! と喉を慣らす。
そんなセトを再度軽く撫でてから、レイはヴィヘラに視線を向ける。
「さて、じゃあ行くか。……どれくらいの数が来たか分からないけど、取りあえず可能な限り倒した方がいいしな」
「そうね」
レイの言葉にヴィヘラはそう頷き……二人は、全く緊張した様子もなく林の中に入っていくのだった。