2327話
「チュチュ!」
ヴィヘラが連れて来たケンタウロスの女は、レイの側で地面に倒れているケンタウロスの子供……少女を見て、そんな声を発する。
生きていたのが信じられない。生きていてくれて嬉しい。それ以外にも様々な感情が入り交じった声。
急いでチュチュと呼ばれた少女の近くまでやって来ると、手を伸ばして息があるのかどうかを確認する。
そして気絶しているだけだと理解すると、心の底から安堵する。
「どうやらそこにあったテントが倒れて、それに巻き込まれて気絶していたらしい。ドラゴニアスがその子供の口から出ていた呻き声に気が付かなかったのは、運がよかったんだろうな」
正確には、飢えから集落で殺したケンタウロスの死体を腹に収めることを優先しており、テントの残骸から聞こえてくる呻き声を気にしていなかったということだろう。
死体の全てを腹に収め、食料となるケンタウロスの死体が完全になくなってしまえば、微かに聞こえた呻き声に反応した可能性は十分にあったが。
そういう意味では、レイたちがこの集落に戻ってきたのには時間的な余裕があった……ということなのだろう。
そのことを理解しつつ、レイは視線を周囲に向ける。
テントの残骸から少し離れた場所には、ケンタウロスの死体が二人分ある。
(もしかしたら、あの死体が両親なのかもしれないな)
ドラゴニアスの襲撃を生き残ったというのは、目の前の少女の運がいいのは間違いないだろう。
だが同時に、集落がこのような状況になり……そして生き残りも本当に少数のこの状況で少女が生き残ったことが、本当に運がいいのかどうかと言われると、レイとしては素直に頷くことは出来ない。
少なくても、この集落の現状を考えればとてもではないがここで再び生活するのは無理だろう。
運がいいのか悪いのか。
その辺の判断はレイにも出来なかったが、それでも百匹近いドラゴニアスに襲撃されて生き残ることが出来たのだから、決して運が悪いという訳ではないのだろう。
そう判断し……レイは少女の様子を見ている女に視線を向け、尋ねる。
「それで、この子供はどうなんだ? 怪我をしてるのかどうか、俺はケンタウロスに詳しくないから分からなかったんだが」
「それは……大丈夫です。打撲の類はしているようですが、それでも骨折のような重傷ではありません。もっとも、私もそこまで治療には詳しくないので、正確には分かりませんが」
「そうか。なら、その手の知識がある奴を連れて来た方がいいな」
集落の外で待機しているケンタウロスの中には、当然ながら医療の知識に詳しい者もいる。
きちんと系統立てて医学を勉強した訳ではなく、あくまでもケンタウロス達に伝わっている医療技術を知っている者なのだが。
それでも長年の生活の知恵というのは、馬鹿に出来るものではない。
実際にそれによって多くの者が助かっているのだから。
そうしてやって来たケンタウロスは、地面に倒れている少女の様子を確認していく。
「……うん、取りあえず問題はないと思うよ。上手く柱の隙間に挟まっていたんだろうね」
ここに連れてこられるまでに、事情は聞かされていたのだろう。
ケンタウロスは感心したようにそう呟く。
運が悪ければ、それこそ柱に身体を潰されて内臓を破裂させたり、骨を折ったりといったようなことになっていたかもしれない。
だが、それでもドラゴニアスに喰い殺されるよりは、幸運だったと言えるかもしれないが。
「そう。よかった。……それにしても……」
この集落から逃げてきた女は、何とも言えない微妙な表情を浮かべる。
生き残ってくれたのは嬉しいが、これからの生活がこの少女にとって幸せなものになるとは、到底思えなかったからだ。
そんな中……レイの口から、女にとって衝撃的な内容が語られる。
「それで、この集落を掘り返したいんだが……構わないか?」
「……え?」
レイの口から出た言葉は、女にとって完全に予想外だったのだろう。
思わず間の抜けた声が漏れる。
当然だろう。普通なら、自分が暮らしていた場所を掘り返してもいいかと言われるようなことはまずないのだから。
ましてや、ここはドラゴニアスの襲撃によってほぼ全滅に近い状況になっているし、ここに集落を移動させてからまだそれ程経っている訳ではないが、それでも故郷と呼ぶべき場所なのだから。
「それって冗談ですか?」
「いや、本気だ。……百匹ものドラゴニアスがここにやって来たのは、どう考えても普通じゃない。だとすれば、ここに何らかの理由がある筈だ。そして林の木がドラゴニアスに食われていないことから、恐らくその理由というのは地面に埋まってる何かじゃないかと思っただけだ」
「それは……」
レイの言葉に、女は反論出来なくなる。
実際、幾らか落ち着いたところで考えてみれば、これはおかしいのだ。
レイの言う通り、百匹近いドラゴニアスがここに来るというのは、普通に考えればとても納得出来ることではない。
そして……そうなれば、自分達はわざわざ自分からドラゴニアスに襲われやすい場所で暮らしていたのかと、衝撃を受けてしまう。
とはいえ、だからといってすぐにその言葉に納得出来るかと言われれば、それはまた別の話だ。
「それは、実はもっと他に何か理由があったりしないんですか?」
「どうだろうな。可能性としては実はここに特別な木が生えているとか?」
レイが思い出したのは、マリーナの集落に存在した世界樹。
あのような世界樹がここにあれば、何らかの理由で ドラゴニアスがそれを求めてくるということも考えられるが、こうして見た限りではとてもではないがそのような木は存在しない。
もしくは、何らかの力を持った巨大な岩でも似たようなことが起こりそうではあるが、そのような岩も当然の事ながら存在しない。
そうなると、やはり地下に何かあるのではないかという結論になるのは、ある意味で当然だった。
「それは……でも、ここは私達にとって……」
「その気持ちは分かるが、ここの地下に何が埋まっているのかが判明すれば、ドラゴニアスに対する致命的な一撃となる可能性もあるぞ。仲間の仇を取りたくはないか? それに……元々、ケンタウロスは一定の周期で集落を移動させてるんだろ?」
なら、そこまで気にする必要もないのではないか?
そう言葉を続けるレイに、女は難しい表情を浮かべる。
今の状況では、そう言われてしまってもどうしようもないのは事実だ。
「今すぐに返事をしろとは言わない。だが、それでも今夜……もしくは明日には返事をしてくれると助かる」
返事を求めるレイだったが、実際にはその選択は一つしか存在しない。
ドラゴニアスについては、未だに分かっていないことは多い。
そうである以上、少しでも何か情報を得られるのなら、それを逃す手はない。
レイとしては、何があってもここを掘り出すつもりだった。
(まぁ、もしどうしても駄目なようなら……別に集落のある場所を掘らなくても、集落の側を掘るという手段もあるんだけどな。ただ、ドラゴニアスが襲ってきたのを考えると、やっぱり怪しいのは集落な訳で……難しいところだな)
あるいは、この辺りまでやって来たドラゴニアスがケンタウロスの集落を見つけ、飢えに負けて襲い掛かった……という可能性もない訳ではない。
レイ達が倒したドラゴニアスの中には、銀の鱗のドラゴニアスがいなかった。
当然のように金の鱗のドラゴニアスもおらず、そうなると可能性としては十分に有り得るのだ。
……そうだった場合、ここにいたケンタウロス達にしてみれば、最悪だったのは間違いなかった。
「分かりました」
ケンタウロスの女が頷いたのを見て、レイは取りあえずこの場は退くことにする。
「じゃあ、取りあえず俺達はここから離れる。その子供が目を覚ました時、周囲に見ず知らずの相手がいたら、混乱するだろうしな」
「ましてや、私やレイは外見からしてケンタウロスと違うし……余計に奇妙に思うでしょうね」
ヴィヘラの言葉は、レイにとっても十分に理解出来るものだった。
ケンタウロス達が二本足の自分達に向ける視線の中には、かなり奇妙なものがある。
四本足が普通のケンタウロスにとって、やはり二本足という時点でかなり奇妙に映るのだろう。
それが原因で何度か面倒なことになったので、レイとしてもそれは十分に理解していた。
……とはいえ、今回意識を失っているのは少女……まだ子供だ。
そんな小さな相手が、レイやヴィヘラを見て面倒なことになるとは思えなかったが。
(まぁ、この集落を脱出してからドラゴニアスに追われながら俺達と合流して、その後はすぐここに戻ってきて……そこでまたドラゴニアスと戦って、集落に残っているのは仲間の死体。それも食い残し。そんな中で一人でも生き残りがいたんだから……思うところは色々とあるんだろうな)
その上で、レイはこの集落を掘り起こすと言ってるのだから、女としては何も考えられなくなってもおかしな話ではない。
「じゃあ、行きましょうか。……戦ったザイ達もそろそろ体力回復しただろうし、死体を集めるくらいのことはした方がいいでしょうし」
「一応言っておくけど、ケンタウロスとドラゴニアスの死体は分ける感じで頼む」
「分かってるわよ。それに……」
そこで言葉を止めたヴィヘラは、少し離れた場所に存在する、ほぼ骨だけになっていたケンタウロスの死体に視線を向ける。
ところどころに肉がついている様子は、見るに堪えない。
何がどうなってそのような死体になったのかは、考えるまでもなく明らかだった。
「ああいう死体は、集めるのが結構大変よ?」
レイだけに聞こえるように、小声で告げるヴィヘラ。
実際、ドラゴニアスに喰い散らかされたケンタウロスの死体は、よほど運がよくなければ、五体満足とはいかない。
ドラゴニアスは飢えに任せてケンタウロスが生きてる状態で喰い殺していく。
そうなれば、当然のようにケンタウロスも暴れる。
その結果として、五体満足の死体は非常に少なかった。
このような状況で、死体を集めてどれがどの死体なのかといったようなことを確認していく……というのは、まず無理だ。
レイが見た限り、ドラゴニアスがケンタウロスの骨ごと噛み砕いているような痕跡もあったので、それが死体を集めるという難易度を余計に難しくしている。
……その上、この集落で飼っていた家畜の類も当然のように喰い殺されており、その死体もいたるところに散らばっているとなれば、尚更だ。
「取りあえず、戻るとしよう。ドラゴニアスの死体は、集落の入り口近くに固まってるし」
レイ達を見つけたドラゴニアス達が揃って襲ってきた影響で、戦闘になったのは集落の中でもレイ達が入ってきた場所だった。
実際にはそこは、入り口でも何でもない、柵が壊れた場所だったのだが。
「そうね」
ヴィヘラはレイの言葉に頷き、二人は柵のある方に向かう。
途中でレイが殺したドラゴニアスの死体もあったが、それは後で纏めて運べばいいかと考え、手を出すようなことはしない。
そうして激戦区となっていた場所に戻ってくると……
「これはまた……」
レイの口から驚きの声が漏れる。
何故なら、視線の先では戦っていたケンタウロスはもとより、非戦闘員ということで集落から少し離れた場所に残してきた者達までもが集まり、ドラゴニアスの死体を一ヶ所に纏めていたのだ。
(とはいえ……ここで魔法を使って燃やすのは不味いんだよな、ドラゴニアスの本拠地が近いとなると、もしかしたら煙を見てここで何か妙なことが起こったと思われる可能性があるし)
飢えに支配されているドラゴニアスは、当然だが何かを燃やしたりといったようなことは意図的に出来ない。
そんな中で煙が上がれば……
(あ、いや。そうでもないか? ここはケンタウロスの集落なんだし。今まで普通に暮らしていた時は、どうやって煙とかを隠していたのかは分からないけど、襲撃されたんだから煙が上がってもおかしくはない)
例え普段は何らかの手段で煙を隠していても、ドラゴニアスが襲ったのなら煙を隠している何かを破壊して、煙が普通に見えるようになってもおかしくはない。
そう考えれば、ここでレイが魔法を使ってドラゴニアスの死体を燃やしても、何の問題もない筈だった。
「よし、まずはドラゴニアスの死体を燃やすか。ケンタウロスの死体は……取りあえず後で考えればいい」
そう告げ、レイはドラゴニアスの死体を燃やすべく、ヴィヘラを含めて他の者達と共に行動を開始するのだった。