2318話
ヴィヘラと銀の鱗のドラゴニアスとの戦いは、すぐに始まる……とはならなかった。
銀の鱗のドラゴニアスにしてみれば、ここでヴィヘラを倒すよりもこの場から脱出する方が先決だったのだろう。
自分の新しい拠点……巣を作る為に移動している以上、ここで戦うという危険性は理解していたのだ。
この辺りの判断の正確さが、特別なドラゴニアスだった。
もし銀の鱗のドラゴニアスが他のドラゴニアスと同様に飢えに支配されているドラゴニアスであれば、今後の事を考えたりはせず、目の前に存在していたヴィヘラに襲い掛かっていただろう。
ドラゴニアスにとって、ヴィヘラという存在は柔らかい肉を持つ極上のご馳走だ。
そうである以上、そんな相手を無視してこの場から離脱するといったような選択が出来たのは、高い知能を持つ銀の鱗のドラゴニアスだからだ。
……もっとも、銀の鱗のドラゴニアスがヴィヘラと戦わずにこの場から離脱しようと考えたからといって、ヴィヘラがそれに従わなければならない理由はない。
自分から逃げようとする銀の鱗のドラゴニアスに対し、一瞬だけ驚くも……すぐに次の行動に移る。
自分のすぐ側を通り抜けようとした銀の鱗のドラゴニアスに対し、地面を蹴って一瞬で間合いを詰め、蹴りを放ったのだ。
ドラゴニアスはケンタウロスよりも走る速度は遅い。
だが、それでも二本足の人間よりは走る速度が上だ。
ましてや、銀の鱗のドラゴニアスは通常のドラゴニアスの上位互換とでも呼ぶべき存在であり、その能力も当然上だった。
だからこそ、もし本気で銀の鱗のドラゴニアスが走ったとすれば、その速度はヴィヘラよりも速いだろう。
しかし……それはあくまでも普通に走ったらの話だ。
一定以上の距離を走るのなら、ヴィヘラは銀の鱗のドラゴニアスに追いつくことは出来ない。出来ないが……それが数m程度の距離となれば、ヴィヘラが銀の鱗のドラゴニアスに追いつくことは難しくない。
瞬発力という一点において、ヴィヘラはドラゴニアスを……そして、銀の鱗のドラゴニアスをも上回っていた。
地面を蹴って瞬時に自分から離れようとした銀の鱗のドラゴニアスに追いついたヴィヘラが放つ蹴り。
それは、銀の鱗に包まれた身体を甲高い金属音と共に吹き飛ばす。
「ギャオギャオガヤオカ!」
吹き飛ばされた銀の鱗のドラゴニアスは、それでも地面に倒れるようなことはなく、何とか持ち堪えることに成功する。
その口からは悲鳴とも怒声ともつかない、そんな声を漏らしながらヴィヘラを睨み付ける。
ヴィヘラがこのまま自分達を逃がすなどといったことをするつもりが一切ないのは、今の一撃で十分に理解出来たのだろう。
銀の鱗のドラゴニアスは、目の前に立ち塞がるヴィヘラを倒さなければこの先に進むことは出来ないと判断したのか、逃げるのではなく戦うということを選択する。
本来なら、正面から戦うような真似をしなくても、それこそヴィヘラのいない方に逃げればいいと判断してもおかしくはない。
だが……銀の鱗のドラゴニアスは、今のヴィヘラの瞬発力を見て、そのように移動しようとしても加速力の差であっさり追いつかれると判断したのだろう。
だからこそ、今の状況においては逃げることを選択するような真似はせず、立ち向かうことにしたのだ。
そして銀の鱗のドラゴニアスが戦うという選択肢を選べば、他のドラゴニアス達も同様に戦うという選択肢を選び……その対象は、ヴィヘラではなくレイとセトとなる。
本来なら、ドラゴニアスとしては白く柔らかい肉を持っているヴィヘラと戦いたいのだろう。
だが、自分達の長である銀の鱗のドラゴニアスがヴィヘラと戦っている以上、自分達が戦うべき相手は……レイとセトしか存在しない。
レイは小柄だが、セトは違う。
体長三mを超える体躯をしているセトであれば、ドラゴニアスにとっても倒すべき相手としては十分だろう。
それこそ、すぐにでも襲い掛かって喰い殺したいと考えても、おかしくはなかった。
……セトとの間にある圧倒的な力の差を感じることが出来ないのは、やはり飢えに支配されており、ドラゴニアスの本能と呼ぶべきものが働いていないからか。
「グルルルルルゥ!」
先手必勝。
そう言わんばかりに、セトは鳴き声を上げながらドラゴニアスの群れに向かって突っ込む。
当然ながら、レイもそんなセトに負けないようにドラゴニアスに向かって距離を詰める。
レイの手には、魔法を使う時に使ったデスサイズ以外に、いつの間にか取り出していた黄昏の槍も握られている。
そんな一人と一匹を迎え撃つのは、三十匹程のドラゴニアス。
本来なら……いや、この世界の常識でなら、ドラゴニアス達の圧勝となってもおかしくはないだけの数の差。
だが、この場合は相手が悪かった。
……ドラゴニアス達も、先程の炎の魔法を使ったのがレイだというのは、知っていてもおかしくはない。
いや、レイではなくても、レイ達の誰かであるというのは、知っていてもおかしくはなかったのだ。
にも関わらず、ドラゴニアスは飢えに支配されており、その辺りの判断が出来なかったのだろう。
それは、ドラゴニアスと戦うレイにとっては有利に運んだのは間違いない。
自分が攻撃している相手がどれだけ強力な相手であると、そう理解出来ずに攻撃するのだから。
もっとも、レイも先程のように魔法を使うつもりはない。
その為に、こうしてデスサイズ以外に黄昏の槍を手にしているのだから。
「はぁっ!」
鋭い呼気と共に一気に間合いを詰めるレイ。
そんなレイの行動に、ドラゴニアスは攻撃のタイミングを逸らされる。
鋭い爪はレイのいない空間を切り裂き……次の瞬間、胴体を上下に切断された。
爬虫類の下半身とリザードマンに似た上半身が、そのまま切断されてそれぞれ違った方に向かって吹き飛んでいく。
レイの動きはそれだけでは止まらない。
一匹目のドラゴニアスを倒した動きを利用し、黄昏の槍を横薙ぎに振るう。
槍で突くのではなく、槍の柄を打撃武器として使う横薙ぎの一撃。
その一撃は、デスサイズのように凶悪さはないが、威力という一点においては、凶悪なまでのものがある。
体長三m近いドラゴニアス数匹を、纏めて吹き飛ばすだけの威力を持っていたのだから。
だが、大ぶりの一撃を放てば当然ながらその動きは隙があると判断されてしまう。
振るわれた一撃によって出来た隙を本能的に見逃さず、ドラゴニアスが襲い掛かる。
当然のように、レイは自分が敵に狙われるというのは理解していたのだが……自分なら、そんな相手に対処するのは難しくはないと、そう理解する。
そして事実、後ろから襲い掛かって来たドラゴニアスは、両手に持つ武器ではなく蹴りを放って吹き飛ばす。
そうして数分も経過しないうちに、レイに襲い掛かって来たドラゴニアスはその全てが息の根を止められることになった。
「セトの方は……心配はいらないか」
身体が大きい分、いい食料になると判断されたセトは、レイよりも多くのドラゴニアスが襲い掛かっていた。
だが、セトの動きはドラゴニアスを完全に翻弄しており、それこそ今の状況でどうにか出来る相手ではない。
牙も爪も、場合によってはセトの動きを止める為の体当たりすらもあっさりと回避されてしまう。
それでいながら、セトが振るう前足の一撃は的確にドラゴニアス達を仕留めていく。
(スキルは使わないみたいだな。……まぁ、この程度の相手と数なら必要ないか)
自分の戦闘が終わり、セトの戦闘の様子を見ていたレイはそう呟く。
スキルを使わずとも、セトはドラゴニアス達を圧倒している。
それこそ、数の差など質の差の前では何の意味もないと、そう言いたげに。
その様子は、まさに蹂躙という言葉がこれ以上ない程に似合う光景だ。
セトの様子を見る限りでは、全く心配はいらない。
そう判断したレイが次に視線を向けたのは……ある意味でこの襲撃の本命と呼ぶべきヴィヘラと銀の鱗のドラゴニアスの戦い。
だというのに、そこで広がっていたのもレイによっては予想外の光景だった。
「ギョガヨヤヴァガトオコタオ!」
相変わらず、レイには全く意味不明の言葉を発しながらも、銀の鱗のドラゴニアスはヴィヘラに向かってその鋭い爪を振るう。
だが……その一連の動きは、明らかに遅い。
その上、特に振るう一撃にも工夫をこらしておらず、ただひたすらに……表現を変えれば、手当たり次第に攻撃をしているだけだ。
以前ヴィヘラと戦った銀の鱗のドラゴニアスは、一撃の威力は少なくて現在戦っている相手よりは鋭かったし、また相手の動きを考えて攻撃をしていた。
だからこそ、ヴィヘラも戦闘を楽しむことが出来たのだ。
だというのに。現在ヴィヘラと戦っている銀の鱗のドラゴニアスは明らかに以前の敵と比べると数段弱い。
(どうなっている? ……いや、勿論個体差ってのはあるんだろうけど、それにしても差が大きすぎないか?)
実際、そのように感じているのはレイだけではない。
……いや、寧ろ実際に戦っているヴィヘラこそが、敵のあまりの手応えのなさに苛立ちを覚えていた。
「本気でやってるの!?」
自分に向かって振るわれた一撃を回避し、カウンターとしての蹴りを放って銀の鱗のドラゴニアスを吹き飛ばしながら、ヴィヘラは苛立ちの混じった声で叫ぶ。
普通なら、身長三mもある巨体のドラゴニアスを蹴って吹き飛ばすといった真似が出来る時点で尋常ではないのだが、この場にいるのはレイ達だけであり、ドラゴニアスも生き残りは少なく、その数もセトによって次々と減らされているので、その異常さに驚くような者はいない。
だからこそ、周囲に響くのはヴィヘラの苛立ちが混じった声だけだ。
「ぽあてゃじゃんえ!」
言葉は通じないのだろうが、それでもヴィヘラが自分を馬鹿にしている……正確には弱者と見ているのは分かるのだろう。
銀の鱗のドラゴニアスは苛立ちも露わに起き上がり、ヴィヘラに向かって襲い掛かる。
……ただし、その攻撃は生憎とヴィヘラには通じない。
あっさりと攻撃を回避し……もういいと。そう失望の息を吐く。
「期待しすぎたわ。……せめて、前に戦った銀の鱗のドラゴニアスくらいの強さがあれば、もう少し楽しめたんでしょうけど」
そう告げ、ヴィヘラは前に出る。
それこそ、目の前にいる相手を全く警戒していない様子を見せるその姿は、明らかに格下に対するものだ。
言葉は通じなくても銀の鱗のドラゴニアスはそんなヴィヘラの態度で相手の意思を理解することは出来る。
そんな相手に苛立ち、しかし相手が自分よりも明確に上の強さを持っているとなれば、迂闊な行動に出るような真似も出来ない。
どうするべきかと迷い……その迷いこそが致命的だった。
気が付けば、ヴィヘラはすぐそこまで……銀の鱗のドラゴニアスのすぐ側まで移動していた。
それが、最初に見せた地面を蹴って一瞬にして移動する方法だと気が付いたかどうか。
何しろ、次の瞬間にはそんな疑問を感じることが出来ない程に、腹部が猛烈な熱を持ったのだから。
……そう、熱としか表現出来ないような何かが。
何があったのかと、自分の腹部を見る銀の鱗のドラゴニアスだったが、そこには手が……自分たちに比べれば軟らかな肉としか表現出来ないような手で触れられているだけだ。
力を振り絞って手を振るい、自分の腹部に触れている手を離させる。
そうして手が離れたが……腹部には何の傷もない。
銀の鱗も欠けていたりといったようなことはなく、そのままだ。
なのに、何故かその状況であっても腹部には強烈な熱と痛みが存在し……それだけではなく、時間が経つに連れてその熱と痛みは増していき……やがて、銀の鱗のドラゴニアスはそのまま地面に崩れ落ちるのだった。
「一体どうなってるのかしらね、これは」
地面に倒れ、既に痙攣をしている銀の鱗のドラゴニアスを見下ろしながら、ヴィヘラが呟く。
「個体差があるってことだろうな。もしくは得意なことが違うか。以前戦った個体は単体での戦闘能力に秀でていたけど、こいつは違うとか」
「……なら、何に向いてると思う?」
「そうだな。普通に考えれば、単体での戦闘ではない以上、部下を率いて戦う戦闘方法とか……拠点の構築や運営とか?」
前者はともかく、後者の場合は今回のようなタイミングではどうしようもなかっただろう。
いきなりの奇襲で、指示を出す間もなく九割近くのドラゴニアスが一度に殺されたのだ。
そういう意味では、即座に逃げようとした判断は決して悪くはなかっただろう。
だが、その生き残りに襲い掛かったのがレイ達であった時点で……銀の鱗のドラゴニアスは、完全に詰んでいたのだった。




