2317話
「うーん……なんだかこう、戦いが楽しみね」
地面に降りたヴィヘラが、嬉しそうに笑う。
ドルフィナと別れてから、既に何度か空を飛び、ある程度距離を稼いでから地面に降りてドルフィナから貰った木の枝で銀の鱗のドラゴニアスのいる方を探すといったことを行っている。
そうした中で、ヴィヘラは確実に近付いてくる銀の鱗のドラゴニアスとの戦いを待ち焦がれて、そんな声を出す。
ヴィヘラにしてみれば、敵と戦うことがかなり待ち遠しいのだろう。
正直なところ、レイとしてもその気持ちは分からないではない。
もっとも、レイの場合は銀の鱗のドラゴニアスが拠点を作るよりも前にどうにかして倒したいという思いの方が強かったのだが。
敵の実力を考えれば、本来ならレイがそこまで警戒する必要はない。
ましてや、今回はヴィヘラという戦力もいるのだから。
そんな状況であってもレイが気を抜いた様子がないのは、やはりドラゴニアスの巣分かれといった行為を初めて見るからだろう。
もっとも、それが巣分かれだと認識しているのは、あくまでもレイがそうではないかと思っていることと状況証拠からのことなので、正確にはドラゴニアスの行為が本当に巣分かれなのかどうかは、不明なのだが。
「楽しみというか、早くどうにかした方がいいってのが、俺の正直なところだけどな」
そうヴィヘラに返事をしつつ、木の枝を地面に放り投げる。
すると木の枝の先端は、特定の方向を……銀の鱗のドラゴニアス率いる集団のいる方向を示す。
「あら、そうなの? 私は楽しみなんだけどね」
「それは分かってるよ。銀の鱗のドラゴニアスはヴィヘラに任せるから、思う存分楽しんでくれ。とはいえ、この前の銀の鱗のドラゴニアスと同じような強さとは限らないから……いや、俺が言うまでもなく、ヴィヘラが油断するなんてことはないか」
「勿論よ。油断なんかする訳ないでしょ?」
レイの言葉に、当然といった様子で告げるヴィヘラ。
ヴィヘラにしてみれば、強敵との戦いは望むところだ。
そんな戦いにおいて、油断をするといったような……それこそ、相手にとっても失礼な真似をするというのは、有り得ない。
「だろうな。取りあえずその辺の心配はしてないよ。……向こうか。それなりに動いてるな」
前回降りた時とはまた違う方に倒れた木の枝に、レイはそう呟く。
本来ならもっとセトが飛んで距離を稼いでから木の枝を倒したいところだったのだが、ドラゴニアスの移動速度が具体的にどれくらいのものなのかは分からない為に、こうしてそれなりに頻繁に地面に降りて銀の鱗のドラゴニアスの行方を探査していた。
その度に、当然ながら木の枝の倒れる方向は逸れていく。
(これって、俺やセトが道に迷ってるからってことは……ないよな?)
ふと、そんな疑問をレイが抱く。
木の枝が倒れた方に向かって進むだけである以上、それで道に迷うということはまずない筈だった。
あるいは、本人は認めないだろうが、レイとセトだけであれば、もしかしたら飛んでいるうちに方向が逸れていくという可能性も十分にある。
だが、この一行にはヴィヘラが加わっている以上、もし進む方向が逸れていた場合、間違いなくヴィヘラが指摘する筈だった。
そう考え……ふと、レイは万が一、本当に万が一のことを考えて、ヴィヘラに尋ねる。
「なぁ、ヴィヘラ。一応聞くけど……俺達の進む方向は間違ってたりはしないよな? 具体的には、セトが飛んでいる間に飛行進路が逸れていたとか」
「え? うーん、私は別にそんなことはなかったと思うわよ? もしそれが心配なら、地上で確認する頻度を上げればいいじゃない。そうすれば、道に迷うといったこともないと思うけど」
そう言われたレイは、なるほどと納得すると同時にそれはそれで面倒だと思いもする。
地面に降りるのは、そこまで大変な行為という訳ではない。
だが、それが面倒なのも、間違いのない事実なのだ。
「取りあえずヴィヘラが問題ないと判断してるのなら、それでいい。なら、後はこの木の枝を信じて進むだけだ。セト」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは任せてと喉を鳴らす。
そんなセトの背にレイは跨がり、一度空を飛んだ後で地上に向かって降下し、ヴィヘラがセトの前足に掴まったところで、再び飛び始める。
勿論向かうのは、木の枝の指し示した方向だ。
そちらに向かえば、銀の鱗のドラゴニアス率いる一団がいるのは間違いないと、そう信じて。
そして……そのまま何度か地面に降りては木の枝を使って方向の確認を行い……
「グルルゥ!」
昼食を食べ終えた満足感から、若干眠くなったのを我慢していたレイの耳に、不意にセトが喉を鳴らす。
それは降りて少し昼寝をしないかという誘い……ではなく、警戒心を呼び起こすような、そんな鳴き声だった。
「敵か!?」
「どうしたの!?」
レイの呟きとヴィヘラの叫びは、ほぼ同時に起こる。
……命綱のないままにセトの前足に掴まって飛んでいる以上、レイのように少し眠気を感じている状態であれば危険なのでは? と思わないでもなかったが、今の状況を考えるとそんなことを気にする必要はなかったと、そう思えた。
レイが満腹感から眠そうにしていた間、ヴィヘラはいつ銀の鱗のドラゴニアス達を見つけて戦闘になってもいいようにと、心身を研ぎ澄ましていたのだろう。
「分からない。けど、セトの鳴き声から考えると、何か見つけたのは間違いない。……ヴィヘラからは見えないか?」
「残念ながら見えないわね。レイは?」
「俺も見えない。だとすれば、セトの視力だからこそ見えたんだろうな。……とにかく、セトの様子を見た限りでは進行方向に何かがあるらしい。それを見逃さないようにしておけ」
「分かったわ」
レイとヴィヘラの会話はそれで終わり、それから少しの間は沈黙が続く。
セトの見ている方に、何かがいるのは間違いない。
であれば、それが何なのか。
それを見逃すといったようなことはせず、少しでも確実に何らかの兆候を得ようと。
(セトの視力を考えると、そろそろ見えてきてもいいと思うんだが)
ヴィヘラとの会話を終えてそれなりに時間が経ち……そして、セトが見ていたと思われる光景が、レイの目にも映ってきた。
「ドラゴニアス……ようやく見つけたか」
「本当?」
レイの呟きが聞こえたのだろう。ヴィヘラにはまだドラゴニアスの姿を見ることは出来ないのか、そう尋ねる。
「ああ。ドルフィナの木の枝を信じてよかったと、しみじみと思う。……ヴィヘラもそろそろ見えてくるんじゃないのか?」
レイとセトの身体は、ゼパイル一門によって生み出されており、その性能は非常に高い。
ヴィヘラの身体もアンブリスの一件によって本来のヴィヘラの身体よりもかなり強化されてはいるが、やはりそこはゼパイル一門の方が高い技術力を持っていたということなのだろう。
「……見えてきたわ!」
やがてヴィヘラの目でもドラゴニアスを見つけることが出来たのか、そんな声が聞こえてきた。
そうしてレイやセト、ヴィヘラの視線の先では、ドラゴニアスの集団が進んでいるのが見えた。
とはいえ、その数はそこまで多くはない。
(遠くから見た感じだと、三百匹くらいか?)
その数が前回襲撃したドラゴニアスの拠点と比べても、かなり少ない。
それが、元々この群れが小さいだけなのか、それとも単純に前回襲撃した拠点が出来てある程度時間が経過した影響で数が増えていたのか。
その辺りの事情はレイには分からないが、ともあれ敵の数が少ないというのは、レイにとって悪いことではない。
「ヴィヘラ、確認だ。銀の鱗のドラゴニアスはお前が戦うということでいいんだな?」
「ええ、勿論よ」
レイの言葉に、ヴィヘラは当然だといった様子でそう告げる。
それこそ、自分以外が銀の鱗のドラゴニアスと戦うのは許容出来ないと、そう言いたげに。
……レイとしては、それをどうこう思ったりはしない。
それを希望するのなら、ヴィヘラに任せても構わないと思っていた。
ヴィヘラもレイがそのように思っている雰囲気を感じたのか、満足そうに頷く。
「さて……じゃあ、やるか。取りあえず俺が魔法で一般のドラゴニアスを倒すから、銀の鱗のドラゴニアスは生き残るだろうし、任せるぞ」
そんなレイの言葉に、ヴィヘラは異論を唱えるような事はない。
銀の鱗のドラゴニアスが魔法を食らっても死なないと思っているのか、それとも赤い鱗を持つドラゴニアスによって守られると、そう思っているのかはレイにも分からなかったが。
ともあれ、レイは魔法を使うべくミスティリングの中からデスサイズを取り出して呪文を唱え始める。
『炎よ、我が魔力を力の源泉として、全てを燃やし尽くす矢となり雨の如く、嵐の如く、絶えず途切れず降り注げ』
魔法を唱えると同時に、炎の矢が次々に生み出される。
どの魔法を使うかはレイも少し迷ったのだが、敵の数が三百程とそこまで多くはないこともあり、ならばということでこの魔法を選んだのだ。
……魔力の消耗は大きいが、それでも炎以外の属性を無理矢理魔法に組み込むことに比べれば、かなり楽だ。
そうして生み出された魔法は、次の瞬間には六百本の炎の矢になる。
敵の数が三百匹なので、その倍があればいいだろうという、大雑把としか言いようのない考えで生み出された炎の矢。
敵の中には銀の鱗のドラゴニアスは勿論、炎に対しては絶対的な抵抗力を持つ赤い鱗を持つドラゴニアスもいる。
そのような者達に対して六百本の炎の矢が生み出され、レイの周囲に浮かぶ。
「うわぁ……これ、間近で見ると凄いわね」
セトの足に掴まっているヴィヘラが、感心したように呟く。
レイの魔法を見る機会はそれなりに多いが、それでも自分の目の前……それこそ、手を伸ばせばそれだけで触れるような場所に炎の矢があるという光景は、驚き以外の何物でもない。
そんなヴィヘラの感嘆の声を聞きつつ、レイは魔法を発動させる。
『降り注ぐ炎矢!』
放たれる、六百本の炎の矢。
それはもはや、炎の矢の雨とでも呼ぶべき光景。
当然のように、地上を走っていたドラゴニアス達も空中に大量に浮かんでいた炎の矢には気が付いていたのだが、ドラゴニアスはケンタウロスと同じく地上を走る存在だ。
また飢えに支配されている以上、ケンタウロスのように弓を使って上空に攻撃するといったような真似も出来ない。
銀の鱗のドラゴニアスなら話は別かもしれないが、今の状況では無理だと判断したのか……炎の矢が無数に生み出されたのを見た瞬間、逃げ出す。
周囲に響き渡る、銀の鱗のドラゴニアスの鳴き声。
その鳴き声が命令代わりだったのか、他のドラゴニアス達も大人しく銀の鱗のドラゴニアスを追う。
(飢えに支配されたドラゴニアスでも、逃げろという命令は聞くんだな)
そんな風に思っている間にも、炎の矢はドラゴニアス達に向かって飛んでいく。
元々、ドラゴニアスはケンタウロスに比べて走る速度は遅い。
そんなドラゴニアスだけに、レイの放った炎の矢を回避する……などといった真似が出来る筈もない。
そして、次の瞬間には次々とドラゴニアスに向かって炎の矢が降り注いだ。
赤い鱗を持っているドラゴニアスはともかく、それ以外の色の鱗のドラゴニアスは、次々と炎の矢によって貫かれていく。
ドラゴニアス達にしてみれば、それこそ自分達ではどうやっても対処出来ない攻撃手段で、逃げることしか出来ない。
その逃げる速度も決して速い訳ではなく……次々と身体を炎の矢に貫かれて死んでいく。
三十秒。
その程度の時間で、ドラゴニアスの大半が炎の矢によって燃やされ、生きてるのは銀の鱗を持つドラゴニアスと、赤の鱗を持つドラゴニアス。そして偶然が味方をして炎の矢が命中しなかった、運のいいドラゴニアスだけだった。
結果として、生き残っているドラゴニアスは三十匹程……当初の約十分の一となっている。
「よし、これくらいなら追撃の魔法も必要ないだろ」
正確には、追撃で炎の魔法を使っても倒せるのは運のよかった赤以外の鱗を持つドラゴニアスだけだ。
なら、わざわざ魔法を使わなくてもレイとセトが一匹ずつ殺していった方が手っ取り早い。
銀の鱗のドラゴニアスはヴィヘラが倒すので、そちらに手を出すようなことは考えていなかった。
「セト、降りて!」
「グルゥ」
ヴィヘラの言葉に、セトは翼を羽ばたかせながら地上に向かって降下していく。
その向かう先は、この状況でも逃げようとしている、銀の鱗のドラゴニアスの前。
そして……セトが低空を飛んでいる時に、ヴィヘラはタイミングを合わせてセトの前足から手を離し、銀の鱗のドラゴニアスの進行方向に着地するのだった。