2316話
野営地に向かって大地を疾走していたドルフィナだったが、不意に一緒に行動している者の一人が叫ぶ。
「ドルフィナ様、上から何かが来ます!」
「上?」
走りながらドルフィナは上を見て……真剣だったその表情に、次の瞬間には笑みが浮かぶ。
空を飛んでいた者達が一体誰なのか、すぐに理解出来たからだ。
それは、この草原に住む者達にとってはイレギュラーと呼ぶべき異端の存在。
それでもケンタウロス達に協力しているその存在……レイ達は、ドルフィナにとって決して忌むべき存在ではない。
特にレイは、魔法について詳しく話すことが出来る相手だ。
それもドルフィナの集落では一般的と思っている魔法理論とは全く違う理論で魔法を使い、ドルフィナが思ってもみなかった魔法を使うことが出来るような、そんな相手。
それだけに、ドルフィナはレイに対して強い好意を抱いている。
それこそ、もし自分が女であれば種族の枠を通り越してレイに惚れていたのでないかと、そのように思ってしまう程に。
……もっとも、そうなったらそうなったで、レイがそれを受け入れるかどうかというのは、また別の話だったが。
「心配する必要はない。あれはレイだよ。こちらに向かって降下してくるということは、恐らく私達に何か用があるのだろう。そして、この状況で私達に用があるということは、恐らく……」
「レイ達はあれについて知ってると!?」
ドルフィナの言葉に、側にいたケンタウロスが驚きの声を上げる。
当然だろう。自分達が見たあの光景は、かなり驚くべきものだったのだから。
「私達にとってかなり刺激的な行動だったのは間違いないだろうね。……けど、他の偵察に向かった者達が私達と同じ光景を見ていないとも限らない。それに……ここでレイに会ったのは幸運だよ。少しでも早くあの情報を伝えることが出来るのだから」
ドルフィナの口から出たその言葉に、他のケンタウロス達もなるほどと納得する。
そうしてドルフィナの言葉に皆が納得しているところで……やがて、走るのを止めて待っているドルフィナ達のすぐ側に、セトが降りる。
正確には、最初に降りたのはセトの前足に掴まっていたヴィヘラで、そのすぐ後にセトが地面に降りたという表現が正しいのだが。
そしてセトの背には、当然のようにレイの姿がある。
「ドルフィナ、久しぶりだな」
「私達が偵察に向かってから、そんなに時間が経っている訳ではないと思うけどね。……それより、レイ達は一体どうしてここに?」
自分達が掴んだ情報を言うよりも前に、何故レイ達がここにいるのかを聞いたのは……ドルフィナの好奇心の強さからきた疑問なのだろう。
そんなドルフィナに対し、レイは自分達が行動している理由は特に隠すべきものでもないと、口を開く。
「実は、銀の鱗のドラゴニアスが率いるドラゴニアスの集団が移動していると聞いてな」
「それは……」
レイの言葉に、ドルフィナは驚く。
それは、まさに自分達が見てきた光景であり、だからこそすぐに野営地に戻るということに決めたのだから。
「それは私も見たよ。……正直なところ、ドラゴニアスがあのように行動しているとは思わなかった。いや、拠点が複数ある以上、結局そうやってドラゴニアスが移動しなければならないのは、間違いないのだが」
分かっていても、実際に自分の目で直接見たというのはドルフィナにとっても驚くべきことだったのだろう。
それはレイも理解出来たので、特に突っ込むようなことはせず……早速本題に入る。
「俺達がやってきたのもそれが理由だ。実は、他の偵察に出て行ったのが、銀の鱗のドラゴニアスが他のドラゴニアスを率いて移動しているのを見つけてな。どうやらドルフィナが見たのもそれだったらしいが」
「それは……」
レイの言葉に、ドルフィナと……そして周囲で話を聞いていた他のケンタウロス達も驚きの声を上げる。
銀の鱗のドラゴニアスが他のドラゴニアスを率いて移動しているというのは、当然のようにそう滅多にあることではないだろう。
であれば、野営地に戻ってきた者達が見たのも、そしてドルフィナ達が見たのも、同じ集団を考えてもいい筈だった。
(あるいは、偶然……本当に偶然に偶然が重なって、結果として同じように巣分かれした銀の鱗のドラゴニアスがいるという可能性もあるけど……正直なところ、どうだろうな)
本拠地にいる銀のドラゴニアスが複数存在し、同時に巣分かれをした。
その可能性もあるにはあったが、レイの勘では同じ集団を野営地に戻ってきた偵察隊とドルフィナ達が見た可能性の方が高いと思えた。
「それで、レイはこれからその集団を?」
「ああ。拠点を作る前に潰してしまおうと思ってな。それで……どこにいるか分かるか?」
「野営地に戻った者達は、情報を持っていなかったのかい?」
レイの言葉に、意外だといった様子でドルフィナが告げる。
折角敵を見つけたのだから、そうである以上は少しでも情報を集め……そして、可能ならその集団がどこにむかっているのかを確認した方がいいと、そう思ったのだろう。
「ドルフィナ達が銀の鱗のドラゴニアスを見た時も見つからなかったんだろ? なら、そういうことだ。……そもそも、ドルフィナみたいに魔法が使える訳じゃないし、数も少ない。だとすれば、ドラゴニアスに見つかったら……そう考えれば、納得出来るんじゃないか?」
「なるほど。なら……私は褒められてもいいかもしれないね」
そう言い、ドルフィナは手にした一本の木の枝をレイに渡す。
「木の枝?」
一体何故そのような物を渡したのかと一瞬疑問に思うレイだったが、ドルフィナの性格を考えれば、手に持っているのがただの木の枝の筈もない。
「魔法か?」
「勿論、この木の枝に魔力を流して倒せば、特定の方向……魔力で目印がついている方に倒れるんだ」
そう言い、ドルフィナは実際に木の枝に魔力を流して空中に軽く放り投げる。
すると、木の枝の先端は特定の方向を示す。
続けて何度か同じように木の枝を拾って放り投げるドルフィナだったが、その全てが特定の方向を示す。
それを見れば、ドルフィナの言ってることが真実なのは明らかだった。
「なるほど。……なら、その木の枝を貰えるか?」
「構わないよ。私が持っているよりも、レイが持っている方が有効に使えるだろうし」
ドルフィナにしてみれば、自分の魔法で銀の鱗のドラゴニアスを率いる集団を倒すことが出来るのなら、別に自分で倒すことに拘りはない。ただし……
「出来れば、私もレイがドラゴニアスを倒す光景を見たいのだがね」
魔法に強い興味を示しているドルフィナだ。
レイが使う魔法……ドラゴニアスを殲滅することが出来るような魔法を、見たい。
そのような思いを抱くのは、当然だろう。
だが、レイとしてはその言葉に素直に頷くことは出来ない。
「俺達と一緒に来るとなると、当然のように空を飛ぶ必要があるぞ? 具体的には、セトが持つセト籠に乗って移動することになる。地面を走るのと空を飛ぶのとでは、どうしても移動速度が違うしな」
「ぐ……」
レイの言葉に、ドルフィナは何も言えなくなる。
魔法使いという、ケンタウロスの中では異端とも呼ぶべきドルフィナであっても、やはりケンタウロスの本能とも言うべき地面から足を離すという行為には忌避感を覚えるのだろう。
「けど……レイに渡したその枝は、地面に落ちないと効果はないんだ。だとすれば、その時に私が移動すれば……」
一縷の望みと共にそう告げるドルフィナだったが、再度レイは首を横に振る。
セトの飛行速度を知っているレイにしてみれば、とてもではないが木の枝を地面に倒している間に、ドルフィナが追いついてくるとは思えなかったからだ。
「そもそも、この偵察隊はお前が率いてるんだろ? そのお前が一人で抜けてこっちに来るのは、色々と不味いだろ」
「それは……」
ドルフィナにとっても痛い所を突かれたのだろう。
レイのその言葉に反論出来ない。
……実際には、ドルフィナと一緒に来た者達は皆が有能で魔法もある程度使いこなすことが出来る。
それこそ、他の偵察隊に比べても有能なのは間違いのない事実だった。
だが……それでもドルフィナが率いてるという事実はあるのだ。
魔法について強い興味を持つドルフィナだったが、自分の集落の長の一族であるというのも、当然のように自覚している。
そうである以上、ここで自分の好奇心や知識欲といったものを優先する訳にいかないというのは理解しており、結果として諦めるしかない。
「………………諦めるよ」
一分近く沈黙した後で、ドルフィナの口からそんな言葉が漏れる。
諦めなければならないというのは、ドルフィナも理性では分かっていた。
だがそれでも、レイの使う魔法を間近で見たいという思いを振り切るには、それだけの時間を必要としたのだ。
「そうしてくれ。それに、ドルフィナには頼みたいこともあったしな」
「頼みたいこと?」
レイの口から出た言葉が意外だったのか、オウム返しに呟くドルフィナ。
それでも少しだけ嬉しそうなのは、レイから頼まれたことか。
「ああ。ドルフィナ達が銀の鱗のドラゴニアスを見つけた場所と、野営地に戻ってきた銀の鱗のドラゴニアスを持ってきた連中とでお互いにどこで見たのかをはっきりとすれば、その二つの点を結んだ先に本拠地がある可能性がある。……もっとも、それはドラゴニアスが真っ直ぐに移動した場合だけだが」
そう言いつつも、レイとしては可能性は十分にあると考えている。
ドラゴニアスは深く考えるといったようなことはしない。
銀の鱗のドラゴニアスがいる以上、絶対とは言えないが。
レイが知っている限り――ヴィヘラが倒した一匹だけだが――銀の鱗のドラゴニアスというのは、金の鱗のドラゴニアスに比べれば劣るが、それでも間違いなく指揮官として高い知能を持つ。
そんな銀の鱗のドラゴニアスだけに、本拠地を出てから真っ直ぐ移動するかと言われると、首を傾げたくなる。
巣分けであれば、自分の巣となるような場所を探して色々と歩き回ってもおかしくはない。
そうであれば、銀の鱗のドラゴニアスが見られた二つの点を結んでも、その延長線上に本拠地があるとは限らない。限らないが……それでも、そちらの方面に本拠地があるのはほぼ確実である以上、手当たり次第に偵察部隊を派遣するよりは、見つける労力は少ない筈だ。
それ以外にも、偵察として派遣する者達を集中させることにより、戦力の分散も避けられる。
総合的に見て、敵の本拠地の場所がある方面を見つけるというだけでも非常に大きな意味を持つのは間違いなかった。
「なるほど。レイが考えていることは分かった。なら、私はすぐにでも野営地に戻るとしよう」
何故ドルフィナ達に野営地に戻って欲しいのかといった説明をすると、その頼みの大きさをすぐに理解したのだろう。ドルフィナは即時に頷く。
……ここで素直に頷いて、ドラゴニアスの本拠地を襲撃する際には近くでレイの魔法を見させて貰うという打算もあったのだろうが。
ともあれ、ドルフィナは一緒に行動していた者達と共に野営地に向かって出発する。
「どうやら、当てもなく偵察に来たのが、予想外な結果になりそうね」
ドルフィナ達の背を見送りながら、ヴィヘラが嬉しそうに笑う。
ドラゴニアスの本拠地ともなれば、一体どのような強者がいるのかと、それを想像しているのだろう。
ヴィヘラの性格を知っているレイにしてみれば、そのくらいのことは容易に想像出来た。
「ともあれ、ドラゴニアスの本拠地に繋がる……かもしれない手掛かりは得たんだ。後は、移動している銀の鱗のドラゴニアスだな」
そう告げ、ドルフィナから受け取った木の枝に魔力を流して軽く放り投げる。
先程まで何度か試した行為だったが、その枝の先端が向けられたのは、やはり先程とは若干違う場所だった。
「こうして話している間も、移動しているってことか」
新たな拠点となる場所を探している以上、移動し続けているのは当然だろう。
もっとも、レイが知る限りではドラゴニアスの移動速度はケンタウロスよりも劣る。
空を飛ぶセトは、そんなケンタウロスよりも速度的には圧倒的に勝っているのだ。
そうである以上、多少追うのが遅くなったところで、追いつく時間に大差はない。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか。二人で空のデートを楽しみましょう?」
「グルゥ!」
ヴィヘラの言葉に、自分も忘れるなと鳴き声を上げるセト。
ヴィヘラはそんなセトに軽く謝り……こうして、レイ達はドルフィナから貰った木の枝の示す方向に向かって飛んでいくのだった。