0231話
前日にアイスバードの群れに襲われていたのをレイやセト、あるいは灼熱の風を含むギルムの街の冒険者達に救われたアレクトール。何故わざわざ人の往来が激減する……否、殆ど無くなると言ってもいいようなこの時期にアレクトールの商隊がギルムの街に来たのかというレイの質問に、アレクトールはワインを1口、2口と飲んでから、重い口を開く。
「私が商隊を立ち上げた時に、援助してくれた貴族の方がいましてね。その方の子供がとある病に倒れてしまったんです。その病に効く薬の原料が、このギルムの街にしか無いと言われて……」
(……どこかで聞いたような話だな)
脳裏に魔熱病の件が過ぎるレイ。
手に持っていた串焼きを皿の上に置き、アレクトールへと尋ねる。
「もしかして、その病というのは魔熱病か?」
「いえ。バールの街で何故か魔熱病が流行したらしいというのは聞いていますけど、今回の件は魔熱病ではありません。子供が成長する時に魔力の量も成長するのが一般的なのですが、魔力の成長が阻害されて、その影響で身体能力にも問題が出て来る……という病ですね。その病に対処する為の薬の材料は辺境にのみ生えている、とある稀少な植物の花の根なのですよ」
「……この冬に植物の根、か?」
それは入手するのは無理だろう。言外にそんな風に匂わせながら告げるレイだったが、アレクトールは微かな笑みを浮かべつつ首を振る。
「確かに冬ですが、その植物は魔法植物ですから枯れる心配はありません。そもそも、その植物の根自体は既に昨日のうちに入手済みですし」
「動きが早いな」
「何しろ商人ですので。ただ、その根を私を援助して下さった方に販売するのだけでは今回の損害は埋まりません。なので、それを何とか埋まるように商売の種を探しているところなんですよ。幸い、この時期のギルムの街にはライバルとなる他の街の商人は殆どいません。そのおかげでそっちも何とかなりそうなんですが……」
「……が?」
意味あり気に言葉を区切ったアレクトールに、話の続きを促す。
すると若干声を低めて、まるで周囲に聞こえると困るとでもいうようにして言葉が続けられる。
もっともレイにしてみれば、それは演出の一環のようなものだろうと判断していた。何しろ、周囲では冒険者達が飲んで騒いでいるのだ。その歓声やら何やらで、もしレイとアレクトールの話を盗み聞きしようとしている者がいたとしても碌に聞き取れないだろう。
「実は、昨日のモンスターとの戦いで護衛として雇っている冒険者達が予想以上に死んでしまいましてね。その穴埋めをどうするかで困っているんですよ」
「……俺が救援に行った時に生き残っていた7人だけだと足りない、と? そもそも馬車が1台無くなったのを考えれば、その7人で十分じゃないのか?」
そんなレイの問いに、アレクトールは残念そうに首を振るう。
「確かに昨日の7人がそのまま帰りも護衛をしてくれるというのなら、何も問題は無いでしょう。ですが4人組の方の冒険者パーティ、ランクDの月夜の刃の方達は元々片道だけという条件で雇った冒険者でしたので」
「月夜の刃……4人となると、男が3人と女が1人の方か?」
「はい。彼等は元々ギルムの街を目指していた冒険者パーティだったんですよ。それがギルムの街に到着する前に冬になってしまい、迂闊に外に出るのは危険だという判断でサブルスタの街に足止めをされていたんです。そこで私達の商隊と知り合って、護衛として雇われていた2組のパーティと一緒なら、ということで片道だけの護衛という契約でここまで来たんです。本来なら、残り2組のパーティとは往復の護衛として契約を結んでいたので全然構わなかったんですが……まさかその2組のうちの片方があんなことになるとは思っていませんでしたし。辺境、と聞いてはいましたが、やはり実際に体験してみないと分からないこともありますね。まさかあれだけの数のモンスターに襲撃されるとは思っても見ませんでした」
長々と説明しながら暗い表情を浮かべ、テーブルの上にある料理を摘むアレクトール。
周囲のテーブルで冒険者達が騒いでいる中、レイとアレクトールの座っている席だけがしんみりとした空気に包まれていた。
「っと、失礼しました。ランクアップの祝いの席でする話じゃなかったですよね。とにかく、そういうことがありまして。……それで、ですね。実はレイさんに1つ依頼があるのですが」
暗い雰囲気を切り替えるよう、明るい声でレイへと声を掛けてくるアレクトール。
これまでの話を聞く限りでは、レイにも相手が何を言おうとしているのかは容易に想像がついた。
「つまり、護衛として雇いたいと?」
「ええ。昨日の戦いは凄かったですからね。レイさんがあの大鎌を振るうとアイスバード数匹があっという間に物言わぬ骸になって、魔法を使えばこれもまた大威力。正直、臨時の護衛とかじゃなくて私の商隊と専属契約を結んで欲しいくらいです」
その言葉は完全なお世辞という訳でもなかったのだろう。いや、むしろかなり本気の籠もった言葉だった。
だが、その提案はレイにとっては歓迎出来ないものである。魔石を入手する為に冒険者になったのに、護衛として……しかも専属ともなればモンスターと自由に戦うということは出来なくなってしまうし、何よりもアレクトールの話を聞いている限りでは、辺境は初めてに近いというのもあった。辺境だからこそ多種多様なモンスターがいるというのに、それがいない場所へと向かう気はレイには更々無かったのだ。
「悪いが、俺にも色々とやりたいことがあってな。専属の護衛というのは断らせて貰う」
「……そうですか」
アレクトールにしても、前日にミレイヌから聞いた情報を考えると半ばレイを抱え込むのは無理だと思っていた。それでも一筋の希望に掛けた提案を断られるというのはやはり残念なものがある。
「報酬の方は勉強させてもらいますよ?」
「金には困ってないしな」
「……そうですか」
最後の切り札、とばかりに出した報酬の増額にも首を振られ溜息を吐くアレクトール。
(ミレイヌさんから聞いた情報によると、マジックアイテムを集めるのも趣味らしいですが……それこそ、護衛をしてもらうごとにマジックアイテムを渡したりしていれば利益どころではないですし。魔石に関しても、同一種を2つまでと決めているとなるとこちらで入手出来る数にも限りがある。……諦めるしかないですね)
内心で呟いたアレクトールだったが、しかし運命はまだ彼を見捨ててはいなかった。
「ただ……」
ポツリとレイの口から出たその言葉に、アレクトールは顔を上げる。
「幸い今は冬で、俺もやるべきことがそれ程無い。だから、サブルスタの街までなら護衛をしてやってもいいが……どうする?」
「いいんですか!?」
「ああ。ただし、今も言ったようにサブルスタの街までだけだぞ」
「はい! 是非お願いします! サブルスタの街まで行けばもう辺境とは言えませんので、そこからは麗しの雫の方々がいますし」
「麗しの雫?」
「はい、女性冒険者3人のパーティです」
そう言われ、レイもセトと一緒に戦っていた盾と剣、ハルバード、弓を使っていた3人組の女達の顔を思い出す。
「麗しの雫か。ちなみにランクは?」
「ランクDパーティですね。あの若さで大した物です。……もっとも、レイさんはその若さでランクCになったんですけど」
「お世辞はいい。それよりも依頼の件だが……」
「はい。指名依頼という形にすればいいですか?」
「ああ、そうして貰えると助かる」
「報酬はどうします? その、今回の件でそれなりに損害が出ているので、出来れば勉強 して貰えると助かります」
改めて自分が受けた損害が頭を過ぎったのだろう、アレクトールが苦笑と共にそう告げてくる。
あるいは、先程レイ自身が言った金には困っていないという言葉を聞いての発言だったのかもしれない。そして実際、レイが数秒程考えて口に出した報酬はアレクトールにとっては非常にありがたいものだったのだから。
「そうだな。なら、鉄の槍を最低20本以上……あぁ、この鉄の槍に関しては状態がそれ程良く無い、粗雑な物でもいい。ただし、使った時に柄が折れるとかいうのは困るが。穂先に関しては……」
そこで言葉に詰まり、レイは自分の膂力について考える。
錆びている刃というのは、レイの膂力を持ってすれば遠距離武器の投げ槍として使う時に不利にはならない。いや、むしろ錆びた刃による傷で破傷風になる可能性を考えると好都合ともいえるだろう。
「そうだな、穂先に関しては多少錆びていても構わない。その代わり、触った瞬間に砕けるとかだと困るけどな。それと護衛の途中でモンスターと遭遇した時に、俺の持っていないモンスターの魔石だった場合は優先的に2個渡して欲しい。後は食事代金はそっち持ちでどうだ?」
「……そうですね。ランクC冒険者のレイさんを雇うにしては随分と安上がりな気もしますが、本当にそれでいいのですか?」
自分で報酬を出来るだけ安くして欲しいと言ったのだが、それでもレイの値切りは予想以上だったのだろう。あまりに割引しすぎた為に、逆に何かを企んでいるのではないかという思いがアレクトールの胸中に湧き上がる。
だが、レイにしてはそれなりに適正な報酬だと思ってた。何しろセトの食事まで用意して貰えるのだから、最終的には普通のランクC冒険者を雇うのとそう大差無い金額になると判断している為だ。
同様に槍に関しても茨の槍のような業物と違って、所詮は使い捨てと割り切っているのでこちらは質より量といった感じだ。
「ああ、問題無い。それにさっきも言ったが、冬の間は特にやるべきこともないからな。ある程度は暇潰しも兼ねてだよ。アブエロの街にしろ、サブルスタの街にしろ、行ったことがないし」
じっと、まるで心の底を見通すかのような視線をレイへと向けるアレクトール。そしてその視線を正面から堂々と受け止めるレイ。
やがて、最初に視線を逸らしたのはアレクトールの方だった。
「分かりました。では、明日にでも指名依頼をギルドの方に出させて貰います」
「……今日じゃなくてもいいのか?」
「ええ。実はこの後に商品のことで商談がありまして。なので、申し訳ありませんが、明日の昼過ぎにでもギルドで依頼を受けて貰えると助かります。もちろん、レイさんの要望する槍に関しても十分用意させてもらいますので」
「そうして貰えると助かるな。それで、ギルムの街を出るのは具体的にいつくらいになる予定だ?」
「明後日ですね。依頼書にも書いておきますが、朝6時の鐘が鳴った時に街の正門前に来て下さい。その時間だとまだ少し暗いでしょうが、雪の影響もあって道を進みにくいですし、日暮れまでにはアブエロの街に到着したいので」
アレクトールにしても実際に辺境へとやってきたのは今回が初めてだが、それでもモンスターが夜になると活発化するというのは知っている。特に今は冬であり、通常では出現しないモンスターが姿を現すことも多い。前日に襲撃されたアイスバードは、まさにそれだろう。その為、なるべく早めに街を出て、無理をせずにアブエロの街で一泊、サブルスタの街までは距離の問題上街道で1泊し、翌日に到着するという予定を立てていた。
もちろん昼間も油断出来るという訳では無い。夜に比べるとまだモンスターの動きは活発とは言えないが、それでも前日にアイスバードの群れに襲われた記憶がある以上は油断するという選択肢はアレクトールの中には一切無かった。
だがそれでも、今回の移動に関してはそのアイスバードを容易く葬り去ったレイが、そしてそのレイが従えているランクAモンスターのセトがいるのだ。護衛の量は失った冒険者達の分減ったが、質として考えれば上なのは確実だった。
「さて。では私はそろそろこの辺で失礼しますが、注文しておいた料理はレイさんが食べて下さい。ランクアップのお祝いですので」
「助かる。じゃあ、明後日の朝6時に」
「はい、よろしくお願いします」
レイを雇うことが出来て安堵の笑みを浮かべ、頭を下げてテーブルを立ち、酒場を出て行く。
アレクトールの上機嫌な後ろ姿を見送り、レイはテーブルの上に乗っている各種の料理へと改めて手を伸ばし始める。
酒場で騒いでいる冒険者達もそんなレイを珍しそうに眺めながら、特に絡んで行くでもなく仲間達と一緒に騒いでいる。基本的に人当たりがいい訳でも無く、ましてや自分に絡んでくる相手に対しては容赦をしないレイだが、それでもレイの方から絡んで行くことは滅多にない。……ここで無いと断言されないのは、やはりこれもまた普段の行いだろう。その為に、放っておけば大人しくしている野生の獣の様な扱いを受けるレイだった。
そして2日後、レイにとっては初の商隊に対する護衛依頼が始まる。