2275話
結局、その日の夜の宴は当然のことながらドラゴニアスの襲撃によって中止になった。
ケンタウロス達の中には、強いショックを受けている者もいる。
ドラゴニアスの本拠地を壊滅させ、これでようやく命の心配をしないですむ毎日に戻れるのかと、そう思っていたというのに……実際には、壊滅させたのは本拠地でも何でもないというのがはっきりとしたのだから、当然だろう。
一応レイとしては、この集落の長であるドラムとの約束を果たしたので、これ以上関わる必要は必ずしもない。
だが……ドラゴニアスとの戦いを好むヴィヘラがいるのだ。
それこそレイがこれ以上手を貸さないと言っても、ヴィヘラは自分がドラゴニアスと戦いたいが為に、ケンタウロス達に協力するのは明らかだった。
また、レイとしてもこの世界のどこかにいるだろうアナスタシアとファナのことを思えば、協力しない訳にはいかない。
見つけた相手は何でも喰い殺すドラゴニアス達とアナスタシア達が遭遇すれば、どうなるのかは明らかなのだから。
アナスタシアは優れた精霊魔法の使い手ではあるが、それでもマリーナのように圧倒的なまでの使い手という訳でもない。
そうなれば、ドラゴニアスと遭遇しても必ず勝てるとは思えない。
……これがマリーナなら、何があっても大丈夫だと安心していられたのだが。
ともあれ、アナスタシアとファナの危険を少しでも減らす為にも、レイとしてはドラゴニアスの殲滅に協力するしかなかった。
アナスタシアとファナがどこにいるのかが分かれば、そこまで気にする必要もないのだろうが。
「うーん……この集落に来た時も思ったけど、このテント凄いわね」
ヴィヘラが自分のいるテントを見ながら、しみじみと呟く。
ケンタウロス達が使っているテントは、エルジィンで一般的に使われているテントと比べてもかなり快適な作りとなっている。
それこそ、ヴィヘラとしては出来ればこのテントが欲しいと思う程に。
とはいえ……テントではあっても、それだけ手が込んで作られている以上、このテントは普通のテントと比べれば、かなり高額になる筈だった。
……ヴィヘラの場合、金に余裕はあるので買おうと思えば買えるのだが。
(あ、でもこの世界の金じゃないし、無理か。……ダスカー様から貰ったように、宝石とかで物々交換なら……)
ダスカーから必要経費として使い、余ってもそれはレイの物にしてもいいと言われて渡された宝石を思い出す。
「ヴィヘラ、もし何ならザイにこのテントを売ってくれるように頼んでみるか? ダスカー様から宝石を貰ってるから、支払いで困ることはないと思うけど」
「それは魅力的ね。けど……少し考えさせてちょうだい」
レイの言葉に、ヴィヘラはそう告げる。
ヴィヘラとしては、愛する男から天幕を買って貰うというのは嬉しい。
嬉しいが、出来れば自分の金で買いたいという思いがあった。
(この場合、問題なのはどうやって稼ぐかよね? ここがギルムなら、ギルドに行けば何らかの依頼を受けられるんだけど)
ヴィヘラの場合、本人の強さもあって討伐依頼をかなり好む。
……逆に不向きなのは、護衛の依頼だった。
いつ敵が出て来るか分からないというのもあるが、ヴィヘラの美貌と男好きのする身体を目当てにして、馬鹿なことを考える者は多いのだ。
それこそ、自分が依頼をしたのだということで、妙な勘違いをする者もいる以上、ヴィヘラは取りあえず自分だけで護衛の依頼を受けるつもりはなかった。
女が護衛の依頼をしてくればしてきたで、嫉妬の視線を向けられたり、場合によっては何故かお姉様呼ばわりをされたといったようなこともあった。
……そう、あったのだ。
ヴィヘラがベスティア帝国を出奔して冒険者として活動している時、何度か護衛の依頼を受けたその経験からのことだった。
もっとも、それ以前にこの集落には冒険者ギルドの類が存在しないのだが。
(そうなると、適当に動物かモンスターでも狩ってきて、売るとか? あ、家畜になりそうな動物を捕まえてくれば、買ってくれるかしら)
このヴィヘラの発想は、現在の集落の状況を考えれば、決して悪いものではなかった。
何しろ、家畜の数は以前までと変わらないのに、他の集落から逃げてきたケンタウロス達が次々と合流してくるのだから。
人が多くなるというのは、集落が大きくなるという意味では決して悪いことではない。
だが、それが徐々に増えるのならいいのだが、一度に大量に増えるとなると、食料の問題が多くなる。
「宝石の件はともかくとして、一応最初の目的は終わったんだし、一度エルジィンに戻った方がいいよな」
「そうね。ギルムでも困ってる人は結構いるみたいだし」
「やっぱり樵が一番大きいか?」
「そうなるわ」
レイの予想通りの言葉を口にするヴィヘラ。
伐採した木の運搬というのは、当然のように非常に苦労する。
だからこそ、樵達……正確には樵の手伝いをしている冒険者達にとって、レイの存在は非常に重要だ。
できるだけ早く戻ってきて欲しいと、そう思うのは当然だろう。
……もっとも、レイとしてはその気持ちは分かるものの、アナスタシアとファナの無事を確認するまではそちらに手を貸すような真似は出来ないと考えている。
それが一体いつになるのか……それは分からないが、それでも取りあえずドラゴニアスをどうにかする必要があったし、最低限その辺りはどうにかしなければ、迂闊にエルジィンに戻ることは出来ない。
いや、戻るだけなら出来るのだが、その一件が解決するまでは行動の拠点をこの世界に移さざるを得ないのだ。
ダスカーからの許可も貰っているので、レイとしては現状の活動の拠点を動かすつもりはない。
……とはいえ、今の状況を考えればあまり嬉しいことだけでもないのだが。
いや、ケンタウロスの被害が出ると考えれば、嬉しいことよりも悲しいことの方が多くてもおかしくはない。
(というか……ドラゴニアスが向こうの世界に行ったりとかは……しないよな?)
エルジィンへと続く穴は、グリムが魔法によって隠している。
そうである以上、普通ならその穴を見つけるといったようなことはできないのだが、飢えに支配されているドラゴニアスは普通ではない、
それこそ、何らかの理由によってグリムによって隠蔽されている穴を見つけて、向こうの世界にいきかねない。
何しろ、グリムが行っているのはあくまでもエルジィンに繋がる穴を隠蔽しているだけでしかない。
つまり、実際にそこに存在しているのだ。
そうであれば、当然のようにそこを通ればエルジィンに行ける。
……もっとも、ドラゴニアスがエルジィンに行っても、穴が繋がっているのはトレントの森の地下空間である以上、そこにはドラゴニアスが望む食べ物は何もないのだが。
ただ、そうなればなったで問題がある。
何しろ地下空間の中にはこの世界と通じる穴を生み出した、ウィスプがいるのだ。
今までは、異世界から何らかの存在を呼び寄せる……召喚するといった能力しか持たなかったウィスプが、何故急にこの世界に通じる穴を開けたのか。
その理由も分からないし、何よりレイがこちらの世界にいる時にドラゴニアスがウィスプに妙なちょっかいを出して、二つの世界を繋げている穴に妙なことが起きて欲しくはない。
(まぁ、グリムがいるから、ドラゴニアスが来ても大丈夫だと思うけど。……いや、寧ろ生きたドラゴニアスを確保出来る機会が来たと、嬉々として行動するんじゃないか?)
研究者的な一面の強いグリムだけに、レイは自分の予想がそう間違っていないように思えた。
それで味を占めて、他のドラゴニアスを意図的に呼び寄せる……などという真似はしないと思ったが、それもあくまで予想でしかない。
もしかしたら、その知識欲に負けてそのような真似をしてしまいかねなかった。
「取りあえず、こっちの件については一段落したってことで、明日には一度向こうに戻ってダスカー様に報告してくるよ」
「私は、明日はこっちに残るわ。もしレイがいない時に、ドラゴニアスが来たら大変でしょう?」
一見するとこの集落のことを心配して言ってるようには思えるが、これは実際にはレイがいない時にドラゴニアスが来れば、全て自分が戦えると思っての言葉だというくらいは、レイにも分かる。
ヴィヘラとの付き合いは何だかんだと結構長いのだから、ヴィヘラがレイのことを何なく理解出来るように、レイもまたヴィヘラのことを何となく理解出来るのだ。
もっとも、それは同時にレイがいない間にドラゴニアスがこの集落を襲ってきたとしても、間違いなくこの集落は守られるということの証明でもあったのだが。
ヴィヘラにとって、飢えという本能に支配されているドラゴニアスは、非常に好ましい相手だった。
普通の……それこそ、その辺の盗賊であれば、最初はヴィヘラを侮っていたとしても、その強さを実感すれば戦わずに逃げ出す。
だが、飢えに支配されたドラゴニアスは、目の前の柔らかな肉を喰うまでは決して退くことはない。
その上で、個々の強さは特筆したものではないが、相応の強さを持つ。
……そんなことをヴィヘラが考えていると知れば、誇り高いケンタウロスは間違いなくショックを受けるのだろうが。
ともあれ、ドラゴニアスは色々な意味でヴィヘラにとって好ましい敵なのだ。
(唯一の難点は、今日みたいに百匹近くで襲ってきた場合だけど……ただ、ドラゴニアスの様子を見る限り、目の前の集落よりもヴィヘラに襲い掛かってたしな。そこまで心配する必要はないか?)
先程の戦いを思えば、まるで誘引剤でも撒いているかのように、ドラゴニアスはヴィヘラに向かっていった。
なら、心配する必要はないだろうと判断して、レイはそれ以上は考えるのを止め、別のことを口にする。
「さて、じゃあそろそろ寝るか。ヴィヘラはこのテントを使ってくれ。俺はいつものマジックテントで寝るから」
「そう? 何なら一緒に寝てもいいのよ?」
そう告げるヴィヘラは、戦闘の時とはまた違った女の艶がある。
ヴィヘラのような美人に……それも男好きのする身体を持ち、それを娼婦や踊り子のような薄着を身に纏っている女にそのように誘われれば、普通なら花に群がる蜂のように飛びついてもおかしくはない。
……また、レイもヴィヘラが自分に対してどのような想いを抱いているのかというのは、当然のように知っている。
だが、それでもレイはそれに気が付かないようにしながら、テントを出て行く。
「もう」
背後からヴィヘラの不満の声が聞こえてくるが、そこには本当に怒っているような色はない。
ヴィヘラとしても、レイとそういう関係になりたいとは思うが、それでももしそうなるのだとすれば、エレーナが最初だろうという思いがあった為だ。
そこまで詳しい事情は分からずとも、ヴィヘラが決して本気で怒っている訳ではないことに安堵しつつ、たった今出たテントの隣にミスティリングからマジックテントを取り出す。
「グルルゥ」
マジックテントの中に入るレイに、セトがおやすみなさいと喉を鳴らす。
レイはそんなセトに軽く手を振り、マジックテントの中に入り……やがて、そのまま眠りにつくのだった。
翌朝、レイの姿はセトと共に集落の外にあった。
レイを見送るために、ザイを始めとして何人かのケンタウロスが見送りに来ている。
「じゃあ、今日中……には戻れないかも知れないが、出来るだけ早く戻ってくるから、そのつもりでいてくれ」
「分かった。もっとも、今日からドラゴニアスの本当の本拠地を探すんだ。それが見つかるのがいつになるか分からない以上、早く戻ってきてもやるべきことはないと思うが」
「だろうな。ただ、この辺りについてとか、色々と調べておきたいことはあるし」
言葉が通じても、この世界が異世界であるのは変わりがない。
そうである以上、この世界にはエルジィンに存在しない何かがある可能性は十分にあった。
その辺に適当に生えている草ですら、エルジィンには存在しておらず、錬金術師や薬師といった者達に掛かれば……あるいはそれ以外の者にしても、何らかの大きな力を持つという可能性は十分にあった。
そういう意味では、もしかしたら錬金術師をこの世界に連れてくればもっと色々と発見がある可能性があるのだが……今の状況でそのような真似が出来る筈もない。
それこそこの世界そのものよりも、異世界に通じる穴を開いたウィスプの方に興味を抱く可能性が高い。
そのようなことにならないようにする為にも、レイとしては錬金術師や研究者、それ以外にも諸々の者達をこの世界に連れてくる訳にはいかなかった。