2270話
「よし、じゃあ出発するぞ。少しでも早く集落に到着する為に急ぐからそのつもりでいてくれ」
レイの言葉に、ザイ達は全員が頷く。
ザイ達にしても、自分達にとっても脅威であったドラゴニアスを滅ぼすことが出来た以上、当然のようにそれを早く集落の皆に……場合によっては、ドラゴニアスに苦しめられていた他の集落にも知らせたい。
そういう意味で、レイの指示に異論はなかった。
「けど、レイ。……本当に大丈夫なんだよな? レイが見てきた限りでは、ドラゴニアスの本拠地に異常はなかったみたいだけど……」
「そっちの方は特に問題ないと思う。取りあえず俺が見た限りでは問題はなかった。……この先、俺がいなくなった後で何らかの異常が発生する可能性はあるけど、そっちは俺にもどうにも出来ないな」
自分がいない場所で起きた一件をどうにかしろと言われても、レイとしても困る。
いた時に何かが起きたのなら、それに対処するのは構わないが。
「そう、か。……じゃあ行こう。何だかんだと、結構な期間集落を留守にしたからな」
ザイ言葉に頷き、レイはセトの背に乗ったまま出発を宣言するのだった。
「見えてきたぞ!」
ドラゴニアスの本拠地を出発してから四日……進んでいるレイ達の視線の先には、ケンタウロス達にとっては懐かしい集落があった。
もっとも、その集落は一定期間ごとに移動しているので、そこまで懐かしいといった代物でもないのだが。
それでも、やはりこうして戻ってこられたことを嬉しく思うのは当然なのだろう。
(取りあえず……どうやら、俺達が離れていた間にドラゴニアスに襲われるといったようなことはなかったみたいだな)
集落の中でも腕利きのザイやドラットがレイ達と一緒に来たのだ。
その間に集落がドラゴニアスに襲われれば、その被害は大きくなっていただろう。
だが、集落には特に被害がなく……
「え?」
集落の外を見たレイが、思わずといった様子で声を上げる。
何故なら、集落の側は五匹程のドラゴニアスの死体が転がっていたからだ。
レイが初めてこの世界に来た日に襲ってきたドラゴニアスの死体は、ミスティリングに全て収納されている。
そうである以上、集落の外に転がっているドラゴニアスの死体は、間違いなくレイ達がいなくなった後でやってきた敵だろう。
それどころか、集落に近付けば漂ってくる鉄錆臭から考えて、ドラゴニアスが襲ってきたのはつい先程だと思ってもいい。
(にも関わらず……被害がない? いや、集落に被害がなくても、もしかしたらケンタウロス達に死人や怪我人が出ている可能性もある)
嫌な予感を覚えつつ、レイは視線を横に……ザイ達に向ける。
すると、ザイ達も集落が近付くにつれて、ドラゴニアスの死体に気が付いたのだろう。真剣な……そして深刻そうな表情を浮かべていた。
「大丈夫だろ。ここから見た感じだと、集落に被害が出ているようには思えない。そうなると……恐らく、集落に残っていた戦力でどうにか出来たんだろうし」
「そう……か? だが……」
ザイやドラットのような、集落の中でも突出した力を持っている者であればまだしも、平均的なケンタウロスの場合は、ドラゴニアスを相手にした時、かなりの人数で戦わなければ勝つことは出来ない。
こんな中で五匹のドラゴニアスに襲われたと考えれば……集落に被害は出ていなくても、何人かのケンタウロスは死んでいてもおかしくはない。
最近でこそ、色々な集落から多くのケンタウロスが集まってきてはいるが、それでもやはり小さい頃から一緒に育ってきた仲間が怪我をしたり死んだりしたと考えれば、そこには色々と思うところがある。
「行こう」
ザイがそう言い、他の面々も集落に向かう足を速める。
つい先程……集落を見つけた時に喜んでいた様子は、今はもうない。
少しでも早く集落に到着し、そこで一体何があったのかを確認する必要があった。
(俺が一足先に行くか? ……いや、この場合はやっぱり集落に住んでいるザイ達が最初に到着するべきだよな)
どうやってドラゴニアスを倒したのかは、レイにも分からない。
分からないが、それでもドラゴニアスが死んでいる以上、それを行った相手は集落を守ったということであり、それはつまり友好的な存在だと判断したのだ。
「ほら、行くぞ。今は少しでも早く集落に到着する必要がある。……一応聞いておくが、ザイやドラット以外に腕利きの……それこそ一人でドラゴニアスを相手に出来るような奴はいるか?」
「いや、以前はいたが……」
レイの問いに、ザイはそう言って首を横に振る。
そんなザイの様子を見ただけで、レイは何となく理由を理解した。
つまり、ドラゴニアスとの戦いで喰い殺されたのだろうと。
一人……もしくは数人がドラゴニアスを一人で倒せる、もしくは倒せはしないまでも負けることがないような実力を持っている者がいたとしても、それはあくまで少数だ。
ドラゴニアスが少数ならともかく、本拠地にいた数はかなり多かった。
更には、翌日にやって来た集団のように、レイが襲撃した時に本拠地にいなかった者も含めれば、その数はとてもではないが少数とは言えないだろう。
そして個人でドラゴニアスと戦えるだけに、負担も増す。
結果として、その負担が増して一人、また一人と櫛の歯が欠けるように減っていったのだろう。
「そうか。そうなると、あのドラゴニアスを倒したのが一体誰なのか気になるな」
「え? それは……やっぱり集落に残った者達で協力して倒したのでは?」
レイの言葉に、ケンタウロスの一人がそう告げてくる。
だが、レイはそれを否定するように首を横に振った。
「違うな、その割には、集落の方からは嘆いている雰囲気がない。もし集落に残ったケンタウロス達で協力して倒したのなら、それこそ一人や二人は死んでいてもおかしくはない。違うか?」
そう言われれば、ケンタウロス達も反論出来ない。
ドラゴニアス達が持つその強さは、それこそケンタウロス達が一番骨身に染みて知っているのだから。
だからこそ、現在の状況を思えば不思議としか言いようがない。
それを知る為に、少しでも早く集落に向かおうとレイは言ってるのだ。
そして集落に近付いていくと……
「おい、嘘だろ」
ドラゴニアスの死体がはっきりと確認出来るようになったところで、レイは思わずといった様子で呟く。
何故なら、ドラゴニアスの死体のうちの二匹は外傷が全くなかったからだ。
他の三匹は、まるで巨大な爪か何かで斬り裂かれたかのように、その身体に大きな傷がある。
ドラゴニアスの鱗はかなりの硬度を持ち、それこそ簡単には斬り裂くことは出来ない。
にも関わらず、三匹のドラゴニアスはあっさりと殺されているのだ。
……それだけならまだいい。
だが、問題なのは残り二匹。
傷一つないにも関わらず、死んでいる。
レイはその二つを行うことが出来る相手に、心当たりがあった。
(いや、でも……ここは異世界だぞ?)
その人物はこの世界の人間ではなく、エルジィンの人間だ。
この世界に……ましてや、この場所にいる筈がない。
そんな疑問を抱きつつ、レイは他の者達と共に集落に向かい……
「あら、レイ。遅かったわね」
レイを驚かすことが出来て嬉しいのか、満面の笑みを浮かべたヴィヘラの姿がそこにはあった。
いつものように、娼婦や踊り子が着るような薄衣を身に纏っており、手と足にはそれぞれ手甲と足甲が装備されている。
ドラゴニアスの鱗を斬り裂いたのは、手甲から魔力によって生み出される爪だろう。
そして特に外傷もないのに死んでいた二匹は……
(浸魔掌、か)
ヴィヘラが持つ、非常に凶悪なスキルを思い浮かべる。
ドラゴニアスが幾ら硬い鱗を持っていても、浸魔掌は魔力によって相手の体内に直接衝撃を与えるスキルだ。
つまり、どのような防具も……それこそ、伝説の鎧のような防具があっても、浸魔掌の前には役に立たない。……伝説の防具だけに、何らかの特殊な能力があり、それが浸魔掌を防げるのなら話は別だったが。
ある意味、ドラゴニアスと戦う上ではこれ以上ないスキルと言ってもいいだろう。
……実際には浸魔掌だけではなく、手甲から魔力によって伸ばした爪を使って倒した数の方が多かったようだが。
「ヴィヘラ……何でこの……いや。ここに?」
この世界と言いそうになったのを何とか言い直しつつ、レイは尋ねる。
レイにしてみれば、エルジィンとは違うこの異世界にヴィヘラが来ていたことは、到底信じられることではなかった。
「ふふっ、何でここにいるのかって? それくらいは予想出来るでしょう?」
グリム。
その名前が、レイの頭に浮かぶ。
そう、エルジィンとこの世界を繋げている空間の穴は、グリムが維持しているのだ。
そうである以上、ヴィヘラがここにいるのはグリムが協力した結果なのは間違いない。
ましてや、レイはまだそこまで理解している訳ではないのだが、グリムはヴィヘラを自分の孫のように思っているレイの嫁の一人と認識している。
だからこそヴィヘラの頼みを素直に聞いたのだろう。
「何しに来た……ってのは、集落の外を見れば聞くまでもないか」
「そうね。残念ながら間に合わなかったみたいだけど」
先程まで浮かべていた嬉しそうな表情から、若干拗ねた表情に変わる。
ヴィヘラとしては、出来ればドラゴニアスの本拠地には自分も行きたかったのだろう。
だが、この世界に来るのが遅すぎた。
レイ達が金の鱗を持つドラゴニアスを倒し、本拠地を殲滅してこの集落に帰ってきたタイミングでやって来たのだ。
明らかにやって来るのが遅すぎた。……レイが帰ってくるのを待つという意味では、最高のタイミングだったのかもしれないが。
「それで、ドラゴニアスはどうだった?」
「そうね。それなりに楽しめたわ」
レイとヴィヘラの様子から、恐らくレイの知り合いなのだろうと判断し、話を聞いていたザイ達はヴィヘラの言葉に驚く。
ザイ達にとって、ドラゴニアスというのは極めて強力な敵だ。
それこそ複数で挑まなければ倒すことが難しい程に。
だというのに、ヴィヘラはそれなりに楽しめたと、そう言ったのだ。
つまり、本気を出すような相手ではなかったと。
……そんなヴィヘラの態度に、ザイの横で話を聞いていたドラットが何か言おうとするも、それよりも前に集落から出て来たケンタウロスの子供が叫ぶ。
「この、足が二本のお姉ちゃん、凄いんだよ! 一人でドラゴニアスを全部倒したんだから!」
レイとヴィヘラはお互いについて理解し合っていた為に、ヴィヘラがドラゴニアスを倒したというのは理解していた。
だが、ザイ達はヴィヘラを見てもそこまで強い相手だとは思わなかった。
……寧ろ、その破廉恥な服は何だと、そんな印象を抱いてしまう。
とはいえ、破廉恥な服だからというのは分かるが、ザイ達がヴィヘラに欲情を覚えたりはしない。
この辺りは、ヴィヘラが二本足であるというのが大きいのだろう。
ケンタウロスにとって、二本足のヴィヘラはそういう相手として見ることが出来ないのだ。
上半身は人なのにとレイは思うのだが、ヴィヘラに言い寄る相手がいないというのは、騒動が起きないということを意味してもいる。
そういう意味では、今回の一件は間違いなく幸運だった。
「そうなのか?」
ザイが確認を求めるようにレイに尋ねる。
レイがどれだけの強さを持っているのか知っているからこそレイに尋ねたのだろうが……そんな問いに、レイは躊躇なく頷く。
「ああ。ヴィヘラは強いぞ。正直なところ、一対一の戦いとなれば俺も危ないくらいにはな」
ざわり、と。
レイと一緒に襲撃に行った面々は、驚愕の視線をヴィヘラに向ける。
レイの強さは、それこそ今回の一件で嫌になる程に見た。
火災旋風や炎の矢といった広範囲殲滅魔法もそうだが、純粋な戦闘技能という点でもレイの強さは際立っている。
そんなレイですら、一対一では危ないと言う存在。
それだけで、ヴィヘラの実力を証明するには十分だった。
(とはいえ、ザイやドラット辺りなら、ヴィヘラと向かい合えばその実力を察するくらいは出来ると思うんだけどな)
レイの実力を見抜いたのだから、それで相手がヴィヘラになっても変わらない筈だった。
……あるいは、ヴィヘラの服装から強者とは思っていなかったのか。
その理由はともあれ、目の前にいる相手が強者だとすれば、集落の前にあったドラゴニアスの死体にも納得出来た。
「この集落を守ってくれて感謝する」
そう言い、ザイはヴィヘラに向かって頭を下げるのだった。