2265話
「……何だ?」
空を飛んでいるセトの背に乗り、延々と炎の矢を地上に降り注いでいたレイは、突然聞こえてきた声……雄叫びに動きを止める。
雄叫びそのものは、それこそ十個もの火災旋風が暴れ回っているドラゴニアスの本拠地から、大量に聞こえてきていた。
だが、その雄叫びは基本的に悲鳴、もしくは断末魔とでも呼ぶべき代物。
それに比べると、つい先程聞こえてきた雄叫びは違う。
それこそ周辺一帯に響き渡ったかのような、巨大な……圧倒的なまでの存在感を聞いた者に理解させるかのような、そんな雄叫び。
だからこそ、レイもまた地上に向かって炎の矢を叩き込んだりするのを一旦止めたのだ。
「今の雄叫びはどこから聞こえてきた?」
戦い……いや、一方的な蹂躙と呼ぶべき今の状況で、その雄叫びがどこから聞こえてきたのかは、レイにもしっかりとは分からなかった。
ただ、間違いないのはその雄叫びだけでレイの意識を引き付けるような、そんな力を持つ雄叫びだったということか。
敵が何を考えてそのような真似をしたのかというのは、レイにも分からない。
レイとセトを邪魔に思っていて排除したいのなら、それこそ自分の存在をレイ達に教えるような真似をせず、不意打ちでもなんでもすればいいのだから。
だが、ことさらに自分の存在を示すような真似をするとなると、そこに何の意味があるのか。
「いや、違うか」
自分の考えを、レイは首を横に振ってすぐに否定する。
何故なら、今の雄叫びの意味は地上を見れば明らかになっていたからだ。
つい数分前……いや、数十秒前まで、十個もの火災旋風や炎の矢によって混乱していたドラゴニアス達だったが、今はその混乱が収まり始めている。
何が原因なのかと考えれば、やはり思い当たるのは先程の雄叫びしか存在しない。
つまり、先程の雄叫びはレイやセトに向けて放たれたものではなく、混乱しているドラゴニアス達に向けられたものだったのだろう。
「なるほどな」
雄叫びとその効果はレイを驚かせるが、同時に納得出来るものでもあった。
そもそもレイが知っている限り、ドラゴニアスというのは飢えという本能に支配されている存在だ。
そんなドラゴニアスが、本拠地と呼ばれるこの場所に何故大人しく留まっているのか。
飢えに支配されているのなら、それこそ飢えに動かされるように食べ物を探してそれぞれが好き勝手に動いてもおかしくはない。
また、それを言うのであればザイ達の集落を襲ったドラゴニアスの集団や、ここに来るまでの間に遭遇した女子供や老人とその護衛をしているケンタウロス達に纏まって攻撃するというのは、飢えに支配されていながらも、ある程度規律正しい行動をしているということになる。
「つまり……やっぱりボスがいた訳か」
エルジィンで言う希少種や上位種の類がいるのだろうというのは、レイも予想していたし、ザイ達にも話してある。
だが、ここまで本拠地を蹂躙されていながら、それでも今までは全く出て来ることがなかったのだ。
だとすれば、やはり上位種や希少種がいるのは自分の勘違いだったのでは?
そんな風にレイが思っても、そうおかしな話ではない。
とはいえ、実際には今更ながらではあるが、こうして姿を現したのだが。
(それにしても、出て来るのが随分と遅かったな。一体何をしてたんだ? ……この騒動を考えると、まさか寝ていたとか、そんなことはないと思うけど)
いつ何が起きてもいいように、今まで持っていたデスサイズだけではなく黄昏の槍もミスティリングから取り出す。
黄昏の槍の投擲は、それこそ強力な一撃となる。
だからこそ、もしドラゴニアスのボスと思しき存在が出て来た時に、すぐに攻撃出来るようにと黄昏の槍を取り出したのだ。
「セト、今の鳴き声はどこから聞こえてきたのか分かるか?」
「グルゥ? ……グルルルゥ」
レイの言葉に、セトは周囲の様子を眺めつつも首を傾げる。
先程の鳴き声は、当然のようにセトにも聞こえていた。
だが、それでもこの広い場所である以上、かなり反響しており……具体的にどこから聞こえたのかというのは、セトの鋭い聴覚を持っていても、見つけることは出来なかったのだろう。
(ドラゴニアスが組織だって行動するとか、ザイ達にとっては悪夢以外のなにものでもないだろ)
ケンタウロスが何とかドラゴニアスに対抗出来ているのは、ケンタウロスが多数で連携を取ってドラゴニアスと戦っているからだ。
なのに、そのドラゴニアスが連携を取るようになれば……それこそ、ケンタウロス達にしてみれば、絶望しか抱けない。
とはいえ……と、レイは若干希望的観測ながらも、そこまで深刻にならなくてもいいのでは? とも思う。
もしドラゴニアスが連携を取れるのなら、それこそ今までは何故そのような真似をしなかったのかということになるからだ。
飢えに支配されているドラゴニアスだからこそ、そう簡単に連携行動は出来ないと考えた方がいいのは間違いない。
「グルゥ!」
と、そんなことを考えていたレイだったが、不意にセトが鋭い鳴き声を発するのに気が付く。
そのセトの鳴き声から、恐らく自分の探していた相手を見つけたのだろうと判断し、その視線を追う。
その相手を一目見ただけで、レイは分かった。
視線の先にいた相手が、ドラゴニアスを支配しているのだろうと。
形としては、他のドラゴニアスと大きな違いはない。
下半身はトカゲと思しきものであり、上半身はリザードマンの出来損ないといったような、一般的なドラゴニアスと同じだ。
ただ違うのは、まるで鹿のような角が側頭部から二本、上を向くように伸びているということだろう。
大きさも、他のドラゴニアスよりも多少大きいように見えるが、それでも倍近くもあるといったような違いはない。
だが……それでも、存在感の密度が明らかに他のドラゴニアスとは違った。
それこそ、一流の……もしくはそれ以上の力を持つ冒険者と、特に鍛えている訳でもないのに、武器を持ち、集団となったことで気が大きくなっているだけの、そんな相手が並んでいるのと同じような違いだ。
ドラゴニアス一匹でも、複数のケンタウロスが協力してようやく戦える相手なのだ。
それを考えれば、通常のドラゴニアスとは比べものにならないくらいの強さを持つだろうその個体は、一体どれだけの力を持つのか。
少なくても、ザイやドラットといったような、ケンタウロスの中でも強者と呼ぶべき存在が戦おうとしても、絶対に勝ち目はないだろうと判断出来るだけの実力を持っているのは間違いなかった。
(鱗の色は……金?)
そう多くのドラゴニアスと戦ってきた訳ではないが、それでも様々な色の鱗を持つドラゴニアスと戦ってきたレイも、金の鱗を持つドラゴニアスというのは初めて見た。
あるいは、金の鱗を持つからこそ、あのドラゴニアスは他のドラゴニアスを従えているのかもしれないが。
ともあれ、そんな金の鱗を持つドラゴニアスが厄介な存在なのは間違いない。
実際に先程の一声だけで、他のドラゴニアス達は混乱から立ち直りつつあったのだから。
それを思えば、あのドラゴニアスは出来るだけ早く倒した方がいい。
そう判断したレイは、黄昏の槍に魔力を込め……投擲する。
地面にいる訳ではなく、空を飛んでいるセトの背の上にいる状態からの投擲である以上、その速度と威力はどうしたって普段の投擲よりは落ちる。
だが、普段よりも威力が落ちたとしても、相手を殺すという目的には十分なだけの速度を持つ一撃となり、空気を貫きながら金の鱗を持つドラゴニアスに向かって飛ぶ。
「グルオオオオォォオオオォォオオォォ!」
雄叫びを上げつつ、拳を振るう金のドラゴニアス。
馬鹿め、と。
それを見たレイは、相手の判断ミスに笑みすら浮かべていた。
黄昏の槍がどれだけの威力を持つのかは、それこそこれまで使ってきたレイだからこそ、知っている。
あれは火災旋風や炎の魔法で行う戦略兵器とでも呼ぶべき攻撃と比べて、戦術兵器と呼ぶべき攻撃だが……それでもドラゴニアスの一匹を――明らかに他の個体より格上の存在とはいえ――倒すのには十分な威力があった。
だからこそ……そう、だからこそ。
「え?」
目の前で行われた光景を見て、レイの口からは若干間の抜けた声が漏れ出る。
ドラゴニアスの鱗が強靱なのは、それこそレイも知っている。
知っているが、それでも黄昏の槍があれば問題なく貫けるだろうと、そう思っていたのだ。
だが、金の鱗を持つドラゴニアスは、そんな黄昏の槍の一撃で死ぬことはなかった。
勿論、完全にその一撃に耐えた訳でもなく、もしくは回避した訳でもない。
……ある意味ではその双方よりも高い技術を必要とする……受け流すという行為をしたのだ。
金色の鱗は、確かに他の色の鱗よりも頑丈なのだろう。
だが、それでも黄昏の槍の一撃を防げる程ではない。
事実、黄昏の槍を受け流した部位は、その黄金の鱗が派手に削り取られている。
それでもまともに黄昏の槍の一撃を受けた時のダメージと比べれば、それは圧倒的に軽傷なのは間違いなかった。
「……予想外だったけど、やるな。けど……」
数秒の沈黙の後、気を取り直したレイは半ばまで地面に突き刺さっていた黄昏の槍を、手元に戻す。
「受け流すだけで、結局それだけのダメージを受けたんだ。そうなると、それが何度も続くようなら……どうする?」
再び、レイは手の中にある黄昏の槍に魔力を込めていく。
そんな上空に存在するレイとセト……特に自分の鱗を削り取るだけの威力を持つ黄昏の槍を持つレイに、金の鱗を持つドラゴニアスは鋭い視線を向ける。
他のドラゴニアスのように飢えに支配されている訳ではなく、それこそ凶暴な知性とでも呼ぶべき視線を。
「ほら……行くぞ!」
「グララララアアアアアァアッ!」
黄昏の槍を振りかぶったレイの姿に、金の鱗を持つドラゴニアスは威圧的な声で叫ぶ。
すると、少し離れた場所にいた青い鱗を持つドラゴニアスが動き出す。
金の鱗を持つドラゴニアスの前に立ち塞がる……いや、レイからの攻撃の盾となるような形で。
当然のように、そんなことをすればどうなるのかは明らかだ。
事実、投擲された黄昏の槍はあっさりと青い鱗を持つドラゴニアスの身体を貫く。
それこそ、濡れたティッシュでも破くかのように、あっさりと。
ただ……それだけあっさりと青い鱗を持つドラゴニアスの身体を貫いたとしても、それは当然のように身長三m近い、頑強な肉体を貫いたということを意味している。
そうなれば、当然のように若干……本当に若干であっても黄昏の槍の速度と威力が双方共に落ちるのは当然だった。
結果として、その犠牲……もしくは肉の盾によって、金の鱗を持つドラゴニアスは黄昏の槍の一撃を回避することに成功する。
「厄介な真似を」
防御は論外、受け流しても鱗に傷が出来てしまい、回避するのも難しい。
そんな中でドラゴニアスが選んだのが、肉の盾によって一秒にも満たない数瞬という時間を稼ぐことだった。
数瞬であっても、戦っている者にしてみれば、それは限りなく大きい。
実際、普通に攻撃されれば回避が出来なかった金の鱗を持つドラゴニアスは、その数瞬を使って黄昏の槍の一撃を回避することに成功したのだから。
レイも、それが分かったからこそ厄介な真似をと、そう呟いたのだ。
とはいえ……こうしている今も、炎の矢は止んだものの、十個の火災旋風はこの辺り一帯を好き勝手に暴れ回っており、それによってこの瞬間も大勢のドラゴニアスが被害を受け続けている。
(となると、このまま睨み合っている状況で時間稼ぎをすれば、肉壁になるドラゴニアスの数も減っていくか? ……無理だな)
再度黄昏の槍を手元に戻しながら、レイは自分の考えを却下する。
今は何があってもすぐ対応出来るよう、じっと観察するようにレイを見ているが、このまま時間が経てば、いずれ何らかの動きを見せるだろう。
あるいは、火災旋風が金の鱗を持つドラゴニアスに襲い掛かるのが先か。
金の鱗を持つドラゴニアスが、一体どれだけ炎に対する耐性を持っているのかは、レイにも分からない。
だが、それでも赤以外の鱗を持つドラゴニアス達のように、火災旋風に巻き込まれただけで死ぬとは、到底思えなかった。
なら……と。それなら今の状況でやるべきことは一つだけだ。
「セト、一応念の為に俺から距離を取ってくれ」
「グルゥ……」
レイの言葉から、何をしようとしているのかが分かったのだろう。
セトは少しだけ心配しながら、自分の背中から飛び降りていくレイを見て……指示通り、その場から立ち去っていく。
地上に向かって降下していく中、レイは魔力を高め、圧縮し、濃縮していき……
「炎帝の紅鎧」
地面に着地すると同時に、そのスキルを発動するのだった。