2263話
夜中。
空には満月が存在し、草原に煌々とした光を照らしている。
風はそこまで強くはなく、まさに夜襲を仕掛けるには絶好の環境と言ってもよかった。
レイは降り注ぐ月光を浴びながら、ザイ達に向かって声を掛ける。
「ドラゴニアス達も寝たようだし、そろそろ行動に移る。ここから魔法を使うと、ドラゴニアス達がこっちにやって来る可能性が高い。そうなると、色々と不味い」
そんなレイの言葉に、ザイ達は悔しげな表情を浮かべる。
これはレイに対して悔しいと思っている訳ではなく、レイにこう言わせてしまう自分達の実力のなさに対して悔しいと思っていることの証だった。
……実際、ドラゴニアスと正面から一対一で戦える者は、ほとんどいない。
集落の中から強い者が選ばれてやってきた者達の中でも、ザイとドラットが何とか一対一で戦えるといった程度だ。
それも、あくまでも戦えるといった程度で、ドラゴニアスに勝てるかと言われれば、微妙なところだが。
元々種族的な身体能力の違いや、飢えに支配され、自分がどのような被害を受けても相手を喰い殺すといったようなドラゴニアスと比べれば、精神的に脆いところもあるケンタウロスでは、やはり正面から戦った場合はどうしてもケンタウロス側が不利になる。
その辺りの事情を考えると、レイの言葉には従わざるを得ないというのが、正直なところなのだ。
そんなケンタウロス達の思いは、レイにも察することは出来る。
ただでさえ、ケンタウロスは誇り高い種族なのだ。
自分達ではどうしようもない相手をレイに倒して貰うというだけで、自分達の不甲斐なさに思うところがあるのは当然だった。
……それでも、自分達の誇りと集落の安全のどちらを選ぶとなれば、ザイやドラットの立場としては後者を選ぶしかない。
それは分かっていたし、全てを承知の上でここまできたのだが……それでもレイの言葉に思うところがないのかと言われれば、勿論あった。
とはいえ、今の状況では何を言っても意味がないのだが。
それこそ、もっと訓練をして強くなり、自分達だけでドラゴニアスを倒せるようになれば、話は別だったが。
「分かった。それで、俺達は離れた場所で待っていて、レイの魔法で生き残ったドラゴニアスに攻撃をすればいいんだな?」
自分の中にある感情を押し殺しつつ、ザイがレイに尋ねる。
レイはセトを撫でながらザイの言葉に頷く。
「そうだ。ただ……正直、あれだけの規模だと、炎でダメージを与えても、殺しきることが出来ない奴もでてきかねない。そっちを優先して欲しいところだな」
「分かった。そちらに関しては任せて欲しい」
レイの言葉は、言外にお前達ではレイの魔法に耐えるだろう赤い鱗を持つドラゴニアスには勝てないから、瀕死のダメージを受けているドラゴニアスだけを相手にしろと言ってるようなものだったが、ザイはその言葉に素直に頷く。
現在の自分達の実力では、そのように言われても仕方がないと、そう理解している為だ。
……ドラットを含めた数人は悔しそうな表情を浮かべてはいたが。
「よし、じゃあ行動を開始する。……心配はいらないだろうけど、くれぐれも手柄を焦って敵に向かって突っ込んでいくような真似はするなよ?」
一応といった様子でそう告げる。
ドラゴニアスの強さは、それこそレイよりもケンタウロス達の方が知っている以上、そこまで心配をする必要はないと思ってはいた。
それでも忠告したのは、念の為というものだ。
「分かっている。それよりも、早く頼む」
ザイに促され、レイは寝転んでいたセトに声を掛け、その背に乗る。
空を飛ぶのではなく、地面を走りながらザイ達のいる場所から離れていき……やがて、セトの足で五分程走ったところで足を止める。
「さて、セト。これから起こすのは、今までにも何度か使ってきた火災旋風だ」
「グルゥ!」
分かってる! と喉を鳴らすセト。
そんなセトを撫でながら、レイはここで火災旋風を起こすべきかどうかを考える。
本拠地の中でいきなり火災旋風が起きるのは、ドラゴニアス達も驚くだろう。
だが今は真夜中で、ドラゴニアスの殆どは眠っている筈だった。
……飢えに支配された状態で眠れるのかという疑問はあったが、それでも離れている場所から見る限りでは殆どのドラゴニアスが眠っているのは間違いない。
(数万……か。はっきりと確認した訳じゃないけど、ドラゴニアスの数は多分それくらいだよな)
一匹でもケンタウロスが多数で戦わないと敵わないだけの戦力を持っているドラゴニアスが、数万匹。
この戦力が本気になれば、それこそこの草原どころか、この世界全てが喰い殺されてもおかしくはないような気がするレイだったが、実際にはそこまでのことは起こっていない。
その辺には色々と理由なり事情なりがあるような気がしたが、ともあれレイがやることは変わらなかった。
(そうだな。敵が混乱する要素が少ない以上、やっぱりここで火災旋風を作って、それを動かした方がいいか。思うように動かせる訳じゃないけど、ケンタウロス達は問題なく逃げられる……そう信じよう)
そう判断して、ミスティリングからデスサイズを取り出すと、改めてセトを見る。
「行くぞ」
「グルゥ」
セトが喉を鳴らしたのを確認してから、レイは呪文を唱える。
『炎よ、汝の燃えさかる灼熱の如き力を渦として顕現せよ』
その呪文と共に圧縮される炎。
その炎を、少し離れた場所に向かって投擲する。
『渦巻く轟火』
百m程先の場所に着弾し、炎の竜巻が生み出される。
「グルルルルゥ!」
そんなレイの横で、セトが鳴き声と共にトルネードのスキルを使って竜巻を生み出す。
竜巻が生み出されたのは、炎の竜巻と同じ場所。
「風の手」
デスサイズを手に、次に風の手を発動するレイ。
風の竜巻と炎の竜巻という二つの竜巻が融合した瞬間に、風の触手を伸ばす。
炎の竜巻と風の竜巻。
レイの魔法が生み出した炎の竜巻の方が威力は高い。
高いのだが、それに対処するのがレイのスキルたる風の手だ。
デスサイズから伸びていく風の手が、その二つを融合させ……レイの魔力によって、融合した風と炎の竜巻たる火災旋風は爆発的に成長していく。
それこそ、全てを風の刃で斬り裂き、炎で焼き滅ぼす……そんな火災旋風へと。
「うお……」
火災旋風が生み出された瞬間、強烈な熱風がレイとセトを襲う。
そうして生み出された火災旋風は、やがて動き出す。……レイの狙い通り、ドラゴニアスの本拠地に向かって。
「ふぅ。……さて、どう動く? いや、その前にやるべきことがあるか。セト、空に行くぞ」
「グルゥ」
セトもレイが何と言うのかは予想していたのだろう。
素早くしゃがみ、レイに向かって乗ってと示す。
そんなレイを背中に乗せたセトは、数歩の助走で空に駆け上がっていく。
そして……上空から見れば、火災旋風の明かりによってドラゴニアスの本拠地がしっかりと映し出されていた。
基本的に飢えに支配されているドラゴニアスだけに、家や小屋を作るといったことは出来ない。
それこそ、ただ地面に寝転がって眠っていただけに、火災旋風の明かりでもしっかりと見ることが出来た。
勿論、雲一つなく空に月が浮かんでいるというのもあるし、レイやセトが夜目が利くというのも影響している。
(気が付かない? ……本能で行動しているからか? いや、本能で生きているのなら、それこそすぐにでも動いてもいいものだけど)
本能で動いているのなら、それこそ命の危機を感じてすぐにでも動き出しそうだとレイは思うのだが、ドラゴニアスの動きは鈍い。
それでも火災旋風の動きに気が付いた何匹かが、動き出しているのが見えた。
ともあれ、動きが鈍いというのはレイにとって幸運なのは間違いない。
もしかしたら、ドラゴニアスの下半身がトカゲの身体で、上半身がリザードマンに似ているだけに、起き抜けには素早く動けないという可能性もあったが、レイとしては幸運でしかない。
そうこうしているうちに、火災旋風はドラゴニアスを呑み込んだ。
最初は数匹、そして十数匹……やがて数十匹。
次々にドラゴニアスを呑み込み、燃やしつくしていく。
「ついでにこれもだ」
火災旋風に近付いたレイは、ミスティリングから取り出した樽を次々と放り投げる。
樽の中に入っているのは、今までレイが武器屋や鍛冶屋から格安で買い取った代物だ。
中に入っているのは、切っ先が欠けた短剣や長剣、それ以外にも様々な刃。
武器屋に来た者がもう使わなくなった武器を捨てていった代物や、鍛冶師が作った武器の失敗作……それ以外にも様々な理由から集めた刃物の欠片。
そのような刃物の欠片が、火災旋風に飲み込まれていく。
火災旋風の中で鋭い刃となってドラゴニアスの身体を斬り裂いていく。
あるいは、火災旋風の熱によって溶けた金属が吹き飛んでは近くにいるドラゴニアスの身体を焼く。
そんなことをしながらも、火災旋風は次第にドラゴニアスに与える被害を次第に増していった。
それこそ、消しゴムで消すかのように火災旋風の通った場所には何も残らない。
「うん、赤い鱗を持っているドラゴニアスも何だかんだと結構ダメージを受けてるな」
赤い鱗を持つドラゴニアスは、確かに火災旋風の炎によって燃やされるということはない。
だが、炎で無事だからとはいえ、それ以外に対しても無傷という訳ではない。
レイが投げた刃の破片で身体を斬り裂かれたり、火災旋風に飲み込まれて仲間の身体と激しくぶつかってその衝撃で骨が折れたり……炎程ではないにしろ、次々と大きなダメージを与えていく。
ただ、ドラゴニアスの数が数なので、火災旋風によって大きなダメージを受けているのは間違いないが、それでもドラゴニアス全体が壊滅するようなダメージではない。
「セト、ちょっと火災旋風から離れてくれ。もう幾つか火災旋風を作りたい」
「グルゥ?」
いいの? と、そう喉を鳴らすセト。
レイはそれに構わないと頷く。
倒すべき敵が人間であれば、火災旋風が複数必要になることはない……とは言い切れないが、それでもそこまで気にする必要はない筈だった。
だが、今回の場合は違う。
そもそも、ドラゴニアスそのものが普通の人間とは全く比べものにならないくらいの実力を持っているのだ。
今はかなりの速度でドラゴニアス達を殺しているが、普通の人間なら死んでもおかしくはないダメージを受けても、それでもまだ生き残っているドラゴニアスはいる。……勿論、相応のダメージを受けてはいるが。
だが、残っているのは炎に耐えることが出来る赤い鱗を持つドラゴニアスだけで、それ以外のドラゴニアスは炎の件もあって死んでいる。
だが……今は何とか生き残っている赤い鱗のドラゴニアスも、再度火災旋風に巻き込まれればどうなるか。
それは、考えるまでもなく明らかだった。
「……さすがに少し疲れたな」
レイは息を吐きながら、セトの背の上から地上に視線を向ける。
現在そこで暴れ回っている火災旋風の数は……十。
実に十もの炎を纏い、更には金属の破片をその身に蓄えた竜巻が、そこら中を行ったり来たりしている。
触れれば死ぬ。
近くに寄ってもその熱量で死ぬ。
そんな火災旋風が大量に存在し、動き回っている。
その上、どのような理由からか生み出したレイにも分からなかったが、火災旋風同士はぶつかっても融合したりするようなことはなく、お互いに弾かれる。
それこそ、まるでベーゴマのように。
ドラゴニアス達も、寝起きという状態は既に脱しており、恐慌状態になっていた。
当然だろう。火災旋風が十個もあれば、それこそどこに逃げても逃げられるものではないのだから。
「飢えに支配されてるからか、何故か一定の範囲内から逃げるような様子はないしな。……本当に飢えか?」
火災旋風が十個。
それは、ドラゴニアスにしてみれば絶望的なまでの脅威だろう。
だが、それでも周囲には壁がある訳ではなく、別に閉じ込められている訳でもないのだ。
普通に考えれば、火災旋風が動き回っている場所の中でも外側に近いドラゴニアスであれば、そこから逃げ出してもいい。
にも関わらず、その範囲内では逃げ惑っているものの、その範囲外に向かおうとするドラゴニアスはいない。
一体、何がどうなってそうなったのか。
興味はあるのだが、今は自分の興味よりもドラゴニアスを殲滅する方が先立った。
「ついでだ、もう少し賑やかにしてやるか」
デスサイズを手に、呪文を唱え始めるレイ。
『炎よ、我が魔力を力の源泉として、全てを燃やし尽くす矢となり雨の如く、嵐の如く、絶えず途切れず降り注げ』
その呪文と共にレイの周囲には多数の……それこそ、数えるのも嫌になるくらいに大量の炎で出来た矢が生み出されていく。
その数、約五百。
それを見た者は、それこそ絶望しか感じないだろう。
そんな炎の矢を周囲に浮かべつつ……レイは魔法を発動する。
『降り注ぐ炎矢!』
その言葉と共に、五百本の炎の矢は地上に向かって雨の如く降り注ぐのだった。