2254話
ドラゴニアスの死体を目にしたダスカーは、当然のように驚く。
ダスカーもまた、若い頃は騎士をやっていたし、今は辺境のギルムを治める領主として、多くのモンスターを自分の目で見てきた。
そんなダスカーにして、目の前にあるドラゴニアスの死体は初めて見る存在だった。
執務室の中にはドラゴニアスの血の臭いが漂っており、とてもではないが書類仕事をするような環境と呼べなくなっているのだが、この部屋の主はそれを気にした様子がないまま、ドラゴニアスの死体を観察していた。
「これは……確かにこの辺りでは見掛けないモンスターだな。ミレアーナ王国以外の場所は分からんが……」
「異世界でしか存在しないモンスターだとは思いますけどね」
そう告げるレイだったが、ケンタウロスのいた世界は、異世界ではあってもこの世界と共通する点が多かった。
集落で飼育されていた家畜の、山羊、羊、豚。
これらは、このエルジィンにおいても普通に存在する。
また、何よりも特徴的だったのは、レイと普通に言葉が通じたことだ。
同じ異世界からやって来たのに、リザードマンや緑人達とは全く言葉が通じなかったのを考えれば、その辺を強く疑問に思っても当然だろう。
(あるいは、好奇心が強いアナスタシアだけに、その辺に好奇心を刺激されて、あの世界で動き回ってる……そんな可能性も、否定は出来ないか?)
アナスタシアの性格を知っていれば、異世界……それも言葉の通じる未知の世界ともなれば、そこに興味を抱くなという方が無理だった。
もっとも、言葉が通じるかどうかというのは、ケンタウロスと遭遇して初めてレイも理解したことだったのだが。
「ふむ、それでこのドラゴニアスというモンスターは強いのだな?」
「はい。ギルムにいる冒険者でも、ランクの低い冒険者では手が出ないかと」
「これだけ大きいとなると、その説明にも納得出来るか」
下半身が馬のケンタウロスは、当然のようにこの世界に住んでいる者達よりも大きい。
ドラゴニアスは、そんなケンタウロスよりも更に大きいのだ。
普通に考えれば、大きいというのはそれだけで強い。
勿論、レイを始めとして様々な例外は存在するのだが。
「俺が協力しないと、ケンタウロスの集落が壊滅する恐れがあります。もしくは、ドラゴニアスの脅威から逃れようと集落ごと移動する可能性も」
家のようなしっかりとした建物ではなく、持ち運び出来るテントに住んでいるケンタウロス達の生活様式を思えば、それこそドラゴニアスから離れるというのは、間違っていない。
……ドラゴニアスがそのままである以上、明るい将来は待っていないのだが。
それこそ、いつ集落が移動した先にドラゴニアスがやって来ないとも限らない。
そしてドラゴニアスが近付く度に集落を移動するような真似をすれば、それこそ最終的にはどこにも逃げられる場所はなくなってしまう。
また、昨日は集落に近付いてきたところでレイが迎撃に出られたが、もしレイがいなければ、一体集落にいたケンタウロスがどれだけの被害を受けたのかは、分からない。
毎回そのような被害を受け続けていれば、集落を形成出来る最低限の人数を割ってしまってもおかしくはない。
「ケンタウロスか。……まさか本当にいるとはな」
「知ってるんですか?」
「知ってるというか、お伽噺の類で聞いたことがあるだけだ。遙か昔にはいたというが……どうだろうな」
エルフやドワーフがいるのなら、ケンタウロスがいてもいいのでは?
レイとしてはそう思うのだが、それはあくまでもレイの感覚の話であって、実際にこの世界の者がどう思うのかは、レイにも分からない。
「そうなんですか。……そうなると、いつかダスカー様もケンタウロスと会えるといいですね」
「異世界には興味があるし、行ってみたいとは思う。だが、今の状況ではな」
ダスカーにしてみれば、ギルムの増築工事が一段落しないとどうしようもない。
もう数ヶ月経って冬になれば、増築工事も殆どが一時的に中止になり、ある程度は暇になるのだが。
少なくても今の状況では、どうしようもないのは間違いない。
「湖に来るのも結構大変でしたし、そうなるとやっぱり異世界に向かうのは難しいですか。……向こうの世界にいるケンタウロスを連れてくる訳にもいきませんし」
「そうだな。俺達とは違う世界だというのは、出来るだけ秘密にしておきたい」
レイが判断してケンタウロスに対して異世界云々というのを秘密にしていたが、ダスカーもまたレイのその判断を許容した。
そもそも、異世界と接触するかもしれないというのは、ウィスプの研究をした時から予想していた。
予想してはいたが、それでもこんなにすぐに異世界に行けるようになるとは思ってもいなかったのだ。
……もっとも、これは半ば事故に近いやり方での展開だったが。
「わかりました。では、取りあえず俺はダスカー様とのこの話が終わったら、向こうの世界に行きたいと思います。その間の増築工事に関しては……」
「分かっている。その辺りについてはこちらでも色々と準備をする必要があるから、そちらで何とかしたいと思う」
ダスカーとしても、増築工事にレイの力を借りることが出来なくなるというのは痛い。
痛いのだが、今はそれよりも大きなやるべきことがある以上、そちらを優先する必要があった。
とはいえ、レイがいないとどうしても増築工事の効率は落ちる。
それを何とかする必要はあるのだが、そこは多くの冒険者を効率よく動かすことで対処する必要があった。
「この死体はどうする?」
「俺は他にも大量に死体を持ってるので、ダスカー様が調べたいのなら置いていきますが?」
ドラゴニアス……特に赤い鱗を持ったドラゴニアスは、炎に対して強い抵抗力を持つ。
そしてこのエルジィンにおいても、炎というのは典型的な攻撃手段の一つだ。
魔法だけではなく、火攻めといった作戦は普通に行われる。
そのような時、このドラゴニアスの鱗を解析して炎に強い抵抗力を持つ防具を開発していれば、それは大きな力となる。
……もっとも、レイが使える唯一の魔法が炎の魔法である以上、炎に対する強い抵抗力を持つ防具が増えるというのは、あまり嬉しいことではないのだが。
(でも、この鱗を研究しても、恐らくそれで出来るのはドラゴニアスよりは炎に対する防御力が弱い奴の可能性が高いか)
レイとしては、この鱗の性能そのままで防具なりマジックアイテムなりを作れるとは思えなかった。
そもそも、ドラゴニアスは異世界の存在だ。
この世界のモンスターと同様に、その素材を装備品やマジックアイテムの素材として使えるのか。
その辺は、正直微妙なところだというのが、レイの予想だった。
マジックアイテムを集める趣味を持っている関係上、その辺の素人よりは知識が豊富なレイだったが、それでも本職には及ばない。
あくまでも、レイは素人でしかないのだ。
「そうだな。一応何かに使えるかどうか調べる為に、こちらで調べて置こう。ここに置いていって構わん」
「……何なら、どこかに運びますけど?」
「その必要はない。レイには異世界の一件を早くどうにかして貰う必要があるからな」
急いで異世界に向かうようにと、暗にそう言われたレイは、スラム街に行くのは今日も諦めた方がいいかと、残念に思う。
まだ自分の命を狙った裏の組織は存在している筈で、出来ればその組織を片付けておきたいというのが、レイの正直な気持ちだ。
しかし、ダスカーの言葉を聞く限り、そんなことをしている余裕はなさそうだった。
(まぁ、昨日の件もあるし……もうギルムから撤収してる可能性の方が高いと思うんだけどな。出来れば、俺が潰すまではまだ生き残っていて欲しいけど。あ、でも悪質な裏の組織が生き残っていれば、それだけ被害者も増えるのか。そうなると、やっぱりもういない方がいいのか?)
運のいい連中だと思いつつ、取りあえずレイは裏の組織のことは忘れることにした。
個人的には色々と思うところがあるのは事実なのだが、現在の状況を考えればそちらに構っていられるような余裕はない。
であれば、取りあえず今は放っておいて、この件が片づいた後にまだギルムにいたら潰すと、そういう結論に達する。
「分かりました。じゃあ、俺は異世界に行ってきますね」
「ああ。……いや、ちょっと待て」
執務室から出ようとしたレイだったが、ダスカーの声に足を止める。
まだ何かあったか?
そんな思いと共にダスカーの方に視線を向けると、そのダスカーは執務机の引き出しに手を入れ、拳程の大きさの革袋を取り出し、それをレイの方に放り投げる。
革袋を受け取ったレイの手には、硬い感触。
中身を確認すると、そこには青、緑、赤、黄色、黒……様々な色の宝石があった。
宝石にはあまり詳しくないので、どれがどのような宝石なのかは分からない。
いや、あるいは宝石ではなく何らかの鉱石なのではないかと、そんな思いも抱く。
「これは?」
「向こうの世界の金はないんだろう? まさか、この世界の金が使える筈もない。だとすれば、何か換金性の高い物を持っていく必要がある。その中には宝石が入ってるから、換金は出来るだろ。……もっとも、そのケンタウロスというのが宝石に希少性を見いだすかどうかは分からないが」
「それは……多分大丈夫だと思います。宴の時、ケンタウロスの女の多くは色々と装飾品を身につけていましたが、その中には宝石もありましたし。けど、こんなに……いいんですか?」
宝石についての知識がなくても、宝石が高価な品だというのはレイも当然のように知っている。
そんな宝石が、拳大の革袋の半分以上もの量があるのだ。
それこそ、これを売れば一体幾らになるのか、レイですら分からない。
……もっとも、レイが今まで稼いできた金額を思えば、そこまで大騒ぎするだけの量ではないのだが。
「構わん。レイには色々と無理をさせているしな。この上、向こうでの活動資金もお前に出せとは言えないだろう。せめて、そのくらいはさせてくれ」
ダスカーの言葉に、レイは少し考えた後で頷き、様々な宝石の入った革袋をミスティリングに収納する。
正直なところ、ケンタウロスの集落に行けば金の類はすぐにでも用意出来るような気がしないでもなかったが、それでもダスカーが宝石をくれるというのであれば、それは受け取っておいた方がいいだろうと判断したのだ。
「分かりました。ありがたく使わせて貰います」
「使い切れない場合は、返さなくてもいいぞ。今回の一件に限らず、レイには色々と面倒を掛けているからな。臨時収入だと思って貰っておけ。それとマリーナ達には今回の件、こっちで知らせておく」
大盤振る舞いをするダスカー。
レイがそこまで金を稼いでいなければ、それこそ心の底から喜んでもおかしくはない。
……もっとも、欲深すぎると異世界での宝石の使用も可能な限り避けて手元に残そうとするだろうが。
その辺は、レイがどのくらい稼いでいるのか……そして盗賊狩りを趣味にしているということも考えると、ダスカーもそこまで心配する必要はなかった。
「ありがとうございます」
二重の意味で頭を下げ、レイは執務室を出て行く。
途中で何人かのメイドとすれ違い、領主の館に何度も来ているレイだけに、メイドとも軽く挨拶をしてその場を離れ……執務室に入っていったメイドの悲鳴が聞こえたようだったが、取りあえずそれは聞こえなかったことにして領主の館を出る。
「グルルゥ!」
そんなレイに、すぐに喉を鳴らしながら近付いてくるセト。
レイが領主の館から出て来るのを、その鋭い五感で察していたのだろう。
……もっとも、セトから漂ってくる何らかの料理の匂いを考えると、レイが出て来るまではセトも楽しい思いをしていたのは間違いないのだろうが。
「さて、セト。じゃあ俺達は向こうに行くぞ」
向こうという言葉が何を意味しているのかは、セトも分かっているのだろう。
楽しそうに喉を鳴らす。
門番達とも軽く挨拶をし、レイとセトは正門に向かう。
途中で適当な屋台から料理を買い食いしたりしつつ、正門を出て……そうなれば、後は早い。
空を飛ぶセトにしてみれば、トレントの森の中央まではそれこそあっという間に到着する。
樵や冒険者達に今日から暫く来ないことを言っておいた方がいいか? と思いもしたが、その辺の対応はダスカーがやると言っていたので、任せることにする。
そうしてトレントの森の中央までやってくると、既に馴染みとなった通路を使って地下空間に向かう。
当然のようにセトではその地下通路を通れないので、地上で留守番だが。
セトが地下空間に来る為には、グリムの力が必要だった。
(出来ればあの通路が広がってセトでも通れるように……いや、駄目か。そうなれば誰かが来た時に見つけられやすくなるし)
そんな風に考えながら、レイは地下空間に向かうのだった。