2244話
『…………』
視線の先に唐突に生み出された灼熱地獄を見て、ケンタウロス達は何を口に出すことも出来ない。
それもただのケンタウロスではなく、ここにいるのはあくまでもドラゴニアスという、飢えの化身とでも言うべき相手から集落を……自分達の家族や恋人、友人といった者達を守る為、死ぬ覚悟すら抱いていたケンタウロス達だ。
そんなケンタウロス達から見ても、視線の先に生み出された灼熱地獄は唖然とするしか出来ない。
かなり遠くで生み出されたその灼熱地獄だったが、そこで生み出された地獄の一欠片たる強烈な熱風は、集落の側にまで届く。
それどころか、集落周辺の気温が数度……場合によっては十度近くも上がったかのような熱を感じていた。
「問題はないな」
そんな地獄を生み出したレイだったが、まるで自分が何をしたのかが分からないかのように手に持つデスサイズを眺めつつ、確認する。
元の世界……エルジィンにおいて、レイは炎の魔法に限ってだが自由に使うことが出来た。
だが、ここは魔法が存在する世界ではあっても、エルジィンではない。
エルジィンで使えた魔法がここでも使えるかどうかというのは、それこそ実際に試してみなければどうしようもなかった。
試すにしては、今の魔法は明らかに威力の強すぎる魔法だったが、それでもレイは実行した。
それは、殆ど感覚的なものではあったが、魔法が使えると、そう判断していたからだろう。
「さて、取りあえずこれで……」
「グルゥ!」
ドラゴニアスの件も片付いた。
そう言おうとしたレイの言葉を遮るように、セトが鋭い鳴き声を上げる。
そんなセトの様子に、まさかと思いながら灼熱地獄に視線を向ける。
そんな視線の先にある炎の中で、不意に何かが動いたように思えた。
レイがそれを見分けることが出来たのは、レイの身体がゼパイル一門によって作られたことにより、人間よりも鋭い五感を持っているからだろう。
そしてセトはレイよりも鋭い五感を持っており、だからこそレイが気が付くよりも前にそれに気が付いたのだ。
「ゴガアアアアア!」
そんな雄叫びを上げながら、炎の中から出て来た者達。
身体が赤い鱗で覆われているそれは、形だけで言えばケンタウロスに似てはいた。
だが、それはあくまでも上半身と下半身の作りが似ていたというだけであって、細かな外見を確認すれば、それは似ている場所を見つける方が難しい。
まず、第一に印象に残るのはその大きさだろう。
レイよりも大きなケンタウロスが、自分達よりも大きいと言っていただけあって、実際にその姿は巨大という表現が相応しい。
身長という意味では三mを超えており、ガガと同等かそれよりも巨大だった。
下半身はドラゴン……いや、トカゲに近い感じだが、全ての個体が四本足のケンタウロスと違い、足が四本、六本、八本といったように様々な足の数をしている。
上半身は若干リザードマンに似てはいるが、それはあくまでも若干だ。
もしレイがゾゾやガガにドラゴニアスがリザードマンと似ていると言えば、ゾゾは控えめに抗議をし、ガガは場合によっては攻撃をしてくる可能性もあった。
リザードマンをもっと凶悪にし、そこから知性や理性を消した存在と表現すべきか。
下半身のトカゲの部分も、そして上半身も揃って鱗に覆われている。
ただし、その鱗の色は一般的なリザードマンの緑ではなく、赤。
「また、随分と派手な姿だな。ああいう奴が俺の魔法を耐えられるとは思ってもいなかった」
「……あ、いや。違う」
レイの呟きが耳に入ったのか、ザイは我に返ってそうレイに告げてくる。
違う? 何が? といった視線をレイがザイに向けると、少し言葉を発したことでようやく落ち着いたのか、ザイは小さく息を吐いてから口を開く。
「ドラゴニアスには様々な鱗を持つ奴がいる。そして鱗の種類によって、その能力も変わってくる。赤い鱗を持つ者は、炎や熱を食うことが出来る」
「それは……また……」
炎や熱を食う。
そう言われたレイとしては、何故魔法を突破してきた赤い鱗を持つドラゴニアスが自分に向かって突進してくるのかを何となく理解する。
つまり、赤い鱗を持つドラゴニアスにとって、レイという存在は極上のご馳走か何かに思えるのだろう。
実際、レイが生み出した灼熱地獄を見れば、そのような判断をしても全くおかしくはない。
「ちなみに、他の色の鱗を持つドラゴニアスはどうなったと思う?」
「あくまででもドラゴニアスが食うことが出来るのは、鱗の色によって違っている。赤の鱗を持つ者以外は、レイの魔法によって焼き殺されただろう。……魔法、だよな?」
ザイの確認するような言葉にレイは頷く。
自分が使った魔法は、ザイが知ってる魔法とは違ったのだろうと、そんな風に思いながら。
レイが聞いた限りでは、ケンタウロスの集落の中で魔法を使えるのはほんの少数らしい。
その魔法にしても、ザイの様子を見る限りではそこまで派手なものではないのだろう。
そうなると、やはりレイの使った魔法……エルジィンという異世界の魔法は、この世界では異端と呼ぶべき存在なのかもしれない。
「そうか。……ともあれ、あの赤いドラゴニアスはどうする? 俺が倒すか? それともお前達で戦うか?」
「俺達が戦う。レイのおかげでやってきた大半のドラゴニアスは倒すことが出来た。それは助かったと思うが、全てをレイに委ねるということは出来ない」
それは誇りが許さない。
そう言ってるのだろうことは、レイにも理解出来た。
だが、今の状況でそのようなことを言う余裕があるのか? というのがレイの正直な気持ちだ。
現在のケンタウロスは、追い詰められている。
ドラゴニアスによって追い詰められているのを思えば、レイがいる今は少しでも戦力を温存した方がいいのではないか。
レイとしてはそんな疑問を抱くのだが、ザイの様子を見ればこれ以上何を言っても無駄だろうというのが理解出来た。
「そうか、分かった。……なら、一応言っておくけど、そっちが危なくなったら介入するぞ? お前達には、色々と聞きたいこともあるんだし」
「分かっている。とはいえ、幾らドラゴニアスが強いとはいえ、あの程度の数なら倒すことは難しくはない。……皆、聞け! 敵の大半は我が友が倒してくれた! 残りのドラゴニアスも友が倒してもいいと言ってる。そうなれば、我らの被害はないままに今日の戦いは勝てるだろう。だが……いいのか!? 友とはいえ、集落の者ではなく、氏族の者ではない友に全てを任せて、ただ見ているだけで!」
ザイの口から出たその言葉に、レイの生み出した灼熱地獄に眼を奪われている者達を正気に返す。
……正気に返すだけではなく、ザイの言葉の内容によって多くの者が奮起し、自分達に向かって突っ込んでくる赤いドラゴニアス達に戦意に満ちた視線を向ける。
既にドラゴニアス達との距離は二百mを切っており、それこそザイの言葉で我に返っていなければ、ドラゴニアス達に蹂躙されていたのは間違いないだろう。
そういう意味でも、ザイの言葉はタイミングがよかった。
「友の実力を見たのであれば、次は友に我らの実力を見せる時! 行くぞ、我が友、我が家族、我が集落……全ての者を守る為に!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
ザイの言葉に、それを聞いていた皆が……いや、殆どの者が雄叫びを上げる。
だが、雄叫びを上げていない者も何人かおり、その中の何人かはレイにも見覚えがあった。
ドラットの取り巻き達は、レイと視線が合うと即座に視線を逸らす。
レイがこれだけの力を持っていると分からず、絡んでしまった自分の迂闊さに後悔しているのだろう。
レイとしては、この世界にやってきてからは色々と予想外のことが幾つも起きており、そのことについてはもうあまり気にしていないのだが。
レイがザイの様子を眺めていると、ザイは槍を手に真っ先に自分達に……正確には自分達の集落に向かってくるドラゴニアスに向かって突っ込んでいく。
するとそれが当然であるかのように、他のケンタウロス達もザイに続いて赤い鱗を持ったドラゴニアスの群れに向かって走り出す。
(ザイの地位とかははっきりと聞いてはいなかったけど、この様子を見ると戦士長とか、そんな感じなのか?)
仲間に――数こそドラットよりも少ないようだったが――恵まれ、自分が最前線で戦うだけの力を持ち、一種のカリスマ性もある。
その辺の事情を考えれば、ケンタウロスの中でもかなりの地位にある人物なのは間違いなかった。
(ドラットの取り巻きも、一緒に敵に向かってるしな)
ドラットの取り巻きに関しては、あれだけの灼熱地獄を作ったレイの側にいたくはないと、そう思っての行動なのだが……レイがそれに気が付く様子はない。
「グルゥ?」
ケンタウロスを見送っていたレイは、隣でセトが喉を鳴らす音を聞き、そちらに視線を向ける。
ザイ達を放っておいてもいいの? と、そんな視線を向けてくるセトに、レイはどうするか迷う。
レイとしては、ケンタウロス達に恩を売る為にも出来るだけ死んで欲しくはない。
だが、誇り高いザイ達が、ドラゴニアスの大半を倒した後、更にレイによって手助けされて、それでどう思うのかという疑問がある。
それこそ、本来なら自分達だけで倒せた筈なのに、レイが邪魔をしたと判断して誇りを汚したと、そう判断される可能性があった。
とはいえ、だからといって見捨てるなどといった真似が出来る筈もなく……
「上から様子を見て、それで危険そうなら助けるか。セトもそれでいいか?」
「グルゥ!」
レイの言葉に同意するようにセトが鳴く。
……その時には、既に前線で戦いは始まっていた。
ドラゴニアス達は手に武器を持っていない。
最初は棍棒の類を持っている者も多かったのだが、棍棒は当然のように木で出来ている。
炎に強い耐性を持つ赤い鱗のドラゴニアス達は、レイの魔法の中でも生き残った。
だが、武器となる棍棒の類は、その全てがレイの魔法によって燃やしつくされてしまったのだ。
ただし、ドラゴニアスは素手でも鋭い爪と牙がある。
その二つは獲物を引き裂き、命を奪うには十分な威力を持っていた。
また、その巨体が持つ力でも圧倒的にケンタウロスを凌駕している。
ケンタウロスが勝っているのは、その身軽さと人数の多さ。それと理性と知性がある故に生み出された戦闘技術くらいだ。
ただ、それだけ勝っているところがあれば、個としての力では勝てなくても人数の多さを活かして有利に戦うことは出来る。
そして実際、ケンタウロスはドラゴニアスを相手に有利に戦いを進めていた。
それでもドラゴニアスの強さはケンタウロスを上回っているし、何よりもその飢えに襲われており、ちょっとやそっとの痛みでは効果的なダメージを与えるのは無理だ。
ドラゴニアスの爪によって身体を斬り裂かれたり、場合によっては肉を喰い千切られるといったケンタウロスも出て来る。
また、ドラゴニアスの身体はトカゲの下半身も人型の上半身も鱗に覆われており、その鱗は非常に頑丈だ。
技量の低い者や力の弱い者であれば、その鱗を貫いたり、鱗のない場所を狙って攻撃するというのも難しい。
「これは……倒せたとしても、ケンタウロス側に大きな被害が出るな」
ドラゴニアスの数は三十程度で、ケンタウロス側は三百近い。
もしこれが普通の人間であれば、十倍近い数の差である以上、多数の方が勝つだろう。
だが、それでも戦いの天秤は未だにどちらにも傾かない。
ドラゴニアスが来るまではこの草原の覇者だったケンタウロスが、十分の一の数を相手にしてその有様なのだから、ドラゴニアスの能力がどれだけのものなのかが明らかだろう。
幸いなことに、本当に幸いにも、今はまだ死んだ者はいない。
だが、それもそう時間が経たないうちにケンタウロス側に死人が出るのは確実だった。
「助けるか」
上空で戦いを見ていたレイは、あっさりとそう決断する。
もしレイを見ていた者がいたら、先程まで悩んでいたのが一体なんだったのかと言いたくなるだろう。
実際に、レイも先程までは助けるべきか、そのまま見学するべきか迷っていたのだから。
そんな状況で、何故こうもあっさりと助けることにしたのか。
それは考えるまでもなく、このままではケンタウロス側が勝っても最終的には大きな被害を受けると判断した為だ。
レイとしては、自分と友好的に接してくれるケンタウロスの数が減るのは不利益しかない。
そうである以上、多少ザイの不興を買ってもここで手を出さないという選択はなかった。
「セト、ドラゴニアスを倒す。お前の力も貸してくれるか?」
「グルゥ!」
そう喉を鳴らすセトを撫で……レイはデスサイズを手にしたまま、空中にいるセトの背から飛び降りるのだった。