2216話
風の牙のアジトが、炭すら残さないくらいに燃えつきた。
レイの魔法によって行われたその行為に、暁の星の面々はただ驚く。
暁の星も裏の組織である以上、様々な理由で建物を燃やすといったことをするのは珍しくない。
だが……いや、だからこそ、レイの魔法によって炭すら残らないくらい完全に燃やされ、更地と化した目の前の光景には色々と思うところがあった。
「さて、取りあえずこれで地下室にいた連中も、間違いなく燃やされただろうな。……正直なところ、マジックアイテムとかお宝を得ることが出来なかったのは残念だけど」
「そう、ですね……」
残念そう……いや、無念そうに言葉を返すリーダー格の男。
本来なら、復讐を果たして清々した気分でこの光景を見ている筈だった。
だが、建物の中を探索していた暁の星の面々は、結局地下室やそこに続く通路や扉といったものを、発見することが出来なかったのだ。
当初の予想であれば、レイが戻ってくるまでは相当に時間が掛かる筈だった。
その間に目指す人物……仇を見つけ、仕留めていたはずだった。
だが、そのような行為をするには、レイが戻ってくるのが早すぎた。
結果として、前もってしていた約束通りにレイがアジトを燃やすことになり……こうして現在は微妙な思いを感じることになってしまったのだ。
悔しいという思いがない訳でもなかったが、レイが戻ってくるまでに見つけることが出来なかったのは純粋に実力不足だと、暁の星のリーダーはしみじみと思う。
それに……と。
「地下通路で脱出したのなら、仇が生きてる可能性も高いか?」
「っ!?」
レイの言葉に、考えていたことを見事に当てられたリーダーの男は、反射的に息を呑む。
そう、レイが来たということで、地下に隠れたのはほぼ間違いない。
だが同時に、その地下通路がどこか他の場所に通じている可能性も、皆無ではないのだ。
であれば、もしかしたら……本当にもしかしたらの話だが、仇となる人物はまだ生き残っている可能性はある。
「別に、俺はこれ以上風の牙をどうこうするつもりはないから、安心しろ。俺に手を出してきた代償は支払わせたしな」
暗殺に失敗した影響で、組織そのものが潰されたのだ。
おまけに、その組織はギルムという宝の山となるだろう場所で、他の裏の組織との戦いで多くの血を流し、それでも何とか踏ん張って実力で自分達の存在を見せつけた場所。
そのように相当の苦労をして、何とか生き残った支部が潰されたのだ。
風の牙としても、ギルムの支部ということで相当の資金や優秀な人材を派遣して何とかなった……というところで、支部そのものが潰されたのだ。
それも、レイに。
風の牙の本部としては、それこそ大損だろう。
レイが自分を狙ってきた相手に支払わせる代償としては、それで問題はない。
「本当ですか?」
「ああ。だから、もしお前達の仇が逃げているのなら、お前達で倒しても構わない。……まぁ、それまで生きていればだがな」
「……そうですね」
レイの言葉に一瞬喜んだものの、次いでその口から出て来た言葉に苦い表情で頷く。
支部が壊滅した以上、誰かがその責任は取らなければならない。
そして裏社会ではその手のものは厳格に適用されることが多いというのは、レイも知っていた。
つまり、風の牙の組織が壊滅した責任を負うべき最大の人員がいるとすれば、それは支部を纏めていた人物……暁の星の面々が追っていた相手だ。
(生きてるかどうかってのが、まず疑問なんだけどな)
燃えつきて更地となった場所を眺めつつ、レイは出来れば生きていればいいんだがと思う。
レイが今回の行動を起こした最大の理由たる違和感は既に解決していたし、自分を狙ってきた相手に対する意趣返しもアジトを燃やすということで十分にやった。
であらば、風の牙の一件に関しては暁の星に任せてもいいと、そう思う。
「ともあれ、風の牙の件はそれでいいとして……少し聞きたいんだが、黒き幻影のアジトに行く道を知ってるか?」
「え? は? えーっと……はい。知ってますけど」
レイの口から出て来たのは、完全に予想外の言葉だったのだろう。
暁の星のリーダーは、少し戸惑いながらもそう告げる。
その言葉に、レイは安堵する。
取りあえずセトに乗って上空から黒き幻影のアジトを探すようなことはしなくてもいいと。
「そうか。悪いけど俺をここまで連れて来てくれたラザリアは、用事があってもういない。悪いが、俺を黒き幻影のアジトまで連れていってくれないか?」
「それはいいですけど、一体何をするんですか?」
何をするのかと言われたレイは、どう答えるべきか迷う。
だが、既に風の牙のアジトを燃やしている光景を見せている以上、別に隠すことでもないだろうと、端的に口にする。
「燃やす」
「……はぁ。燃やすんですか」
その言葉を聞いた男は、少し驚きつつも納得した様子を見せる。
レイの実力があれば、裏の組織のアジトを燃やす程度のことは、特にどうということもないのだろう、と。
やはり目の前で風の牙のアジトを燃やされ、更地になったというのが、レイの言葉に強い説得力を与えたのだろう。
「ああ。そんな訳で、案内を頼む」
「分かりました。……ルミナ、頼めるか?」
「私? まぁ、いいけど」
リーダーの男が頼んだのは、レイがここに戻ってきた時に見張りをしていた女だ。
その女はリーダーの言葉に頷くと、レイに向かって頭を下げる。
「では、私が案内させて貰いますので、よろしくお願いします」
「ああ、頼む」
レイとしても、自分を黒き幻影のアジトにまで案内してくれるのであれば、特に異論はない。
女の言葉に素直に頼むと口にし、それで話は決まった。
「では、この辺で失礼します。もし本当に奴が逃げたのなら、こちらも出来るだけ早く動いた方がいいでしょうから」
「ああ」
短く言葉を交わすと、男は仲間に早速指示を出す。
大半の者達にはここに残って、念の為に更地となった場所を調べるように言い、少数の者達はもしアジトから標的の男が逃げ出したのだとしたら、いまどこにいるのかを調べるようにと。
ここから遠い場所に隠し通路の出入り口があった場合、それこそ早く動かなければ逃してしまう可能性もある。
……もっとも、敵が姿を消してから結構な時間が経っているので、そうなれば見つけられるかどうかは微妙なところだが。
「じゃあ、早速行きますか。早めに行った方がいいんですよね?」
「そうだな。ここに来るまで結構時間が経っているし。それに、出来れば早いところ戻りたいし」
レイの言葉に女は頷き、レイとセトを黒き幻影のアジトに案内する。
女がただものではないというのは、スラム街の住人なら理解出来るのだろう。
ちょっかいを掛けてくるような者がいなかった。
……もっとも、セトが一緒にいるからちょっかいを掛けるような者もいなかったのかもしれないが。
そうして歩き続け……やがて目的の場所に到着する。
黒き幻影のアジトには、既に誰もいない。
少なくても、レイが見た限りでは黒き幻影のメンバーはともかく、スラム街の住人が入り込んだりもしていないように思えた。
とはいえ、レイは例え中に誰かがいても建物を燃やすという行動を止めるつもりはなかったが。
「では、私はこの辺で失礼します」
「ああ、助かった。仇の捜索を頑張ってくれ」
レイの言葉に、女は微妙な表情を浮かべる。
それなら、風の牙のアジトを燃やすのをもう少し待って欲しかったというのが、女としての正直な思いだろう。
だが、レイとの約束を考えれば、それは出来ないというのも分かっていた。
だからこそ、今回の一件ではそれ以上口に出すような事はせずに頭を下げると、その場から走り去る。
「さて。そうなると、後はあの建物を更地にして、湖に戻るだけだな」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
セトにしてみれば、今日の一件は決して面白いことだけではなかったのだろう。
そもそも、スラム街ということで周辺には何とも言いがたい酸味のある……決して好んで嗅ぎたいとは思わない臭いが漂っている。
普通より五感の鋭いレイですらそうなのだから、レイよりも更に感覚の鋭いセトにしてみれば、たまったものではないだろう。
ましてや、サイズ変更のスキルを使わなければ通れないような狭い道を通ったり、レイがアジトに攻め込んでいて外で待ってる時も結局誰もこなかったり。
それらの事情を考えると、やはり今日の一件はセトにとって面白くなく、早くスラム街を出たいと思うのは当然だった。
「今日は俺に付き合って貰って悪かったな。……そうだな、スラム街を出たら、途中で屋台に寄って何か買っていくか? そろそろ夕方だし、屋台も活発になってるだろ」
「グルルルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
勿論、夕方よりも前の時間……昼から夕方の間くらいにも、屋台はやっている。
だが、昼食後の時間から仕事が終わって腹を空かせた者が出て来る夕方までは、どうしても客の数が違う。
屋台の方でも、混む時間にこそ調理技術を発揮して料理をする……というのは、ある意味で当然だった。
「じゃあ、食事をする前にやるべきことは片付けておくか」
黒き幻影のアジトを眺めながら呟いたレイは、ミスティリングからデスサイズを取り出す。
そうしてレイがデスサイズを取り出すと、自分を見ている視線の数が増したことを感じる。
勿論、視線の主はレイの視界の中にいるのではなく、建物の裏、通路の曲がり角、中には地面の下に隠れているような者すらいる。
ダーブを倒すまでは、違和感によって気配を察知する力が制限されていた。
特に殺気の類は感じることが著しく難しくなっていたのだ。
ともあれ、違和感がなくなったおかげで大勢が現在の自分に視線を向けているのが理解出来た。
(もしかして、俺が全く気が付かなかっただけで、スラム街に来てからもずっとこうやって視線を向けられていたとか? もしくは、この建物を狙っていた連中か?)
黒き幻影がアジトにしていた建物は、建物そのものがマジックアイテムとなっている。
そうである以上、黒き幻影がいなくなったらその建物を自分達の物にしたいと考える者が多いのは当然だろう。
……とはいえ、黒き幻影は建物を出ていく前にしっかりとこの建物はもう少ししたらレイによって破壊されると、そう宣言していった。
その結果として、レイの実力を知っているスラム街の面々は建物の中に入るといったことはしなかった。
それでも万が一、もしかしたらレイの気が変わるか、もしくは何か別の理由でこの建物を破壊するような真似はしないかもしれないと、そう期待してこの近くに潜んでいたのだろう。
だが、残念ながらレイは建物を破壊する。
レイが戦士であると同時に魔法使いでもある……いわゆる魔法戦士であるという情報は、それなりに広がっている。
そんな中でも、デスサイズが魔法の発動体であるというのも当然のように知られており、ここでレイがデスサイズを取り出したことで、建物が燃やされるのは確実だと判断したのだろう。
視線が次第に少なくなっていくのを感じながら、レイは呪文を唱える。
『炎よ、汝は我が指定した領域のみに存在するものであり、その他の領域では存在すること叶わず。その短き生の代償として領域内で我が魔力を糧とし、一瞬に汝の生命を昇華せよ』
その呪文と共に、黒き幻影のアジトを中心に地面に赤いラインが引かれていく。
レイにとっては、今日何度も使った魔法である以上、今まで同様に素早く呪文を唱え、火精を生み出し、魔法を発動する。
『火精乱舞』
その魔法と共にトカゲ型の火精が爆発していき巨大な炎となって黒き幻影のアジトを燃やしていく。
直接燃えている光景を見た為だろう。
まだ残っていた視線が、急速に少なくなっていく。
(まぁ、建物が燃えたのは色々と思うところがあるだろうけど、更地になればここに新しく建物を建てるとか出来るだろうし)
もっとも、新しく建物を建てるとはいえ、その際に使われる建築資材はあくまでもスラム街にある建物でもう使えなくなった建物を分解するなりなんなりして得られたものである以上、新しい建物とはいえ新築感といったものはない。
そんなことを考えている間にも、建物は燃え続け……やがて崩れ落ちて本格的に崩壊する。
建物の様子を眺めていたレイは、セトを撫でながら建物が崩壊したことに安心した。
マジックアイテムである以上、もしかしたら強い魔法防御力の類があっても、おかしくはなかったのだ。
……もっともそのようなものがあっても、レイの魔法なら容易に燃やしつくしていた可能性も高いが。
「さて、じゃあそろそろスラム街を出るか」
レイのその言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らすのだった。