2213話
「それで、今日最後に倒す組織の名前は何て言うんだ?」
道化師のアジトから、ラザリアの案内に従ってスラム街を進むレイは、そう尋ねる。
組織そのものは、道化師のアジトをそうしたように、外部から魔法を使って一気に消滅させるつもりだった。
だが、それでも自分が破壊する……いや、消滅させる組織だけに、その名前は知っておいた方がいいだろうと思ったのだ。
これは純粋に好奇心からだけという訳ではなく、この先に同じような組織が存在した場合、出来るだけ早急にその組織を壊滅させた方がいいだろうと、そう思っての問い掛けだ。
これからその組織を潰すのだが、レイがこれから攻撃する組織は、結局のところギルムに派遣されてきた支部であって、大元の組織ではない。
レイの攻撃によってその支部が壊滅するのは間違いないし、自分達が送り込んだ者達が全滅するとなれば、その組織も新たにギルムに別の者を派遣する可能性は低いだろう。
だが、レイが他の村や街、都市といった場所に向かった時にその組織があるのであれば、可能ならその時に潰したい。
そう思って尋ねたレイに、ラザリアは口にするのも汚らわしいといった様子でその組織の名前を告げる。
「天の光です」
「それはまた……随分とご大層な組織名だな」
天の光。
いかにも胡散臭いその名前に、レイは嫌そうな表情を浮かべる。
そんなレイの隣では、セトもまた表情には出さないが嫌そうな雰囲気を漂わせていた。
(にしても、天の光か。……いや、まさかな)
ふと、レイは以前に何度か揉めたことのある宗教組織を思い浮かべたが、取りあえず気のせいだろうと判断してそれ以上は考えないことにする。
今はそれよりも、天の光という組織を潰す方が先だろうと。
「気をつけて下さい。天の光のアジトに近付いてきました。周辺には薬漬けにされた人が多くなります。僕が知ってる限りでは、天の光は薬漬けにした人をアジトの周辺に配置していますから。薬漬けになった人は、侵入者を倒すと薬を貰えるので……」
「なるほど。自分の快楽の為に、必死になって侵入者を倒すのか。そうなると、少し厄介だな」
これが普通の相手……自我がしっかりとしている相手なら、レイやセトを見ればすぐに逃げ出してもおかしくはないし、最初は逃げ出さなくても仲間がやられたのを見れば逃げ出すだろう。
だが、薬漬けにされて正常な判断が出来ない相手となると、そのようなことも期待出来ない。
それこそ、薬を手に入れる為なら自分が怪我をしても……場合によっては死んでも構わないと、そう判断した者がやってきかねないのだから。
「そうですね。だから、今まで以上にゆっくりと進む必要があります。……もっとも、薬を使っている人は幸福感で一杯になっていて、近くを通る人に気が付かなかったりもしますが」
「それは……見分けが出来れば便利だが、それが出来ないと厄介なことになりそうだな」
レイの言葉に、ラザリアはしみじみと頷く。
穴があるようでないような、そんな監視網。
それが厄介なのは、間違いなかった。
「ともあれ、人に見つからないようにして移動するのが最善なのは間違いないな。……道案内を頼む」
「はい。任せて下さい。天の光は必ず潰して欲しいですから」
断固とした口調で告げるラザリア。
レイはそんなラザリアに頷き、そんなレイの様子を見たセトも何故かレイの真似をして頷く。
セトが事情を理解しているのかどうかは、レイにも分からない。
分からないが、それでもこうして見た限りではレイの言葉に頷いている様子を見せていることから、恐らく理解はしているのだろうと思っておく。
「見て下さい」
歩いている中で、不意にラザリアが小さく呟く。
声のした方に視線を向けたレイが見たのは、何人もの男女が建物の壁に背を預け、視線を虚ろにしている様子だ。
見るからに、薬を使っている様子。
一見すると、自分達に向かって何かをするようには見えない。
だが、ラザリアの言葉が真実であれば、あの者達は間違いなくレイ達を見つければ誰かに知らせるのだろう。
(具体的にどうやって知らせるのかは、分からないけど。……そもそもの話、今の状況で何かを知らせようとしても、しっかりと知らせることが出来るのか? もしくは、ただ騒いでしまえばそれで天の光に所属する奴が理解するのかもしれないけど)
レイが無言でラザリアに視線を向けるが、視線を向けられた本人は何を思ってレイがそのような行動をしたのかが分からず、軽く首を傾げるだけだ。
「どうしました?」
視線の先にいる者達に聞こえないような小声で尋ねるラザリアに、レイも同様に小声で口を開く。
「ああいう連中が他人を見つけたら天の光の連中に教えるって話だったけど、どうやって知らせるんだ? ……あの状況だと、もし俺達を見つけてもきちんと知らせることが出来るような知性があるとは思えないけど。それこそ、ゾンビか何かのように見えるし。……腐臭がしないだけいいけど」
ゾンビと戦う上で、一番厄介なのはその腐臭だ。
特にレイとセトは鋭い五感を持っているので、ゾンビの腐臭は直接攻撃されるよりもよっぽど厄介だった。
それこそ、ゾンビと戦うのなら腐臭のないスケルトンと戦った方が大分楽だと思うくらいには、ゾンビを好まない。
「天の光に所属している人達も、あの人達が見た相手を判断出来るとは思ってませんよ。ただ、誰かを見つけて騒げばいい。それだけです。そうなれば、騒いだ人達は薬を貰うことも出来ますし」
「……なるほど。厄介だな。そうなると、そういう連中にどこまで見つからないで近づけるかだが……どうだ?」
「任せて下さい。とはいえ、それでも近づける距離は限られてしまいますよ。建物の近くに行けば、それだけ中毒者も増えてるでしょうし」
ラザリアのその言葉に、レイは少し考える。
そもそもの話、今回レイがやろうとしているのは、今までのように建物の中に突っ込んでいって、直接戦うということではない。
それこそ、少し離れた場所からでも、建物諸共天の光のアジトを焼き払ってしまおうと、それだけを考えているのだ。
そうである以上、ラザリアが心配するような近くまで行く必要はない。
ある程度離れた場所……レイの魔法の効果がある場所で燃やしてしまえば、それで十分なのだ。
「なら、ある程度近付けてゾンビ……じゃなくて、中毒者達に見つからないような場所はないか? そこまで行けば、後は一気に魔法を使って建物を消滅させるけど」
「え? うーん……ちょっと待って下さいね。そういう場所がないかどうか、ちょっと考えますから」
レイの言葉に、ラザリアは一生懸命に考える。
この辺りの地理をしっかりと思い出し、その中で薬物中毒者達がいない場所を考え……
「あ、あります」
ラザリアは満面の笑みを浮かべて、そう告げる。
ラザリアにしてみれば、それこそ天の光のアジトを消滅させるというレイの言葉は、非常に嬉しいものだ。
道化師のアジトを焼き払った時に見た光景は、かなり驚いた。
だが同時に、あれだけの威力があるのなら容易に天の光のアジトを焼きつくしてくれるという、そんな希望を抱いたのも、間違いのない事実だったのだ。
だからこそ、レイの邪魔にならないように……そしてレイが実力を最大限に発揮出来る場所はと必死になって考え、とある場所を思い出す。
「そうか。なら、そこに案内してくれ」
レイはそれがどこだ? といったようなことは聞かず、ただそれだけを告げる。
これまでの行動から、ラザリアは信用に値すると、そう判断していたのだ。
そのことを嬉しく思いながら、ラザリアはレイとセトを連れて、目的の場所に向かう。
当然ながら、途中の場所には薬漬けにされた者がいたりもしたのだが、そのような者達には可能な限り見つからないようにしながら通を進む。
薬を使っている者に見つからないようにしながらの移動である以上、そのような者がいない場所……普通なら通らないような場所を通りもする。
途中で何度か危ない場面もあったが、それでもレイ達は特に問題なく目的の場所に到着する。
そこは、かなり古い建物ではあったが、天の光のアジトとなっている拠点からすぐ側にある場所だ。
どうやってそのような場所まで来たのかと言えば、この建物には地下通路があった。
……ただし、そこまで立派な地下通路という訳ではなく、あくまでも個人が掘ったと思われる地下通路だ。
だからこそ一人が何とか通れる程度の広さしかなく、ここにセトの姿はない。
サイズ変更を使えるセトだったが、そんなセトであっても地下通路は狭すぎたのだ。
……男にしてはかなり小柄な身体のレイで、何とか通れるといったような狭さだったのだから、この地下通路を掘った者は恐らく子供か、もしくは自分のように小柄な者なのだろうと、レイは予想する。
(ともあれ、何だってラザリアがこの場所を知っていたのかは分からないけど、建物のすぐ側まで来れたのは間違いない。……もっとも、当然のようにこの建物のすぐ外にも薬漬け……ジャンキーがいるから、魔法を使えばすぐに見つかる可能性が高いけど)
問題なのは、そこだった。
ここまではラザリアに案内されてやって来たが、レイがここで魔法を使えば、ほぼ間違いなく外にいるジャンキー達が襲ってくる。
そうである以上、出来ればラザリアには安全な場所にいて欲しいのだが……
「どうしてもここにいるのか?」
「はい。天の光が消滅するところを見たいんです」
「それを見るだけなら、別にここじゃなくてセトと一緒にいても見ることが出来ると思うんだが?」
「出来るだけ近くで見たいんです。それに、レイさんが魔法を使ってる時に守る人が必要ですよね?」
それは、事実だった。
魔法を使っている時は、そちらの制御に集中する必要がある。
何よりも、これから燃やす建物はスラム街に薬物を流している大元の場所だ。
全ての薬物が建物の中にあるとは限らないが、それでも結構な量が建物の中には保存されているだろう。
そのような場所を燃やした時に、何かしら魔法の制御を失敗した場合、どうなるか。
最悪、燃やされた薬の煙がスラム街全体に流れ込んでしまうという可能性があった。
だからこそ、魔法の制御をしっかりと行い、煙そのものをも燃やす必要がある。
「その辺は大丈夫だ。俺一人でもある程度は何とかなる。魔法を使う時に邪魔されるのが不味いのなら、それこそ邪魔をさせないようにしておけばいいんだし」
「それでも、僕はここにいます」
これ以上は幾ら言っても聞かないだろうと判断したレイは、諦めたように溜息を吐く。
「分かった。ならそこで見てるといい。……もっとも、ちょっと見にくいかもしれないけどな」
「え?」
レイの言葉の意味が分からなかったのだろう。
ラザリアは疑問の視線をレイに向けるが、レイはそれを特に気にした様子もなくミスティリングからデスサイズを取り出すと、スキルを発動する。
「地形操作」
デスサイズの柄が地面についた瞬間、地面が変化した。
レイとラザリアがいる建物の周囲の地面が、不意に百五十cm盛り上がり、そのすぐ下は百五十cm沈下する。
その動きで、当然のようにかなり古びていた建物は崩壊するが、土の壁に覆われている以上、周囲にいるジャンキー達に見つかる様子はない。
……もっとも、こうしていきなり地面が盛り上がったり沈下したりしたのだから、その時点で何らかの異常が起きたと判断して、土の壁の周囲ではジャンキー達がそれぞれ好き勝手に騒いでいるが。
「これって……」
「取りあえず、天の光のアジトが燃えるのは、そこから見てろ」
そうレイが言ったのは、土の壁の幾つか存在する、小さな穴。
天の光のアジトは見ることが出来るが、それでも小さな穴である以上、全てを完全に見渡せるという訳ではない。
「お」
魔法を使おうとしたレイの口から、少しだけ驚きの声が出る。
天の光のアジトが、薄い青の膜に覆われたのだ。
それは明らかに、レイの攻撃を……もっと具体的には、レイの魔法を警戒したものだった。
レイが道化師の建物そのものを燃やしたという情報をもう手に入れていたのか、それとも単純にレイが襲撃をしてきたらそうやって対処しようとしていたのか。
その辺りの理由はレイも分からなかったが、それでも向こうが自分の魔法を受けて立つというのであれば、それを引き受けない訳がなかった。
「いいだろう。俺と正面からやり合うとはいい度胸だ。……いくぞ」
視線の先にある薄青のドームを見ながら、レイはデスサイズを手に魔法の詠唱を始めるのだった。