2202話
レイには、目の前の光景が理解出来なかった。
風の牙という、暗殺を中心に活動している組織を潰しに来たのだが、そのアジトを守っていた風の牙の構成員と思しき者達を、スラム街の住人らしくやる気のなさを見せてアジトの周囲にいた者達が、一斉に攻撃したのだ。
レイとしては、自分に絡んで来た相手はあくまでも囮でしかなく、実際には周囲にいた者達こそが本命だと、そう思っていたのだ。
それを前提として、自分に絡んで来た男と戦っているところで、襲い掛かって来た相手に素早く反撃をするつもりだった。
だというのに、何故か……そう、何故かスラム街の住人に扮していた者達が襲い掛かったのは、レイではなく風の牙の構成員。
その風の牙の構成員は、あまりに予想外の攻撃だった為だろう。
反撃をする余裕もないまま、命を絶たれていた。
「えーっと……」
予想外の光景に、レイは手にした短剣――レイに絡んで来た男が投擲してきた短剣を手持ち無沙汰にしながら、そう口を開く。
本来なら、この短剣で自分に襲い掛かってきた者達に反撃するつもりだったのだ。
だというのに、何故か……本当にレイには分からなかったが、敵の本命だと思っていた者達が、レイに絡んで来た相手を殺したのだ。
戸惑うのは当然だろう。
これで、風の牙の者を殺した面々がレイに向かって攻撃してくれば、まだレイとしても対処するのは難しい話ではなかった。
いや、それこそ反撃出来るという意味で楽に行動が出来たと言ってもいい。
だが、風の牙の者達を殺した面々は、揃ってレイに向き直ると……やがて深々と一礼する。
あるいはレイを騙そうとしているのかとも思ったが、頭を下げている状況を見る限りでは、とてもそのようには思えない。
もしレイが目の前の者達を殺すつもりなら、それこそあっさりと殺せるのは間違いないだろう。
であれば、少なくても目の前の者達はレイの敵ではないということを意味している。
「グルゥ……?」
不意に聞こえてきたそんな声に視線を向けると、そこには戸惑った様子のセトの姿があった。
本来なら、頭を下げている者達がレイを襲っているところを、背後からセトが襲う予定だったのだ。
だというのに、実際に戦闘が始まってみれば当初の予想とは全く違う流れなのだから、セトが戸惑うのも当然だろう。
「あー……取りあえず、この連中は敵ではないらしい。……だよな?」
「はい」
レイの問いに、頭を下げていた中の一人の男がそう告げる。
レイの問いに返してきたということは、恐らくその男が頭を下げている者達の中でもリーダー格なのだろう。
「それで? お前達は一体何なんだ? 俺の敵……という訳ではないようだが、同時に味方でもないようだが」
「暁の星。それが私達の組織の名前です。……とはいえ、ギルムでの活動はあまりないので、そこまで有名ではありませんが」
その言葉に、レイも頷く。
実際、レイは暁の星という組織名は全く知らない。
……元々レイがギルムの裏の組織についてそこまで詳しくないというのも影響してるのだろうが。
「その暁の星が、何で風の牙のアジトを襲撃してるんだ? ……俺はてっきり、お前達こそが本当の風の牙の連中で、そいつらはあくまでも囮だと思ってたから、俺が戦ってるところでセトに背後から襲わせようとしたんだが」
「そ、それは……」
レイと話していた男は、その言葉に頬を引き攣らせる。
自分達の擬態が見破られたのも衝撃的だったが、もしかしたら背後からセトが……グリフォンが襲ってきていたのかもしれないのだ。
それで驚くなという方が無理だ。
勿論レイの言葉で驚いているのはその男だけではなく、他の面々も同様だ。
少し何かが間違っていれば、セトに襲われていたのだから、そんな風に思うのは当然だろう。
「えっと……その助かりました、と言った方がいいんでしょうか?」
「どうだろうな。俺としては、お前がどう思うのかは別に関係ない。それよりも、何で風の牙を襲ったんだ? そっちの話がまだだったと思うが」
「あ、はい。……実は私の組織が以前風の牙に襲われ、大きな被害を受けました。その実行犯が、ギルムに派遣されたと聞き、こうしてやってきたんです」
「なるほど。けど、お前達が襲われたのか? 見た感じ、全員結構腕が立ちそうに見えるけど?」
「はい。正面から戦っていれば、私達もそこまで大きな被害は受けなかったでしょう。ですが、仕事で腕の立つ者が出払っていたところを襲われれば……」
その言葉に、男以外の面々もそれぞれ悔しそうな表情を浮かべる。
レイもそこまで言われれば、男の言葉は十分に納得出来るものがあった。
相手の戦力が強力なら、その戦力がいないところで襲撃する。
それは、当然の戦略だった。
……もっとも、その戦略を使われた方にしてみれば、とても許容出来ることではないのだろうが。
「その復讐の為に、ギルムまでやって来た訳か」
「そうです。そうして好機を窺っていたところで……」
その先は言われなくても、レイにも理解出来た。
男達が隙を窺っていたところで、レイが風の牙のアジトに近付いていったのだ。
「そうなると、俺は謝った方がよかったのか?」
「いえ、レイさんのおかげでこちらも踏ん切りがつきました。こちらも隙を窺うような真似をしていましたが、いつ攻撃するのかと迷ってましたので」
「そうか。……で、これからどうするんだ? 俺はこれから風の牙を潰すつもりなんだけど……な!」
鋭く叫びながら、レイは持っていた短剣を素早く振るう。
建物の中から放たれた矢は、短剣の一撃によって斬り落とされる。
振り下ろした短剣を、手首の動きだけで投擲すると、建物の中から苦痛の悲鳴が響く。
当然の話ではあるが、ここは風の牙のアジトのすぐ前だ。
そのような場所で、風の牙と敵対しているレイと暁の星の面々が話をしていれば、アジトの中にいる者も当然のように気が付き、反撃するだろう。
寧ろ、今まで攻撃されなかった方が不思議だった。
とはいえ、レイにもその理由は分かる。
レイと暁の星が建物の前で話をしている間に、アジトの中にいた風の牙の面々は戦闘準備を整えていたのだろう。
そうして戦闘準備が整ったところで、こうして攻撃してきたのだ。
もっとも、攻撃をあっさり防がれるというのは予想していなかっただろうが。
ましてや、即座に反撃されるというのも予想外だったに違いない。
ともあれ、敵が攻撃してきた以上はここで大人しく話をしている訳にもいかない。
レイはミスティリングの中から青い槍を取り出し、投擲する。
当然この槍は青の槍を壊滅させた時に集めた槍の一本だ。
いつもならデスサイズと黄昏の槍を使うのだが、建物の入り口はかなり狭く出来ている。
建物に入ってくる敵を可能な限り少なくすることを目的として、そのような扉になっているのだろう。
レイはそんな場所に向かって、青い槍を投擲したのだ。
そして投擲した先からは、再度痛みの悲鳴が聞こえてくる。
「さて、攻撃された以上、俺はこのまま風の牙の壊滅を狙うけど、お前達はどうする?」
「勿論、一緒に行きます。……出来れば、私達だけでどうにかしたかったんですけどね」
男は少しだけ無念そうに呟く。
男にしてみれば、この戦いは報復なのだから当然だろう。
……もっとも、報復という意味ではレイの行動も自分を狙ってきた敵に対する報復なのだが。
「そうか。なら、中に入ったら早い者勝ちだ。いいな?」
「分かりました」
レイの言葉に、男が頷く。
……とはいえ、レイは本気で自分がこの組織を潰そうとは思っていなかった。
勿論、風の牙という組織に思うところがあるのは間違いないのだが、レイが潰すべき組織は他にもまだ幾つかある。
ならば、意地でもこの組織を自分で潰したいという風には思わない。
それでも完全の暁の星の面々に任せるのではなく自分もアジトの中に突入しようとしたのは、アジトの中にあるマジックアイテムやお宝、それ以外にも何らかの欲しい物があったら貰っておこうと考えた為だ。
暗殺を中心に行っていたとなると、その分だけ報酬も多い筈であり、お宝の類も多くあってもおかしくはない。
レイにとって、今回の一件は報復という意味が一番大きいが、今まで自分が入手したことがないマジックアイテムを入手出来る可能性があるというのも、この場合は大きい。
だからこそ暁の星だけに任せず自分もアジトに侵入することにしたのだ。
……とはいえ、青の槍と黒き幻影を潰した現状でも、得られた物はあまり多くはない。
青の槍の組織は椅子やテーブルといったものがそれなりにあったので、ミスティリングで収納してあるのだが、マジックアイテムの類はない。金貨や白金貨、宝石や金塊の類はあったのだが。
黒き幻影のアジトではニナッシュから白金貨数枚分という高価な、そして高い効果を持つポーションを十本入手している。
ポーションはありがたい代物なのは間違いないが、レイとしては出来ればもっと別の……実戦で使えるようなマジックアイテムを欲していた。
(いやまぁ、ポーションも実戦で使えるのは間違いないんだけどな)
そう呟くレイ本人は、実戦でポーションを使った回数はそう多くはない。
本人の身体能力が非常に高く、敵の攻撃は回避するかデスサイズや黄昏の槍で弾くなり斬り落とすなりする上に、非常に高い防御力を持つドラゴンローブを身に纏っている。
そのように幾つもの防御の手段を持っているだけに、戦闘中にポーションを使う程の怪我をしたことは、それこそ数える程しかない。
……だからこそ、出来ればもっと他のマジックアイテムが欲しいのだ。
「行くぞ」
再度青い槍を投擲した後で、扉の狭さからいつものように黄昏の槍とデスサイズを持つ二槍流ではなく、デスサイズだけを手にアジトに近づき、振るう。
「多連斬!」
一度の斬撃で、実際にデスサイズを振るって放たれた一撃の他に現れる三つの斬撃。
その斬撃が、アジトの出入り口を……正確にはその付近の壁を斬り裂く。
ただでさえ、レイがデスサイズで放つ一撃は強力だ。
それと同等の一撃が、他に三つ。
それだけの攻撃が命中すれば、それこそ出入り口周辺の壁はあっさりと破壊される。
「マジックシールド!」
間髪入れず、発動するスキル。
ドラゴンローブがあるが、それでも万が一のことを考えてのスキルの発動。
相手がどのような武器を装備しているのか分かっている状況であれば、わざわざマジックシールドを使う必要もないのだが、敵のいる場所……それも向こうがどのように待ち構えているのか分からず、武器を自由に振るうことが出来ないかもしれない場所だとすれば、それこそ万が一ということも有り得る。
そんな訳で、攻撃を防ぐ為のマジックシールドを展開したのだ。
もっとも、暁の星を完全に信じていないというのもあるし、あるいは何らかのミスで攻撃が飛んでくるかもしれないという思いもある。
その辺の安全を考えての行動だったのだが……
「撃てぇっ!」
その言葉と共に、建物の中にいた者達が一斉に矢を射る。
出入り口を中心にして円を描くような位置での一斉射撃。
当然のように、その矢は真っ先に建物の中に突入したレイに集中するが……
「甘いんだよ!」
鋭く叫び、デスサイズを大きく振るう。
その瞬間、レイに向かって放たれた矢はデスサイズによって次々と斬り落とされていく。
レイに……異名持ちに対する恐怖からか、それとも単純にここに用意された者達の技量が低かったのか。
その辺りの事情はレイにも分からなかったが、ともあれほぼ同じタイミングで矢を射ったのは、明らかに失敗だろう。
何人かタイミングを外して矢を射ったが、数本の矢であれば回避することは難しいことではない。
矢の一斉射撃を回避したレイは、すぐに黄昏の槍を取り出す。
入り口こそ狭かったものの、中は弓を構えた者が多数行動することが出来るだけの広さを持っているのだ。
であれば、黄昏の槍とデスサイズの二槍流という、いつもの戦闘方法が十分可能だった。
(暁の星の連中も来たな)
レイの視界の端では、デスサイズによって強制的に広げられた出入り口から、暁の星の面々が中に突入して弓を持った者達に襲い掛かっているのが確認出来た。
一瞬でそこまで確認し、レイは左手の黄昏の槍を投擲する。
空気そのものを斬り裂きながら飛んでいった槍は、そのままあっさりと弓を持った者を指揮していた男の頭部を貫く。
周囲に脳みそや骨、血、体液といったものを撒き散らかし、爆散する頭部。
それを見ながら、次にレイは弓を持っている相手との間合いを詰めつつデスサイズを振るい、黄昏の槍を手元に戻す。
そうして……蹂躙が始まるのだった。